第30話 部屋の中には
屋上に生者は、三人しか存在しない。
「……先輩方、あとはこれで、最後にします」
二人に背を向けたまま、実姫が弓を真上に向けた。
仕組みは不明だが、指を構えれば矢が出現する。
今回は扇状に、数十の矢が一気にセットされている。
全てを同時に放つ。
天を向く切っ先が最高到達点で折り返し、分裂する。
数十が数百、数千、数万……。
景色は紫色の雨だった。
ビルの下、逃げる人々を撃ち抜く。
逃亡者が血の海に沈む。
これが神である実姫の審判――無神論者……反逆者への、裁きの雨だ。
「…………終わりました」
言って、実姫が振り向いた。
弓を落とし、心臓を鷲掴む。
なぜか、痛みを感じた……。
原因がなんなのかなど、分かっている。
「……やっぱり、すごくしんどいです。もう、みんなには……っ」
言葉にしなければよかった。
いくら抑えていても、一度決壊してしまえば止まらない。
「みん、な、には……ひっ、うぁ……あぁ、うっ、ああぁぁあぁあああッ!」
彼女は決して膝を崩さない。
実姫なりの堪え方なのだろうか。
しかし涙は止まらない。
立ったまま感情を垂れ流す後輩を、先輩二人は優しく抱きしめる。
実姫は抱きしめられた力以上に、先輩二人を、強く強く抱きしめ返した。
実姫が泣き止むのを待って、和歌がカメラを止める。
占拠したビルの巨大モニターが暗転した。
生中継に使われていたマスコミのカメラも矢によって壊されている。
この状況をテレビ越しに伝える術はない。
……が、すぐにモニターが光を放つ。
小さな音も拾えるくらいの最大音量で、布が擦れた音が聞こえた。
不穏な空気だ。
今いるビルのモニターなので、三人は見る事ができない。
なので隣の低いビルへ移動する。
実姫は赤くした目を隠そうと丸メガネをかける。
瞳の星を取る気はないようだった。
彼女にとって、それはらしさの証明だった。
「……なにも、映っていませんね」
三人は鉄柵を掴んでモニターを凝視する。
なにも、は正確ではない。
薄暗い部屋なのは分かる。
しかしカメラが一体なにを撮りたいのか分からない。
部屋にはなにもないのだ。
「あっ、動いた」
――固定されたカメラが自動で周囲を撮っているのだろうか。
すると、カメラが移動するにつれ、光の当たる場所が見えてきた。
強力な蛍光に照れされているのは……、
「え……っ」
誰かが声を漏らした。
鉄柵を握る手に、力が込められた。
……映像の中、椅子に縄で縛りつけられている少女が一人。
目隠しをされ、顔には殴られ、青くなっている傷があった。
長かった髪がばっさりと切られている。
……彼女の体に、ナイフが這っていた。
すぐ近くには、こんな悪趣味な事をする最低野郎がいる。
最大音量のため、彼女の息遣いが鮮明に聞こえる。
「どう、して……」
漏らした声の主は、結花千だ。
彼女は今、信じられないものを見ている。
「どうしてそこにいるの!?」
実は、彩乃も都市に足を踏み入れている。
結花千たちと同じく、例の映像を見ていた。
「やっぱり……。はいはいっ、大切な情報源だよー、みんな早く手がかり見つけて!」
手を叩き、同じ部屋の屈強な男たちを急かす。
騎士ではない。
彼らは海賊である。
彼らは薄型テレビに貼りつくように映像を凝視するが、場所の特定は難しい。
見える部屋の範囲には、窓の一つもないのだ。
「それも情報じゃん。窓のない建物だって分かれば、絞りやすくもなるでしょ?」
男たちはなるほど、感心する。
彩乃は呆れていたが。
彼らは初めて都市に来て、最先端技術に興味津々だった。
目的から逸れないようにするので一苦労である。
だが、脳筋馬鹿だからこそ、戦力としてじゅうぶん過ぎる。
扱いやすい部分も彩乃にとっては高得点だ。
「……ここしかないよ」
彩乃がそう予想する。
根拠はないが、これが最後なのだと。
垂らされた、糸なのだ。
「ここを逃せば、奴らの居場所を突き止めるのは難しいね」
だから、ここは決して逃せない。
このタイミングが分かれ道である。
であれば……彼女たちは、どんな選択をする?
