第35話 成功と失敗
テレビ局の壁面を沿うように真上へ飛ぶ。
メガネが気づけばはずれていた。
今、ふと気づいたのだ。
どうりで視界が良好だったわけだ。
そのおかげで一瞬早く気づけたのだ。
「……きたっ!」
――実姫が放った大量の矢が、結花千めがけて降ってくる。
極小の隙間を縫って上を目指すが、五本が精々だった。
やがて矢が服を掠める。
熱っ、と腕に感覚が走った。
矢が肌を斬っているのだ。
そして悟ってしまう。
数あるの中の一本が、確実に自分を射抜くと。
予感だ。
世界がゆっくりに見えている。
恐れずに踏み出す人間ではあるが、途中で恐れたら普通に逃げ出すのが結花千である。
なので咄嗟に局内へと逃げ込んだ。
大きく、ぱりんっ、とガラスの破砕音を響かせる。
当然、局内には人がいて働いている。
突然現れた結花千に注目が集まった。
変装をしてはいても槍がよく目立っているため、連想して結花千であると分かってしまうだろう。
だが、ともかく、
「おはようございます、お邪魔しますっ!」
そう挨拶だけをした。
詮索される前に局内から屋上へ向かう。
唖然としていたが、挨拶をしてくれる人が多くちょっと嬉しかった。
ここはたくさんの机が並ぶオフィス。
幸い、階段がどこなのかは矢印で案内されているので迷う事もない。
だが、結花千の二歩先の天井が膨張し破裂する。
紫の矢が貫通し、地面を開けていく。
天井の穴を覗けば青空が見えた。
いとも簡単に建物を貫く矢だ。
それは一本だけではない。
そこら中の天井が膨張しては破裂し、地面を貫いていく。
矢の犠牲になっている人は、少なくなかった。
遠くの方からも多くの悲鳴があがっている。
「実姫……、もしかして局内に人がいる事を知らないとか!?」
マスコミの存在を実姫は知っている。
だから勘違いするはずはないが……、神の審判関係なく、結花千を仕留めるために巻き込んでしまった者は仕方ないと考えているのか。
だとすると、結花千がこの場にいるだけで多くの者を巻き込んでしまう。
早く出なければと思ったが、結花千の足が急ブレーキをかけて止まる。
……この攻撃は誘き出すための餌である。
脅しでいい、だから攻撃する振りでいいのだが、実際に被害が出てしまっている。
実姫のこのやり方は、許してはならないものだった。
「…………ふんっ」
――突き出した槍の先端が天井に触れ、屋上まで貫通した。
降ってきている矢を巻き込み、衝撃波で横へ逸らす。
生まれた隙を突き、一気に飛ぶ。
屋上に出た結花千が青空の下、実姫を見下ろした。
彼女はまだ矢を構えていない。
「実姫……ッ、こんなやり方は……ッ!」
弓に手を添えただけで、矢が指に挟まれる。
実姫の隙を作るのは一筋縄ではいかない。
「先輩は、ずるいですよ。自分だけが悲劇の中心にいると思っていませんか?」
ニャオが人質に取られて、世界を救うか、ニャオを救うかの二択を選ばされ、
結花千はニャオを救う事を選び、こうしてかつて仲間だった神々と対立している。
ニャオを攫った男が結花千を名指ししているからそう思ってしまうが、結花千だけがこの一連の暴動の中心人物ではないのだ。
神々全員が、様々な苦難を乗り越えてきた。
それは結花千も分かっている。
だから今の実姫の言い分には否定をする。
「思ってなんかない! みんな辛くてみんな苦しくて、ここまで頑張ってきたじゃん!」
「だったら先輩も! ……世界のために、ニャオを犠牲にするくらい、してよ……っ」
彩乃は違うかもしれないが、それぞれ自分で生み出した者たちを、裁いてきた。
結花千と比べ、信仰者であるか、無神論者であるかの違いはあれど、実姫も和歌も、世界を救うために大勢の知り合いを始末した。
もっと長く話し合えば和解できていたかもしれない。
いや、時間をかければ絶対に和解させてみせると彼女たちは言うだろうし、実行していた。
だが、そんな時間がなかったからこそ、始末せざるを得なかった。
自分たちが生み出した子供とも思える者たちを、この手で。
世界のために。
――では、結花千は?
