第19話 生徒会長と問題児

 ――瞬間、廊下の喧騒がふっ、と消え、静寂に包まれたような、気がした。


 凍てつくような緊張感の最奥には、意中の相手を馬鹿にされたと思った、片想い中の彼女がいた。

 今にも襲い掛かってきそうな、怒りの形相が結花千に向けられている。


 視線は一つだけではない。

 残りの二人も、結花千を糾弾するように睨んでいる。


「えっと……?」


 結花千は戸惑い、曖昧な笑みを返した。

 おかしな事は言っていない、はずだ。


 結花千と野球部の彼とは、実際に付き合ってみないと本当のところは分からなくとも、第一印象で合わないだろうと感じるのは仕方ない。

 そういう意味で、釣り合わないと言っているのであれば恐らく三人も納得はしただろう。


 だが、今回は結花千の言い方も悪い。


 結花千は、『あたしには』と言った。

 ――あたしには釣り合わない。

 自覚あるかはともかく、上から目線で言っているように聞こえても仕方がなかった。


「……帆中さんの事、嫌いですッ」


 目尻に涙を溜めながら、そう言い捨ててすれ違う。

 

 彼女の後を追う長身の女生徒が、


「だから、あんたとは関わりたくなかったのに……っ」


 そして、スマホをしまいポケットに手を突っ込んだ少女もまた、結花千とすれ違った。


「頑張って探したんだ、あんたと仲良くなれそうなところ。でも、悪いけど無理そうだって分かった。……今の亀裂は修復なんて不可能だね、本当に――」


「待ってよ、あたしは付き合う気はないんだよ?」


「もう、そういう段階の話じゃないんだけどね……はぁ……。とにかくさ、わたしたちはあんたを輪に混ぜて仲良くなれる自信はないって事。……もう、話しかけないでよ」


 そう言い終え、廊下にぽつんと一人、結花千が取り残された。


 他の生徒がいないわけではない。

 さっきの静寂もそんな気がしただけで、喧騒は今も普通に聞こえている。

 わいわいと、他愛のない会話がグループで繰り広げられている。


 グループに属していないのは、この場では結花千だけだった。



 購買で目当てのものが買えなかったので、困った時は先輩に頼ろうと行動を開始した。


 つい数分前にはクラスメイトと仲違いしたばかりだが、結花千の切り替えは早い。


 言い方は悪いが、落ち込むほど親密だった仲でもない。

 一にも満たない数値が零になったところで、ショックを受けたとしても引きずるほどの事でもなかったのだ。


 気楽に考える。

 明日になれば、元通り。


 そんなわけで、結花千の足は三階へ。


 学校の校舎は五階建てで、最上階が一年生……四階が二年生の教室があり、結花千は一つ下へ下りた事になる。

 購買も三階にあるので、三年生には有利過ぎると声が上がっているが、上級生は頑固に要求に異議を唱え続ける。


 それもそうだ、過去に同じ不満を持っていたが、我慢して今に至っている。

 今になって覆されてはたまったものではない。


 つまり、人気の商品は三年生が独占している事が多い。

 となると結花千の知っているあの人の手元に、結花千の目的のものが含まれている可能性が高い。


 教室を前にして、結花千は一瞬だけ固まった。


「あ、そう言えば……」


 三年生なのは知っていたが、どの組なのかは知らなかった。

 仕方ないので一つずつ調べていく事にする。

 

