第31話 唯一の情報

「神様って、どの神様の事なのか言ってくれないと分からないって」


 言いながら、みんな同じ方向へ向かったと気づいた。

 それに彼女が神様、と呼ぶのは、そう言えば結花千だけだった気がする。

 今だって彩乃の事は、彩乃様と呼んでいるのだ。


 他の二人も、同じように和歌様……と。

 実姫は様をつけていなかったと記憶している。

 ニャオがなぜか恥ずかしがって、中々口にしなかったが、次には意を決して言った。


「ゆか、様……です」

「もしかして、ゆかちーの事は名前で呼んだ事がないとか?」


 ニャオが控えめに頷く。

 親しいからこそ、今更呼び名を変えるのは恥ずかしいのか。


 彩乃は口元を歪め、ちょっと面白いな、と。

 なので提案する。

 交換条件とも言うが。


「じゃあ、ニャオはゆかちーの事をゆかちゃんと呼ぶ事。そしたら教えてあげるよ」

「えっ、でも、そんな私なんかが神様に失礼で……ッ」

「んー?」


 彩乃は思い至る。

 結花千とニャオには根本的な部分で勘違いがある。


 神と信仰者には上下関係があるが、普通は、の話だ。

 結花千はニャオの事を、対等に見ている。


 ニャオと仲良くする者全てに、嫉妬するほどにだ。


「私なんかが、って言うけど、結花千が信頼してるのはニャオだけだと思うよ」


 慰めではないし、推測でもない。

 これは彩乃が確実にそうだと思った、事実である。


 結花千は極限まで追い詰められれば、きっとニャオを選ぶ。


 考えれば分かるが、積み重ねた年月が違う。

 二人は昔から……、現実世界で三か月、こっちでは六年近く……、それくらいの年月を共にしている。


 比べて和歌、彩乃、実姫と出会ったのは数日前の事だ。

 信頼の差ははっきりしている。


 それでもニャオは、私なんかが……、と遠慮する。

 意味が分からない。


「いいから、ゆかちゃんと呼びなさいって。というか呼べ。呼ばなきゃ教えない」

「え、う、うぅ……! わ、分かりました。心の準備がありますけど、呼び、ます……」

「えー、心の準備とかいらないのにー」


 いじめっ子魂に火が点き、ついついきつめに言ってしまう。

 悪い癖だ。


 自制しようとしたが、ニャオの泣きそうな顔を見てぞくぞくした。

 気づけば鳥肌が立っている。


 無理やり言う事を聞かせてみたいなー、と唾をごくりと飲み込んだら、いつの間にか屈強な男たちに取り囲まれていた。


 ……危なかった。


 もしも手を出していればこっちが痛い目を見るところだった。

 神よりも信仰を集めているこの子はやはり、只者ではない。


「本能的なもんだよ。あんたの事は、信仰したくねえなあ……」


 と、一人の若い船員。


 だが、彩乃よりは年上だ。

 彼に敵意はない。

 が、忠誠心もないだろう。


 けれども彩乃は怒ったりしない。

 彼の失礼な言葉に怒ったのは、ニャオの方だ。


「こ、こらっ。神様にそんな事を言ったらダメだよ! 謝って!」

「すいませんっした」


 潔く頭を下げた。

 言われたから下げた感じだ。

 別にいいけど、と彩乃は気にしない。


「ゆかちーの世界の住民、って、気はするけどね」


 本能に忠実で、憎めない相手だ。


「ま、約束してくれるなら教える。ゆかちーは、楽園……和歌先輩の大陸に行ったよ」

「あ、じゃあ、入れ違いになっちゃったのかな……うん、じゃあみんな、行こっか!」


 ニャオの呼びかけに、おぅ! と、男たちの声が重なって響く。

 力強い声だった。


 集団に背を向け、役目を終えた彩乃が立ち去ろうとして、


「あの……」とニャオ。


 彩乃が表情で、ん? と聞く。


「彩乃様は、これから、どこへ……?」


「どこも行かないよ。神様にも休息は必要だから、部屋で寝るだけだよ」


 さっきは調子が狂って眠れなかったが、適度に疲れた今なら眠れそうだ。

 なのでベッドに早く入りたい。

 それを悟ったニャオが、失礼しましたっ、と。


 ……誘おうとしてくれたのかな? というのは、彩乃の想像である。


 体調が万全だとしても、船旅を考えたらきっと断っていただろう。

 ニャオたちが城から去って行った後、彩乃は部屋のベッドに入って目を瞑る。


 やっと眠れる……、そう思ったが、どうやら彩乃を寝かせてはくれないらしい。


「……鬱陶しい。今度は、なに……?」


 無視できるようなものだが、不快だ。

 もやもやする。


 とても大切な情報を、うっかりと漏らしてしまったかのような……。


