或る修道士の受難-3

 男は言っていた。此の街はとても自然に恵まれた美しい街であると。領主はとても気の良い人間であると。此の街は良い街であると。緊迫した面持ちで、冷や汗を垂らしていた男は、鷲鼻を赤く染めた昼間の男とは似ても似つかなかった。



 他の人間が我先にと梯子を掛けて街へと降りていく。周辺の砦からも続々と人が降りていっては、生き延びることが出来た、私達は幸運だと、人間の血飛沫の残る地の上で喜び踊り狂っていた。祝杯だ、宴だ、今日は祭りだ。彼らは皆一様にしてそう口走っていた。

 血湧き肉躍る街の人間。そんな光景を尻目に、男は何かを探すよう念入りに目玉を動かして砦から街を見下ろし続け、街に降りた人間達の興奮が最高潮に達した頃に持ち出していた斧を砦に戻し、梯子を降りていった。私は、預けられたままの長柄の剣を男に返そうとしたが、もっていてくれ、と言われ預かることにした。

 ベラの心情を把握することは出来ないが、街の人間の挙動を私の影に隠れて観察している辺り、なんとも言い難い胸中ではあるのだろう。

 暫くしてから砦より私達が降りてくると、誰かから貰ったらしい酒を飲みながら、再び鷲鼻を赤く染めた男が私の肩を叩く。


 わりぃな、仕事の斡旋は今暫くは無理だ。なんせ祭りとなっちゃあ、此処二、三日はずっと仕事ほっぽりだして遊びほうけるのが此の街の特徴なんだ。

 


 男の言葉に、私は、そうですか。とだけ告げて、賑わう人の輪に飛び込んでいく男を見送り、ベラの手を引いて歩き出した。一応、街に停車していた蒸気機関車を見にはいったが、どうやら此処も遊びほうけるので忙しいらしい。運転手らしき若者が帽子を放り投げて踊り、整備士らしい壮年の女性が乾杯の音頭を取っている。


 蒸気機関車に乗れるのは、未だ少し先の話になりそうですよ、ベラ。


 私の言葉に酷く残念そうに眉を下げながらも、ベラは首を縦に振って私の手に引かれ続けた。街の賑わいに蹴飛ばされるにも似て、私とベラが街の外へと出たのは間もなくの話だ。

 蒸気機関車の走る線路を辿るように、私達は街から遠ざかる。人間の血と思わしき黒点を追い掛けるように、私達は街のお祭り騒ぎから逃げ果せる。

 幾らほど歩いただろう、今朝方鳴いていた鳥たちが無花果の実を昼食に啄み始めた頃だったか。街から離れることに没頭していた私がそれに気付いたのは、それとの距離の残りが数メートルしかないくらい近付いてからだった。道の真ん中に、長柄のシャベルを持った人影が私達の前に立ちはだかっていたのだ。

 黒く薄汚れた服。土気色の膚。光を無くした瞳。背格好はベラより数歳年上とおぼしき少年。どうやらあの街の人間では無さそうだ。ベラが私の背へ隠れる。


 お前はあの街の人間か。


 酷く淡々とした声で彼は訊ねた。私が首を横へ振って否定すると、彼は無言で手にしているシャベルの剣先で、血痕の残る土を掘り起こし始めた。私と彼とを隔てるように、やや深めに掘り返されていった所で、土の中から何かが出てきた。

 人間の屍体だ。

 少々腐食が始まっているようだが、未だ辛うじて人の姿を保っている。街で見た 亡霊 の腐敗具合とは違う。未だこの屍体は新しい。まるでつい先程、殺されたばかりと思わせる人間のようだ。私が何かを言う前に、彼は人間の屍体を担ぎ上げ私へ向き直った。


 あの街は人殺しの街だ。

 鉄塊に乗せてきた客を魔に捧げて街を潤わせている。

 これは魔が食い荒らした魂の残骸だ。

 あの街は人殺しの街だ。


 繰り返す一節を吐き捨てるその声は、まるで何かを呪い殺そうとせんばかりに怨恨とした物だった。彼は此方に背を向け、線路を跨いで森の向こうへと消えて行った。

 詰まり。

 逃げ惑っていたあの街の人間は亡霊の顧客であり、逃げ遅れていた人間は蒸気機関車の客であり、あの街の人間は蒸気機関車に乗って訪れた観光客をわざと殺しているということか。しかしそれを知っているあの少年は何者なのか。あの街の人間でない所を見るに、観光客の生き残りか、それとも。


