明々白々
その日は人生最高の日だった。
数年に一度あるかないか、そんな大雨が唐突に降り出した少し前の話。テレビから流れる今日の運勢をボーッと眺めていた。やった、一位だ、なんてそんな占いを私は信じてしまう様な人間だった。
そろそろダラけるのも終えて、夕飯の材料を買いにスーパーまで歩く。別に昨日の夕飯の残りでも食べればいいのかもしれないが、料理が好きな私はついつい多く作りすぎてしまったり、こうやって新しいレシピを試したくなってしまう。家族に振舞っていた頃が懐かしい。大家族だったから沢山作ってもペロッと平らげてくれてたなぁ。あの頃は私のご飯を食べて感想をくれる人たちがいっぱいいた。
最近の悩みは作りすぎた料理の消化のために食べすぎてしまったお腹周りの成長だろうか。急に不安になり横腹を摘んでみる。うん。動けばいいのよ、動けば。朝マラソンのことも考えたが道路の溝に投げておく。
「あれ…?」
溝に投げ捨てようと道路の端に目をやると真っ黒な子猫がダンボールの中でみゃあと鳴いていた。ダンボールには『拾ってください』の文字。捨て猫だと一瞬で理解はしたがううむ、どうしたものか。黒猫はこちらにひたすら甘い視線を送ってくる。それを無理やり振り払っては一歩前に進んだ。
「ごめんね、うちも厳しくて…」
猫を飼うのにどれくらいのお金が必要なのかは素人すぎて分からないがそれでも多額の資金が必要なのは知っている。ご飯も買わなきゃ行けないし、ゲージ、病院のお代なんてとびっきり高級なのではないか?フリーで在宅デザイナーに就いている私には少しばかり厳しい状況だ。ここは心を鬼にして、ごめんね…
みゃあ みゃあ
私はそのままの足でスーパーに向かった…訳ではなく、少し離れた場所にあるペットショップまでダッシュした。久々に走った気がする。
そこである程度エサなどを大量に買い込み小走りで元の場所にまで戻る。
そこにはちゃんと私を待っていたかのように毛布にくるまる黒猫がいた。
「あ、こら!暴れちゃダメだよ」
猫は水が苦手だと言う話はどうやら本当らしい。まだ赤ん坊なので溺れないようにと抱き上げながら風呂場で洗ってやる。泡だらけの子猫はしきりに鳴いて早くここから出して欲しいようだ。でも、だーめ。結構汚れてるんだから。
結局私は新しい料理のレシピをぐちゃりとポケットの底に押し込んで子猫を抱き抱えていた。今考えればきっとこの子と目が会った瞬間からもう連れて帰ると決めていたのだろう。後半の茶番は最後の悪あがきってやつだ。
今のご時世、捨て猫も珍しい。君はどうしてあそこにいたの?なんて問うても猫からはみゃーと鳴き声が帰ってくるだけだった。
「まあいつも一人で寂しかったから…!」
私と黒猫以外誰もいない部屋で言い訳のようにひとりごとをこぼす。
黒くも美しい毛並みをそっと撫でてやると足元にくっついてきた。可愛いなぁ。いつか動物を飼ってみたいと親にねだったことがあるがこのような形になるとは思ってもいなかった。大人になった今ならわかる。動物を飼う大変さを。子猫は気持ちよさそうにすやすやと眠ってしまった。きっと疲れていたのだろう。簡易な猫用のベッドを作り寝かせてやる。
「ご飯は昨日の残りでいいかな」
これからは独り占めしていた小さな幸せもこの子と分けて生きていくんだなと考えたら心が暖かくなった。
「うーん、アイスが食べたい」
元は買い物の途中で買うと決めていたのでアイスへの欲求が異常に高い。今食べないと死んでしまう。私の至福の一時は季節限定のハーゲンダッツで決まりだ。
「お留守番できる?」
そうやって猫に声をかけるが返事はない。まだお眠のようだ。眠っているなら今がチャンスだろうと立ち上がる。一応鍵の閉め忘れはないかと部屋中を確認しに行く。
「それでは行ってきます」
布団で丸くなっている猫に敬礼して部屋から出ていく。これからはこんなやり取りも増えるんだなと思うとなんだか微笑ましかった。
ハーゲンダッツへの期待が高まりウキウキで外に出た瞬間。ポツポツと雨が降ってきた。ありゃりゃとあからさまに肩を落とす。バッドタイミングだよこれじゃ。
一瞬どうしようかと考えてはみたが身体は言うことをきかない。どうしても私の舌がハーゲンを求めているようだ。しゃーない、と一番大きい傘を持って自宅のマンションから飛び出した。
「うわぁ、本格的に降ってきたよ」
そんな声も周りには聞こえないほど大粒の雨が私の傘に降り注ぐ。スマホで確認するとどうやら話題に上がるほど酷い雨らしい。Twitterのトレンドにもなっている。なんだか気分が沈んじゃうなぁ…
今日の運勢で一位だったはずなのだが所詮は占いか。もー!素敵な出会いがありますって言ってたのに!
