黒と白の人形-2
ファクトムの村。
両手を広げた彼女が誇らしげに告げた村名は、確かそんな名前であった。広大な世界を全く知らない私には聞き覚えの無い名前だった。
年の頃は二十歳を過ぎたばかりだろうか。フードの着いた緋色のコートを羽織り、豊かな金髪を結い上げた様は活発に見えた。
遠目に見える村村を訝しげに見る私と、私の服裾を掴んで離さないベラに、そんな彼女は手招いてから私達の前を歩き出した。
「何度だって言っちゃいますからね。此処はファクトムの村、人形と自然と動物と、仲良く慎ましく暮らす楽しくて穏やかな村です。名産品はなんと言っても葡萄! ワインにジュース、はたまた砂糖漬け!」
「ああ、ええ……」
「あら。人形にも、葡萄にも興味があまり無いのですか? これは困りました、セールストークが通じそうにありませんねぇ……」
「レディ。少々宜しいですか」
「はい! レディなんて私には勿体ない言葉ではありますが、うふふ、なんでしょうか」
彼女は笑顔のまま私やベラへ楽しげに話し掛け、終いには悩みあぐねるように顎元へ手を添えて独り言を呟き始める。喜怒哀楽がとてもハッキリしている、そんな印象を受ける。
まるで弾丸のような勢いではあったが、私はそれに待ったをかけさせてもらった。
「話の腰を折って申し訳ありません。先程、貴女はこの村に旅人が来るのは久方振りだ、というような事を仰っていましたが。宿はありますか」
聞きたいことは山とある。先の人形については無論そうだが、村のこと、序でに地図の事も。
だが。
長らく続いた野宿に少しだけ疲弊を見せているベラを休める宿へ尋ねる事が、先ず第一だった。
「宿―――」
私の言葉の一音を、何気ない風体で彼女が復唱する。
数秒。
十数秒。
数十秒。
……時間にして一分ほどの沈黙が、流れただろうか。
私の服裾から、私の片手へと手を掴み直したベラが、不意に訪れた沈黙へ疑問を呈すよう、私と彼女を交互に見遣る。
私は、ベラが冷たいと文句を言う前に手指を温めてベラの好きなように指先を掴ませる。
彼女は、頭の片隅に埋もれた記憶の箱をとっちらかしてでもいるかの様に、続きの言葉を紡がぬまま唇を開いている。
「嗚呼そうだ! 旅人さん、よければ私のお家へお邪魔してくださいな!」
宿は無いようだ。
ありがとうございます、と、私は謝意を示して、村への道を彼女と相伴させてもらう事にする。
彼女が前述の通り話したそれと同じく、村の出入り口に広がっていた小規模な林には沢山の動植物が伸び伸びとその姿を太陽に晒し、それを抜けて村へ続く道の両脇には色取り取りの綺麗な花々がその美しさを競い合っている。
ぽつぽつと居並ぶログで出来た家は、花々を戸や柱に飾っていたり、山羊を放逐されていた。不用心にも門扉を開けっ放しにしている家も眼についた。
そして、それらを抜けた先にある広場では、本当に小さな市場ではあったが、ずらりと堵列された野菜や果実や魚などの食糧の数々、雑貨等を活気に溢れてやり取りをする人間達の姿があった。
人形は先程の門番と称される大きな物しか見ていないが、少なくとも、村の雰囲気は穏やかその物だ。
私やベラは大層物珍しい旅人と映ったのか。なんだかんだと持て囃し、私の提げていた平板に近しい鞄を、貨幣のやり取りも無く彼らはぱんぱんに膨らませてくれた。
ベラに至っては、私の手を握る暇も無く、ひっきりなしにこの村の名産品だという、生の葡萄や、葡萄ジュースの瓶を持たせられてた。
「よい、村ですね」
何気ない一言だった。
「もちろん!」
彼女は私の言葉を聞き逃さず、大きな声で首肯を示した。
私は未だ村を二つしか見ていない。たったの二つに過ぎない。
「ぶどう、ジュースが、おいしい村はよい村、なのですか、先生?」
行儀の悪いことに、ベラは歩きながら葡萄ジュースの瓶を傾け私に問い掛けた。
