四章 ただ一人を救うために
第34話 立ちはだかる一人目
「やばっ、ばれた」
――ばっちり相手と目が合った。
顔がばれている結花千が都市を歩いていれば、当然狙われる。
実姫が裁いたとは言え、無神論者は全滅したわけではないのだ。
彼らは環境によって新たに生まれ、別の大陸からもやってくる。
表に出ずに潜んでいる者だって少なくはない。
全力ダッシュで狭い路地へ。
知らない街並みだが、元の世界と道の入り組み方は大差ないため、ある程度の予想ができる。
なんとか撒けたようだが、別の集団と会う事もある。
結花千を追いかける無神論者は未だに健在なのだ。
やはり槍で飛行か……、いや、神の三人に見つかる可能性が高くなる。
敵に回す覚悟はできているが、できれば避けたい。
「……それに、たとえ無神論者でも攻撃したらまずいしね……」
仲間を裏切り、世界を敵に回して……そうは言ってもニャオを救った後も世界は続く。
自分の大陸であれば言いようもあるが、ここは実姫の大陸である。
結花千が勝手に裁くわけにもいかない。
すれば実姫がすぐに出てくるだろうし、対立した関係で尚、結花千が無関係な人々に手を出せば、神としてニャオを救った後の態勢に関わる。
反逆を起こした神を信仰してくれる者などいないだろう。
「……ふふっ」
――普通なら。
けれどもさっき、彼は結花千の味方であると、言ってくれた。
あの時を思い出して、思わず笑みがこぼれた。
だからニャオもきっと……。
それだけが、心の拠り所である。
救った後の事も考えるが、最低限、ニャオを救えた事が前提になる。
最悪、普通に手を出すが、それによって狂った事は、後々に考えればいい。
「まずは、どうしよう……虱潰しに探すわけにもいかないし……」
相手の指示を待つ……。
三人の妨害が入るだろうが、それをいかに乗り越えるか、だ。
「……モニターがある場所に張ってるしかないかな……」
三人の目が届く範囲は避けたい。
となると、ここから遠い場所が望ましい。
「あっ、テレビ局なら……!」
マスコミは信仰者でも無神論者でもないように思える。
彼らは撮影をしても攻撃してくる様子はなかった。
神への嫌悪よりも、仕事にかける熱量の方が多いのだろう。
結花千がテレビ局にいても安全そうだ。
ただ、嫌というほど取材はされそうだが。
少々迷ったが、道中の地図を確認しながらテレビ局に辿り着いた。
それまで誰とも接触しなかった。
ここまで問題なく進んでいるが、それが逆に問題が起こる前触れなのだとは、能天気な結花千は考えもしない。
「良かった……中に入る必要はないみたい」
テレビ局にも巨大モニターが設置されており、外からでも見る事ができる。
結花千は向かいのカフェに入る。
格好も海賊服から私服に似たラフな格好に着替え、メガネをかけて変装をする。
一杯のコーヒーを頼んで窓側のカウンター席へ座った。
大胆だが、意外と気づかれないものだ。
すぐ近くにまさか神がいるとは思わない。
普通にカフェが開いているのも意外に思うかもしれないが、無神論者の全てが血眼になって神を探しているわけではない。
生活を維持する事を優先して動くため、カフェは開いているし、仕事の合い間に利用する者だっている。
無神論者であっても事態をなんとも思っていない層も確実に存在する。
暴動に混じってはいても、そこまで熱心ではない者たちがいるから、世界は今も回り続けている。
髪型もポニーテールにし、見た目では結花千だとは分からないだろう。
正体がばれる可能性は、これでぐっと下がった。
「ふふん、メガネをかけてるからインテリに見えるかも」
くいっ、と指でメガネを上げる。
メガネをかけているからインテリに見えるという発想が既にアホが考えそうな事だが、指摘できる者がこの場にはいなかった。
新たな映像がないまま、時間が経過する。
間食を続けながら待っていると、向かいのモニターが海を映した。
気を抜いていた結花千が意識を切り替える。
会計を先に済ませているので、食器を置いて外へ出る。
モニターを見上げた。
海。
いや、これだけではさすがに……、思ったが、映像がぐるんと方向転換する。
見慣れた港町だ。
……結花千の世界で最も発展してると言える、さんの島である。
『――神々に告ぐ。人質の引き渡し場所が決まった。これを見て、場所が分からない、わけはないよねえ……?』
嫌悪感を抱かせる男の声。
すると、映像がズームし、ニャオを映し出した。
『お嬢ちゃんは町の高台の塔に吊るしてある。いつまで経っても来なければ、どうしようか……落下、集団リンチ、縛ったまま海へ投げ捨てる……海の生物の餌でもいいか。私が直々に剥いてしまってもいいんだがね』
男の手元でナイフがくるくると回される。
『余計な事はするな、もう一度言うが、ゆかち、お前が一人で来い。もしもこちらの条件を無視した場合はその時点であの嬢ちゃんは、死ぬ。よく覚えておけ。……以上だ。最後に一つ言っておくが、私の気は、そう長くはない』
ブツッ、と放送が切られた。
結花千が拳を握りしめ……、――場所は、さんの島だ。
今から槍に乗って飛ばせば長くはかからない。
一分、一秒が今は惜しい。
結花千が走りながら槍に飛び乗る。
