黒と白の人形-1

 今宵の宿は可も無く不可も無く。最高と言うには何処か粗末だが、最低と言うには贅が尽くされている。

 寝床の質はそこそこ、食事もまずまず、風呂もまあまあ。そんな宿だ。

 窓辺から差す日の光に反応を示すように、毛布を被って睡る子の頭頂に咲く花が微かに花開く。

 太陽を求める花が其方に顔を向けることはよくある。開かれる花の様子に、私が少し怯懦の目を向けてしまうのは、あの光景をよく覚えているからだ。


「……まだ起きそうに無いな」


 私がぽつりとそれだけ零す。開いていた手記を捲っての暇潰しは、毎朝の恒例行事である。

 この子に落書き帳が欲しいのだと愚図られ渋々数頁を切り取ったのも懐かしい。もうすぐこの手記が残す白紙の頁もあと数枚だ。

 新しい手記を買わなければならないか、と、私は短く、だが、深い溜息を吐いた。


「ミィ」

「……おはようございます」

「ミミィ」

「……貴方は、今朝もこの子より早起きですね」

「ミ!」

「……あと十分したら、起こしてあげなさい」

「ニュミ!」


 ぬいぐるみのような、人形ゴーレムのような、機械仕掛けの人形オートマタのような、はたまた小動物が突然変異したナニかのような。

 否、ちゃんとした人形だったか。さておき。

 私同様、よく解らないこの生き物を旅の共にしたのは、思うよりも長く前の話だ。……そう、破られた手記には書いてあったか。




 水源豊かな美しい村を後にした私とベラは、森をぬけて街道を歩き、次の村を目指していた。

 そして私は、次の村へ着く前、可能な限り様々な事をベラへ教えた。私が教わったことといえば、ベラがなにも知らない子だということか。

 太陽が私たちの頭上に輝く間は、距離を伸ばすべく可能な限り歩き続け、交代に月が輝く間は、焚き火の灯りを頼りにベラへできる限りの事を教えた。いや。教えようとした。

 文字を知らないベラに三日掛けて文字を教え込み、数字を知らないベラに五日掛けて数式を教え込む。骨の折れる作業だったが、残念ながらベラは日常会話を普遍的に熟せるようになっただけだった。

 いや。日常会話を熟せるようになっただけでも儲けものなのだろうか。きっとそうなのだろう。

 大丈夫。文字も数式も、いずれ理解できるようになる。恐らく、だが。


「…………」


 焚き火を眺める私の視界で、大きな大木を背に身を丸めて眠り込むベラの寝顔が暖かな火の明かりで照らされる。

 ベラは本当に、何も知らなかった。無垢過ぎる子だった。

 だが。恒常的に私が溜息を吐き出す都度、ベラは、溜息をつくと幸せが逃げてしまいますよ、と、得意気になって私に説明していた。何度も、何度も。その様な"迷信"は誰に教わったのだと問うても、"はは様"の言ったことは覚えているのだと、腑に落ちない回答しか貰えなかった。


 ……すっかり疲れているな。


 私は、眉間に深く刻み込まれた皺を指で押して揉む。



"ベラ。私は嘗て、三百年ほど前まで人間の修道士として生きていました。

 そしてほんのつい最近、神に因って人間に似た何かとなりこの世界に降りました。

 いえ、登ったともいえますか。

 ですから、私もこの世界の情勢については詳しくありません。それどころか、疎い方です。

 けれど、いいですか、ベラ。少なくとも私は貴女よりこの世界、嘗ての世界を知っています。

 ……解りました。能書きはこの辺りにしましょう。ですから、瞼を閉じようとするのはやめなさい。

 先ず。私も貴女も人間ではない。この世界は人間という種が尤も繁栄しています。が、同時にあらゆる種族が棲まっています。

 精霊、魔獣、神霊…その種は幾百、幾千と存在し、とても分けられるものではありません。一つ言っておきますが、ベラ。貴女もこれらのどれかに所属する存在といっておきましょう。

 空を駆ける者、水を奔る者、或いは火を泳ぐ者。まさしく多様です。この世界は、人間を筆頭に実に多様な者を生み育んでいます。

 昔は……一部の人間は手を取り合っていたこともあったようですが、今この世界で、それらの種族と人間が共存しているかは、残念ながら私でも知り得ません。

 ……さて。ベラ、この世界で、何より人間に恐れ忌み嫌われている種族があります。他でも無い『魔女』です。 

 何故か、という顔をしていますね。

 魔女とは、人間がそれらの種族に従属し、人間という種を捨て、魂を代替に膨大な魔力をもらい受ける事で成立する存在です。多くは女性でしかなり得ません。何処の世界でも、男性より女性が好かれるものなのですよ。

