雨脚の向こう側

崎田恭子

第1話

部屋には未だ雨が地面に叩き付ける音が聞こえてくる。梅雨時だから当然だがいい加減、うんざりとしてくる。俺は雨が嫌いだ…嫌な記憶が蘇ってくる…

 

今日はバイトが休みだから自宅であるアパートの一室に引きこもっている。スマホの時刻を見ると12時過ぎで朝から何も食ってない俺は空腹を意識する。冷蔵庫を覗き何か食える物を探すが相変わらずスポーツドリンクやソフトドリンクしか見当たらない。バイトがある日は¥100で店のメニューが食える。全く食事に不自由はしないから食料品の備蓄はほぼ皆無だ。仕方なく着替えて玄関のドアを開くといつの間にか雨が止んでいた。

外に出ると子供達が二人で雨上がりの水溜りをバシャバシャと踏み付けて遊んでいる。その姿を母親らしき女性が愛しそうに眺めている。このような時期が自分にもあったのだろうかと振り返ってみるが俺には記憶に無い。俺はその横を気の無い素振りで通り過ぎ食料品を求めコンビニへと向かう。

そして、自宅から徒歩2分程のコンビニへ足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ〜」

コンビニの店員がマニュアル通りの台詞を俺に投げ掛ける。そんなもの関係無いとばかりに俺は弁当や握り飯の陳列棚に向かっていく。

一通り眺めた後に定番の唐揚げ弁当持ちレジカウンターに置いた。

「いらっしゃいませ。温めますか?」

また、コンビニではお決まりの台詞で店員が俺に問う。不機嫌モード全開の俺は無表情で首を縦に振る。俺は元々、目つきが悪いせいか不機嫌な表情をすると必ずと言って良い程、店員は訝しげな表情になる。

弁当を温めてもらい店を立ち去ろうとしたが自動ドアの手前で30代程の男性店員が俺を引き止めた。

「あんた、葛西聖だよな?」

「何の用ですか?てか、何で俺の事を知ってるんだよ?」

「此処では話せない。あんた、たまに来るけど自宅が近いのか?」

客に対する態度が全くなっていない横柄な態度の店員に俺は苛立ちそのまま立ち去ろうとしたが咄嗟に腕を掴まれた。俺は不快さに腕を振り解こうとしたが腕を掴む握力が強くそれは敵わなかった。

「いきなり、何なんだよ!」

「職業は?」

「フリーターだけどあんたには関係無いだろ」

「今、人手が足りないんだが良かったら此処でバイトしないか?」

「はぁ?他の所でバイトしてんだけど」

「時給は?」

「まぁ、飲食だからここよりは幾分かいいと思うけど」

最低賃金でしか使わないコンビニなんて冗談じゃない。

それに…また、俺の脳裏に嫌な記憶が蘇ってくる…

「そこだけなのか?」

「まぁ、今は…」

「だったら此処で掛け持ちしないか?」

「断る」

俺は一言、告げてコンビニを後にした。

 

その翌日、バイト先で仲の良い友人に昨日の出来事を厨房で作業しながら話した。

「気持ちわりぃ。そいつ何かヤバくねぇ?」

「だろ?いきなりだぜ」

「お前、帰り気を付けろよ。待ち伏せしてるかもしれねぇぞ」

「あぁ、また何かしてきたらぶん殴ってやるけどな」

「お前、見た目の割には筋力があるからな。お前を襲った奴は半殺しかもな」

俺は細身で貧弱に見えるらしいが高校時代は陸上部で懸垂をやっていて筋力には自信がある。

 

バイトを終え外に出ると一旦、止んだ雨がまた降り始めていた。自宅の近辺を歩いていると目の前に人影が立ちはだかった。辺りは既に暗闇に包まれていて人を視認するにはあまりにも暗いのと雨が視界を遮った事もあり咄嗟の判別は難しかった。住宅街のアパートなのにもかかわらず外灯もそんなに明るくない。だが、目が慣れてきたせいか暫く凝視していると人物の判別が出来た。昨日、見た時はコンビニの制服を着ていた為か直ぐには気付かなかったが昨日、俺を引き止めたくだんの店員だった。

「一体、そこで何をしてんだよ。あんたはストーカーかよ」

「あの頃は済まなかった…俺が謝るのもおかしな話しだが…」

「は?あんたは俺に何かした?」

未だ雨は傘に叩き付けている。

「俺はあんたがバイトしていたコンビニのオーナーの息子だ。暫くサラリーマンだったが最近、そこの店で店長をやっている。罪滅ぼしなどおかしく感じるかもしれないが通常より良い待遇であんたを雇いたい」

そこで初めてこのコンビニの経営者が同じだった事を知る。

その瞬間、嫌な記憶が完全に蘇った…あの陰惨な記憶が…

 

俺は高校時代にコンビニでバイトをしていた。何処にでも転がっている事だとは思うが学校で陰湿な虐めを受けているバイト仲間がいた。斎藤和哉はこのバイト先で一番、親しい友人だ。彼はこの場でも嫌がらせを受けていたが唯一、俺にだけは心を開いてくれていた。彼は何故か虐められやすい体質だったようだ。店長は周囲の情報からなるべく俺とシフトが被るように便宜を図ってくれていた。頭の回転が早く真面目な彼に店長は一目置いていたようだった。他の連中は店長の目を盗んではサボる輩ばかりだったからだ。


