或る修道士の受難-2

 私の仕事ぶりを見て鷲鼻の男が溜息を何度吐いていただろうか。少なくとも私の見立てでは、片手の指の数は上回っている筈だろう。溜息を聴きながら取る昼食は、恐らく一番味気なかったかと思う。



 此の街の中心部には大きな時計塔が存在しており、日が昇っている間は太い針が数字へ重なる度街中に鐘を鳴らして時間を報せているのだという。便利な物だと、私は心底から感心を覚えたものだ。そんな中こなしていた仕事の方だが。

 客数をみて適宜に捌く応対の仕事は、あまりの愛想の悪さで客に気味悪がられた。品物の捌けをみて手際よく並べていく仕事は、物をまぜこぜに出してしまうと呆れられた。加減を知らないと言われ、花の水やりすら満足に出来そうにないと、酔いの醒めた顔で男がぼやいていた。

 如何したものかと独り言を零し、男は後ろ頭を搔きながら顎を引いて、昼の一時の鐘が鳴ったらまた迎えに来ると片手を上げて去って行った。仕事らしい仕事をこなせなかった私ではあったが、男は義理は通すといって銀貨を数枚寄越してくれた。

 さて。

 男が次の仕事を持ってきてくれるまで、二人のもとへ一旦戻ることにしよう。

 ベラとヴィダルには、私達が男と一番最初にであった店のテラス席で過ごして貰っていた。

 暖かな陽光が差すテラス席で、ベラは気持ちよさそうに突っ伏して寝入っていた。ヴィダルは、ボタンで作られた眼を光らせていた。テラス席周辺にうろついている小鳥を警戒するように見詰めている。二人がいる事を確認し、私はパンケーキを二人前とホットベリーティーを注文した。直に焼き上がったそれを持って行くと、寝惚け眼のベラが欠伸を零しながらも起床した。

 兎の形を模して焼かれたパンケーキを見てベラは大層喜んだ。飾られていた生クリームと、マーマレードソースと一緒に美味しそうに食べ始める。ヴィダルは小鳥に警戒しながらも大きなフォークを巧みに使って食べ始めた。


 おしごとはどうですか。


 ベラが何気なく私に尋ねる。脇目もふらずパンケーキを貪るヴィダルを横目に、私は暫しの間沈黙を貫いた。上手くいっているわけが無いとあっさり言い切れるほど、私の思考は冷めているつもりは無い。だが。巫山戯て仕事をしているわけではない、不真面目に仕事をしているわけではない。午前こなしてきた仕事は、致命的なまでに私には合わなかった。だから仕方ない。そう言葉を濁してた所で、蒸気機関車に乗れないのかと瞳に涙を溜められるのも私には辛いものがある。

 困った。ベラは私が何も言わない事に不思議がって首を傾げるが、察せられるほどその辺りの機敏は鋭くない。それに関しても困った。私は一つ咳払いをした。


 努力はしていますよ。


 ベラは私の言葉に首を傾げたまま数秒静止し、笑みを浮かべる。嗚呼、この子もやっと言葉の機微を感じ取れるようになったのかと私は安堵しかけた。


 あしたには蒸気機関車にのれますか先生!


 安堵の息が憂鬱の溜息に変わったのは言うまでも無い。私は、明後日くらいになるかもしれませんねと返しておいた。

 すっかり綺麗に食べ終えていたパンケーキの皿をベラとヴィダルに持たせ、食器を店の人へ下げてお礼を言ってきなさいと教える。ふと見上げた時計塔は、昼の一時の鐘が鳴るまであと僅かを示していた。

 今日中には慣れない仕事が慣れれば良いのだが。私がそんな事を思っていた、束の間の時。鐘の音が鳴り響いた。

 いや。

 警鐘とも言える、けたたましい鐘の音が何度も何度も繰り返して鳴らされた。ハンマーで釘を打付ける時のように間髪を入れず鳴らし続けられる、ガンガンガンガンと激しい鐘の音だった。

 街中がどよめき、誰となく悲鳴を上げ、街の中心部へ逃げ惑う人の波が寄せてくる。ベラとヴィダルが街の異変に怯えた様子で店から駆け出し、私の元へ戻ってきた。不安げに見上げるベラの頭を撫でながら、私は人々が逃げてきた方向を凝視する。

 あれは………。


亡霊ファントムだぁあああああ!!!!!!!」

 

