三章 壊れゆく我が世界

第27話 初手

 全世界に神々の裏の顔が放送されたのは昨日の事だ。


 彼女たちは人々を囮に使い、失ってもまた作る事ができる代替品としか思っていなかった。


 最初は小さな不満が重なり、待遇改善のための暴動であった。

 しかし、例の放送がされてからは暴動の目的が明確に切り替わった。


 それまでも一部の人間は持っていた感情だったが、ここにきてほとんどの者が、神々に殺意を抱くようになった。


 神はいらない。

 だから彼、彼女たちは、敵を排除するために初めて一致団結をした。



 この世界にきて一日が終わった真夜中のタイミングで、神々が集まっていた。


 場所は彩乃王国。

 彼女たちしかいない城の中、彩乃の部屋である。


 皿とフォークが当たる音。

 切り分けたパイを食べながら、和歌が提案をする。


「一度、ここで別れてもいいか?」

「それは……、自分の大陸へ戻るって事?」


 和歌が頷く。

 放送後、彼女はまだ、自分の大陸へ戻っていない。


 結花千と実姫も同様にだ。

 上空から見たが、降り立ったわけではないので細かい部分までは把握していない。


 彩乃王国の現状を見れば別大陸の様子も想像がつく。

 だが、一度は戻るべきだろう。


 無神論者に攻撃されるとしてもだ。

 間違っても死ぬ事はないだろう。


 たとえ死んでも復活できる。

 彼女たちにとって最も恐いのは、生きたまま苦しみ続ける事だ。


 そこで結花千が提案する。

 一人になるのは危険だから、順番に回ればいいのでは?


「自分の大陸を一旦調べた方がいい。分担すれば時間もかからないしな。……味方が敵になる可能性がある以上、今は時間をかけたくない。説得すれば味方でいてくれる子が多いだろうし……だから結花千、一人で行かせてもらうぞ」


