第20話 先輩と後輩
放課後、和歌は生徒の相談事に右往左往しており、廊下で偶然見かけたが声をかける暇もなかった。
部活とかはしているのだろうか、今度聞いてみる事にしよう。
そんな結花千は部活には所属していない。
授業が終われば早く帰りたいのだ。
なぜ夕方まで拘束されなければならないのか、というのが結花千の談である。
深い人間関係を作れていない要因の一つとしては、広範囲を占めているが。
「あ、あれは……」
校門前で四人で集まり駄弁っている女子高生を見つけた。
全員が制服を着崩しカバンにはストラップやバッジなどがガチャガチャとついている。
きっとノックもせずに部屋に入るタイプの人間だろう。
そして、四人組の中でも中心にいるのは、見知った顔だ。
松本彩乃。後輩の一年生。
校門に近づくと、先に向こうが気づいた。
「ゆかちーじゃん。帰るの早いね」
「彩乃こそ。どっか行くの?」
放課後になってすぐにここにいるという事は、部活はしていないのだろう。
学校に縛られたくないと、彼女は結花千と考え方が一緒である感じがする。
「ゲームセンターに寄った後に、ファミレスに行くつもりだねー」
おぉ、と結花千は感動の声を出す。
友達とゲームセンター、しかもファミレスまで……友達と行く事が憧れになっている場所ではないかと、結花千の中で盛り上がる。
「あや、この子は?」
彩乃と親しく話している結花千の事が気になったらしい、彩乃の友達がそう尋ねた。
「先輩のゆかちーだよ」
彩乃以外の三人が驚いていた。
先輩への態度が悪かった、と自覚したらしい。
今更遅い気もするが、最低限の身なりを整えた。
生徒会長じゃないんだから、と彩乃が言う。
「大丈夫だよ。ゆかちーは先輩って感じがしないでしょ? だからタメ口でいいんだよ」
「別にいいけど……、そう言われるとタメ口をダメと言いたくなる」
和歌に接する結花千はこんな感じである。
彼女も、和歌の気持ちが少し分かった。
そうは思ってもこれはこれだ。
改まって結花千が先輩への接し方を改善する気はない。
「ゆかちーも友達待ち? それとも待ち合わせでどっか行くの?」
正直に言うべきか迷った。
これから真っ直ぐ帰宅してネットの海に沈む気ですよ、と言ったところで彩乃は多分なんとも思わないだろうが、先輩として友達関係は充実していると見栄を張りたかった。
「うん、カラオケに行くんだよね」
「あっ、それもいいね。みんな、カラオケはどう?」
彩乃が振り向いて三人に聞いた。
すると、いいよ、と声が上がり、なんと予定を変更してカラオケに行こうという話になった。
会話を聞いていたら、全て彩乃が発信し、周りがそれに同調した形だ。
数回の言葉のキャッチボールでスムーズに決まったので、なんて事のない会話にも特別な技術があるのではないかと思ってしまう結花千だった。
「ゆかちーはどこのカラオケ? もしかしたら行く場所が被ってるかも」
その心配はないので安心していい。
結花千はこのまま直帰である。
「地元だから被ってないと思うよ」
家の最寄り駅を言うと、彩乃はその駅を知らなかったらしい。
特になにがあるでもない駅なので仕方のない事だ。
強いて言えば居酒屋が多いのだろうか。
「あや、もう行こうよ」
結花千とそう親しくない他の三人は居心地が悪そうだった。
彩乃を基準にすると、先輩でもぐいぐい踏み込みそうな雰囲気を持つ三人だったが、彩乃だけが特別なだけだった。
初対面の先輩を前にしたら、普通は萎縮まではしないが口数は減るだろう。
「それもそうだねー。じゃあね、ゆかちー」
去り際に手を振ってくれたので振り返す。
なめられ気味だが、憎めない後輩だった。
さて、カラオケに行く気も行く友達もいないので、予定通りに家に帰るとしよう。
そんな結花千を、後ろから追い越した生徒がいた。
この時間帯に校門を通るのは帰宅部くらいだろう。
しかもその生徒は一人だ。
急な用事で帰るわけでなければ、結花千のように自由を理由に帰宅部になった者くらいな気がする。
帰宅部自体は少なくないが、一人でいる生徒は少ない。
そして彼女の事も、結花千は見覚えがあった。
「――待って、ひょっとこの仮面の子」
肩に手を置くと、びくんと肩を跳ね上げ、カバンを落としてしまっていた。
拾おうとしたらすぐさま彼女が確保する。
慌てて取ったので、丸メガネがずれてしまっていた。
指で、ずれた位置から元に戻し、
「ひょっとこじゃなくて、志乃咲です……」
名前を思い出した。
志乃咲実姫だ。
「なんか、すっごい地味な格好だね。そっか、アイドルだから正体ばれを防ぐためか」
「向こうとごちゃごちゃにしないでください。こっちでは、アイドルじゃないですから」
アイドル衣装を着た時の輝きは嘘のように、今はどんよりとした空気が蔓延していた。
