第33話 結花千、出立
「あ、久しぶり。と言っても数時間ぶりくらいだもんね」
案内された貸しビルの大部屋には、ぎゅうぎゅうに男たちが詰め込まれていた。
ガタイの良い男が多いのが仇になった。
しかし、彩乃がいる場所を見ると、周囲には多少の余裕がある。
そこを利用すれば、男たちももう少し楽にできるのではないかと思うが……。
「いやだよ、わたしまで窮屈になるじゃん」
「まあ、お前はそう言うよな」
彩乃の返しに和歌が納得する。
言いながら、しれっと彩乃がいる広い空間へ向かう。
実姫は入りづらいのか、外で躊躇っていた。
意外と部屋の外から覗くと、もう入れない印象を抱くのだ。
すると、実姫の後ろにいた結花千が一声かける。
「みんなごめん、ちょっと外に出てて。これは、あたしたち、神の問題だから」
「でもよ船長。あいつが許せねえんだ。ニャオ様を、あんな目に遭わせやがって……ッ」
そんな事は結花千も同感だ。
気持ちは痛いほどに分かる。
その上で彼女は繰り返した。
「船に、戻ってて。お願い……っ」
「――お前ら、船長命令だ。いいから言う事を聞け」
若い男が言う。
彼がリーダーのようなものなのだろう、渋々だが、男たちは従った。
「腸が煮えくり返っているのがお前らだけだと思うなよ。船長も、この場にいる三人の神様も気持ちは同じだ。……力も権力もねえ俺たちが、ニャオ様を救えるわけがねえんだ、気づけよ馬鹿共。ここは俺たちの出番じゃねえ。俺たちは、船長の道具だ。それでいいじゃねえか。船長が求めれば動き、手を貸す。お前らは、それが不満だっつうのか?」
その言葉が最後の決断に効いたのだ。
そして全員が部屋を出る。
結花千の道具でありたい、と誰もが望んだからだ。
「じゃあ船長、俺たちは船にいます。いつでも、戻ってきてください」
「…………ありがと」
「後で露出多めの衣装でも着て、一緒に飲んでくれりゃあいいですから」
さらっと見返りを求めてきた。
ガッカリもしたが、それくらい別にいいかと思った。
それで喜んでくれるのならば、安いものである。
改めて、人口密度が減り、広くなった大部屋へ。
彩乃が玩具を失い不満そうだったが、元は結花千の部下である。
勝手に使うな、と文句を言いたいが、今は引っ込める。
結花千たちを呼んだのは彩乃だ。
では、用件は?
「さっきの映像なんだけど、録画しておいたから」
備え付けのハードディスクの中に映像がある。
彩乃が再生させた。
ニャオが痛めつけられるシーンを再び目にして、結花千の落ち着いた感情が爆発しそうになる。
「……ゆかちー、わたしがただこれを見せるためだけに呼んだと思う?」
なくはないが、今はないだろう。
彩乃もさすがに線引きはできる。
するべきではない事のタイミングも理解している。
でなければ輪の中心で仕切る事はできない。
この会合には、だから意味がある。
「映像を見て、なにか分かる事とかある?」
全員への質問。
薄暗い部屋は狭いだろう、壁にはなにもなく、白い無地の壁紙。
床はグレーの石畳、か……? しかし分かったからと言って、なにがどうなるのか。
「この部屋の居場所が分かれば理想だけどね」
「いや、これだけじゃさすがに難しいだろ……」
そう和歌が冷静に指摘する。
その通りっ、と彩乃がびしっと指差した。
人を指差すな、と和歌が叱る。
「まあ、今はこれだけしか映像がないけど、もしも他にも映像があれば?」
「……どういう事?」
――つまり、情報が不足している。
「敵の思い通りに、指定された場所に行って罠にはまるのも面白くないし。今すぐにこっちがコンタクトを取ろうとすれば、また映像を放送してくれるかもしれない。もしくは、指定された場所へ行かない、とかね」
「でも、それだとニャオが……っ!」
「向こうにとって大事な人質を、そう簡単に渡してくれると思う? わたしたちを誘き寄せるための餌だけど、身を守る盾でもあるわけだしね。指示があっても、こっちがなにもしなければ、相手は痺れを切らして、またニャオを痛めつけてこっちを威嚇してくるかもしれない。それとも、勢い余って殺しちゃうかもしれないね」