「……ええ、そうですよ」
「あー! 先生、だめです! まだのんでるとちゅうですー!」
葡萄ジュースを取り上げながら、私は頷いた。視界の端で、彼女が可笑しそうに笑っていた。
「あっはは。葡萄ジュースは、すこーしずつ飲まないと、べろが紫色になっちゃうのよ! 貴女の"先生"は、貴女のべろが紫色にならないためにいってるの!」
「そ、そう、なのですか?」
「――…………ええ」
「……!!」
「……ッ、ぷ、ふふ、ッふふふ…」
ベラは酷く吃驚したように、翡翠の瞳を皿にすると、唇を真一文字に引き結ぶ。
その様子に、やはりか、彼女はより一層楽しげに、且つ、可笑しそうに、声を殺しながら笑っていた。
この村は、本当に穏やかな村なのだろう。
私は、ベラが初めて真面に他者と触れあえたのがこの村で在った事に、感謝を胸中で抱いた。
「さ! ついたついた!」
私とベラを先導していた彼女が、片手を私達の前に出して静止を掛ける。
私は足を留め、顔と視線を擡げる。
先程の市場を抜け、少しだけ離れた位置に在るこの家が、彼女の城らしい。
人が一人住むには少し大きく思えるログハウスには、先の家家よりもたくさんの花々がその戸や柱を飾り付けられていた。
そして、何より眼についたものがある。
「エモリ/ナティの工房へようこそ~!」
突き出る煙突すら凌ぐであろう、ログハウス横へ座り込む大きな人形が一体。そして、人間と同じ背丈程あるであろう十数体の人形達だ。
「あ! そうだそうだ、自己紹介してなかったね! 私はエモリよ。
「人形師、…あぁ、……ええ、そうです。この子はベラという名です」
「! はい!」
「あっはは! 元気があるのはいいことね! それじゃあ、どうぞどうぞ、中に入って」
人形師を名乗った彼女は、威勢よく声を上げるベラの頭を撫でてから、改めて私達を家へと招き入れてくれた。
スライスされた葡萄をカップの底へ沈め、静かに注がれた紅茶は、爽やかでとても品のいい飲み口だった。ほんのり加えられたロゼワインの香りも、鼻を存分に擽ってくれる。
木造の落ち着いたテーブルに着いた私は葡萄の紅茶を、ベラは葡萄ジュースを、レーズンのスコーンと共に頂きながらエモリと名乗った彼女と言葉を交わしていた。
……いえ。ベラは、スコーンを一生懸命貪っていただけだったかも知れませんが。
エモリは、この穏やかなファクトムの村で唯一の人形師だということ。この村は、門番の人形に守られているということ。人形達は、この村の彼方此方で、動植物や人間達の手助けをしていること。
この村はとても素晴らしい場所だと、誇らしげに、どこか自慢げに、私達に教えてくれた。
「それにしても、あの"神サマの牛耳る村"を通ってきたのね、貴方たちって。よっぽど運がよかったのかしら?」
「……村の正式な名前は知れませんが……邪とも言える神を祀っていた事は、わかりました」
「あはは。修道士さんがあの村を抜けるの、大変だったんじゃ無い? あの村って、まあ……所謂邪教にのめり込んでって、最初に司祭さま、次ぎに修道士さん、次ぎに神聖だっていわれてた男の人を次次と贄に捧げてる、なんて噂を行商人から聞いたことあるもの」
「……あの村は、男性が、神聖だとされていたのですか?」
私の言葉に、エモリは共に囓っていたスコーンを口に頬張り、肩を竦めて苦く笑った。
咀嚼を幾たびか繰り返した後、エモリは紅茶を口に運ぶ。
「そうらしいわよ。男性を尊んで、女性を卑下する、そんな風習がある村だから」
「男性を尊んで、女性を卑下する。……そう、なのですか」
「ええ。男性は神聖で尊くて、どーんな美味しい食糧もぜーんぶ男性のもの。自分の血を継いだ赤ん坊を抱く身重の女性がいたってお構いなし、乳飲み子を抱えた女性すら捨てて自分たちが私腹を肥やすような男ばっかだもの」
「……見てきたように話されますね」