そんな夏休みのある日、あの陰惨な出来事が起きた。曜日固定で滅多に変わる事の無い勤務日に一日だけ彼は俺と全く被らない曜日に入る事になった。彼が心配だった俺は日勤のバイトを終え再びバイト先へと向かった。店を覗くと案の定、バイトで一番質の悪い同年代の奴が彼にだけ仕事をさせサボって事務所でコミック本を読んでるような状況だった。俺は腹立たしくなり事務所へ直行した。

「あれ?忘れ物でもしたの?」

「あぁ、一番デカい忘れ物な」

和哉は俺の姿を見ると安堵した表情で語りかけてきた。俺は事務所に入ると奴に怒声を投げかけた。

「おい!てめぇは何サボってんだよ!」

「てめぇには関係無いだろ!」

俺は怒りが頂点に達し奴の胸ぐら掴んだ。

「同じ対価でバイトしてんのにてめぇだけが楽しているなんておかしいだろ!てめぇの事は店長に報告してやる。モニターの確認をすれば分かる事だしな」

「ふざけんな!てめぇは一体、何の権限があって俺に説教なんてしてんだよ!」

「てめぇはもう帰れよ。俺が代わりに入る。それも店長に報告するから心配すんな」

「あ〜そうかよ!こんな店、辞めてやる!てめぇ、覚えとけよ!おれを怒らせたらただじゃ済まねぇからな!」

奴は捨て台詞を投げつけると制服をロッカーに投付け事務所を出ていった。そして、俺は制服を着てカウンターへと向かった。

「えっ…代わったの…?」

「あぁ、害虫は辞めるってよ。良かったな」

「辞めた…?もしかして彼に何かしたの…?」

「あぁ、ちょっとな」

「それ、ヤバいよ!彼の取り巻きが黙ってないよ!ごめん…俺が弱いから…君に迷惑を掛けてしまって…」

「気にするなって!こう見えても俺はスポーツやってて鍛えてっから心配すんなって!」

俺は顔面蒼白になり眉を潜めている彼に気に病む事が無いよう軽く告げた。

 

夕方勤務のバイトを終え外に出ると予報通り雨が振りしきっていた。傘を開き家路へと急ぐ。

「おい!さっきはなめた真似しやがって!落とし前つけてもらうからな!」

背後から声が聞こえ振り返るとバイト先にいたくだんの輩だった。

「お前に因縁つけてきやがったのはこいつか?」

「あぁ、適当にしめてやってくれ」

くだんの輩と共に奴の仲間であろう同年代程の連中が3人で俺を取り囲んだ。

「分かった。ボコボコにすりゃいいんだな」

「お前、陸上部なんだってな。俺らに怪我でもさせたら競技は出場停止処分なんだろうなぁ」

くだんの輩に言われ俺はハッとした。奴らに怪我でも負わせたら…出場停止…

仕方なく俺は逃げる算段をしたが3人は力尽くで俺を近くにあった公園へと引きづるように連行していった。

「おい、ボコボコにするだけじゃつまんねぇからこいつの服をひんむいてやろうぜ」

「それ、いいねぇ。やってやろうぜ」

「2度と立ち直れないようにしてやろうぜ」

俺は腕を掴まれたが背負い投げでもしてやれば事足りる。俺は筋力や瞬発力には自信があるから暴力を行使し3人まとめて沈める事も出来そうだ。しかし…それをやったら両親や周囲の人達に迷惑を掛ける…

俺は服を剥ぎ取られ俺は黙って奴らに暴行を受けるしかなかった。気が済めば立ち去っていってくれるだろうと思っていたが一人が妙な事を言い出した。

「男同士でやったらどうなんだろうな?俺、なんとなく興味があるんだけど。こいつ、女みてぇな面してるしよ」

「一体、何をするつもりだ?!」

俺は戦々恐々としながら奴らに問う。

「決まってんじゃん。エッチな事だよ」

「はぁ?お前、ホモかよ?」

「ちげぇよ。やったらこいつ、2度と立ち直れなくなるんじゃねぇ?」

「それだけは勘弁してくれ!」

「かもしれねぇな。面白そうじゃん」

「止めてくれ!」

男同士の性行為は何となく知っていたからそれだけは勘弁してもらいたいと懇願したが奴らの行為はエスカレートしていった。俺は四つん這いにされ身体を押さえ付けられ無理やり、狭い中へ挿入された。そして、俺は痛みで悲鳴を上げていた。

「こいつ、女みてぇに鳴いてやがるよ」

ぐったりと身体を横たえている俺をほくそ笑みながらくだんの輩を含めた4人は眺めていた。

「こいつ、まわしてやろうか?」

「いいねぇ、俺にもやらせろよ」

「止めろー!」


その後の俺は痛みで気を失っていた。意識が戻り辺りを見渡すと既に誰もいなかった…

雨が汚れた身体を洗い流すようにまだ降り続けていた。

家路に辿り着くと両親にバレないように浴室に直行して汚れた衣服を丸めて洗濯機に放り込んだ。

その日の夜は痛みと恐怖で寝付く事が出来ずに朝を迎えた。

俺は学校へ行く気力も無くベッドの中に潜り込みこの日を境に陸上部も退部をし不登校になった。両親はそんな俺を心配し何があったのかと訪ねてくるがあんな事があったなど口が裂けても言えない。しかし、俺は和哉に心配をさせないようにバイトだけは何事も無かったかのように通っていた。

 

「あんたは俺の過去を知っているみたいだな」

「あぁ、人伝だかな」

「だったら解ってるだろ。もう、あの場所には戻りたくない」

噂は勝手に俺の知らない所で拡散していたらしい。誰にも話してないのに…多分、あいつらが自分達に迫をつける為に言いふらしていたのだろう。

 