それならそれでいいけど、と彩乃は人質の命など軽く考えている。
ニャオがいなくなれば今よりも状況は好転するだろう……それは分かるが。
切り捨てられないから、こうして悩んでいるのだ。
「あたしたちへの怒りが、全部ニャオにぶつけられてるはず……ッ、あの子は苦しんでるの! 一刻も早く助けてあげたいのに、動かないなんてできるわけがないッ!」
指示からはずれた動きは、なにをするにも相手を刺激してしまう。
そのしわ寄せは全てニャオが受けるのだ。
これ以上、彼女を苦しませたくない。
「でもさ、ゆかちー」
彩乃は言いにくい事もずばっと言う。
彼女自身は、きっとなんとも思っていない。
「もうゆかちーとニャオの問題じゃないんだよね。だって世界を巻き込んでる。あの男がきっと先導者なんだよ。あいつを止めれば、世界で起こっている暴動を止められる。少なくとも、これ以上無神論者が増える事はないと思うよ」
先導者が、人々の神への敵意を操作している。
とすれば、先導者を捕まえれば、後は時間と共に暴動は沈静する。
結花千たちが誠意を見せれば、信仰者も戻ってくるはずだ。
つまり、今この瞬間が、敵の大元を特定するチャンスなのだ。
たった一人の少女の痛みがどうだとか、議論している余地はない。
「なにを、言っているの……?」
「もうさ、簡単に言うけど――」
結花千は耳を塞ぎたかった。
彩乃の意見が、大分前から分かっていたのだから。
全員が理解していた。
そうした方が、世界をすぐに救える、と。
「――ニャオを、切り捨てよう」
そして……、貸しビルが崩落したのを、若い男が船から確認した。
あそこには神々がいたはずだ。
あれで死ぬとは思えないが、心配はする。
「なんで、頼らねえかねえ……」
ここからではよく見えない。
小さな粒が動いているようにしか見えないが……。
しかし戦況は分かった。
一つの粒が、他の三つの粒に、押さえつけられている。
指定されるだろう場所には行かず、相手の反応を待つ。
向こうが出した情報から、居場所を割り出す。
そのために人手不足だったので、海賊たちに雑用を任せた。
別のビルに移動した三人が気がかりなのは、地下に監禁した結花千の行動である。
動けないように拘束したつもりだが、なにかの間違いで縄が解かれたら……。
「たとえ結花千でも、世界を救うためなら容赦はしない。実姫も彩乃も、いいな?」
「はい」
「はーい」
どっちの返事が実姫か彩乃かなど、わざわざ言う必要もない。
彼女たちは覚悟を決めたのだ。
結花千を敵に回す覚悟もそうだが、もっと重要な事だ。
……最悪、ニャオを見殺しにする、覚悟だ。
暗闇の中、やがて目が慣れ、周囲が見えるようになる。
機材や工具が雑に放ってある。
そんな中、結花千は両手を柱に縛られ、身動きが取れずにいた。
近くの工具を足で引き寄せようとするが、届かなかった。
和歌が計算してこの場に縛った、のはあり得る。
脱出しようともがき、体力を消耗させる、とか。
策にはまりたくもないが、じっと黙っていられる性分でもない。
強く柱を引っ張るが、縄はまったくはずれなかった。
力んだままでは呼吸が保てず、しばらくして力が抜ける。
はぁ、はぁ、と息が乱れる。
「早く、行かなきゃ……ッ」
ニャオが今も苦しんでいる。
ここで足踏みをしている場合じゃない。
「嫌、だよぉ……。ニャオ、だけは――」
ニャオだけは、失いたくなかった。
結花千は失敗を恐れない。
なぜなら、たった一人だけは味方でいてくれる存在がいたから、無鉄砲でもなんにでも挑戦できた。
それは……結花千の母親である。
『自分を知ってもらえれば、好きになってくれる人は自然とついてくる。だから諦めずに話しかけてごらん? 失敗して嫌われても大丈夫。ママはゆかちの味方なんだからね』
結花千の今の原動力は、その言葉だった。