世界を救うのが神の役目であれば、結花千はニャオを犠牲にするべきなのだ。
実姫は言いたかった。
一人だけ辛い部分から逃げてるんじゃない、と。
だから心の底から出た言葉だったのだ。
……ずるい、って。
実姫だって、殺したくなんてなかったし、もっとたくさんお喋りをしたかった。
これから先も世界は続く。
回り続ける世界の中で、ずっと一緒に、思い出を共有したかったのに……、実姫の子供たちはもうこの世界には存在しない。
また作ればいい、なんて、結花千だってもう言えない。
ニャオを作り直したとして、それをニャオだとはとても思えないのだから。
「……そこまで分かってるなら、あたしの気持ちだって分かるんじゃない?」
実姫も気づいている。
ニャオをどうしても救いたい、結花千の気持ちが。
結花千の立場になれば実姫も同じように……、とは強く言えないが、思ってはいた。
結局は妬みであり、羨ましいだけだ。
自分にはできない事を、結花千は今しようとしている。
彼女ならばきっとやり遂げてしまうと、実姫は確信を持っていた。
実姫が手に入れられなかったものを手に入れようとしている結花千が、許せなかった。
それ以上に。
やっぱり思ってしまったのだ。
「……わたしよりも、ニャオなんですか……ッ」
実姫はわたし『たち』と言おうとしていた。
和歌も彩乃も含めて、敵対したのだから。
しかしいざ言ってみれば、個人的な嫉妬だった。
作り物の世界の中の、作り物の人間に、本物の人間が負けている。
屈辱、と思うほどのプライドがあるわけではなかったが、先輩の中ではその程度なのだと、悲しみがまずあった。
怒りは意外と二の次だったのだ。
迷惑だったはずなのに、いつの間にか結花千の存在は最も大きくなっていた。
「実姫……」
「あの日、勝手について来て、家に上がって、心に棲みついて……、あれから先輩の顔が何度も浮かぶんです。気づけば先輩の事を気にかけているんですっ。こんなわたしにした癖に、どうして裏切るんですかッ、わたしが一番じゃなくちゃ、嫌ですよッ!」
心情が爆発する。
すると彼女が引っ張っていた弦が支えを失って撃ち出され、地面に入った亀裂により、足場が崩壊する。
実姫の体がふわりと宙に浮いた。
あっ、と遅れて気付いた実姫が手を伸ばす。
そこにはなにもなかったが、しかし伸ばされたその手がなければ、結花千の手は届かなかった。
槍に跨ったまま、ぎりぎり体を乗り出して掴み取れた。
振り子のように左右に体が揺れている後輩に向けて、
「……実姫は」
――結花千は、告げなければならなかった。
彼女の想いを聞いたのだから、きちんと答えるのが礼儀だ。
答えは、考えるまでもなかった。
「一番じゃ、ないよ。……ごめん。でも――」
「一番じゃないと、嫌です」
でも……、と結花千は言葉に詰まる。
こんなに好意を向けられた事はなかった。
自分が一番じゃないと嫌だ、なんて我儘を言われた事もない。
だから対処法が分からなかった。
どう答えれば、実姫は納得してくれるのだろう?
「ニャオよりも、わたしを見てください――。先輩が、見てくれないのなら」
実姫が結花千の手を振り払い、屋上に足をつける。
そして弓と矢を再び構えた。
結花千がびくっと反応したが、この近距離ではもう逃げられないだろう。
結花千が、状況を理解して、ゆっくりと告げられた言葉を繰り返した。
「……見て、くれないのなら……?」
「撃ちます。この距離なら、はずしようもありませんし、逃げられませんよね?」
汗が滴り落ちる。
結花千の顔の輪郭を伝って落ちたものだった。
実姫の言う通りだ。
この状況じゃあ、絶対に逃げられない。
嘘でも一番だと答える?
しかし嘘に一番納得がいかないのは実姫だろう。
嘘でもいいから一番だと言ってほしい?
実姫の心が分からない。
考えている間にも、実姫が急かしてくる。
「わたしの事を、見てくれますか?」
この場でやられるわけにはいかない。
嘘を吐く事も、必要なのかもしれなかった。
だから、今だけは――。
「せ・ん・ぱ・い」
黒で塗り潰されたような瞳が、結花千をじっと見つめていた。
表情と心情が合致していない違和感が、結花千の中に恐怖を生む。
志乃咲実姫。
彼女の開けてはならないパンドラの箱を、開けてしまったのかもしれなかった。
結花千が口を開きかけた時――、どんっ、と実姫が後ろから、足蹴にされた。
「え……――」
「その執着心は気持ち悪いって分からないの?」
「ま、松本……ッ」
「気が変わった。わたしは、こっちを選ぶから」
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