この日の夜はあの時の嫌な記憶がフラッシュバックしてなかなか寝付けなかった。普通の人間ならば自殺を考えてもおかしくないだろう。

自殺をする勇気も無く…ただひたすら一日を無事に終えればいい…休みの日は一日中、惰眠を貪る…何の夢も無い堕落した日々…

しかし、最近はそのような日々にも嫌気が差してきた。

待遇を良くするって時給は幾ら位なのだろう。ふと、くだんの店員の言葉を思い出し考えてみる。正直、今のバイトだけでは生活が困窮していた。

 

俺は一応、待遇を聞いてみようと例のコンビニへと向かった。するとタイミング良くくだんの店員がカウンターに立っていた。

「あの、バイトの件で色々と聞きたいんですけど」

俺が告げると店員は驚いたらしく目を見開いていた。

「此処だと色々と不都合だろうから事務所に来てもらえないか?」

俺は店員に促されるまま事務所に入っていった。

最初の時給は千円で研修期間を終えたら幾らか時給をアップし最終的に社員になってもらいたいとの事だった。まぁ、社員になれば福利厚生もあるし生活は保証されるから悪くはない。

「数日間、考えてから改めて連絡をします。ところで何故、俺の顔を知っていたんですか?」

「あんたは気付かなかったようだが俺は以前、あんたがバイトしていたコンビニで夜勤をしていたからだ」

「そうだったんだ…だから、例の事も知っていたんですか…」

「あぁ、あんたと親しかった斎藤和哉から聞いた」

「やっぱり、あいつらは和哉に話したんですね…なんて底意地の悪い奴なんだ…」


 

そして考えた結果、俺は例のコンビニでバイトをする決断に至った。一番の理由はやはり金銭問題だった。他にも選択肢はあったのだが一番、手っ取り早いからだ。


翌日、スマホで店に通話をするとくだんの店員の声が聞こえてきた。

「明日、必要書類を渡したいから店に来てもらいたいんだが何か予定はあるのか?」

「バイトがあるんで夕方だったら大丈夫です」

「そうか、夕方の5時頃は大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

俺は了承して通話を切った。しかし、問題が一つある…あの日の出来事を払拭しなければならない…

 

 

俺は飲食のバイトを終えると直接、コンビニへ向かった。店に入り店員に声を掛けると事務所に入るように促された。

「失礼します。書類を受け取りに来ました」

「あぁ、宜しく頼む。後になって気になったんだが大丈夫か…?」

「あの事ですよね…頑張って忘れるしかありません…」

「そうか…あまり無理はするなよ。無理だと思ったら遠慮なく休んで構わない」

「ありがとうございます…」

書類を受け取ると俺はコンビニを後にした。解っているのに何故、俺を雇いたいのか意味が解らない。あの人は一体、何を考えているんだ。罪滅ぼしとか言っていたが逆効果じゃないか。心を抉られるだけじゃないか。でも最終的に決断をしたのは俺自身だからもう後には引けない。それに待遇が良いのだから頑張るしかない。

 

 

2日後に俺はコンビニの研修期間に入った。

「今日から暫くは研修期間になるけどあんたの場合、経験者だから一週間程で大丈夫だろう。業務の方は覚えているのか?」

「多分、実際にやってみれば思い出すと思います」

「そうか、それじゃ、カウンターに入ってくれ。あんたのトレーニングをする社員がいるから指示を仰いて動いてくれ」

「はい、分かりました」

店長の指示で俺がカウンターに向かうと見知った姿が目に映る。久々の再開だった。

「えっ…ここの社員て…」

「そうなんだ、俺、半年前までは一般の企業で社員として勤務していたんだけど色々あってまた、コンビニに戻ったんだ。そうしたら、店長に此処で社員にならないかって声を掛けられたんだ」

以前、バイトしていたコンビニで一番、親しかった和哉だった。

「また、一緒に仕事が出来るなんで嬉しいよ。あんな事があったからもう会えないかと思っていたよ…ずっと気になっていたんだ…」

和哉は苦笑をしながら俺に告げた。

「俺も再開できて嬉しいよ。改めてこれから宜しくな」

「うん、こちらこそ宜しく!」

久々の再開に客がいない時は会話が盛り上がり作業を熟しながら他愛もない会話に終始した。

 

今日は5時間で俺の勤務は終了した。社員の和哉はまだ、他にやるべき業務が残っているからと引き続き店内に残っている。俺は手を軽く上げ「お疲れ」と一言残し事務所に入っていった。俺は和哉が何故、またコンビニに戻ったのかが気になり店長に訪ねてみた。

「あぁ、あいつはあの気質だからやっぱりパワハラを受けたり同僚に嫌がらせをされたらしい。それで、タイミング良く俺がこの店の店長になると同時に社員にならないかと声を掛けたんだ。真面目だし機転も効くし何よりも経験者だったからな」

和哉は何処に行っても虐めを逃れる事が出来ないらしい…

「俺も一緒に働けて嬉しいです」

「そうか、それは良かった」

俺は「失礼します」と一言告げバイト先を後にした。

 

 

あれから数日間が経過し俺は和哉と再開した喜びと勤務の充実感で最近は元気を取り戻しつつあった。そして、一度も手を付けてない部屋の掃除をしたり溜まった洗濯物を干したりしていた。

「和哉のお陰で最近は元気になって今日は一日中、掃除をしていた」

「それは良かった」

俺は嬉しさのあまり和哉にほんの些細な事だがラインのメッセージを送信した。和哉は休憩中だったようで数秒でメッセージが返ってきた。

 

