花を飾る少女

 今宵の宿は少々粗末だった。

 寝台は石のように硬く、ぶっきらぼうに被さる布団は薄く、何よりも食事が。あまり。美味しくない。

 だが。そんな環境が良いとは言えない中でも、寝台に寝そべり、私の昔話を強請り、早々に眠りこけるこの子は。褒めていえば、強い子なのだろう。

 決して小さくは無い寝言を零す子から眼を背け、私は手中に持つ開いたままの手記を憮然と眺めた。

 所々掠れのある文字群はどれもこれもが堅苦しく、無愛想な語り口のものばかりだと今更自認する。


「……そういえば。自然ばかりが美しかったあの村を去って、次に立ち寄った余所の村も、食事が口に合わなかった、ような」


 昔の事は、私よりも、薄れた文字を記すこの手記の方が遙かに覚えている。




 ………――――――片足に鉛玉を括りつけた鎖に繋がれ、片腕すら壁に吊られるようにして繋がれ、字面通り牢獄とも言える石畳の狭い部屋に、その幼子は閉じ込められていた。

 私が生を受け人という種を全うしていた時代にはよく見る光景だったが、私が驚いたのはなにもそんな些細な事では無い。

 虫の息よりも弱々しい呼吸をする幼子の頭頂には大振りの花が咲き誇っている。

 繋がれていないもう片足は途中から植物の根のように細く広がり、床材の隙間にその根ごと杭を打たれている。

 その様相に、私は初めて眉間に皺を寄せ、そして眉を跳ねさせた。

 母なる自然が創りだした、神の手助けをしたとされる樹木の精霊によく似ていたのだ。


 神を導く自然の祖ドリュアス


 私の師はそう彼らを呼んで尊び、彼らの肖像と共に残る伝記を大事に抱え、彼らを神と等しく尊敬していた。

 私は師からよく神を導く自然の祖ドリュアスについて聞かせられた事を、その時、より鮮明に思い出した。


神を導く自然の祖ドリュアスとは、古代にこそ多く存在し、その身をあらゆる大地に捧げ、神を導いていったと伝えられている。

 私は直接見たことはないけれど、私の祖父は彼らと話し、語り、歌い、何より自然を慈しみ共に歩んできた人でね。嗚呼、色んな話を聞かせて貰った。君にも話しておこう。

 彼らは、一見して人間と見紛う容姿をしている。祖父の時代では既に、遙か昔の古代に比べて、人間が爆発的に増えてしまったからね。

 古代の姿がどうだったか? 残念ながら聞いていないのだが、私の祖父は、彼らの姿が人間と酷似している理由わけをこう説いていた。

 "私たち人間が引き起こした様々な争いに巻き込まれた彼らは、自然と共に共生する傍ら、人に紛れて息を潜めることにしたのではないか"と。

 ……何故争いに巻き込まれたのか? という顔をしているね。それは彼らが、大古の昔にその身をことに由来する。

 いいかい。

 如何なる理由を問わず、彼らは"精霊としての"絶命を予感した時、頭部二つ三つ分を凌駕する程に大きく、豪華絢爛な花を開かせる。

 それはもう大きく、華やかで、けれども何処か慎ましやかな花さ。嗚呼、これも勿論、私の祖父の言葉だよ。

 そしてまさにその命を散らすその時、膨大で純度の高い生命力を周辺一帯へ一挙に放出させる。

 その地に、自然に、人に、或いは何物にも分け与える。流行り病に伏していた人々が次次と息を吹き返し、天に見放された大地に緑を蘇らせ、死に瀕していた動物たちがたちまち駆け回る。