「あら? そう聞こえたかしら。……ふふ。ま、よその村の悪口はここまでにするわね」
そういって、エモリは話を切り上げ、代わりに机上へ丁寧に畳まれた地図を置いた。
私があの村から拝借した地図より真新しく、道や建造物も丁寧に記されている地図だ。広げてもよいかと目配せすると、どうぞとばかり、エモリは両掌を前に私へ向ける。
「デコロ……」
エモリ曰く、男性を尊び、女性を卑下する村の名前がそれだ。
指を使って、その村の前に訪れた村を探す。辿る道の先、砂漠地帯に囲われた村に私の指が止まる。
「……ラクリマ」
私が初めて訪れた村は、そう呼ばれていたらしい。真新しい地図であれ、滅びた村を律儀に記しているとは。
……いや。デコロの村人を屠った私がそう思うのも、難だが。
指を止めていた私の挙動が気になったのか、エモリは二つ目のスコーンを口へ運びながら私の手許を覗き込む。
「修道士さんって、なんだか、旅をしていらっしゃるように見えるのに、あんまり旅慣れていないのね。
やけに古びた地図しか持ってないし、鞄はぺったんこだったし、護身の銃剣や打ち物は持ってないし……」
「………」
「……おまけに、不用心だし!」
「わ!」
「!」
指摘される言葉の数々に私が閉口しきっていると、痺れを切らしたのか。心境は知り得ないが、エモリは歯を見せて笑うと、スコーンに齧り付いていたベラを椅子の後ろから抱き上げた。
ベラは囓ったままのスコーンを皿上へと落としてしまった。細かなくずが、机にちらほらと舞う。
何をするのかと椅子をガタつかせて身構える私に、エモリは何度目か、笑い声を上げる。
そして、エモリは、ベラの頬へ自らの頬を押しつけた。
……頬ずりを、している。
「何をしているのですか」
「あら! 何をしているって、見ての通り! 可愛い子に頬ずりしてるのよー!」
「きゃー! すごく、とっても、くすぐったいです、わぁ!」
「あっはは!」
「…………」
私の言葉が面白いのか、ベラの反応が面白いのか。笑ってばかり居るエモリは、結い上げた金髪を少しだけ乱しつつも、ベラを腕に抱いてじゃれついている。
ベラに被らせたフードが取れやしないかとやきもきする私の心中など察せる筈も無く、くすぐったいと言いながら、ベラは楽しそうに笑顔を浮かべてエモリにその頬を自らも寄せている。
幸せというものがいまいち、どういったものであるか、私にはよく判っていない。
不幸せというものもいまいち、どういったものであるかすら、私は判っていない。
あの村を発ってから笑顔を浮かべるベラは幾度か見たが、その屈託の無い笑顔は、初めて見た気がした。
このエモリという女性に、ベラを預けたほうがよいのでは無いか。
素性の知れない私達を村まで案内し、とても美味しい食事を提供して、ベラを可愛がってくれている。
エモリは、とてもよい人間の女性なのでは無いか。
ふと、そんな考えが私の頭に過る。
「………一つ頼みがあります」
「ん? なにかしら、修道士さん?」
笑い声を上げていたベラから顔を離し、エモリは私へ顔を向け首を傾けた。
「ベラを――――」
「ミーーーー、ッ! ミィ!!」
「――――!」
私の言葉を遮るように、甲高い小動物のような声が部屋に小さくも響き渡り、私の視界を白と黒の物体が覆い尽くした。
私は暫く視界を覆い尽くす何かに呆然としてしまったが、辛うじて我に返る。何かが顔面に張り付いているのだ。
何が張り付いているのかを把握するよりも、私は、この物体を片手で力強く握りこむ。そして、一寸の躊躇い無く投げた。
それは、綺麗な円を描いた末に、窓の外へ吹っ飛んでいった。
心地のよいとは言えない一陣の微細な風が、私の頬を撫でた。
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