 話を戻します。彼女達は皆、人間の世界で言う『禁忌』を侵すべくその魂を手放します。

 死んだ親しい者を蘇らせたい。手に届かない誰かの心を物にしたい。……他で、例えば。誰かを殺めたい。そんな事を願って魔女へ成った元人間を、人間が忌み嫌わないはずがありませんね。

 私が人として生きた時代では、定期的に魔女狩りと称し、真っ当な人間の首を吊る悪辣な大祭が数度ありました。……今は、どうだか知りませんが。

 ……嗚呼。すみません。ベラ。つい昔の事を思い出して、嫌な話を聞かせてしまいましたね。

 ………昔話の所為でなく、私の話がつまらないせいでしょうか。大きな欠伸を零すのはそれで三度目ですよ。

 ベラ。いいですか。貴女はちゃんと頭巾を被って、目立たないように、私の傍を離れないよう――"



 種族の概念すら要領を得ないベラに、この世界を説くのは些か酷というものだろうか。

 それとも、三百年物空白を未だ埋められない私が教える資格なぞ無いともいえようか。

 私は、二つの集落と村を見た。逆に言えば、未だ二つの集落と村しか見ていないといえる。

 ……私は、ベラに何を教えたいのだろう。

 様々な事を教えるつもりが、結局、私は未だ、人間という物の残酷さくらいしかハッキリと教えられるものがなかったのだ。


 私は、日が昇りきらないうちに、あの村で見つけた地図を焚き火の傍で大きく拡げた。

 地に拡げた地図は、所有者の意思により所々書き換えられていた。潰えていた砂漠の集落の名を墓標と克明に記し、あの美しい村を神の村と命じている。

 悪趣味だ。

 私は美しい村から通る街道の行き先を指で辿った。続く先は小さな村が存在するようだが、村の名も何も書かれておらず、簡素な家のような図形が描かれているだけである。

 ただ小さな村であることしか読み取れそうに無い。その村を通った更に先へ伸びる街道も指で辿り見てみたが、他も同様、地形を示す簡単な印と、家のような図形をぽつぽつ並ばせてあるだけで、村らしい村が点々とあるだろう……という程度にしか読み取れない。

 この地図の持ち主は、いや、あの村の人間は、あの村以外に興味を持たなかったのだろう。


「せんせい」


 茫洋として地図を見下ろす私の脳随に、ベラの寝惚けた声が響いた。


「……ベラ。もう起きていたのですか」

「いまおきました」


 ベラは寝惚け眼を両手で擦り、大きな欠伸を逃しながらのっそりとした動きで起き上がる。

 落ち着き無く寝返りを繰り返した所為か、癖付いた髪はさらにくしゃりと乱れており、起き上がった拍子に彼方此方が跳ねてこの子の視界を随分邪魔しただろう。

 ベラは暫く寝惚けているようにぼんやりと私を見上げていたが、やがて一際大きく欠伸をこぼし、それから四つ足をついて私の傍へ赴いてきた。

 暗い深淵が近付く様を眺めるように、私はベラの挙動に見入っていた。ふと、気付いて空を仰げば、遠くの夜の色が微かに白んでいる。

 随分長いこと地図を見ていたらしい。


「せんせい。きょうも、お勉強、するのですか?」

「……………」

「お勉強は、あたまが、ふわふわして、ねむたくなります」

「……………」

「それに、お腹が空くんです」

「……………」

「もっと楽しいことがしたいです!」

「……………」

「お絵かきとか!」

「………わかりました。ええ。お勉強は、暫くやめましょうね」

「はあい!」


 物事を教えてくれる存在は、先生と呼ぶのですよと教えたのは、間違いだったかも知れない。

 私は未だ何もこの子に教えられていないのだから。

 ……それでも、己の名すら忘れた私に、先生という呼び名は丁度よかったのだろうか。

 