 

「おはようございます!」

今日の俺も充実感で大声で挨拶をした。

「今日は張り切ってるじゃないか」

「いつもですよ」

「それは良い心掛けだ」

店長とのやり取りにも声に張りが出る。俺は制服を着てカウンターへ向かう。今日も和哉の姿が目に入る。そして、午前中のパートさん達と交代をする。

「お疲れ様です!よし、今日も頑張るぞ!」

「葛西くんは今日も元気ね」

そんな俺を見て和哉は笑みを浮かべパートさんも顔が綻んでいた。

「俺は品出しと発注があるからカウンターの方は任せたよ」

「任せとけ!」

俺は昼ピークが過ぎた後の煙草や中華まんの補充をしたりおでんの鍋を洗いながら稀に来る客の応対をしていた。

「いらっしゃいませ…」

嫌な記憶を彷彿とさせる客が来た…

「あれ?久し振りじゃん。こんな所にいたのかよ?もう、自殺でもしたんじゃないかってこいつらと話していたんだよ。お前、相当しぶといんだな。また、俺らと遊ばない?」

徐々に心拍数が上がり過呼吸になっていく。俺は相手にしないように顔を見ないように無視を貫こうとした。

「シカトかよ!ここの店員は躾がなってねぇな!」

「荒しなら出ていってもらえませんか?営業妨害で通報しますよ」 

そこへ和哉が声を震わせながらあいつらに告げた。

「おい、おい、おい、斎藤君もいるのかよ!役者が揃っちまったじゃねぇかよ!こりゃ、楽しいねぇ〜斎藤君も一緒に遊ぼうぜぇ」

「俺は…」

俺達が困惑をしていると店長が事務所から出てカウンターへ近付いてきた。

「営業妨害ですか?警察を呼びますよ」

「はぁ?営業妨害だ?俺らは客なんだけど?」

「だったら買いたい物を購入してさっさと出ていってもらえますか?」

奴らの仲間の一人がカウンターを蹴り付ける。

「それが客に対する態度かよ!」

そう吐き捨てると店長の胸ぐらを掴もうとしたその刹那、店長が奴の腕を掴み後ろ手に回した。

「てめぇらなんて客じゃねぇんだよ!とっとと出てけ!」

「い、いってぇじゃねぇかよ…解ったから離せよ…」

今まで威勢のよかったカウンターを蹴り付けた奴が一変して小動物のように萎縮していた。

「ちっ…てめぇらの事は本社にクレーム入れてやるからな!」

奴らは捨て台詞を残し去っていった。

「店長、助かりました。ありがとうございます」

和哉はホッと胸を撫でおろして店長に頭を下げた。俺は依然、過呼吸が止まらない。

「葛西、大丈夫か?もし、無理なら今日はあがっていいぞ。無理はしなくていい」

「ありがとうございます。でも、このまま帰ったら立ち直れなくなりそうなんで仕事を続けます」

「だったら事務所で少し休んでろ。今の状態じゃ無理だから落ち着いたらまた、勤務に入れ」

「大丈夫です。和哉と仕事をしている方が気が紛れるんで」

「そうか、解ったがもし無理なら声を掛けてくれ」

和哉が一緒だから本当に気が紛れた。他の人と一緒だったら無理だったかもしれない。それにしてもあの時の店長は本当に格好良かった。

 

今日は17時まででこれから飲食のバイトに行く予定だ。その前に店長に礼を言わなければと思い事務所で声を掛けた。

「あの、先程はありがとうございました。助かりました」

「あぁ、奴らはもう2度と来ないだろう。ああいう連中は意外と気が小さいからな。だから、つるんでないと何も出来ない。自分より弱い者を虐めたがる。こちらが強気に出れば怯んで何もしてこなくなる。さっき、あの連中は客という立場を利用してあんたらに絡んできた。そんな事しか奴らは出来ないんだよ」

「何故、そんな事が解るんですか?」

「長年、この仕事をしていると色んな客が来る。単なる俺の経験則だ」

「凄いですね…」

「別に凄くはない。あんたも場数を踏めば自然と対応の仕方が身に付く」

「頑張ります!」

「あぁ、期待してるぞ」

その後、俺は店長に挨拶をして足早に次のバイト先へと向かった。

 

夜はまた、あの頃の事が脳裏に過ぎったがそれよりも店長の対応が格好良すぎてあの場面の方が脳内は優先をしていた。今日は何故か謎の心拍数が上昇して身体は疲労しているのになかなか寝付けなかった。

 

その日を境に俺は店長を意識するようになった。

これって恋なのだろうか…でも男の俺に告白をされたらきっと気持ち悪いだろうな…

 


数日間、時が経ても俺は店長の事が脳裏から離れない。それどころか益々、想いが増していくばかりだった。

「最近、元気がないけどどうしたんだよ?もしかしてあの事が忘れられないとか…」

「いや、そんな事は無いよ。和哉の思い過ごしだよ」

まさか、男性に恋をしたなんて言える訳がない。

俺は所謂、思春期と言われる年齢に達しても恋愛には関心が無かった。部活動とバイト、学校との両立が大変だからだと思っていたが初めて気付いた…

俺の恋愛対象は男性だという事に…

俺は初めて恋に堕ちた…

  

俺は当たって砕けろではないが一応、俺の想いを店長に告げる事にした。

「店長、話しがあります…」

「話しって何だ?」

「俺、店長の事が好きです…」

「どういう意味で?」

「あの…恋愛対象として…」

俺が恐る恐る告げると店長がいきなり立ち上がった。何を言われるんだろう…やっぱり…気持ち悪いのか…他所を向きながら考えていたら突然、身体に何か暖かいものを感じた。店長が俺の背中に腕を回していた…