「先輩、……なにを焦ってるの?」

「……嫌な予感がした。説明をしている暇が本当にないんだ、だから、ごめん」


「いーじゃん、行かせてあげれば。和歌先輩は『先輩』なんだし、一人でできるよ。ゆかちーが気にかけるべきは、落ち込んでるもう一人の後輩の方だよ」


「いや、分かってるなら彩乃が声をかけてあげればいいのに」

「わたしに慰められたくないでしょ。多分、屈辱だと思うよ?」


 逆がそうだからね、と彩乃は言った。

 結花千には、そうは思えなかったが。


 すると、和歌は既に姿を消していた。

 本当に余裕がないらしい。

 結花千も自分の大陸に戻るか悩んだが、結局実姫を元気づけてからにしようと決めた。


「――彩乃は?」

「ここで一休みしてから、後は気分かなー」


 彩乃はベッドに横たわる。

 時間帯的に、眠気がやってきていた。


「実姫、やっぱり先輩が心配だから追いかけるけど、動ける?」


 こくん、と実姫が頷いた。

 結花千に引かれて立ち上がった実姫がふと視線を下げれば、仰向けになっている彩乃と目が合う。


 ふい、と実姫は憎まれ口の一つも叩かずに、結花千に引かれるままに部屋を出て行く。


 残された彩乃は、瞳を閉じて、やがて開く。

 眠いのに、眠れなかった。


 なぜだろう、なんだか、物足りなかったのだ。


「あいつが落ち込んでると、調子狂うなあ……」



 時間差はないと思ったが、追いかけても和歌の背中は見えなかった。


 槍に二人乗りする。

 既に二日目に突入していた。


 夜更かし慣れしている結花千は平気だが、実姫は眠気に耐えられずに意識が船を漕いでいる。

 気を抜けば槍から落ちそうだ。


「早く先輩を見つけて実姫を寝かせないと……今襲われたらどうしようもない……!」


 実姫を片手で強く抱き支える。

 すると、草原の上空で懐かしの小屋を見つけた。


 深夜なので以前と印象が違うが、間違いない、ここは牧場だ。

 動物たちはいないが、始末されたわけでもなく、小屋の中にいた。


 槍から下りると、実姫はふらふらとした足取りだった。


 別の小屋には干し草だけが積まれている。

 ここなら寒さを凌げ、干し草がベッドだ。


 今は進むよりも休んだ方がいい。

 実姫を寝かせて、隣に結花千が腰かける。


「先輩……、大丈夫かな……」


 呟き、高い位置の小窓を見上げる。

 ……嫌に静かだ。


 風の音はするが、それでも。

 ――妙な胸騒ぎがする。


 和歌の気持ちが分かった。

 説明しにくいが、言えるとすれば、これは嫌な予感だ。


「これから……先輩と、合流して……次に、実姫の、大陸に行って……――」


 気づけば結花千も横になっていた。

 平気な振りをしても疲れが体を蝕む。


 全員そうだ。

 そして、まるでこの時をずっと狙っていたかのように、奴らが動き出す。



 キィ、と扉の音。

 小さな人影、足音は小さい。


 意図的に音を殺している。

 見つかりたくない、という意思を持って忍び込んでいるのだ。


 横になる二人の少女を見つける。

 すぅ、と寝息を立てて、人影に気づく気配もない。


 小窓から差し込む月光がまるでスポットライトのように、侵入者を照らす。


 人影は背丈の低い子供。

 光が反射する手には、料理に使う包丁が握られていた。


「…………」


 青いオーバーオールを着ており、編み込んだ金髪が特徴的な女の子だった。


 かつて結花千とニャオが出会った馬使いである。

 彼女は振り上げた包丁の狙いを結花千に定めた。


 振り下ろすだけだ。

 二人の神をここで殺し、残りも殺せば、世界は救われる。


 無神論者の誰もがそう信じて疑わなかった――


「……お姉ちゃん共々、じゃあね」


 言葉と同時、刃が振り下ろされる。

 その細腕を、目を開けた結花千ががしっと掴んだ。


「なっ――」

「あ、あぶな、かった……! 本当に眠るところだったよ……ッ!」


 結花千の両目は満足に開いていない。

 夢の世界にいたのは本当だ。


 ただし一時的に。

 扉が開いた瞬間には、結花千は敏感に目を覚ましていた。


「泳がせていたってわけね……っ!」

「そ、そうだね……!」


 二度寝したかっただけだが、言わなければ分からない。

 戦場は嘘だって武器になる。


 結花千は力を抜き、止めていた刃を干し草に誘導する。

 ごめんっ、と謝り、強めの蹴りを少女の腹へ。


 後ろに飛んだ少女は桑などの道具に当たり、激しい音が小屋を揺らす。


「い、今の音は……っ!?」


 実姫が起きたので、出るよッ! と彼女の手を乱暴に引っ張る。

 少女が道具の下敷きになっている間に、小屋から出ようとするが、聞き覚えのある指笛が鳴り響く。


 身動きの取れない少女が手だけを動かして反撃をしたのだ。


 音が小屋を越え波紋のように草原に伝わる。

 結花千が外に出れば数十頭の馬がおり、背中には子供が乗っている。

 今も増え続け、小屋を取り囲んでいた。


 馬の黒く冷徹な目にぞっとする。

 ――そして子供たちの手には、武器があった。


 囲まれても脱出口はまだ上にある。

 槍を取り出そうとして――銃声があった。


 弾丸が結花千の肩を掠め、槍を落としてしまう。

 猟銃を握る少年が、舌打ちをした。


 威嚇ではなく当てるつもりだったのだ。

 当たれば、痛みはこんなものではない。


「い、痛っ……うッ!」

「――先輩ッ!」


 涙が溢れてくる。

 皮膚を削られた。


 痛みに慣れていない結花千には、我慢できない。


 それに、撃たれた、というショックが多く痛みを錯覚させている。


 蹲る結花千は恐怖で動けなかった。

 これで終わるわけがない。


 これから撃ち出される全てを躱し切れる自信などなかった。

 先輩っ、という呼びかけも遠くに聞こえる。


 まるで、段々と消えていくように――、



 一瞬、深海に沈むような感覚になった。

 現実から目を背けて自分の世界に浸っていく。


 これが楽なのだと知っている本能が、強制的に引きずり込んだのだ。

 諦めた後の場所とも言える。

 だが、静かなので混乱もなかった。


 落ち着いて物事を考えられる空間というのは貴重である。

 そこで、結花千は瞳を閉じていた時の、少女の言葉を思い出した。



「……お姉ちゃん、共々?」


 結花千は、もしかして……、いやきっと違うはずだと思いながら。


「副園長は、どこにいるの……?」

「――もういないよ」


 後ろからだ。

 振り向けば、道具の下から抜け出した少女がいた。


 包丁を握り締めたまま、


「次は、お前の番だ!」


 ――そう叫んで突撃して来る。


 膝立ちの結花千は咄嗟には動けない。

 だから実姫が庇うように前へ出た。


 実姫が扱う武器は弓と矢だ。

 接近戦は苦手であり、彼女も理解している。

 だからしないようにしていたが、今は別だ。


 矢を構えたが、間に合わない。

 包丁の方が、断然早い。


「実姫ッ!」

「さて、順番は前後しちゃったけど、これで――」


 少女が言い切る、前だった。


 タァン、という銃声が聞こえた。

 少女がバランスを崩してその場に倒れる。


 あ……、と僅かな声を漏らして、彼女を中心に血溜まりが広がっていく。


 取り囲んでいた子供たちが音のした後ろを振り向く。

 森の中から、近づく者が一人。


 銃身の長い猟銃を持っていた。

 すると、自然と子供たちが道を開ける。


 敵対していても本能では覚えているのだろう。


 ……彼女が、この世界の神である、という事を。


「……先輩」

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