第29話 実姫の演説
夜が明ける。
干し草でなく、ちゃんとしたベッドの上で結花千が目を覚ます。
起きてから食卓を囲み、テレビを点ければ、番組はニュース一色だ。
無神論者たちの、神へのメッセージが世界中から発信されている。
例の放送で言及していた事への弁解、説明、顔を見せろなどという要求が何度も発信されているが、誘き出すための罠である。
どうせ顔を出せば集中砲火になるだけだ。
こちらの言い分を聞く気は、向こうにはない。
「……それでも、実姫はやるんだよね?」
「はい。やります。きちんと説明をします。向こうが納得するまで真摯に向き合います。今まで支えてくれたみんなへ、するべき当然の事だと思いますから」
「私とゆかはサポートだが、危ないと思ったら割り込むぞ」
「お願いします」
食事を終え、村から発つ時。
誰もいない牧場を見て、和歌が二人を引き止めた。
「長い時間放置するわけじゃないが……やっぱり世話をしてくれる人がいないのも、動物たちが可哀想だ」
和歌が地面に手の平をかざし、自分の腰くらいの高さに合せる。
目測だが、大体の身長を決めたのだ。
思い描いた年齢は、やっぱり五歳だった。
「へー。先輩は五歳が基準なんだね。六歳じゃダメなの?」
「六歳はもう少年少女だ。私が好きなのは男の子女の子だからな」
「違いがよく分かりませんが……?」
本人にしか分からない基準があるのだ。
それについては、あまり深く突っ込んで聞かない方がいいよ、と口に出して実姫に注意をする結花千。
普通、そういう事は本人を前にしていればこそこそ言うべき事だと思うが、結花千は言ってしまうのだ。
そういう先輩であると実姫は忘れていた。
「好きなんだから、いいだろ」
少し恥ずかしそうに言う和歌だ。
賛同されなくとも、決して馬鹿にはされないだろうと分かっているから、隠さなかったのだ。
長く一緒にいればそれぞれの人間性も分かってくる。
信頼できる仲間なのだと和歌が心を許している証拠であった。
実姫だって、結花千だって、それは変わらない。
やっとできた、大切な繋がりなのだ。
そして、和歌がコストを使って三人の子供を作り出した。
男の子二人に、女の子一人。
女の子の容姿は、オーバーオールに編み込んだ金髪。
見た事のある女の子だった。
実姫がすぐに和歌の顔を見る。
「壊した子をすぐに作るのは、切り替えが早いって思ったか?」
「い、いえ……」
「まったく同じ人物を作る事はできない。けど、会いたかったんだよ……」
もう一度、会いたかった。
その感情を知って、否定はできない。
「以前のあの子を忘れるわけじゃない。ずっと胸の中にある。この子はまったく新しい人格で、趣味嗜好も違う。あの子でないからと言って、愛し方を変えるつもりはないよ」
「……お姉ちゃん、だあれ?」
和歌の言いつけを守り、子供たちは牧場を管理する。
子供らしく、元気に走り回って。
テレビ放送にこれまでとは違う劇的な変化があったのだが、神の三人は知る事ができなかった。
なぜなら神の三人が都市に現れたと同時、番組が全て切り替わったのだ。
そう、都市の神である実姫が現れた事により、全ての番組が生中継を開始した。
それによって無神論者たちが一斉に動き出す。
実姫が現れた、高層ビルの真下へ群がっていた。
中から屋上まで上がろうとして来る者が多いが、通路を神の力で塞いでいる。
彼らは絶対に上がってくる事はできない。
和歌と結花千はカメラとマイクを用意し、今いるビルの巨大モニターに実姫を映し出そうとしている。
無神論者たちを近づけさせるわけにはいかない。
だが、実姫の言葉が届かないのは論外だ。
なので、そのための作業である。
作業はすぐに終わった。
生徒会の手伝いと似たようなものなので、和歌が得意だったのだ。
結花千のマイクテストが終わり、実姫がマイクを受け取る。
和歌が準備したカメラも問題なく動作している。
すると結花千が、ビルの鉄柵から下を見下ろし、
「うわぁ……、下にすっごい集まってるね」
道路の隅から隅まで、人で埋め尽くされている。
怒声が聞こえるが、内容までは高さのせいで聞き取れない。
「そりゃそうだろうな。あの放送の真相を話す、って言ったんだし。こっちの言い分を信じてくれるとは思わないけど……」
「こうした場を設けて、きちんと説明をするのが大事ですから」
実姫はいつものアイドル衣装に着替えていた。
ファンの前ではこれが正装なのだ。
「大多数の人が嘘だと、言い訳だと思っていても、中にはきちんと説明してほしいと思っている人がいるかもしれませんし……、一人でもいるのであれば、わたしには説明をする義務があります」
……そうだな、と和歌。
怒る人も、悲しむ人も、不安に思う人もいる。
多くの人々を抱える都市の神である実姫には、一人一人をきちんと見る力はない。
誰がどういう気持ちなのか分からない。
だから、言わなければならない。
たとえ無駄になるのだとしてもだ。
誰の心に響かなくとも、言わずに多くの人の人生を左右させるのは、無責任だ。
「……じゃあ、実姫。準備、いいか?」
――実姫が、はい、と力強く頷いた。
和歌が操作するカメラが実姫を映す。
同時、ビルの巨大モニターにも実姫の姿が映し出された。
目を閉じ、胸の中でマイクを抱く。
数分、実姫はなにも喋り出さなかった。
動きのない映像に罵声が当たるが、やがてそれも消えていく。
そして声が止んだ頃、
ようやく実姫がまぶたを開けた。
マイクが彼女の声を拾い、人々に届ける。
最初の言葉は、深く頭を下げた、謝罪の言葉だった。
不快にさせてしまった事、不安にさせてしまった事、すぐに説明をしなかった事。