 お腹が空いたと食糧を強請るベラに果実を与え、ベラの腹と喉が潤い、太陽が私たちの頭上へ赴く頃、ベラは私の手を引いて街道沿いに歩き始めた。

 歩く都度、被らせた頭巾から覗く三つ編みが左右に揺れる。所在ない歩き方の所為か、時折頭巾がずれ落ちそうになる度、私はもう一方の片手でベラの頭巾を直す。

 頭頂に咲く花は幾ら小さくなったといえど悪目立ちしないわけがない。僅かに覗く花弁は花飾りと言い通せても、剝がされるわけにもいかない。

 私は、ベラにとっては初めてとなる、人がちゃんといるであろう村に胸中落ち着かない侭歩き続けた。


「せんせい」

「なんですか」

「せんせいの手は、どおして冷たいのですか?」

「……嗚呼。冷たいのはいやですか、ベラ」

「やですー!」


 実にハッキリと物を言う子だ。


「そうですか」


 私は、ベラの声にそれだけ返すと、じっくりと体温を創り掌に集中させた。

 陽の光のような穏やかな暖かさはうまく作れないが、彼女の掌を冷たくしない程度の、見せかけの暖かさを掌越しにベラに与える。


「こっちのほうが、いいです!」

「そうですか」


 いたく満足気に笑うと、ベラは小さな手指で私の掌を強く握り返した。

 私は、ベラの好きなように掌を握らせ続けた。私から握り返すことは、できない。

 してはいけない様な気がした。

 ベラは私の手を握り続けたまま、街道沿いに咲く小さな野花ひとつひとつに目を向け、気儘に手を伸ばし、ささやかな花弁を撫でてまた歩き出す。

 今の私たちはどの様に見えているのだろう。

 色彩の失せた髪や眼を持つ私と、花の色の髪と眼を持つこの子では、とても親子には見えまいか。

 褪せた色の修道服を着込む私と、褪せた色のローブ裾を引き摺るこの子では、一瞬でも親子に見えるだろうか。

 解らない。


「あ!」

「ベラ、」

「村です!」


 私の手を離したベラが数歩先を駆け、振り返って私に笑顔で告げる。

 その言葉通り、街道の先には、木製の高い柵で囲われた村が見えた。遠目からでも見える柵は、近付けば近付く程、精巧に作られているのがよく判った。

 大凡村をぐるりと一周する柵の切れ目、村の出入り口と見受けられる其処には、丸太を組んで造られたらしい両開きの門が頑丈に閉じて存在した。

 ベラに手を引かれ、足早で赴けば赴くほど、それは私の幾倍もある遙かに高い門だと言うことを知る。


「……随分立派な」


 この門もまた精巧な模様が刻み込まれており、数えるのも途方に無い程彼方此方に錠が掛けられている。まるで技術の高さを誇示しているかのようにも思えた。

 ベラはぽかんと口を開けて、この大きな門を見上げていた。相変わらずずれ落ちそうな頭巾を、私は直してやってから、その手を拳に作りこの門を数度叩く。


ドン、ドン、ドン。


 …………。

 反応がない。

 私はもう一度この門を叩いた。


ドン、ドン、ドン。


「…………」


 だが、またしても反応は得られない。

 人がいないのか。この村も、外見だけを残して、中に人間は誰一人いないのだろうか。

 ベラは私の真似をして、弱く小さな握り拳でトントンと門を叩いている。それであれ、一切の反応がない。


「どうしたものか……」

「あら? 貴方たち、この門の開け方をご存じないのね? ていうことは、旅のお客さん? 珍しいわね、何年ぶりかしら……」

「! ………、…」


 背後から掛かる女性の声に、私は拳のままでいた手を開いてベラの片手を取る。

 恐る恐る振り向く私の様子が面白かったのか、それとも、私とベラの珍妙な組み合わせが面白かったのか。振り返った視線の先にいた女性は、何処か可笑しそうに笑って私たちを見ていた。


「あら、あら。ごめんなさい。脅かすつもりはなかったのよ。……ふふ。ちょっと離れてくださいな」


 彼女の言葉に、私はベラの手を引いて門より数歩離れて距離を置いた。

 てっきりベラは彼女に話し掛けに行くのかと思っていたが、意外なことに、ベラは私の背に隠れて怖々と彼女の様子を眺めている。

 思うよりは、人見知りらしい。


「 "門番" さん! "照合"、お願いねー!」


 彼女は声高らかに叫ぶと、門へ向けて何かを差しだした。何か、蒼色のペンダントのような物に見えた。

 その瞬間。

 門に施された数多の模様に光りの線が走り、蒼色のペンダントらしき物にその光りが飛んで、再び門へ吸い込まれるようにその光りが飛んでいく。


「―――………!」


 数秒にも満たない僅かな時間、門が轟轟と唸った。ベラはびくっと身を震わせて私にしがみつき、私はといえば……眼前の光景に眼を疑った。

 木製の門と思っていたそれが手足を伸ばし、地に手足を着けて立ち上がり、塞いでいる出入り口から身を退けたのだ。


「……泥人形リームスゴーレム……」

「正確には、樹木アルボルだけどね?」


 私の声を訂正すると、彼女は私たちよりも先に軽い足取りで柵の向こう側へと足を踏み入れる。

 次いで私とベラを招くと、彼女は再び照合だといってこの人形ゴーレムへ蒼色のペンダントを掲げ、人形を元の位置へ座らせた。

 その間に、私はこの村をぐるりと見渡す。

 柵を越えた向こう側は小規模な林が広がり、続く街道の先には、ぽつりぽつりと点在する家の並びが眼に入った。一見して穏やかそうな村に見える。


「ようこそ、旅人さん! ファクトムの村へ!」


 両手を広げ、私達をまるで歓待するかのように、彼女は笑顔を向けてくれたのだった。

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