最高速到達まで一秒もかからない、はずだった。
急ブレーキをかけざるを得なかった。
……目の前の道が紫の矢で埋め尽くされている。
「これ……っ」
上を見れば追加の矢だ。
雨ではない、もはや量があり過ぎて滝である。
多過ぎるが、結花千は全てを避けている。
ただし後退、という選択をして、だ。
目的地へ向かえない。
結花千にとっては最も痛い妨害だ。
そして目の前には、
「実姫……」
――テレビ局の上……、日の光が彼女のメガネに一瞬、反射する。
逆光にもなっているので、後輩の表情がよく見えない。
表情によっては話し合いで通してくれるかどうか、感じ取る事もできたのだが。
しかし、不意打ちで滝のような矢が降ってきている。
話し合いの余地は、ほぼないと見ていいだろう。
結花千は地に足をつけ、乗っていた槍を両手で構える。
戦闘態勢だ。
実姫の弓に、扇形に矢が構えられる。
再び、滝のような数の矢が降ってくるだろう。
「先輩、ここを通すわけにはいかないです」
「じゃあ無理やり通るからいいよ」
実姫たちが結花千を止める理由を、分からない結花千ではない。
今を逃せば、止められたはずの暴動を止められず、解決が長引いてしまう。
神としては一刻も早く止めたいのが本音だ。
たとえ少数の犠牲者が出ようとも、だ。
彼女たちが仕方ないかと切り捨てたニャオを、結花千は切り捨てられなかった。
これは、ただそれだけの対立なのだ。
「――結局……」
と、実姫の口調が変わった。
結花千が感じ取ったのは怒り、そして悲しみだった。
敵意は結花千に向いている。
しかし、それはぐちゃぐちゃの胸中をどう処理していいか分からず、吐き出そうとしているようにも見える。
可愛く言えば、駄々をこねているようだった。
「先輩も、わたしを裏切るんですね……っ」
――違う、とも言い切れなかった。
無神論者側に立ったわけではないが、ニャオを選んだのははっきりしている。
これが嫉妬ならば、結花千は嬉しい。
好意を向けられているのだから。
だがそれを踏まえても、やはりニャオは見捨てられなかった。
だから実姫の怒りは甘んじて受けるべきだ。
後で説明し、誠意を込めて謝る。
だが一刻を争う今この場だけは、その敵意を全て受け取り、前へ進むしかない。
「実姫……ごめんね」
「謝る、くらいなら……ッ、こっちに戻ってきてくれればいいのにッ!」
雲が太陽を覆い逆光が消えた。
テレビ局の上に立つ実姫の姿がよく見えるようになる。
表情まで鮮明にだ。
彼女はキッ、と結花千を睨み付け、
同時、扇形に構えられた矢が一斉に放たれた。
空中で鼠算式に増えていく矢が結花千を狙うが、跨いだ槍の機動力が矢を躱してくれる。
ただ……、
「どんどん後退させられていってる……、これじゃあニャオの所へ向かえない……っ!」
実姫はそういう作戦で矢を放っている。
結花千はまんまと相手の手の平の上なのだ。
たとえ迂回しても実姫は追ってくるだろう。
だから直線しか、進む道はなかった。
降ってくる矢を躱しながら、場を突っ切る。
しかし矢の隙間はないに等しい。
注意を向けていても数十の矢は体に刺さるだろう。
覚悟を決めて痛みを我慢するにしても、背中に矢が刺さり、ヤマアラシのようになってしまえば、たとえ神でも命が危ない。
ならば――源泉を絶つしかない。
「……実姫を、止める」
そして、それは好都合でもある。
遠い距離が勘違いや思い込みを作ってしまう。
近くで表情を見て、言葉を交わせば、解決する事もあるだろう。
恐らく、実姫の矢に限界はない。
普通の矢ではないのだ、サイリウム棒を激しく振って残った光が弓と矢の形をしているような……、なので物体の制限がない。
力の源も今はまだ分からない。
「……ううん、そうじゃないよ、あたし――」
細かい事を考えるのは結花千らしくない。
彼女は恐れずになんにでも挑戦したはずだ。
失敗は成功の糧となると信じて。
だから考えるよりも、まずは動き出すべきだ。
テレビ局を見上げる。
……大丈夫、行けるはず。
結花千の顔に微量の汗が流れていた。
槍を上方向へ向ける。
実姫が結花千の意図に気づいた。
こちらを疑うような表情だ。
無謀だと思うだろうか、馬鹿なのかと罵るだろうか。
しかし相手の想像外へ出た行動は積み重なれば大きな打撃となる、と結花千は信じているが、確証はない。
それでも進むのが結花千である。
ニャオを救い出そうとすれば、全世界を敵に回すだろうと分かっていながらも、それでも前へ進んだ。
どれだけ想っていても足はそう上がらない、それが普通だ。
けれど結花千は悠々と足を上げて二歩も三歩も進んで行く。
周りに流されずに己を貫く結花千は、ある点から見れば馬鹿な行動であるが、人によっては憧れを抱く。
たとえば、実姫のように。
だけど彼女にだって、引けない理由がある。
背負っている、想いがあった。
彼女の都合を、結花千は分かっていない。
あの時、傍にいたはずなのに、彼女は思い当たらない。
それにも、実姫は腹が立っている。
だから実姫は、本気だった。
「一旦死ねば、その馬鹿も治るの?」
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