「葛西、俺もお前が好きだ…初めて見掛けた時からずっとだ…」

「えっ…」

店長が俺の半開きになった唇に自身のそれを重ねてきた。心拍数が上昇し顔が熱くなっていく…

「聖、俺は後、2時間で勤務が終わる。それまで自宅で待っていてくれ」

「はい、待ってます」


俺は今、自宅にいるけど落ち着かない。後、30分くらいか…

そう考えているとスマホの着信音が鳴り響いた。画面を確認するとやっぱり店長からのラインのメッセージだった。

「飯は食ったか?」

「いえ、まだです」

「店の前で待ってるから来てくれ」

「了解です」

店長から誘いがある事は想定していたが何故か緊張する。俺は自宅を出てバイト先のコンビニへ向かった。

店内を覗くと和哉はまだ勤務中だった。俺は何となく気まずく感じて歩行者道へと戻り店長を待っていた。程なくして店長が俺に気付き軽く手を振りながら近付いてきた。制服をきていないと全く印象が違う。ブラックデニムにブラックのレザージャケットという出で立ち。身長が高い事は分かっていたが制服姿しか殆ど見た事が無いせいか気付かなかったけどスタイルも良い。色白のせいかモノトーン調のファッションがよく似合っている。顔の容姿も良いからまるでモデルのようだ。

「お疲れ様です」

「あぁ、俺の友人が経営している和食の店があるんだがそこで良いか?」

「はい、大丈夫です」

並んで歩いていると店長がいきなり俺の手を握ってきた。俺は羞恥から顔が熱くなり俯き加減になって歩いていた。

「あの、店長ってモテるんじゃないですか?何故、俺なんです?」

「モテるかどうかなどあまり気にした事は無いな。そういう聖の方がモテるんじゃないか?お前は相当なビジュアルだぞ」

「俺もモテるかどうかなんて気にした事ほありませんから分かりません」

俺が言うと店長は俺の容姿について語り始めた。体型は平均的だが目鼻立ちが整っているとの事。色白で全体的に色素が薄くユニセックスな印象があると語っていた。

「でも、男性客には稀ですけど声を掛けられた事はあります。そんな程度かなぁ」

暫く歩きながら会話をしているとあまり人気が無い通りに入る。店長はそれを見計らっていたのか店長は突然、俺の肩に腕を回してきた。俺が少し、うっとりとして店長の肩に頭を乗せるとまた突然、唇を重ねてきた。最初は軽く徐々に深くなり舌を絡めてくる。俺はふと、あの陰惨な出来事がフラッシュバックしてしまう…そして、この行為に嫌悪感が過り反射的に店長を突き放してしまった…

「どうした?嫌なのか…?」

「いえ…嫌な記憶を思い出してしまって…嫌な訳では無いんです…誤解をさせてしまったようでしたらすみません…」

「嫌な記憶って何だ…?まさか、あいつらに暴力だけじゃなく何かされたのか…?」

「はい…」

「クソッ!お前に遊ぼうって言ったのはそういう意味だったのか…今度、見掛けたらぶん殴ってやる!」

「止めて下さい。それをしたら店長は犯罪者になってしまう。俺なら大丈夫ですからそんな事は考えないで下さい」

「ちっ…俺はどうする事も出来ないってのか…いや、俺が忘れさせてやる。お前を悪夢という呪縛から解き放ってやる。これからは俺がお前を守るから大丈夫だ。」

「はい…」

俺の瞳から水滴が溢れ頬に伝う。店長はそんな俺を抱き締め優しく頭を撫でてくれた。こんな優しい言葉を掛けられ抱き締められたのはいつ以来だろうか…幼少期の頃か…記憶に無い…高校を中途退学してから3年間、俺は殆ど誰とも関わらずに生きてきた。張り詰めていた心の糸がゆるゆると解れ呪縛から解き放たれる事を感じる…

「そろそろ行くか」

「はい」


その後、俺達は夕食を食べただけでそれぞれの帰路へと戻っていった。


ベッドの上で寝転んで店長との時間を振り返っていた。

何故、あのタイミングであの記憶がフラッシュバックしたんだろう…何故、嫌悪感が過ぎったのだろう…店長の事が好きなのに…

 


「店長、昨日はごめんなさい」

「いや、別に気にはしていないがその店長って呼び方は止めてくれ。聖、俺の下の名前は優輝って言うんだ。優輝って呼んでくれ」

「分かりました。優輝さん…」

店長の姓は名札で野原っていう事は知っていたが下の名前を知ったのは初めてだった。俺は店長を下の名前で呼ぶ事に慣れないせいか羞恥で顔が火照り俯いてしまった。

「何だ?聖、照れてるのか?お前は可愛いな」

可愛いと言われ益々、俺は羞恥で俯いてしまった。多分、顔は真っ赤になっているだろう…

俺は気を取り直し制服を着て売り場へと向かっていった。いつもと変わらず和哉がカウンターに立っていた。

「お疲れ様です」

「お先に」

日勤のパートさん達と言葉を交わし今日も通常通りの勤務が始まる。

 

 

優輝さんとは互いに仕事を終えた後、食事に行ったりしていた。和哉は俺と店長との関係を気付いているのかいないのかは不明だがいつもと変わらず接してくる。俺も敢えて余計な事は話さないようにしている。

