黒と白の人形-3
「ふッ、ぶふっ!! ふ、ふ、うふ、ひぃ、はははッ……!」
エモリは暫く、独りで腹筋を鍛え上げていた。
「…………」
私は何も告げる言葉が無く、土塊にまみれながら文句を言いたげに窓枠から戻ってきた、顔に張り付こうとするこの白と黒の物体を手でテーブルに縫い止めていた。
「先生、この子は、先生のおしりあいさん、ですか?」
「知りません」
ベラは椅子に座り直した後、無邪気な質問を私へとぶつけていた。私は、首を横に振るばかりしかできていない。
「ミイ!!」
まるで猫のような鳴き声を上げるコレは、私の掌の下で、短い手足をばたつかせて騒いでいる。
もぞもぞと頭部らしき部位を蠢かせ、どうにか逃れようと身を悶えさせているそれを見る私の目は、しらけたように冷ややかだっただろう。
ベラが犬猫でも眺めるように、好奇心を隠さずそれに見入っている。掌から飛び出ているこの物体の体を突く真似も幾度か行っている。
エモリは一頻り肩を震わせ、机を拳で叩くことを幾たびか繰り返した後、呼吸を落ち着ける様に深く息を吐いて私を見た。
「あーー…うぶふッ……未だ可笑しいけど。修道士さんの抑えてるソレ、ちゃんとした人形なのよ? 尤も、私が作ったわけでもない、まして拾ってきたわけじゃ無い、いつからこの村にいるんだか知れない"みなしご"みたいなものだけど……」
「……なるほど。ですが。これが、人形? 唯のぬいぐるみであるならば未だ理解は出来ますが。先程の人形達のように、これは硬く在りません。寧ろ布地の……」
「まあ、そうね。普通、人形師が作る人形は、樹木や泥土、或いは岩石を用いられるものが多いわ。破れやすい布や紙を使って作られた、壊れやすい人形なんて、要らないからね」
「……………」
「ぬいぐるみ同然のこの子が出来る事と言えば、精々が、作ったクッキーを運ぶことくらいかしら?」
悶えることすら止めてぐったりとしているこの人形から、私は手を退けた。
みなしご。布で作られた人形。役割らしい役割を持たせられていない人形。
手を退けた私の代わりに、ベラが少しばかり手荒にこの人形を手に取った。
犬猫の扱いに慣れていない私以上に、ベラはこのような小さなものを扱うのに慣れていないだろう。
小さな掌に人形を握りしめるベラは、ぐったりしているそれが更にぐったりしていたとてお構いなしに、握り込んだままだ。
「ねえ、修道士さん」
「はい」
「さっき――その子があなたの顔にへばりつく前に。何を言おうとしていたのかしら?」
「……いいえ。なんでもありません」
「あら、そう? ……この子を、ベラを……って、言いかけてなかった?」
「いえ……些細なことです」
「そうかしら」
私は、にんまりと口元に弧を描くエモリから視線をベラへ落とす。
人形を握り込み続けるベラの手をひらかせ、へちゃむくれとなっている人形を私の手許へ明け渡させる。
何処か不満そうな表情でベラは私を見上げているが、葡萄ジュースのように取り上げたと思っているのだろう。
だが。布地とはいえ。
猫が遊び半分に虫をいたぶるような光景を、黙って見下ろすのも、それはそれで憂いた感情がのしかかるものである。
「ねえ修道士さん」
エモリが私の肩に手を掛け、顔を覗き込む。
「この子も、"その子"も、在るべき場所に帰すのが、自然だと思わない?」
布で出来た人形と、ベラ。その二者へ目配せするエモリの姿に、私は息を吐く。
私が彼女の言葉に沈黙を呈すこと数秒。一度だけ、私は静かにうなずいた。
「――ベラちゃん! この家の、裏庭に咲いている花を摘んできてくれないかしら?」
「おはな、ですか? おはな、お花。どれほどのお花を摘めばよいでしょうか?」
「そうねえ。貴方の両腕で抱えきれないほど、かしら」
言いつけを頼むエモリの言葉を、私は真横で聞くのみに留まる。
ベラが大きな眼を瞬かせて私へと視線を逃す。
窓の外に見える裏庭は、色取り取りの花が咲き誇り、澄んだ小川が傍らに流れ、淡い色の蝶がひらひら飛んでいる。小規模の葡萄棚が、瑞々しい葡萄の実を結んでいるのも遠くに見える。
「頼まれてくれたら、葡萄のケーキもご馳走するわよ」
「!」
あからさまにベラの顔が輝いた。
「とってきてあげなさい、ベラ」
顔を輝かせたベラが、はしゃぎながら裏庭へと駆けていく。
私の手の中でへたっていた人形が、手足の関節を鳴らすかのような所作の後、私の手からテーブルへ飛び移る。
「この子はね、修道士さん」
「…………」
私とエモリは、着地を失敗して顔面から机と熱烈に口付けをしている人形の様子から眼を反らす。
