間話-とある森の、木漏れ日が差す花畑で
その日は素晴らしい程に晴れ渡った空色であった。
降り注ぐ陽の光は暖かく、頬を撫でる風はひんやりとして心地良く、雨の気配に遠いこの森の気候はとても清々しい。
人の手で整備された石造りの道は大分年季が入っているのか、形は歪で、所々が苔むしており、石の隙間からは黄色い花が咲いて顔を覗かせている。
「せんせい! はやく、はやくいきましょう!」
草丈の大きな植物に囲われる様にして進む森の道で、私を先導するベラが口許に手を当てて声を張り上げる。
近場の低木から小鳥が数羽飛び立ち、頭上の遙か上にある高い木の上から小動物が私達を見下ろす。ベラはそれに気付く素振りも見せず、両手を大きく振り上げて私の脚を急かす。
急ぎすぎて転ばないように、と私が言った直後に、思い切り前のめりにつんのめって転ぶ姿に、額に手を添えて首を振る。
弾みでベラの服から飛び出ていったヴィダルが、茂みの中へ埋もれて草まみれとなった。
もぞもぞと身動ぐベラが顔を擡げ、四つ足状態でヴィダルが呻く茂みを見詰めている。その横へ私が片膝を折って傍らに寄ると、茂みから私へと視線を上げた。
「ベラ。旅はそう忙しく熟すものではありません。その様に転んでしまうと……」
「せんせい!!」
「はい」
「ヴィダルがとんでいったほうに、お花畑がみえました!」
「……お花畑、ですか」
「はい!!」
復唱する私へ、強い肯定を示すようにヴィダルが埋もれている茂み、その向こう側を差してベラが告ぐ。
低木の枝に絡まっているヴィダルを取り出しながら、私はベラの手に引かれて茂みの間を通り抜けた。するどどうだろうか、広く開けた地に白い花が咲き誇っている。
辺り一面に白い花が咲き乱れ、背の大きな木が花畑を見下ろすかの如く点々と植わっている。白い花以外に色の付いた花は見当たらず、さながら此処ら一帯を牛耳っているかにも思えた。
ヴィダルが私の手から跳ねてベラの肩に飛び付き、忙しげに周囲を見渡している。
「先生、せんせい! すこしここで、休んでいきませんか!」
「……そうですね、ええ。少し此処で休んでいきましょうね」
「わあい!」
顔を輝かせて私へ振り向きベラが言う。太陽が真上を通ろうとしていた時間でもある、遠からず休憩を取ろうと考えていた私は浅く頷いた。太陽の目映さを散らしたようにベラが笑む様子に微かに頭を傾げる。
「せんせい! こっちです、こっち!」
「ああ、はい。はい。そう慌てると、また転びますよ」
「だいじょうぶですー!!」
駆け足をしたがるベラが引っ張る方面へと大股で歩み寄る。引っ張られる先の大木の元で、私は座らされる。花を潰さないように草の間に腰を下ろし、提げる鞄を傍らに置いた。
ベラは私から手を引くと、何かを探す様に周辺をうろうろと見遣っている。
「どうかしましたか」
「いえ、いえ! ちょっと、ちょっとだけ待っていてくださいせんせい!」
「……ええ、待つことは構いませんが」
「そこにちゃんといてくださいね!!」
「この花畑の一帯から出ないように」
「わかっていまーす!」
非常に穏やかな森の中で、ベラの声が矢鱈と木霊する。
花を踏み潰さない為にか、妙な動きでベラが私の座る場所から遠のいて行く。小動物や小鳥の声が聞こえている花畑に、未だ危険は無いだろう。
遠目にでも何かを探している様子のベラから視線を落とし、私は鞄の中身を漁り出す。森に入る手前の村で譲り受けた紅茶があった、後は…村の川から獲れた魚をソテーにしてパンに挟んだサンドと、乾燥させた木苺の砂糖漬けもあったか。
まだ幼いベラを見るなり、心からの好意から旅先で物を頂く事は頻繁にある。理由は未だ良く判らないが、彼女の胃袋を膨らませるにはとても有り難い事象だろう。
短く息を吐いて、私は地面を見ながら歩き回るベラの姿を一瞥する。身を乗り出しているヴィダルが、短い手足を前に向けてミイミイ鳴いている声が遠くに聞こえた。
「せんせい!」
待ちくたびれた私が、手帳を開いて、過去に記した文字を眺めて数分経った頃か。比較的近い距離から、私を呼ぶベラの声が耳を劈いた。
手帳を閉じてベラを見ると、周囲に植わっているそれとは違う桃色の花を私へ差し向けてくれていた。ベラの頭部に咲いているそれとはまた違う、沢山の花弁からなる淑やかな花だ。
私は間抜けにも呆けてその花を見て、得意気な顔のベラを次いで見遣る。肩に居座るヴィダルが手を差し向け、さながら受け取れと言わんばかりに私へと上下に軽く揺すっていた。
「この花は」
「せんせいのお花です!」
「いえ、そうではなく……。この辺りに咲いている白い花とは、また随分見た目の違う花ですが……」
「このお花はですね、ええと、あっちに咲いていたんです!」
そうベラが指を差した先には、小さな川が流れているのが見えた。その向こう側には、白い花の代わりに鮮やかな桃色の花が遠目に見える。
なるほど、と私が目を緩慢に瞬かせていると、ベラの持つ花が目と鼻の先まで距離を詰めていた。それに再び、私は瞬く。
私は鈍い動きでベラの手首を掴み、そっとベラの腕を退かせる。…途端、ベラが悲しげに眉尻を下げた。
「……お花きらいですか……?」
「いいえ、いいえ。……あなたの顔と、あなたの摘んできてくれた花が、どちらも良く見える距離にしたいと思いましたので。ええ」
「!」
私の言葉にベラの表情が簡単に華やいだ。目下を見て白い花が無い事を確認すると、ベラは半歩下がってからそっと花を持つ手を私へと差しだした。
私の言葉に偽りは無く、わくわくとした表情で花を受け取って貰わんとするベラの表情もまた偽りは無い。
傍らに寄りそう大木から受ける木漏れ日に、或いは私には眩しすぎる彼女の笑みに、私は双眸を細めながらその淡い色合いをした花を受け取った。
「せんせい!」
「はい」
「おなかがすきました!!」
「……それでは昼食にしましょうか」
受け取った花の花弁が一枚、ひらりと落ちて白い花畑の中へと吸い込まれていった。
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