「やっぱりニャオかな……。もう出港してなきゃいいけど――」


 いや、していた方がいいか? 分からない。

 やはり手元に置いておくべきだった。


 ベッドから飛び起き、部屋の扉を開ける。

 丁度前に誰かいたのか、衝突音だ。


 廊下を覗けば、船員の若い男が倒れている。


「……なにしてるわけ?」

「あんたが、勢い良く扉を開けたからだろうが……ッ」


 彼は怒るどころではない。

 さっきと違い、神を敬うように跪く。


 深く頭を下げ、


「船長が攫われた! 不甲斐ないが、俺たち全員、やられちまった。神のあんたなら、今からでも追いつくはずだ……。俺たちはなんでもする――だから船長を助けてくれ!」


 なんでもする、ね。

 彩乃が不気味に笑みを作り……とりあえず言うべき事を言った。


「あれだけ男がいて、情けない」


 ……容赦のない言葉だった。


「返す言葉もねえ」

「まあいいわ……。ただ、保障はできないから」


 箒を持ち、窓から外へ。

 彩乃は国を上空から見下ろした。


 国の港には海賊船が停船している。

 男たちが周囲に倒れていた。

 血溜まりは少ない。


 なるほど、奇襲されてまだ時間はそう経っていない。

 ……死者もいなさそうだ。


 まだ、である。

 ニャオもそうだが、時間は限られている。


「でも、この場でニャオを攫って、どこに逃げる気なんだろう……?」


 興味はあったが、泳がせるわけにもいかない。

 相手が安易に、大陸全体を使った鬼ごっこを考えているのであれば、彩乃が有利だ。


 もしくは、潜伏するのだとしても、人海戦術を使えば、地道だが確実に見つけられる。

 となると逃走ルートは海だろう。

 しかし港を見たが、怪しい人物はいなかった。


「ううん、違う……ね。あれだ。海へ逃げるのに港に行く必要性はないんだし」


 港は船を安全に停泊させるための施設である。

 便利さを捨てれば別に大陸のどこから海へ出ようが自由なのだ。

 ……だとすれば、おのずと目を向ける場所も決まってくる。


 大陸の形をなぞるように海岸を見ると、ニャオを酒樽のように抱える人影があった。

 その男は、一般的な体格で、強そうには見えない。


 船員が簡単にやられるとは……、しかし彼の腰には拳銃があった。

 色と形から、都市にある拳銃だろう。


 その男は森に入って行った。

 海を見るが、近くに停船している船はない。


 本当にどうやって逃げる気……? だが、ひとまず疑問は置いておく。


 相手が彩乃に気づいていない今、森の中で死角から襲えば捕まえる事は容易だろう。


 彩乃が動き出す。

 森の中は木が多いが、間隔が広いので飛行しても邪魔にはならない。


「いた」


 ――男の背中側から一気に距離を詰める。


 すると、両手足を縛られ、口を塞がれているニャオが彩乃に気づく。

 ……んっ!? と声を上げたせいで、逃げている男にも気づかれた。


「――あいつは馬鹿なのか!?」


 そして男が直角に曲がるが、彩乃は難しい。


 通り過ぎてからブレーキをかけ、方向転換をしたら、銃口が向けられていた。


「やっ……ばッ」


 乾いた銃声により、森にいた鳥たちが大群となって上空へ逃げる。


 彩乃が箒、一メートル程度の高さから落下する。

 手で着地し、体勢を整えた。


 銃声のショックでバランスを崩したが、弾丸は逸れたようだ。

 ……空砲だったのかも。


 相手にとっては時間稼ぎが目的だ。

 現に迫った距離を離されている。


 今から追いかけても、追いつく事はできるだろうが……、しかし、


「――ニャオ!」


 森を抜けた先の海岸に男がいた。


 彼は水面から少しだけ出ている機体の入口にニャオを乱暴に詰め込み、搭乗する。

 こちらを振り向き、口元だけで笑みを作った。


 勝ち誇った顔だ。

 ……やがて蓋が閉められ、機体が沈む。


 海の上を飛べても海の下を泳ぐ事はできない。

 できない事もないが、それには道具が必要になる。


 まさか、潜水艦を使われるとは思わなかった。


「……わたしの負け、か……。やるね、あの長っ鼻……」


 潜水艦を追う準備をしている間に、行方が知れなくなる。

 彩乃が唯一得られたものは、ニャオを攫った男の、その特徴だけだった。

 逆に言えば、それしか分からなかった。


「無神論者が、なんでニャオを……?」

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