「魔女が置いてった人形なのよ」
エモリがやけに楽しそうに口角を上げた。
薄い味の干し肉を少々。
薄い味付けのブレッドを一斤。
とてもおいしいレーズンのスコーンを三つ。
漬けて三日ほどだという、葡萄の砂糖漬けをひと瓶。
葡萄のジュースをひと瓶。
葡萄のジャムを手の平大の瓶に一杯。
葡萄パイを一ホール、六等分。
胃の中には、お世辞にも美味しいとは言えない薄い味のラタトゥイユと、頬が落ちるほどに美味しかった葡萄のレアチーズケーキが一つ。
次いで。
ベラのローブの裾ポケットの中に、白と黒の継ぎ接ぎされた布きれのぬいぐるみに似た人形が一匹。
食糧ばかりの荷物を抱える私の片手を、迷わず握り込むベラに引っ張られながら、この村の外へと私は向かっていた。
その前を、エモリが歩いている。時折私達の様子を見るよう、肩越しに振り向いては笑っている。
「先生、せんせい」
「……なんですか」
ベラはあの後、摘んできた花をエモリと共に細工しては夜更けまで遊んでいた。隣の部屋で身を横たえていた私ではあるが、二人の会話はよくよく聞こえてしまっていた。
花冠、花の腕輪、花の髪飾り。どれもこれも、二日と経たずに枯れてしまうだろう。
駄々を捏ねるベラが頭に浮かぶ。それを考慮してか、それともか。
「これ、おひさまにかざすと、きらきらしてるんですよ」
私には構造の内訳がさっぱり判らないが、透明な液体に包んだ花を樹脂に固めて閉じ込めた……という首飾りを、エモリはベラに作ってくれていた。
人形師をしているというエモリの手先が如何程器用かが窺える。
「そうなのですか。……大事にしなさい。ベラ」
「はい!」
威勢の良いベラの返事の直後、背を向けているエモリの肩が震えていた。
何故肩を震わせて笑っているのか、などと不躾な質問をするほど私はひねくれているつもりはない。
村の奥まった場所に在るエモリの家からさらに奥へ進み、 やがてたどり着いた村の出入り口は、入ってきた時とはまた別の人形が座り込み私たちを見下ろしていた。どうやら、村の入口からは人形の姿が視認でき、出口側からは門としか視認できないようにされているようだ。
既に生命の潰えた砂漠の村ラクリマ、おぞましい神を崇拝していた村デコロとは反対方向にあたる。
この先には、小さな村々が合併されてできた大きな街が幾つか続いて存在すると、新しい地図に書かれていた。
エモリがゆっくり振り返り、私とベラを一瞥する。
「さ。此処が出口ですよ~」
軽薄な口調で言いながら、エモリは入ってきた時と同様、蒼色のペンダントを掲げて、曰く"照合"を交わした。
眩い光が人形へ吸い込まれ、矢張り轟々と唸り声をあげて人形が重たげに腰を擡げ、外へ続く道を私たちへ譲る。
村の外へ続く街道は何処までも伸び、豊かな緑が道を舗装し、はるか遠くに見える山々が雄大に映る。
私の手を握っていたベラも壮観な光景に、目を丸くしている。
「それじゃあ、ここでお別れね。修道士さん、ベラちゃん。貴方もよ。…ヴィダル」
「! はい、エモリ、さん」
「ミ! ニィ!」
「うふふ。……じゃあ、修道士さん。ヴィダルを、よろしくお願いしますね」
「……ええ。わかりました」
ベラと、人形をひと撫でしたエモリが私へ向き直り目を見据えて告げる。頷き返す私の挙動をじっくりと見つめていたかと思うと、何か、私へ手を差し向けた。
……なんだろうか。
眉を顰め、首を傾けると、差し向けた手を徐に私の肩へ置き、そのままするりと背中へと腕を回しはじめ……。
「……魔女の名前はね、ナタリーっていうの」
私へ耳打ちをすると、エモリはパッと身を離し、にっこりと笑った。
何処か悲しげにも聞こえた声色とは裏腹に、浮かべる表情は、花が咲いたように朗らかだった。
「……ナタリー」
不思議そうに私を見上げるベラとぬいぐるみのような人形、否、ヴィダルに、私はなんでもないと首を横振る。
見知らぬ街へ続く道を真っ直ぐ見つめ、私たちは村の外へ足を踏み出した。
後ろ背にエモリの別れを告げる声が耳を突く。
ベラが振り返って手を振り、ポケットの中のヴィダルも身を乗り出して短い手足を振っている。
別れの言葉の代わりに、私は片手を持ち上げ、村を後にした。
枯れ枝を放り込み、ぱちぱちと小さな火花を散らす焚火をベラが覗き込む。
フードを退けた肩に座り込むヴィダルが、おっかなびっくりといった調子で、ベラの髪に隠れて火をうかがっている。
小高い丘に植わる大木の元、起した火にブレッドを添えて軽く炙り、その上に葡萄のジャムを少しずつ塗り広げ、砂糖漬けの葡萄を数粒散らしてベラへと渡す。