 それもこれも、神の創ったこの世界の、後の繁栄を願うためだ。

 ……それが、何より、うつくしいこの星を愛した神への一助となるからね』


 何処か物悲しい声で告げる師の一句が、私の脳随に響きわたる。

 まだ年端もいかないであろうその姿は、如何様にして見繕えども"人"には見えない。

 だが、私が手に掛けたあの双頭の獣とはまた違う。えも言われぬ異質な雰囲気を見受けた。

 神の一助。

 この幼子は、恐らく神を導く自然の祖ドリュアスと見抜いたこの村の人間に捉えられ繋がれていたのだろう。

 神を導く自然の祖ドリュアスの存在は薄れこそすれ、神への狂った熱意に満ちていたこの村の人々が知らないとは思えない。

 獣に食わせるよりも衰弱を待ってその身を捧げさせんとした事は、その花を美しく散らせんとする、彼らなりの良心だったのだろうか。


 判らない。


 頭部に飾る花弁の一枚が傾き、その身を晒すように緩慢に開く。開ききるにはまだ時間がある。

 水源の豊かな美しい村の、さらなる豊穣を目指した彼女達を、神はどう思うのだろうか。

 生前の話ではあるが、私のような聖者を、他の尊い命を冒涜してまで、幼子に手を伸ばした彼女達を、神はどう思うのだろうか。

 私は。

 この幼子は。

 どう思えば、よかったのだろう。

 私は、ゆっくりと息を吐いた。

 眼を伏せたままの幼子の前に屈み、根のように見える足を繋ぎ止める杭を引き抜いた。一瞥して様子を探ったが、一切の声も、動きも、その時は見られなかった。

 杭を引き抜いた足はみるみるうちに人の片足となる。恐らく、その物の本質を晒すように顕わす特殊な術式の掛けられた杭なのだろう。

 私はそれを近場に投げ捨て、次にもう片足を繋ぐ鉛玉との鎖を、片腕を繋ぐ鎖をそれぞれナイフで断った。

 ナイフは、衝撃で直ぐに使い物にならなくなった。神が寄越した物が思うより貧弱だと知る。……若しくは、彼女達の命を摘み過ぎたと私へ暗に示しているのか。どちらでもよいことだ。

 私は、幼子を背に抱える代わりに、そのナイフを置き去った。



 神を導く自然の祖ドリュアスと思わしきこの幼子が目を覚ましたのは、私の片足が癒えた頃だった。

 私が寝かせられた殺風景な家の部屋で、咲き誇っていた花は日を追う毎にその身を縮込ませていく。幼子の桃色の髪色に馴染むように控えめな姿となりゆく花ではあったが、それでも、人の頭部には少し大きすぎるように思えた。

 開かれた目は新緑のような翡翠色をしていた。丸い円にも似たその大きな虹彩を左右へ忙しく向け、それからゆっくりと私へと向き直る。

 この幼子の物だろうと断定した髪飾りの幾つかは傍の机上に置いてはみたが、それらに興味を持つこと無く、少々癖付いた髪を揺らして幼子は首を傾げ、私にこう告げた。


「あなたは、わたしのははさまのように、神さまに、身を捧げたひとなのですか」


 あどけない表情、告ぐ声は小さな鳥がさえずるかの如く愛らしい。私とは無縁の存在だと再認識する。

 私は暫くの間、答えを探して押し黙った。


「そうとはいえません。そうともいえます。ですが、何れも断定するには言葉がたりません。

 私は、神に仕え、人に身を捧げ、人に殺され、神にひろわれたものです。

 貴女が如何様な存在であるかは問いません。如何様な過去を過ごしたかも問いません。

 私は、貴女が目を覚ますまでを見届けるために此処に居ました」

「………」


 かわりばんこのように、私の代わりに今度は幼子が押し黙った。

 神の声がもし私の耳に届いていたのならば、半端な情けはその者を殺すのだと、私を咎めただろうか。

 私を見詰めていた幼子が顔を俯かせる。膝元をじっと見ているようにも見えた、何か言葉を探しているようにも見えた。幼子の胸中は、私には読み取れない。

 私は、僅かばかり長く息を吐き出すと、幼子を寝かせていた寝台の傍の椅子より立ち上がった。


「好きに、生きなさい」


 私がこの幼子に言えることは、幾ら考え尽くしたところで、それだけでしかない。

 椅子の背もたれに掛けていたローブを羽織り、繕われて襤褸とは呼べなくなった修道服の裾をはたいて直し、幼子に背を向け歩き出した。


「まってください」


 たった今 直したばかりの裾が強く握り込まれた。踏み出せた歩数は一歩に留まり、私は、肩越しに振り返る。

 幼子の細い腕、頼りない指先が私の裾をくしゃりと握り、翡翠の瞳を大きく開いたまま私を見上げる。

 そんな幼子と、目が合った。幼子が、私の服裾をくいくいと引っ張った。そして、寝台の縁を、もう片手でぽんぽんと叩いた。

 私は、一瞬の間、身動きが取れなかった。いや。思考すら出来なかった。


「何をしているのですか」

「あなたの服をつかんでいます」

「そうではありません。違います。……貴女は、何故、私の服の裾を掴み、待ってくれと声を掛けたのかと聞いているのです」

「つかみたかったんです!」


 それはもう、花が咲いたような笑顔を浮かべていた。私の顔には、花が萎れたような仏頂面が浮かんでいただろう。

 私は生前から、表情が乏しいと師に言われた覚えがある。今のこの身になってからは、より一層、顔が堅苦しくなったと思っていた。

 その顔が今、少しだけ、焦りという感情に追い込まれ歪んでいる。


「私は、貴女に言いました。好きに生きなさいと」

「ですから、わたしは、好きに、あなたの服をつかんでいます!」

「貴女がどう生きようが、何者も咎めることは有り得ません。ですが、私は――」

「わたしは、きっと、いきる、という行為が久しぶりなんです! ですから、わたしは、一番にやりたいと思ったことをやりました! あなたの服を掴むという、こうどうです!」