和哉は本当に気遣いの出来る友人だと思った。

こうして日々が過ぎていったある日、優輝さんと歩いていると唐突に言われた。

「お前の家に行きたいんだが駄目か?」

家に行きたいという事はたぶん、そういう誘いなのだと安易に解る。

俺は暫く考えたが拒絶する決定的な理由があるにせよお付き合いをしていれば当然の行為なのだと思い返信をした。

「構いませんよ…」

「受け入れてくれるって思っていいのか…?」

「はい…」

外で食事をしたが意識していまい食べ物が上手く飲み込めない。そして始終、無言になってしまった。優輝さんも察したのかあれ以来、会話をしようとはしなかった。


自宅に入ると優輝さんは俺を抱き締め唇を重ねてきた。俺の心拍数が上がる…

「愛している…無理はさせないから心配するな」

優輝さんはそう告げると俺の衣服を一枚ずつ丁寧に脱がしていった。

優輝さんに耳や首筋に愛撫をされる。

「まだ、傷跡が残っているんだな。無理にはしたくない」

優輝さんは俺を気遣うように少しずつ挿入をしていった。

 

朝日の光線で俺は目覚めた。横を見ると俺の肩を抱いた優輝さんがまだ瞼を閉じている。俺は温もりが恋しくて再び優輝さんの胸に顔を埋めて瞼を閉じると優輝さんは俺の髪を優しくすいて頭を撫でてくれた。心地良さに俺はこのまま時が止まればいいと願っていた。

「聖、そろそろ起きて朝飯を食うか?」

「もう少しこのままでいたい」

「そうか。解った」

優輝さんは再び俺の頭を優しく撫でながら軽く唇を重ねた。暖かい…このような感覚は久々だった。

 


翌日は昼から夜に掛けてシフトが入っていた。当然のように優輝さんと和哉も一緒だった。もう一人、大学生アルバイトの女子が夕方から入っていた。この女子とは初めてだった為、互いに挨拶を交わして勤務に入った。彼女は大学2年で俺と和哉より年齢が一つ上だったが控えめで大人しく社員である和哉には敬語で会話をしていた。あまり余計な事は話さず黙々と与えられた業務に励むような人だ。俺達も彼女に触発され暗黙の了解のように会話はせず黙々と業務を遂行していた。

「お前ら、彼女の仕事に対する姿勢に触発されたみたいだな。いい傾向だ」

「真面目すぎてこっちが気負わされてしまったみたいで…」

「確かに…無言の圧力というか…女子って強いですね」

「お前らには丁度いいみたいだな。お前らはある程度、片付くと会話が始まるからな」

「やっぱり、良くないんですか?」

「客にとっては印象が悪い」

「気を付けます」

優輝さんの言葉に俺と和哉は今までの行動を恥じる結果となってしまった。

「お疲れ、俺は深夜に欠員が出たから明日の早朝までになった」

優輝さんは俺と和哉に告げたが視線は俺に向けられていた。和哉は優輝さんの視線が気になったのか俺と優輝さんを交互に見ながら気のせいだと思うが俯き加減になっていた。

 

「それじゃ、俺はこっちだから」

俺が和哉に告げ和哉とは違う方向へ身体を向けると和哉は俺の腕を掴み真剣な眼差しで見詰めてきた。

「話しがあるんだけど」

「なんだよ、深刻な顔をして」

「店長と付き合っているんだろ?」

「あぁ…やっぱり、気付かれていたか…何でいきなり、そんな事を聞くんだよ?」

和哉は俺の言葉を聞くといきなり俺に抱き付き唇を重ねようとした。俺は唐突の出来事に和哉を力一杯、引き離した。和哉は勢いで尻もちをついたが直ぐに立ち上がって俺を再び真剣な眼差しで見詰め俺に告げた。

「聖、俺はお前の事をずっと好きだった。勿論、恋愛対象としてだ。お前をあの店でバイトをしてもらえるように頼んだのは俺だ。まさか…あんな事になるなんてな…お前は店長の事が好きなのか?」

俺は愚問愚答だと思ったが敢えて告げた。

「俺は優輝さんの事が好きだ」

「くっ…!そっ…俺との付き合いの方が長いのに何でだよ!」

「ごめん…」

「何で謝るんだよ…何に対して侘びてんだよ!余計、惨めじゃねぇかよ!」

和哉の言葉は正論だ。俺は何に侘びている…

「和哉、俺…帰るから…んっ!」

和哉は再び不意打ちで唇を重ねてきた。

「俺は店長に宣戦布告するからな!お前の事は絶対に諦めない!」

和哉は俺にそう告げると踵を返して去っていった。和哉の容姿はパーツが全体的に整っていて体型もバランスが良く所謂、世間で言うイケメンの部類だ。だが大人しく消極的な奴だったから女子ウケするビジュアルにも関わらず女子に声を掛けられたなど聞いた事は無かった。まぁ、あいつも俺達と同類みたいだから告白をされても拒否していたのかもしれない。

 

俺は帰宅すると直ぐにシャワーを浴びた。

そして、優輝さんにラインのメッセージを入れた。

「今日、和哉にコクられました。優輝さんに宣戦布告するとか言ってましたよ。でも、俺は優輝さんが好きだから心配しないで」

俺は優輝さんからのメッセージが届くまで落ち着かずしばしば、スマホの画面に視線を向けていた。

あれから2時間位、経過してからメッセージが届いた。

「宣戦布告か…俺は負けないがな。お前も俺の事が好きだと言ってくれてるしな」

優輝さんのメッセージに俺は羞恥で顔が火照ってきた。今の俺の顔はトマトのように真っ赤に染まっているに違いない。

「どうするんです?」

「勝手に悪足掻きさせておけばいい。10代の子供に出来る事などたかが知れてる」

「俺も10代なんですけど!」

「そうだったな(笑)」

「でも、和哉は頭が良いからあまり侮らない方がいいですよ」

「知ってる。足元を掬われないように注意する」

そう、和哉は進学校を主席で卒業した程、頭脳明晰だ。絶対に優輝さんの足元を掬う手段を考えているはずだ。

 