なるべく靴に雨水が染みないようにと大股で歩いたがそんなの意味がなかった。びしょびしょになりつつある全身を顧みて泣きたいのはこっちだよ〜と天を睨みつける。迫力のない睨みですが。
そんなふうにひとり芝居を続けていると先程、黒猫を拾った場所に辿り着く。そこには空になったダンボールと傘もささずに蹲っている女性がいた。わ〜捨て猫ならぬ捨て人だ。
…捨て人!?
え、ちょ、どうしたんだろう。声をかけてもいいのだろうか。私と同じように歩いていた人達は皆声をかけずに訝しむだけ。日本人は無情だぁ…
捨て猫でさえも拾っちゃう私の性格上、無視なんて出来るはずもなかった。ポンと肩を叩くと綺麗で澄んだ目をした女性と視線がぶつかる。その瞬間、雷でも落ちたかのような衝撃に私は目の奥がチカチカと光った。
運命、だと思った。
初めて会った人にこんなことを思うだなんて筋違いだと分かっているのだがドキドキと熱くなる心臓が強く主張を続ける。一目惚れというものが存在するのなら今の私を言うのだろう。
私は別に女の子が好きだとかそういうのではない。なんなら今の今まで普通に男性が好きだと思っていたし。まあお付き合いしたことは…ないのだけれど。一時期その事で親から本気で心配されたことがある。お見合いまで話が出たほどだ。
「大丈夫ですか…?」
「あ、ええ…」
答えになってない気がする。そして何故か視線が私の胸あたりに集められているようにも感じたがきっと気の所為だろう。
普通このあとはどうするのだろう?こんな大雨の中、一人で家に帰すのも危ないよね。
「良かったら私の家にきます?」
見知らぬ猫を家に迎え入れるわ、見知らぬ女性も招待するわで今日の私は大忙しだなぁ。
私の胸ばかり見ているこの人は「是非…」と少しだけ口を動かした。うーん、目が合いません。
そんなこんなで私は、二匹目の猫を拾っちゃったみたいです。
人生で初めて土下座というものを見た。しかもこんな綺麗な土下座、そうそう見れるものじゃないかもしれない。写真のフィルムにでも残して起きたいくらいだ。…じゃなくて!
すぐに顔を上げてもらえ…ない。土下座をした状態のまま自己紹介タイムが始まってしまう。
この女性は福路 湊さんという名前らしい。綺麗な名前だなと思った。あと福神漬けが食べたくなった。
どうしてあそこで蹲っていたのか理由を尋ねてみるとどうやら恋人とのいざこざらしい。あまりにも酷い仕打ちに声が出なかった。え、なに?恋人からいきなり結婚招待状が送られてくるような状況って割と普通なんですか?
「今日はこのまま泊まっていってください」
福路さんを一人にしちゃうと何をしでかすか分からなくて不安になった。目の下の隈が福路さんの辛さを表している。躍起を起こしてしまったらどうしようかと脳裏をかすめるのだ。
幸いなことにすぐにその申し出は福路さんによって受け入れてもらえる。初めてあった人の家に泊まるのは色々と心配もあるだろうに。
ぐーっ
突如部屋に響く謎の音。その音源はどうやら福路さんの腹から鳴っているようだった。いくら辛いことがあっても人間だもん。お腹くらい空きますよね。
「ふふっ、夜ご飯、余り物で良ければ召し上がりませんか?」
「是非っ!」
涙を流しながらそう答える福路さんについ笑ってしまった。
食事中、福路さんとはたわいも無い話で盛り上がる。誰かに手料理を食べてもらうのも久しぶりなので心から楽しいと思える時間が流れていく。
知らない人が急に現れたからなのかは分からないが黒猫はずっと毛布に隠れて動かない。ストレスを与えてしまう可能性もあるのでその日はそっとしておいた。
うちにソファもお客さん用の布団もない事により何故かシングルベッドで一瞬に寝ることになってしまった。まあ同性同士だから大丈夫だと思うが。なにが大丈夫なのかはこの際言及しない。
「おやすみなさい」
「おやすみです!」
私は寝る前の雨音が大好きだ。耳に残る優しい音が私の眠気を誘ってくる。気がついた時にはもう私は寝入っていた。
カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しくて目が覚めた。隣にいる福路さんはすやすやと寝息を立てている。起こさないように静かに布団から出る。ふと福路さんの目元に流れている涙に気がついた。
(よっぽど辛かったんですね…)
その涙を人差し指で拭った後、じっと福路さんの顔を見つめた。やっぱり綺麗な顔立ちをしている。そのまま吸い寄せられるように顔を近づけた。
「…っ!?」
今私は何をしようとした?自分でもわけが分からなくてその場で尻もちをつく。そんなの、ダメだよ。
慌てて福路さんから距離をとる。その間もこの数センチがとてももどかしかった。
「ううっ…」
「大丈夫ですよ」
五分くらいだろうか。しばらく福路さんの柔らかそうな髪を撫でてやる。久しぶりに触れる人肌はやはり心地よかった。そんなことで何かが変わる訳でもないが、辛そうな表情だった福路さんが笑ったような気がした。
捨て猫だった私を拾ってくれたのは天使でした。 銀 @misakanon02
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