第21話 つれない後輩の可愛がり方

 まさかと思えばご近所である。

 細い路地を挟んではいるが、結花千の部屋の窓を開ければ、実姫の部屋が丸見えであるくらいには近い。


 実姫の家はアパートの二階なので、丁度結花千の部屋の高さと同じであった。


 錆びて、塗装がめくれ、ぎしぎしと軋んで留め具がはずれるのではないかと不安になる階段を上がる。

 通路が狭いうえに洗濯機が出ているのでかなり歩きづらい。

 一番奥が実姫の号室だった。


「汚いところだけど気にしないからね」

「それはわたしが汚くてすいませんと言ってからにしてください」


 扉を開け、隣の住民の声が聞こえてくる薄い壁の部屋の中は、意外と綺麗だった。

 経年劣化は仕方ないが、物は整理されているし、棚に指の腹を滑らせても埃がつかない。


「先輩、買い物袋をください。すぐに冷蔵庫にしまっちゃいますので」


 袋の中身を冷蔵庫にしまう手際がやはり慣れているので、とにかく早かった。

 制服から着替えるよりも早く、窓の外に干していた洗濯ものを取り込む。


 畳んでタンスにしまって……とやっていると、すぐに夕食の準備をする時間だ。

 彼女が一息つく暇もなかった。


 その行動を見ているだけだった結花千が、


「なにか手伝う?」

「いいです。というかなんでいるんですか? 真後ろなんだから帰ってくださいよ」


 ことあるごとに結花千を帰そうとする実姫。

 もうちょっとだけ、と結花千が言い出してから、既に一時間以上は経っている。


 その間、結花千は実姫の私物がまとめられている棚を漁っていた。

 実姫が気づくのは大分後になってからである。


 味噌汁の味が整ったところで、台所から部屋を振り向いた実姫が悲鳴を上げた。


「なに勝手に見てるんですかっ! さっきから静かだと思ったら……ッ」


 アイドルのブロマイドがたくさん出てきた。

 結花千でも知っており、懐かしいと感じるアイドルたちの姿がある。

 今人気のアイドルは一枚もなかった。


「そっか。向こうの世界でアイドルしてるんだもんね、そりゃ好きだよ」


 懐かしい顔ばかりなのは、実姫にとってアイドルになりたいと思うようになったきっかけの人たちだからなのだろう。

 つまり、最近の出来事ではないという事だ。


 この貧乏生活をどうにかしたいがために目指しているわけではない。


「別に、貧乏がどうあれ目指してませんよ、アイドルは」

「え、そうなの? 向こうの世界でアイドルをしていたのは……」


 興味本位だった……?