 

「おはよう」

俺は何食わぬ顔で和哉に声を掛けたら和哉も何も無かったかのように俺に挨拶をしてきた。だが瞳は欲情とも取れる程に熱く俺を見詰めている。俺が昨日の事もあり和哉と距離を取ってカウンターに立つと和哉は距離を詰めてきた。

「ひっ!止めろよ!」

「止めないよ」

和哉の事だからわざと優輝さんを逆上させトラブルを起こすように誘導している可能性がある。優輝さんの為に俺はなるべく平静を装う事にした。俺の声に優輝さんは気付いていなかったようで俺は安堵していると和哉は更に行動がエスカレートして手を前の方に移動させてきた。それでも耐えたが触れられると心とは裏腹で敏感な俺の物は膨れ上がってきた。

「硬くなってきてんじゃないか」

「もう、いい加減にしてくれよ」

「それじゃ、条件次第で止めてやるよ」

和哉はほくそ笑み欲情に濡れた瞳で俺に告げた。

「今日、俺の家に泊まりにこいよ」

「それは出来ない…」

「そうなんだ。だったらやめねぇよ。時間まで耐えられるか?」

和哉を突き飛ばしてやる事も出来るがここで問題を起こすと優輝さんに迷惑を掛ける。だから、俺はじっと耐えていた。

優輝さん…助けて…もう限界だ…

「おい、お前ら仕事をきちんとしろ。やるべき事は沢山あるはずだ」

そして、すれ違いざまに優輝さんは和哉に問う。

「斎藤、さっき葛西に何をした?」

やっぱり優輝さんは気付いて俺を助けにきてくれた。

「えっ?聖と逢瀬を交わしていただけですよ。彼、硬くなっていましたよ」

「今度やったらお前をくびにするからな」

「私情でくびに出来る法律ってありましたっけ?」

優輝さんは和哉の言葉に拳を握った手を震わせ逆上しそうな感情を必死で抑制していた。

「さっきのはセクハラとも取れるが」

優輝さんは平静を保ちながら和哉に反撃をした。

「どの口が言ってるんです?店長がアルバイトに手を出した。オーナーに直接、いいましょうか?」

和哉の言葉に俺の方が耐えきれなくなり怒声を放ってしまった。

「てっめぇ!いい加減にしろよ!話しがあるからちょっと表に出ろ!」

「聖、止めておけ。お前が損するだけだ」

「でも…」

夕方の店内は客がちらほらといてこちらの様子を見ながら耳をそばだてやり取りを聞いているようだった。

「あの、すみません。会計をしてもらいたいんだけど」

客の声掛けで万事休すといったところだったがやり取りの一部始終を見ていたらしく俺達を訝しげに見ていた。勤務中でしかも客を無視して喧嘩を始めようとしているのだから当然だ。

「これ以上、問題を起こすようだったら喧嘩の元凶になった斎藤には辞めてもらう」

「さっき、怒鳴ったのは聖の方じゃないですか。俺は何もしていませんよ」

「解った…これ以上、聖に妙な事をしたら斎藤には元いた店舗に戻ってもらう」

「そうなったら周囲に貴方がアルバイトに手を出した事を話しますよ。俺は貴方に宣戦布告します。大体、俺の方が関わってきた期間が長いんですよ」

「勝手にしろ。だが、聖の気持ちはどうなんだ。お前、解っているはずだろ」

「知ってますよ。どのような手段を使っても聖を手に入れますよ。でも、暴力は行使しません。たぶん、貴方には勝てませんから」

「聖の気持ちは無視か。無理やり手に入れても聖の気持ちがお前に向かなければどちらにせよお前の負けだ」

客が並んできて一旦、この場は収まった。


そうだ、俺は優輝さんが好きなんだ。和哉に俺を振り向かせるなど所詮、無理なんだ。俺は言いたかったが火に油を注ぐ結果になりかねないと思い黙って業務をこなしていた。流石、優輝さんはおとなだと感心をしていると事務所で優輝さんは和哉をねじ伏せるように俺に告げた。

「聖、帰りは飢えた野獣がいるから危険だ。俺が送っていくから待っていろ」

「はい、そうします」

「飢えた野獣?どっちが!」

和哉は捨て台詞のような言葉を残して事務所を後にした。

 

 

数日後、バイト先のコンビニへ行くとパートさん達が俺をさげすむような視線を向けていた。

「優輝さん、もしかしてあの出来事を皆知ってるんですか?」

「あぁ、パートさん達は近所の人達ばかりだし主婦の客は殆ど近所から来ている。店内でお前の奪い合いをしていたと噂を聞いたんだろ。だから、俺はたぶん移動になる。事が更に公になればお前と斎藤も辞めてもらうしかなくなる。聖、済まなかった…」

「そういう事だったら俺は辞めます。どちらにしても居心地が悪いし…」

「そうか…俺の脇が甘かったせいだ…本当に済まない…」

 

あれから3日後に和哉は突然、辞めた。皆が口々に俺のせいだと囁いている。

 