 ……何故私達は生かされたのだろうか。いや、蒸気機関車に乗せて戻ってきたら餌にするつもりだったのだろうか。


 片手に持ったままである長柄の剣を見下ろして、私は蚊の鳴くような小さな声で言葉を零した。ベラに少しだけ離れるように言うと、鞘から剣を抜いてその刀身をよく見る。鋼を磨き上げて作られたらしく、しなやかだが衝撃に強そうだ。

 旅の護身にするには充分な代物だ。矢張り不安げに此方を見るベラの視線から隠す様、再び刀身を鞘に収めそれを腰に提げる。

 あの街はとても良い街に思えた。仕事を碌に出来ない私へ報酬だといって銀貨も寄越した、ベラとヴィダルが二人きりでいても攫うような人間もいなかった、街の食事はとても美味しいと彼ら二人も言っていた。何より、自然がとても美しかった。

 だが。

 あの少年の言葉は、どうにも嘘だとは思えない。根拠があるわけではないが……地中に観光客と思われる屍体が埋まっていたのも極めて不思議だ。

 私は、ベラの手を引いて再び歩き出した。線路の脇を外れてあの街が見えなくなるまで、次の街や村が見えてくるまで。

 開けた場所に焚き火を拵え、あの騒乱が起こる寸でに買って置いた携帯食料を与え、睡りにつくベラを見守る。

 いつもより寝付きの悪いベラの頭を撫でながら、ぱちぱちと弾ける火の粉を見詰める。答えの無い問いをいくら考え込んだ所で無駄でしかないだろう。頭の何処かでは判っているつもりだ。


 ――それを三度繰り返して朝を迎えた四日目には、あの街の鐘の音が聞こえてこなくなった。漸く静かな朝を迎えられたのである。


 鐘の音が聞こえなくなった事を理解しているのか、それとも意識していないのか。ベラがいつもより早く目を覚まし、ヴィダルと共に私へ美味しい果物を寄越せと要求してきた。私は携帯食料を手渡した。

 不満げに足を遅らせるベラを引っ張り、耳元で抗議するヴィダルを片手の手中に収めて幾許、やがて見えてきたのどかな村を、私達は訪れた。

 物珍しげに見てくる村の人間のうち、土木仕事に励んでいたらしい隆々とした筋肉を晒す男が近付いてきた。


 おう、旅人さんか? この村はいいところだぜ、そうだ、どうせなら俺の家に泊まっていけや。女房もきっと喜ぶさ!


 顔を土で汚していた男ではあるが、垂らす汗水すら輝いて見える程とても人の良い男に思えた。

 おっかなびっくりとして覗き見上げるベラに気付くと、ごつごつとした手でベラの頭をフード越しにぐしゃぐしゃと撫でて笑った。


 男の好意に甘え、男の妻にとても美味しい食事を頂き、湯浴みを頂き、清潔な寝床を頂いた。

 あの街を離れてから四日目の夜、私は、とても心地よさそうに睡るベラから窓の外へと視線を向ける。

 自然の雄大さはあの街より幾らか劣るだろう。人々の感性はあの街より洗練されてはいないだろう。あの街より、お世辞でもこの村は発展しているとは言えないだろう。

 だが、あの街より夜空は煌めいて、ささやかな自然は素朴な村人達と共生していた。その生き様は、私の眼には、如何なる宝石より美しく見えた。

 私達がこの村を出たのは、あの街を出てから六日目の朝だ。村の伝統食だというたっぷりの野菜と香草チキンが挟み込まれたサンドイッチを貰った。太陽が頭の真上を通る前にお腹が空いたと言って食べ尽くしたベラによれば、すごく美味しかったという。私の分はベラとヴィダルの夜食に奪われた。

 対称的な街と村を離れ、私達は次の街ともしれぬ村ともしれぬ場所へと向かう。



 手記に書き記して私は思った。二つの街と村での滞在に於いて、人間は、言動と思惑が唯一不一致する事もある存在なのだと再認識させられた。私が私以外の存在を理解できる事など何一つないのだと。

 この受難は、きっといつまでも私の頭に居残り続けるのだろう。

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