 今こうして四つの世界が繋がっていなければ、自己満足で終わるはずの遊びだった。

 しかし不幸にも四人に露呈してしまった。


 迂闊な事をしなければよかった、と実姫の中では後悔として現在も膨らんでいる。


「でも、憧れてるんだ?」

「……それは、そうです。元気を貰いましたから。たくさんのアイドルから」


 学業に打ち込みながらも母親の代わりに家の事をする。

 まだ子供である実姫がくじけそうになった時は何度もあった。


 だが、それでも投げ出さなかったのは、テレビの向こうにいるアイドルたちの姿が鮮明に記憶に残っていたからだった。


 頑張っている人は輝いて見えた。

 実姫は、自分も輝けるのだろうかと夢見た。

 頑張っていれば、みんなが見てくれるのではないかと期待した。


「向こうではちゃんとアイドルできてたじゃん。無理って事もないと思うよ?」

「あれは、向こうの世界だからですよ」


 人々の反応は、神であれば操作できる。

 以前、彩乃が言ったように、人気はいくらでも設定でいじる事ができるのだ。


 だが、本人の意思は違う。

 やりたいと思っていざ舞台に立ち、アイドルとして振る舞えるかどうかは、当人の素質によるのだから。


 たとえ人気が紛い物だったとしても、舞台で輝いていたのは実姫自身の力である。


「あたしと一緒にユニット組んだら成功しちゃったりしてね」


 冗談で言った結花千の言葉に、思っていた否定の言葉がこなかった。

 実姫は真剣な表情で思案している。

 まるでその手があった、とでも言いたげだ。


「……どこまで妄想したの?」

「……へっ!?」


 周りを一瞬忘れるほどに没頭していた実姫は、無意識に口を片手で押さえていたが、笑みが漏れていた事を隠す事はできていなかった。

 目前にあった結花千の顔に驚き、一歩下がって台所のコンロにぶつかる。

 火は消していたので最悪の事態は免れたが、味噌汁の鍋が落ちそうになって、結花千が慌てて押さえた。


「危ないっ。――ふぅ、実姫、気をつけなよ」

「あ、はい。すいません」

「それで。どうする? 二人で組んでみる?」


 結花千も満更でもなかった。

 実姫がいいと言えば、協力するつもりだ。


 実際、組んでみたらいいところまでいくだろうと思える。

 自信過剰なところは、結花千の強みでもある。

 結果がどうあれ、踏み出す事に意味があるのだから。


 実姫は言葉に詰まった。

 踏み出しはしなかったが、一瞬でも迷った事に意味がある。


「無理ですよ。あんな風には……。向こうとこっちでは、なにもかもが違いますから」


 結花千は食い下がらずに、


「うん。だね」


 と会話を打ち切った。


「あ、それと。さっきあたしのお母さんに連絡して、ここで夕食を食べる事にしたから」

「はぁ!? 先輩の分も作れって言うんですか!?」


 そうそう、と軽く言う結花千に、実姫が苛立ちを覚える。

 一人分を作るのがどれだけ大変か……と追い出してもいいのだが、実は一人増えたところで労力は特に変わらなかったりする。

 母親が意外と残したりして毎回余るので、実姫が勿体ない精神のせいで全て食べているのだが、そのせいで最近は体重が気になっている。


 成長途上だから、と納得していたが、正直恐さは拭えていなかった。

 食べてくれるのであればありがたい。


 ただ、


「……棲みつかれても困りますけど……」


 真後ろが家なので、逆にいつまでもいそうである。

 一人の時間が必要な実姫にとってはずっといられても困るのだった。

 けれど、結花千の指摘に実姫が面食らう。


「でもさ、顔がにやけてるのはなんで? あっ、口ではそう言っても家に誰かいてくれるのが嬉しかったりしてー?」


 と、からかうつもりで言ったら、実姫が黙った。

 つんつんと体を指で突いても、反応がまったくなかった。

 彼女は丸メガネを上げ、目元を指で拭って、


「……意外と、そうかもしれない、ですね」


 家に誰かがいるのが当たり前であった結花千には実姫の気持ちは分からない。

 傍にいてあげると言っただけで思わず泣いてしまうほど、その言葉の重みが分かるわけではない。


 分からないから隣にいる資格がない、そんなはずがない。


「家、真後ろだし、いつでも呼んでいいからね。あたしをお姉ちゃんだと思って」

「困ったら呼びます。けど、お姉ちゃんはないです。だって、わたしよりもレベルが低そうですし」


 なんの、とは説明しなかった。

 だが、下に見られている事だけは分かった。


「ほんとに、可愛くない後輩」


 彩乃が生意気な後輩だとすれば、実姫は対等な後輩と言うべきだろう。



 夜の十時前。

 湯船に浸かってのんびりした後、部屋に戻ってまずは窓を開ける。


 火照った体を少し涼ませる意味がある。

 窓の外、少し下になってしまうが、実姫の部屋を見た。

 開けられたカーテンのおかげで中が丸見えになっている。


 実姫は器用に、制服の取れたボタンをつけ直していた。


「おーい、実姫ー」


 声に視線を上げた実姫が窓の外の結花千に気づいた。

 すると、しゃっとカーテンを閉められ、おぉい!? と声を荒げる結花千。


 行けない事もないので窓から窓へ飛び移ってやろうかと思って、足を窓枠にかけたところで、実姫がカーテンを開けた。


「近所迷惑です」


 あ、そっか、と実姫の正論に納得する結花千。


「――あ、お母さん帰って来たの?」

「はい、ついさっき。今は家事をした後のちょっとした休憩です」


「休憩中なのに、ボタン付け替えてるじゃん」

「……? これは、趣味、みたいなものですから」


 すると、実姫が呼ばれて振り向く。

 母親との会話だ。

 おやすみ、と言って、実姫が制服をハンガーにかけた。


「先輩、わたしももう寝ますので、その……窓、閉めますから」


 言いあぐねていた一瞬の間を結花千は逃さない。


「おっと、もしかして名残惜しいのかなー?」


 本音を突かれて問答無用で窓を閉めようと力を入れた後輩を、一言で止める。


「あたしはいつでも開けてるから。好きな時に声をかけて」


 窓の隙間は残り数センチ。

 実姫の手が止まり、やがて閉じ切った。


 おやすみなさい、と挨拶を残して、カーテンも閉められ、彼女の姿は見られない。


 現在時刻は十一時の半分を回ったところだ。

 実姫がもう眠るのであれば、いつもより少し早いが、結花千も眠る事にした。


 眠れば向こうの世界でまた会える。

 神という立場で。


 さて、と窓から視線をはずす。


「招待状を、枕の下に入れて……と」


 寝る準備を整えて、部屋の電気を消す。

 横になった途端、睡魔が襲ってきた。


 目を瞑ると、あっという間に夢の中へと沈んでいく。

 そして覚醒までは一瞬だった。



 目が覚めると、大の字で日の光に照らされていた。

 結花千にとって始まりの大地、いちの島である。


 この島は、今は採掘場になっており、よくクリスタルなど、鉱石や宝石が取れたりする。

 採っても採っても出てくるので、人の足は途絶えない。


 とは言っても、人がいつもいるような場所ではないので、周囲が静かな時間は意外と多い。

 結花千が目覚めた今、丁度周囲には誰もいなかった。


 神の力を使うのに必要になる銀色に似た杖を右手に出現させた。

 思うだけで道具を出し入れできるのは便利だ。

 道具の上限数が気になるが、まだ限界までは達していない。


 服装を海賊服に変え、海に小船を浮かべる。

 ニャオや子供たちがいるにの島へ向かう。


 しばらく、静かな船旅が続いた。

 だからこそ気づけた事があった。


 方角はにの島であるが、少しずれた場所にはさんの島もある。

 そのため、どちらからも聞こえる音、と判断できる。


 島に似合わない騒がしい音と、声が風に乗っていた。


 お祭り、とは思えなかった。

 空に見える黒煙が不安をかき立てる。


 のんびりしている場合じゃない。

 結花千は小船をその場に置いたまま、クリスタルの三又槍を杖の代わりに右手に持ち替え、跨った。


 ふわりと浮かんで、小船の倍以上の速さで海の上を飛行する。

 腰が痛くなるので好まないが、好き嫌いを言っている場合ではない。


 にの島の上空。

 島を見下ろせる位置だ。

 状況は把握できたが、理解できない。


「襲われてる……?」

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