彩乃のせいで珍しく思ってしまうが、この敬語があるべき後輩の姿である。
彼女とも向こうで出会ってから数日が経つ。
最初は拙かった会話も今ではほとんど詰まる事がない。
「……どうして、ついて来るんですか?」
「だって帰り道が一緒なんだもん」
互いに電車通学なので、意外と目的の駅近くまでは一緒なのかもしれない。
が、予想がはずれて同じ駅で降りた。
これはもしかすると、ご近所さんかもしれない。
「あの、わたし、スーパーに寄るので……」
「うん。あたしも行く」
実姫は苦虫を噛み潰したような顔をして、もう諦めたらしい。
なにを言っても結花千は退かないだろうと分かったので、だったら使ってやろう、と思ったのだろう。
スーパーに入り、買い物かごを結花千が受け取った。
「実姫って料理できるの?」
「できますよ。料理も洗濯も掃除も。家でのわたしの役目がそれですから」
「でも、お母さんはなにしてるの?」
「仕事です。うち、離婚して片親なので。夜遅くまで仕事しているお母さんのために、家の事は全部わたしがやっているんです」
実姫が帰宅部なのはそれが理由だった。
「先輩、勝手にかごにお菓子を入れないでください。お金がないんですよ」
セール品を狙って献立を考えているらしく、チラシ片手に店内を回る。
実姫は目的のもの以外には目も向けなかった。
「かごの中身、なんだか茶色が多い気がするけど……」
「茶色と緑です。お腹を満たせればいいと思いますか? 長く生活が続くと栄養を考えないといけないんです。そう簡単に人は死にませんけど、一年も続けば影響は出ますから」
節約生活が毎日続く。一つ年下の女の子がまさかサバイバル生活をしているとは……。
「実姫の家って、もしかして貧乏?」
「見て分かりませんか?」
いや、見ては分からないだろう。
派手な見た目ではないが、普通の格好である。
分かるとすれば、会話の中でそれっぽいなあ、とは感じていたが。
電車内での話題でスマホゲームを出したら、実姫はやっていないと言っていた。
このご時世、スマホを片手から離さない女子高生には珍しいタイプである。
休みの日は図書館に行ったり、家で裁縫をしたり……、比較的お金がかからないように趣味を嗜んでいる。
結花千はふと、
「じゃあ、バイトをすればいいんじゃないの?」
「それは、お母さんがダメだって言うので……」
学生生活を満喫してほしい、という願いなのかもしれない。
実姫の場合、バイトを許可してしまえば、学校以外の時間の全てをバイトに注ぎ込みそうな予感がする。
結花千がそう思ったのだから、実の母親もそう思うだろう。
「いいお母さんだね」
「……ですよ」
会計を終え、スーパーを出る。
結花千が買い物袋を持つと、実姫がぽかんとした。
彼女の足が止まり、結花千が先導する形になるが、実姫の家がどこだか知らなかった。
「なにしてるのー?」
「まさか、うちまで来る気ですか?」
ダメかな、ダメです、というやり取りを経ても結花千は実姫の後ろをついて行く。
ついて来ないでくださいと拒絶されても、結花千は退こうとはしなかった。
ずけずけと人の心に踏み込んで行くからこそ、結花千は嫌われやすい。
本人にも自覚はあった。
だがこういう人間だと知った上で受け入れてくれる友達は、きっと長く続く。
結花千にも自慢できる事がある。
忍耐力だけは、誰にも負けない自信があった。
「はぁ。先輩って、わたしと正反対なのに、友達がいない点は同じなんですね」
「いるよ、あたしにだって友達! 友達だと思えば友達なんだから!」
それでいいなら実姫にだって友達はいる。
しかし友達とは、最低でも互いに友達だと思っていなければ成立しない気がするのだから、実姫の指摘が正しい。
結花千は、細かいなぁ、と文句を漏らす。
実姫は、そんな結花千への警戒心を少しだけ解いた。
友達がいなくて、欲しがっている相手が近づいて来た。
同じような境遇に、親近感を抱いたと言えば、嘘ではない。
邪気など、最初から感じてはいなかった。
彼女たちは実姫に親身になってくれていた。
「……頼ってみても、いいのかも」
実姫が呟き、僅かに微笑んだ。
結花千の言い分に付け足した、互いに友達だと思っていれば友達になりえる。
その理論でいけば、結花千の言い分も全てが嘘というわけでもない。
「確かに……いますね。ここに一人」
「……え、今……っ」
行きましょうよ先輩、と、実姫は顔を背けたまま、残りの買い物袋を差し出した。
「先輩。持ってくれるんじゃないんですか?」
「うん。持つよ。これからなんでも持ってあげるから」
結花千は買い物袋をしっかりと握って、受け取った。
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