 誰かが叫ぶ。より一層誰の物ともしれない悲鳴が吹き上がり、どよめきは益々人々へ伝染して広がっていった。ベラが身を震わせながら私の服の裾を掴む。私は、ベラにフードを目深に被り直させた。

 亡霊と称されたそれらは、腐り落ちた肉を半端に纏い、端切れにも似た襤褸布を纏い、地を這うように鈍い動きで剣だの槍だの物騒な荷物を背負い込んでいる、文字通り人の屍体だった。軽く二桁の数は目視出来る。

 恐らくは下級の悪魔の類いが人の墓を暴いて操っているに過ぎないだろうが、彼方此方白骨を露見させながらもそれを引き摺っている物はまさしく、嘗て人"だった"物に違わない。私が生きていた時代、土葬文化の国ではよくある事だ。だが、普通であれば、棺桶に退魔のまじないも施した上で錠を何十にも掛けて埋葬するはずだ。アレらは出現したとしても精々が数体のはず。何故だ。幾ら何でも多すぎる。


 あんた! こんな所にいたのか! 


 じりじりと近付くアレらを訝しげに見詰めていた私の思考が男の声で途切れた。あの男が血相を変え、大声を張りながら私へ近付き、隆々とした筋肉を付けた腕で私の肩を掴んで引く。あれは何か、そう私が訊ねる事を予見していたかのように、男は口を開いた。

 亡霊だ! と。

 先に聞こえた叫びと同じ言葉を連ね、男は私とベラを引いて近場の建物へと連れ込んだ。パンケーキを食した店の裏手にある、二階建てに見えるが、とても背の高い建物だった。

 頑丈に作られた鉄の扉を閉め、幾重にも重ねて錠を掛け、更に木製の分厚い扉を閉める。開けた空間には梯子がぽつんと存在しており、階段らしきものは一切見受けられ無い。説明をする暇も無く、早く登れと怒鳴りつける男の言う通り、私とベラは梯子を登った。男は自らも梯子を登ると、二階へ続いていた唯一の梯子を引き揚げた。取り外しが出来るんだと男は言いながら、部屋の隅に梯子を立て掛け、梯子の掛かっていた出入り口に重い鉄板で蓋をする。

 他にも数名此の砦のような場所で、身を震わせて縮こまっている人間がいる。皆身体を寄せ合い、部屋の窓から外を慎重に覗き込んではまた震え始めている。私の傍を離れたがらないベラが、思い出したようにローブの裾ポケットを漁った。半ば潰れたヴィダルが顔を覗かせると、漸く少しだけ安心したらしく笑みを浮かべていた。

 男が如何にも重たそうな斧を抱えている所へ、あれは何かと今一度私は訊ねた。男は、無言で窓の外を顎で示す。

 覗き込むと、彼ら曰く亡霊が、砦に逃げ遅れた人間を襲っている様子が垣間見えた。助けてくれと懇願する人間に、亡霊各々が持っている得物を掲げ、完全に動かなくなるまで幾度も幾度も突き刺し続けている。中には銃の類いを手に応戦する人間もいるが、亡霊は足を撃たれども引き摺りながら立ち上がり、腕がもげて尚、もげた腕だけでも動いて人間へ攻撃を続けている。

 バン、と、扉が破られる音が少し離れた所から聞こえてきた。此処より低く作られていた砦に亡霊が攻め入ったようだ。直後、硝子窓を通してでも人々の泣き叫ぶ声が耳を劈いてきた。眼を凝らすと、窓硝子に多量の血が飛んでいるのが判る。私は、窓に掛けられていた暗幕を戻した。

 男に手渡された長柄の剣を手に、男がそうしているのを真似て、息を殺してこの砦に籠もり続けた。あと一時間か、それとも数時間後か、一晩か二晩か、下手したら途方も無い程の時間を過ごさなければならないのか。

 そんな杞憂を重ねて幾らほどの時間が経っただろう。

 日もすっかり落ち、鳥の鳴き声が聞こえなくなって、暗幕から光が零れ始め、また鳥の鳴き声が聞こえ始めた日の入り頃だったかもしれない。 



 突如として鐘の音が鳴り響いた。ガンガンガンとけたたましく鐘の音が響き渡った後、緊張の糸が切れたらしい男が座り込んでぽつりと言葉を落とした。

 今日も生き存えた、と。

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