「――――……」


 私は言い負かされたに近く、幼子の声と、笑顔と、所作に口ごもった。

 幼子の指を緩める方法を思案することをも、私は諦めた。

 幼子が目覚めて一時間しないうちに、お腹が空いたと泣きわめくその口に食物を放り込むべく、汗水垂らして果物を探し回った事が、一番大変だったと思おう。

 


 その幼子は、自らを『ベラ』と名乗った。

 本当はイザベラという名だが、愛称のベラと呼ばれるのが何より好きなのだと、饒舌に語っていた。

 喋りながら果物を囓る。その都度、果汁を散らし、手をべたべたとさせている。

 ついでのように、私の服裾は握り込んだままである。片手で果実を食しながら逃げぬようにとばかり、強く強く握り込んでいるのだ。嗚呼。

 よろしいとは言えない、行儀の悪さに私を見て見ぬ振りを貫き、果実を頬張るその姿を閉口したまま見詰めた。

 『ベラ』と名乗るこの幼子は、永い長い夢を見ており、今し方意識を再認識し、気付いたら目の前に私が居たのだと言った。

 そして、目を覚ます前の記憶の一切が無いのだとも付け足した。

 では何故名乗れたのかと問うと、名前だけは"ははさま"に頂いたものだから、覚えているのは当然なのだと胸を張っていた。益々以て解らない。解らないが。

 あの様に鎖で繋がれている間は、さながら動植物が冬眠をするかの様に、意識の総てを謝絶して過ごしていたとでもいうのか。

 それとも、神を導く自然の祖ドリュアスの記憶や感情を文字通り"殺す"何かがあったのか。考えられるとすればあの杭か。

 だが、杭の事も含めてあれこれと訊ねてはみたが、そもそも己の種族がなんであるかすら、この幼子は解っていなかった。いや。種族という概念すら持っているのかも危うい。


「…………」


 ベラの名も、記憶の有無も、何もかも、嘘を言っているようには見えない、第一、嘘をつく理由が知れない。

 そもそもが、この幼子が神を導く自然の祖ドリュアスかどうかすら曖昧だ。師から伝え聞いたことの特徴こそそのままだが、仮にそれであるとしても、だからといって、私がこの幼子をどうこうする理由はない。

 無いのだ。

 粗方果実を食し終えるのを待って、私は自らの服裾を引く。無言のままに、離せと告げているに等しい行動のつもりだった。

 だが。この幼子は、引く裾に合わせて手を伸ばした。見咎めて私が更に裾を引くと、あろうことか、身を乗り出し、掴むその腕と裾の距離を詰めてきたのだ。


「貴女は」

「ベラです!」

「……ベラ。良いですか。貴女がやりたいと思った行動とやらは、確かにいまの、服の裾を掴むという行動であったかもしれません。

 ですが、私は貴女に服の裾を掴まれるのは困ります。私は、この村を出て、森を抜け、神の知る路を辿り、世界を見るべく、新たなる場所へ赴きたいのです。いえ、赴かねばならないのです。

 ですが、貴女にこうして服の裾を掴まれたままでは、新たなる場所へ赴くことができません。つまり、」

「わたしもいきます!」

「……人の話を遮ってはいけないと、教わりませんでしたか」

「服ははなしません!」

「貴女に先生役はいなかったのですか」

「つれていってください!」

「人の話はちゃんと聞きなさい」


 まるでいたちごっこか、はたまた水掛け論か。いや、もっと低俗な何かに違わない。

 何を論じても、何を諭しても、何を言い聞かせても、この幼子には無意味だと悟り、私は深い溜息をつく。

 溜息をつく私を見ても、この幼子は、何が嬉しいのか、笑みを浮かべて私を見上げていた。

 この村は、水源に恵まれている。自然に、満ちあふれている。今は、この幼子を贄にしようとする者も、危険な獣も居ない。

 それが意味することは、つまり、言葉を交わせる存在も、居ないことでもあった。


「ベラ」


 私は、僅かな時間、この幼子の手を引く事を決めた。



 

 ぼんやりと眺める手記が、掌からふっと滑り落ちて、粗末な宿の冷たい床材に落ちる。

 僅かな物音に私はハッとして窓の外を見遣る。太陽は未だ登り切らず、窓の外の遠くが僅かに白んでいるのが確認できた。

 落ちた手記を拾い上げながら、私は、物音など全く気にした様子も見せずに睡り続ける寝顔を見下ろした。

 掛けた毛布を僅かに撥ね除けて足を飛び出させている姿は、見慣れた物だ。

 毛布から飛び出ている足の表面をそっと撫ぜると、朝方特有の冷え込んだ空気を浴びて、すっかり冷たくなっている事を確認する。

 足を押し戻させ、毛布の中へ隠す。これも、手慣れた動きの一つである。


「………………」


 私は、毛布越しに規則的に上下する様子を見ながら、窓から聞こえだす鳥の声に耳を傾けた。


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