友達がいなくて、誰からもなんとなく嫌われてて、自覚してもなお知らない振りをして近づいて。
誰かに見てほしかった、認めてほしかった。
たとえうざくて鬱陶しい奴だと思われていたとしても、誰にも見られていないよりはマシだと思ったからだ。
だけど結花千は冷たい人間ではない。
彼女だって、自分を大好きでいてくれる友達が欲しいに決まっていた。
まあ、いないだろうけど。
どうせ嫌われる、そう思いながらもその場が明るく楽しければいいと思っていた。
空気を読まない馬鹿な奴が、クラスには絶対に一人はいた方がいいからだ。
半ば諦めかけていた、と心の底に問えば、そうだよと返事があっただろう。
そんな時に、この世界でニャオと出会ったのだ。
『神様っ』
――無邪気に声をかけてくれる、ニャオの笑った顔を思い出す。
『神様ー』
――むすっとご機嫌斜めな、唇を尖らせ、いじけたニャオの顔を思い出す。
『神様ッ』
――腰に手を当て、仁王立ちで強く叱ってくれるニャオを思い出す。
『神様っ、大好きですっ』
――ニャオに、ぎゅっと抱きしめられた時の感覚を思い出す。
……認めてくれて、必要としてくれるニャオがいる。
結花千の中で、ニャオの存在は段々と大きくなっていった。
世界とニャオを天秤にかけて、ニャオを選ぶくらいには。
「お、泣いてるかと思ったが、腹をくくったのか?」
いや、結花千は泣いていた。
ついさっきまでの話だったが。
「……なによ」
「膝で目元を擦ったのか? 赤くなってるじゃねえか、船長」
倉庫の重い扉を開けて入って来たのは、若い男だった。
彼は手にナイフを持っていた。
「……あたしを始末しに来たの?」
「あんた馬鹿だろ、これでも俺はあんたの仲間なんだがな……。信用しろよ」
ニャオ様ほどとは言わねえがな、と男が苦笑いをした。
「じゃあ、なんで……?」
「あー、と、あれだ。ニャオ様、見殺しにされちまうかもしれないんだろ? と、俺は推測したが、合ってるか?」
結花千は頷く。
男は、やっぱりな、と答え合わせができてスッキリした様子だった。
「あいつらは多分知らねえ。知らないまま協力してる。まあ、借りを返すために働かされてるって感じだが、あいつらは今もニャオ様を助けようと必死だよ」
「……そう、なんだ。じゃあ、あなたは、どうしてここへ?」
「見殺しにされそうって聞いて、あいつらと一緒に他の神様につくと思うのかよ」
それは、その言葉は。
……今の結花千には、とても良く効く言葉だった。
「俺はあんたの味方をする。神同士の戦いでは役に立たねえかもしれねえがな、今のあんたをここから外に出すくらいは、難しくねえって事なんだよ」
そして男がナイフを使い、結花千の縄を切った。
縄の拘束が解け、両手が自由になる。
味方なんて、もう誰もいないと思っていたのに。
一人で助け出すしかないと、諦めていたのに。
両手の平を見て、目の前の男を見た。
彼は結花千の眼差しに戸惑っている様子だった。
「なんだよ……、ぼうっとして――」
「ありがと。口調は乱暴だけど、そういうところは大好きだよ」
結花千が若い男を抱きしめた。
そして耳元でそう囁いたのだ。
そして、ほんの数秒後……、結花千は立ち上がり、倉庫の扉へ向かう。
「これじゃあ足りないよね。後でちゃんとご褒美あげるからっ」
正直、抱きしめられただけで満足であったが、男はかろうじて出せる声で、
「……ああ、楽しみにしてる」
年上の余裕を見せたかったが、しかし結花千には通じなかったようだ。
倉庫から去る前に、彼女はこんな事を言い残す。
「ぷぷっ、かお真ーっ赤!」
「うるせぇ! 早くニャオ様を助けに行きやがれッ!」
そんな怒声を背にして、結花千は地下通路を走り出す。
「うん……っ。絶対に、助け出すから」
声に出して誓う。
かつて仲間だったみんなを敵に回してでも。
たった一人の、大切な女の子のために、結花千は戦う。
……この世界が、敵だ。
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