数時間前の真夜中、結花千が実姫を連れて和歌を追いかけた直後の事だ。
眠ろうとした彩乃に訪問者だ。
鎧を身に纏う、騎士である。
彼は頭を下げ、
「遅ればせながら、ただいま戻りました」
「遅いよ。あんただけ?」
……騎士は頷く。
仲間はやられたか、別の場所なのか。
姫を助けるのに一人とは、忠誠心を疑う。
しかし心変わりをしている者が多い中、残っている彼は相当な忠誠心であると言える。
たとえ一人でも、いるだけ良しとするべきだ。
「……姫様は、一人なのでしょうか」
「他の三人は丁度今、国を離れたところ。で、それを聞いてどうしようって?」
探りを入れているような気がして問い詰めてしまう。
慌てる騎士に、冗談っと微笑む。
彼はただ間を持たせるために言ったのだ。
彩乃がいて、そんな気遣いはいらない。
「で、他のメンバーは、小国に散ってたりするの?」
騎士は曖昧な返事だ。
「いえ……連絡が取れず、もう死んでいるかもしれません」
「そ。だとしても、見に行った方がいいかもね」
貴重な味方を敵地に置いたままにしておけない。
騎士が、お供します、とついて来る。
扉を開けて――彼がとんだ嘘つきだったと分かった。
部屋から出た彩乃に剣と槍を向け敵対を表明する騎士たち。
まるで鉄の壁だ。
囲まれているために、逃げ場がなかった。
「わおっ。……じゃあ、後ろのあんたは無関係?」
背中に、剣の切っ先が向いている。
彩乃を手引きした騎士はその問いに答えない。
会話もなく、だからこれは独り言だ。
「狙いはそりゃわたしか……なによ、自分たちが道具扱いだったって、ショックなの?」
騎士たちは反応しない。
ただ黙って、少し距離を詰めただけだった。
わたしの事がそんなに好きだったの? とおちょくりながらも、彼女はこの場を切り抜ける方法を考えている。
考える時間を稼ぐためにおちょくった、と言った方が正しいか。
そして考えた末に、彩乃が生き延びるためには、立ち向かうしか選択肢はなかった。
……だが、
「べっつにー。絶望的に見えるけど、そう難しくもないんだよね」
彩乃はナイフを握る。
見た目はなんの変哲もない普通のナイフだが、特別な力がある。
敵の懐に入り攻撃するナイフは、戦場では不利に思える。
今もそうだ、リーチが違う。
勝てるわけがないが、しかしそんな不利を覆す仕掛けがあるとしたら……。
「着ている鎧には実は隙間があるんだけど、当然知ってる、よね?」
と、彼女は余裕だ。
真正面から立ち向かうために策がある。
騎士たちは考えが一瞬遅れ、反応ができない。
普通であれば絶対に防げていた場所。
だが、彩乃の前ではいつだろうと間に合わない。
彩乃の背にいた騎士の首に、深々とナイフが刺さっていた……、――ように見える。
とは言え、そう見えても実際は刃先が刺さっているくらいだろう。
だがじゅうぶんだ。
ナイフには毒がある。
刺さって数秒もすれば、体が痺れ、身動きが取れずに倒れていく。
解毒しなければ一日も持たない。
そういう毒だ。
倒れた騎士を見て、誰かが言った。
「は、速い……っ!」
「そう、速いの。わたしには詰める間合いが存在しないから」
遠ければ遠いほど、視認していれば機能が最大に発揮される。
たとえば集団の最後尾、最も危険とは縁遠いと油断していた騎士の首に狙いを定めてナイフを突き出せば、不思議と切っ先が相手の肉に、『差し込まれ』ている。
「景色が一瞬で変わるから気持ち悪くなるんだけど……ようは慣れだしね」
悲鳴も出ずに、がぽっと音を出して騎士が倒れる。
まだ二人。
残りは数十人ほどだ。
頬に指で血文字の『一』を描き、彩乃が聞いた。
「次はだあれ?」
――その時だった。
窓ガラスが割れ、もやっとした気分をすかっとさせる快音が場に響く。
現れたのは屈強な男たち。
鎧を着ておらず、薄い服だけの生身だ。
しかし騎士よりも強さの迫力がある。
男たちの中、見慣れた顔があったので彩乃が思わず、
「あれっ!? ニャオじゃん!」
「――あ、彩乃様っ!」
町で偶然……、のようなノリだが、今は戦闘中である。
命懸けの戦いの最中、余裕を持つ彩乃だからこその態度だった。
手を振る彼女を狙う騎士がいたが、大男の手に頭を掴まれ、握力により鎧が歪む。
意識を落とし、崩れ落ちた。
鎧にも軽くない重さがあるはずだが、なんの障害にもなっていない。
彩乃は彼を見上げ、
「ありがと」
「な、なんてことないぜ……です」
かしこまった口調の騎士に飽きている彩乃は、こういう乱暴な口調に飢えている。
女の子慣れしていない大男の態度も彩乃の好みだ。
だって、いじめやすいのだから。
その後、屈強な男たちが騎士たちを制圧する。
装備を充実させて生身同然の相手に負けるとは……。
次に生み出す時は装備でなく個人の身体能力を意識しようと反省した。
危険のない道を、ニャオが通る。
彼女は、男たちから船長と呼ばれていた。
「ニャオって、何者……?」
「にの島育ちの島娘です」
そういう事を聞いたわけではないのだが……いや、間違ってはいないのかも。
彩乃は改めて質問をする。
船長といい、帽子のドクロマークといい、海賊なのか……。
「今だけ、神様の代理なんです……そうです、神様なんですっ!」
ぐわっ、と詰め寄り、彩乃の両手を握るニャオが、ぐいぐい、とさらに近づく。
「神様がどこに行ったか、知っていますか!?」
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