一週間後に俺も居心地の悪さに耐えかね辞める事を優輝さんに話した。

「斎藤も辞めた事だしお前も店舗を移動するっていうのはどうだ?」

「どうしよう…考えておきます…」

「どうしても嫌だったら二人で全く違う地域で一緒に暮らさないか…」

「優輝さんと一緒に暮らせるのは嬉しいけどそれってもっと不利になると思いますけど…」

「俺も此処を辞める」

「えっ…でも、優輝さんが辞めたらオーナーが困るんじゃない?」

「俺には兄弟がいるから心配ない。俺が辞めても兄弟が引き継げば済む事だ」

「それも考えておきます…」


いきなり辞めて他の地域で暮らすなどとててもない急展開に俺は戸惑った。男同士のシェアのようなものだからいちいち両親に話す必要は無いが…二人で暮らすのか…

 

あの日を境にバイトに向かう俺の足し取りは鉛のように重たかった。店に入ると和哉が辞めた原因は俺だとばかりに皆が冷ややかな眼差しで俺を見る。俺は悪くはないと言ったところで誰も聞く耳は持たないだろう。

「おはよう。聖、やっぱり元気が無さそうだな…」

「皆の視線が痛いです。やっぱり、考えたんだけど俺は優輝さんについていこうと思ってます」

「実は、俺達の事は両親の耳にも入ったらしい。俺が辞めると行ったら勝手にしろと言われた」

「そうですか…」

 

 

その後、俺達は以前の居住地から電車で一時間程の都内の下町で適当なアパートを探し暮らし始めた。互いに事実上、無職だったから住まいが決まれば次は就職活動をしなければならない。優輝さんは経済学部卒でマーケティングの資格を幾つか所有していた為か直ぐに就職先が決まった。俺はというと高校を中途退学しているから贅沢を言える立場ではない。

「俺、どうしようかなぁ」

「聖はバイトでも探せばいい。コンビニか飲食でいいんじゃないのか?」

「そうしてみる」

俺は内心、焦っていたが優輝さんに言われ取り敢えずそこそこ時給の良い飲食店を探してみた。

スマホで検索すると駅前にあるカフェレストランで募集をしているらしかった。俺は早速、お目当ての募集先に通話をしてみる。


数日後に面接の日取りが決まった。

面接に行くと経験者であった為かその場で採用が決まり二人共、難なくトントン拍子で就職先が決まった。

家事は出来る方がやるという暗黙のルールが成立していた。当然の事ながら物理的にアルバイトである俺の方が時間がある。炊事等の家事は一人暮らしの頃に経験していたから全く苦にはならない。一人が二人になっただけの事なのだ。

 


こうして1ヶ月が経過した頃、実家の母親から着信が入った。

「珍しいじゃないか。何かあったのか?」

「ちょっとね…」

母親は言い難い事なのか暫く口籠っていた。

「実はね…聖がアルバイトしていたコンビニに斎藤君ていたでしょ…?」

「和哉がどうしたんだよ?」

「亡くなったって連絡が入ったの…」

「えっ…原因はなに…?」

母親は再び言い難いのか暫く黙り込んでいた。

「とても言い難いんだけど…自殺だって…」

「えっ…自殺…分かった…母さん、連絡ありがとう…」

俺のせいか…ふとそう脳裏にコンビニでの出来事が過り心がざわつく…でも、俺が原因と決まった訳ではない。一応、優輝さんにも伝えなければならない。


 

翌日、通夜に俺達は個別に参列をした。俺達が原因で自殺をした可能性がある事を考えたら二人揃って参列するのは不味いと感じたからだ。

僧侶の読経が終わり各々、お清めに行く途中で和哉の母親らしき人に声を掛けられた。

「もしかして、葛西聖くん?」

「はい、そうですが…何故分かったんですか?」

「和哉のスマートフォンに貴方と写っている写真があったの。それと、これを見てもらえる?」

和哉の母親は俺に一冊のノートを俺に差し出してきた。ページをめくると俺とのバイトでの出来事や俺への想いが明確に綴られていた。

そして、最後のページに…

「店長と末永く仲良くしてくれ。俺は先立つ」

と記されていた…やっぱり…俺達が原因だったのか…

「貴方のせいで和哉はっ!どうしてくれるのっ?!」

和哉の母親は今にも俺に掴み掛かりそうな勢いだった。周囲にいる人々が一斉に俺に注目をする。

「あの人が原因だったの?」

等の冷ややかな囁きが耳に入る。

「お母さん、止めてっ」

和哉の姉らしき20代前半位の女性が母親を静止させる為に俺達の間に入った。

「ごめんなさいね。貴方のせいでは無いわ。あの子の一人相撲だったのだから…あの子が勝手に他に好きな人がいる貴方を好きになって苦しんだだけなのだから…」

ごめんなさいと頭を下げるのもおかしな話しでだからといって何か他の事を口にすれば火に油を注いでしまう結果になる。俺は何も返す言葉が見つからずひたすら佇んでいる事しか出来なかった。その時、スマートフォンの振動を感じた。手に取ると優輝さんからのラインのメッセージだった。

「済まないが先に帰る。お前も頃合いを見計らって直ぐに去った方がいい」

俺もその選択は正しいと思った。下手に言葉を口に出来ない。俺が言葉を発すれば和哉の母親は逆上して大乱闘になりかねない。

俺は静かに頭を下げてこの場を去った。

 

 

あれから数週間が経過したが未だに俺達は同棲を続けている。

和哉に対する罪滅ぼしで俺達は一生、仲睦まじくひっそりと暮らしていくしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨脚の向こう側 崎田恭子 @ks05031123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る