ブレッドに噛り付くヴィダルを見兼ね、もう一枚同じものを作り、半量のブレッドを手渡す。継ぎ接ぎされている口部を開きもそもそと食し始める様子に息を吐き出し、私は残された半量を一口味わう。
その甘い味に、私は眉を顰め、ベラへ手渡したのは言うまでもないか。
小高い丘の上、遠くに穏やかな灯りをともすファクトムの村が見える。人々の喧騒こそここまで届くことは無いにせよ、人々の影が行き交う姿もぼんやりだが判る。
エモリは今頃どうしているだろうか。
魔女の置いていった人形。
早々にブレッドを食べ終え、喉が渇いたとぐずるベラに、甘さを控えた紅茶を飲ませて遣る。
葡萄ジュースの瓶をベラの視線から隠しつつ、私は、ベラの裾ポケットに収まり直すヴィダルへ目を向けた。
「せんせい」
「なんですか」
矢鱈と重たくなった鞄へ食糧の数々をしまいこむ手元を止める。
空になったカップを私へ押し付け、ベラは立ち上がり私の肩へ両手を置く。
…………。
葡萄ジュースを出せと駄々をこねるのかと思いきや、手を置いたまま動こうとしない様子に、私はベラの表情を盗み見る。
何やら独りで首を傾げ、私の肩部の服を無意味に握り込んだままだ。
……仕方あるまい。
「……ベラ。私は人として生きていたのが随分前ですから。正解がこれとは、はっきり言えませんが」
「!」
カップを地面へ置き、花を避けてベラの頭頂を軽く撫で、私はベラの背中に片手を回す。
ベラはびくりと身を震わせたが、間もなく、私の膝上に飛び乗り私の肩に頬を押し付け身を預けた。
背へ回した手で数度静かに撫で叩くと、ベラの手が私の肩から落ちて服を握り込む。所在なさげに身じろぐベラをもう片手で抱き直すと、漸く落ち着いたようだ。
裾ポケットから覗くヴィダルと目が合った。
「ミ……」
「…………」
「ミィ!?」
徐にヴィダルの首根をつまみ上げ、ベラと私の合間に静かに降ろす。
もぞもぞと手足をばたつかせていたヴィダルを、ベラがやはり雑な手つきで以て胸に抱き直す。
ベラとヴィダルを在るべき場所に還すというのが、世界を見たいと願った私へ神が課した課題…ということだろうか。
いや、飽くまでもエモリがそうすれば良いのではと告げただけのことだ。
だが。
胸に抱いたベラの暖かさをずっと灯し続けるには、きっとそれが良いはずだ。もしかしたら、嘗ての私の師が持っていた本を探し出せば何かわかるかもしれない。
されるがままとなりベラに潰されているヴィダルがどう思っているのかは知れない。此方も宛てはない、だが、ナタリーという魔女の名の手がかりはある。
在るべき場所に還す。
私は、一晩中ベラを腕に抱えながら、月の光を頼りに、古ぼけた地図を広げ眺めていた。
この宿で買った真新しい地図を広げ、窓の外に見える街道を机上で確認する。
陽がゆっくりと高く上がり始め、窓の外で村人が各々の仕事へ取り掛かり始めている。
先ほど、ミィミィと鳴きながらベラを起こしたヴィダルが、階下へ朝食を摂りにいって暫く経つ。
もうそろそろ戻ってくる頃合いだろう。
地図を鞄へしまい、羅針盤はその傍らへ。羽ペンは隣の内袋へ。
次へ向かう街には二日あればたどり着けるか。嗚呼、その時にでも、また新しい手記を買わねばならないか。
今度の街に、魔女はいるのだろうか。
今度の街は、私の村があった場所だろうか。
今度の街に、嘗ての師が所持していた本はあるだろうか。
「……悪を射殺す宵の明星、か」
この手記は、ラクリマの村にあった物を頂戴した。表紙裏に書き留めた村々の名の中でも、ひと際目立つよう大きく書いていたのを思い出す。同時に思い出すのは、銃剣の交差する紋章だ。私が独り言ちた其れである。
村の名を指先で撫で、私が表紙裏にこの村の名を書き留めた時だった。
バタン!
埃さえもふわりと舞ってしまいそうな程に大きな音で賑やかに、扉が開け放たれた。
「せんせい、先生! つぎの街、は、おいしい葡萄のジュースが、飲めるそうですよ!」
「ミ! ミ!」
「はやく行きましょう!」
ベラの片手には齧りかけのブレッド。恐らく、私の分だったものだろう。
ヴィダルすら継ぎ接ぎの口許を汚しているのを見る限り、まずまずと思っていたこの宿の食事は、案外美味しかったようである。
私は、双眸を細めて二人を交互に見やる。
「お二人が顔を洗ったら、次の街へ出ることにします」
私は手記を閉じて、鞄へとしまい込んだ。
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