 名前を呼べば、誰かが教えてくれるだろう。


「しつれいしまーすっ。和歌先輩、いますかー?」



 顔だけ出して覗き込むと、近くにいた女生徒が丁寧に教えてくれた。


 結花千が訪ねても、教室の騒ぎは入る前となにも変わらなかった。

 筋肉のついた男子たちが遊びで取っ組み合いをしているせいで騒がしいのだろう。


 どうやら、和歌は生徒会室にいるようだ。


「生徒会室、生徒会室……確か同じ階だったような……?」


 三年生の教室から大分離れて、校舎の端に、目的の生徒会室があった。


 うろ覚えだったが、結花千の記憶力もまだまだ捨てたものではない。


 扉の先から、話し声が聞こえてきた。

 しかも片方は和歌の声で、聞き覚えがある。

 そのため、ノックはいらないだろうと、扉を横にスライドさせて開ける。


「はうっ!?」

 と、意外にも大きかった音に驚き、箸でつまんでいたおかずをこぼす生徒会長。


 隣では、入って来た人物を見て、既視感を得るような「げっ」と声に出す和歌。


 二人を見て、結花千はある事に気づいた。

 二人の手元には弁当があり、つまり、購買に行った形跡がない。


 となると、結花千が目的にしていた、余った購買のパンがあれば譲ってもらおうと思っていた計画は、開始から終了したわけだ。


 がっくりと膝を崩して四つん這いの状態になる結花千が、ぼそっと呟く。


「……終わった」

「――い、いきなりなに、なんなの!?」


 興奮する生徒会長を和歌がなだめる。

 和歌の方が生徒会長よりも生徒会長らしい。

 しかし、和歌は生徒会室に長く滞在しているが、実はまったくの無関係だ。


 役職を持っていない。

 会長の手伝いという名目で入室が許可されているのだ。


 実は生徒会長が和歌と仲が良いため、忙しい時も傍にいてほしいという職権乱用である。

 日常茶飯事となっている生徒相談や、その行動もしやすいし、という理由もあったりするが、正直後付けだ。

 それも多くの人間には既に勘づかれているが。


 生徒会長を落ち着かせ、和歌が聞いた。

 向こうの世界から数時間ぶりの会話だった。


「それで。ゆかは、一体なんの用なんだ?」

「えっと、用事は今消えちゃったところで――いやでも、そのお弁当……」

「なんで私たちの弁当を見てるんだお前は」


 なんとなく目的を察したようで、和歌が弁当を持って左右に揺らす。

 結花千の視線が、遅れる事なく弁当を追っていた。


「つまりあれか、昼食をたかりに来たわけなのか」

「おっ、話が早いね先輩」

「おかず一品くらいなら構わないが、お前の腹を満たすくらいの量はあげないぞ?」


 それでいいよ、と結花千が椅子を持って和歌の隣へ。

 その光景を面白くなさそうに、生徒会長が横目で見ているが、間に和歌を挟んでいるために結花千は気づきもしない。


 窓を背にして、横長の机に三人で並んで座る形になる。

 和歌の肩よりも前に、結花千が肩を入れ、弁当を物色する。


「お肉が欲しい」

「おい、私も好きなやつを、あげるわけないだろう」


 えー、とがっくりしていると、和歌が仕方ないなあとメインのおかずを分けてくれた。

 この先輩、かなりちょろい。

 年下が弱みを見せておねだりすれば、たとえ犯罪でも手伝ってしまうのではないかと心配になる。


 あれもこれも、と和歌の弁当をつっついていたら、結花千のお腹もある程度は膨れた。その代わりに、和歌の分はかなり少なくなってしまっていたが。


 気づいた和歌が弁当を見下ろして後悔していた。

 できるだけ力になりたい、という思いは自然と自分の首を絞めている。


 分かってはいるのだがやめられない。

 だが、それが人望に繋がっているのだから、悪い事ばかりでもないのだろう。


 結花千にとっては、羨ましいものを手に入れているのだから。


「もうっ。和歌らしいけどね。はい、これ、お弁当分けてあげるから」


 隣の生徒会長が弁当を差し出した。

 もっと早く、結花千のおねだりを止めていれば減る事もなかった和歌のおかずだが、見過ごしていたのにも、彼女個人の理由がある。


 遅く食べていたのも、同じ理由だった。


「ありがと。……なんだか、私の好きなおかずばかりだな」

「そうなの? ならまあ、丁度良かったじゃない」


 和歌が食べているのを見て、生徒会長の表情が緩んだ。

 結花千が来て、固くなっていたのがやっとほぐれたようだ。


 和服が似合いそうな長髪美人の生徒会長の事は、舞台に立って話している姿しか見た事がなかった。

 和歌を挟んですぐ隣にいる、なんて状況は初めてである。


 誰にでも分け隔てなく好意的に接する。

 生徒会長としては基本だが、結花千はその対応を機械的だと思っていたし、その感情は作りものだと感じていた。


 だが和歌に対しては違う。血の通った年相応の少女に思えた。


「ねえ、生徒会長さん」

「なんですか。問題児の帆中結花千さん」


 そう言えば、問題児リストに挙がっていると和歌が言っていたような……。

 なにを根拠に、そのリストに挙がっているのか説明してもらいたいところだ。


「自覚がない、と? あなた、いじめられているんでしょ? あなた自身が気にしてなさそうだったから議題には挙げていなかったけど」


「私も聞いてたけど、ゆかの態度から、勘違いじゃないかと思っていたんだよな。……会話を軽ーくいなされるのを、いじめと取るかは難しいけど」


「えっ、いじめられてないよあたし!」


 問題児リストに挙がっているのは、本人に自覚がない、というのが大きい。

 あと、単純に素行が悪いというのも加点されている。

 主に言葉遣いについてだ。


「学力も、赤点があるようだし」

「二つだけなのに!」


「一つでもあるのが問題なの。それも毎回毎回……、問題児として挙げるには、微妙なところだけど、普通ではないと自覚はしておいてほしいの」


 生徒会長の忠告に、結花千は、はーい、と答える。

 和歌がぼそりと、

「そういうところだよ……」と呟いた。


 結花千にとっては、明確な罰則がないのであれば現状維持である。


 すると、扉がこんこん、とノックされた。控えめな叩き方だ。


「ゆか、入る時にノックをするのが普通だからな」

「あれ、しなかった?」


 生徒会長が扉の先の生徒に、どうぞ、と。

 和歌に相談したいと訪ねて来た一年生だ。


「ゆか」

 和歌の呼びかけに顔を向ける。

 先輩は、結花千にでこぴんをした。


「っ、たぁ」

「お前がいると邪魔になるから、出・て・け」


 文句を言いたかったが、さすがに見知らぬ後輩の悩み事を聞くわけにもいかない。


「――じゃあ先輩、お弁当美味しかったよありがと」


「はいはい、次からはちゃんと自分で用意しろよ。あと、外で聞き耳立てるなよ」


 ばれてる、と内心で思いながらも、

「しないよそんな事ー」と言っておいた。


 と言いながらも、したらどうなるだろうと考えていたら生徒会長が一言。


「罰則が発生してもいいのなら、どうぞお好きに」


 生徒会長権限でどうとでもできる生徒会長を、敵に回すのは賢くない選択だ。

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