たくさんの想いを込めて、すみませんでした、と。
それを聞き、止んだ罵声が再び飛び交うが、実姫のマイクの声が全てを上回る。
人々は彼女の声に、黙らされた形になった。
「わたしはこの都市の神です……みなさんを生み出したのも、わたしです。壊す事も、作り替える事も、思い通りに操る事も可能です。あの放送は、編集ではなく、真実です」
モニターを見る集団がどよめく。
真実であると認めた……、記者たちが動き、隣のビルから実姫たちを撮影している。
映像の中で、実姫の演説が続く。
「あの映像の中の会話は本当にありました。でも、きっとみなさんは勘違いしています。その誤解を解きたくて、今日はこういった場を設けさせていただきました」
……あの会話の内容で、勘違いするわけないだろ。
――集団の中で誰かが言った。
誰なのか、特定はできていない。
発信源は多数あったのだ。
小さなその声を、隣の人が拾い、繰り返し、同調する。
それが波紋のように広がり、大きな団結力になる。
一つにまとまった集団、力のある意見に、建物が揺れたような気がした。
ビルの真下だけには収まらない多くの無神論者が都市にはまだ存在する。
数万を越える人々の意見を前にしても実姫は退かない。
勘違いをしている、と常に押し続ける。
「誤解されても仕方のない言い方をしていました……口が悪い神も身近にいますので。ただ悪いのは口だけです。みなさんが傷ついてもいいと思ったわけではありません。……囮に使ったのは、言い訳しません。それしか手がなかったとは言え、きちんと説明するべきでした。でもこれだけは信じてください。わたしたちはみなさんを助けたかったのです」
信仰者のみんなを助けたかった。
……元々、この演説の対象は信仰者だ。
例の放送を見て無神論者になってしまった元信仰者の信頼を取り戻そうという目的がある。
だから怒声が多いのは当然だ。
最初から無神論者である者を取り戻せるとは思わない。
たとえ少数でも、一度は残ってくれたみんなともう一度近くで会いたかったのだ。
自分を支えてくれたファンを、誤解で失いたくなんてなかったのだから。
「……みんなの事が、大好きなんです。不器用に歌い、踊って、売れなかったわたしを支持してくれた人は数人でした。でも、それが今ではドームでライブができています。神だから人気をいじっている、と思いますか? でもしていません。だって、できるなら最初から大人気でした。アイドルとして苦しんだ時期がある事を、みなさんは知っているはずなんですから――」
昔を思い出す。
可愛い衣装なんて着れず、地味な格好で路上ライブをしていた。
その時に足を止めてくれた人は、未来で毎回ライブに足を運んでくれる、常連さんだ。
ずっと一緒にいてくれた。
世間からよく思われていない人たちで、不細工だと馬鹿にされた事もあるだろう。
だけど好きなものに没頭する姿は、誰よりも輝いて見えたのだ。
彼らは今、真下の集団に混ざっている。
不思議と見ればすぐに分かる。
特徴のある顔ではない、街中で一瞬でも目を離せば埋もれてしまうほどだ。
でも見つけてしまうのは、見慣れていて、親近感を抱いているから。
実姫が信頼している証拠であった。
彼らだけに届けばいい言葉だ。
実姫は、彼らしか最初から見ていない。
「お願い……っ」
演説も忘れ、彼女は祈る。
「戻ってきて、ほしいから……っ!」
そして、実姫が手を挙げた。
和歌と決めた合図である。
「…………いいんだな?」
和歌の言葉に頷く。
もう、なにがあっても迷わない。
「――ゆか、実姫の傍に」
和歌が杖を持ち、解除、と唱える。
封鎖した通路が解禁され、無神論者の進軍を許す。
乱雑な足音、重たい印象を抱かせる音の迫力。
大勢が近づいて来る事に、恐怖がきた。
だが先輩二人よりも前に、実姫が出た。
彼らに立ち向かうのは、彼女しかいない。
そして、屋上の扉が蹴破られ、大勢の男たちが武器を持って現れる。
実姫が叫ぶ――。
それはライブが始まる直前にいつもする、ノリだった。
これから先もライブ会場の最前列で一緒にやってほしいという願いを込めていた。
だが、見知った顔があっても、そのノリについてきてくれる者はいなかった。
実姫の言葉は、届かなかったのだ――
「……みんな、ごめんね」
時間切れを迎える。
人の群れが実姫たちを囲む。
和歌の腕を掴み、結花千の髪を引く。
このままではやられ放題だ。
だが心配は杞憂だった。
人の群れがやがて崩れていく。
倒れる男たちは悲鳴を上げ、屋上に血溜まりを広げる。
体には、数本の矢があった。
紫色である。
そして、死体の床に重なるように、残りの男たちが倒れていく。
数分も経たず、立っている者の方が少ないくらいだ。
「ひ、ひぃっ!」
かつてファンだった一人の痩せた男が、矢を向けられ頭を下げる。
「――す、すいません! 調子に乗りましたぁ! 武器を置きます、置きますから! お願いだから殺さないでくださいぃ!」
土下座をした彼から、実姫が照準をはずす。
俯いたままでも分かる、矢の影で判断した男が安堵するが、もう実姫は止まらない。
彼女を本当に信仰するしか手はないだろう。
彼は未だ、実姫にとっては無神論者のままなのだ。
「もしも、わたしの味方になってくれているのなら……」
男の安堵が消える。
恐る恐る、実姫を見上げた。
――彼女は弓の弦を引っ張っていた。
指を離せば矢は吐き出される。
「あなたがエネミーとは、判断されないはずですから」
矢が飛び出した。
……これまでと同じ、男の悲鳴が一つ、増えただけだった。
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