二章 神々の救い方

第18話 結花千の世界

 今日は登校日だった。

 昨日も行ったばかりだが、体感では七日ぶりである。


 久しぶりに感じる制服を着用して目的の駅で下りると、ちらほらと同じ制服の女子高生が目立ってくる。共学なので男子もいるが、結花千の視界には入らないだけだった。


 あっ、と見知った顔を見つけたので後ろから驚かすように、おはよーっと挨拶をする。

 クラスメイトの二人組は笑って返してくれた。


 一緒に行こうと思ったが、自販機に寄りたいと言った二人を待っている内に、人の流れが多くなってはぐれてしまった。

 仕方がないので流れに乗って先に向かう事にする。


 その後もクラスメイトに出会ったが、用事を抱えている者が多かった。

 朝練や委員会、職員室に呼ばれているなど。

 そのため、結花千は今日も一人で教室まで辿り着いた。


 窓際、一番前の席にカバンを置く。

 教室を見渡すと、数人が一人の机に集まり駄弁っていた。

 内容は、気になっている男子がいる、というのが膨らんで、夏休み前に告白するべき、とアドバイスなのか命令なのか、軽いノリの応酬だった。


 よし、あそこに首を突っ込もう、と結花千は前進をやめない。


「だからさ、夏休みに入ったらこうして学校で会えなくなるんだよ?」

「向こうも気にはしてると思うけどねー」

「そ、そうかなあ?」


「――ねえねえ、なんの話っ?」


 三人組の後ろから結花千が登場した。

 げっ、と顔に出した正直者が、告白を勧めていた女生徒だ。


 スマホ片手に興味なさげなもう一人と、

 話題の中心にいる三人の中では一番真面目そうな少女が駄弁っていた。


 話題の中心である机に座っている彼女と目が合って、なぜかさっと逸らされた。

 内容は丸聞こえだったので、今の結花千でも話にはついていける。


「好きな人って誰? あっ、野球部!?」

「こ、声が大きい!」


 力強く、しーっ、と指を立てられた。

 くくくっ、とスマホ片手にもう一人が笑う。


「あんたならやると思った」

「なにが?」


「いやー? 人の事を考えないからそうやって大声で言えるんだろうなって」


 確かに、軽率だったと反省する。

 その上で、もう一度聞いてみた。

 クラス内の人間関係を考えてみたら、野球部という推理は割と当たっているのかもしれない。


「当たって、るけどぉ……!」

「ふーん、ふんふん。なるほどねぇ」


「丁度いいや、帆中も夏休み前なんだから、告白した方が良いと思うでしょ? 今カップルにな

れば、海だってお祭りだって自然と誘えるし、良い思い出になると思うんだよね。断られる可能性もそりゃあるだろうけど……上手くいく方が高いと思う」


「でも、野球部の練習が大変な時に、こんな事をいきなり言って困らせたくないし……」


 そうは言うが、三年生の引退試合に向けて、これからどんどん忙しくなるだろう。

 告白するタイミングなど、今よりもっとないと思う。


 あるとすれば部活を引退した後や、卒業間際になるだろうが、彼女がそれまで待てるかどうかである。

 他の子が狙っている可能性もあるし、意中の彼自身、興味が移る事もある。

 今、告白するべきと言えば、そうかもしれないのだ。


 結花千は腕を組んで考え、

「うん、今しよう」


「で、でも……、ま、まだ心の準備がぁ……っ」


 うー、と頭を抱えた彼女の手を取って、席から立たせる。


「えっ、今って、今!?」

「うん。朝練も、もうそろそろ終わるんじゃないかな」


 自分で歩き出せないのならば周りが背中を押し、必要とあれば突き落とすべきだ。

 意外とステージにさえ上がってしまえばとんとん拍子に上手くいったりするのだ。


「待って帆中さん、それはさすがに恐いよ嫌嫌いやーッ!」


 教室から出そうと引っ張るが、彼女は足を踏ん張って絶対に出ない気だった。


「大丈夫だってば。いつも手作り弁当作ってるでしょ? だったら成功するよ」

「その根拠はなに!? というかよく知ってるね!?」


 教室中を眺めていれば気づく事もある。

 そのため、実際に話す回数が少ないクラスメイトの事も、休日になにをしているかなど知っていたりもする。


 偶然を装って休日にばったり出会う事も結花千にとっては造作もない。


「はーい、ストップ」


 いつの間にか隣にいて、結花千にでこぴんをしたのは、スマホを珍しく持っていない少女だ。

 彼女はやる気のない目のままだが、無理やり告白させるのは反対らしい。


 無理に告白されそうになって怯えてしまった彼女は、今はもう一人の胸の中にいる。

 親切に手伝ってあげようとしたら、なぜだか、気づけば悪者になっていた。


「暴走し過ぎ。もっと人の事を考えろよなー」

「手伝ってあげようと思っただけだってば」


「余計なお世話だっての。手伝いがほしければこっちから言うから、それまではおとなしくしててよ」


 他の二人も同意見だと頷いていた。


「そっか。……じゃあ、告白頑張ってね」


 結花千はおとなしく自分の席に戻る。

 反対されているのを無理やり押し切って手伝うほどメンタルが強いわけではない。


 それに、仲良くなれると思ってやっているのに、実は嫌われているのでは、本末転倒でもある。

 望まれない事はしないのが無難だ。


 すると次第に、登校してくる生徒が多くなってくる。


 朝練を終えたメンバーも揃ってきた。

 結花千の隣の席の男子も、机にカバンをどさりと置いた。


 野球部なのだろう、野球ボールのストラップがカバンにつけられている。

 汗臭いのを気にしているのか、必要以上に消臭スプレーを使っていた。


「あ」


 男子は気づいていなかったが、野球ボールのストラップがカバンからはずれて床に落ちたのだ。

 見えてしまったので、結花千は拾ってあげる事にした。


「はい。これ、落ちたよ」

「あ? ああ……ありがとう、帆中」


「どういたしまして。…………。えっと、なに?」

「は? いや、なんでもねえけど……」


「視線を感じるし」

「帆中も俺の事をじっと見てるんだけどな……」


 結花千は男子を見ているのではなく、朝練後に食べるつもりなのだろう、彼の持つ菓子パンを見ていただけだった。

 美味しそうだったのでチェックしておこうと見ていたのを勘違いされただけだ。


「……そうか。でもそこまで興味津々に見られると……じゃあ一口、食うか?」

「いいの!? 食べる食べる!」


 男子は三分の一程度、指で千切ろうとして、しかし朝練直後であまり清潔とは言えないだろうと自覚があったらしく、千切るのを躊躇っていた。

 それを踏まえて、というわけではないだろう、結花千は無意識に、彼の持つ菓子パンを取って、一口かぶりついた。


「あ……」

「んーっ、美味しい!」


「そ、そうか……そりゃあ良かったな」


 はい、返す、と男子に菓子パンを渡して、結花千は満足気に背もたれに体重を預ける。

 かじった場所を、男子がかじれば間接キスになるなどと、知りもしない顔だった。


「…………」


 彼は結花千がかじった場所を眺めて色々と悩んだ結果、構わず食べる事にした。


 にやけた顔を、隠そうと、菓子パンを一気に頬張っていた。


 ――そんな光景を遠目に見ていた女生徒三人組は、全員が彼の心中を察する。

 ある一人の女生徒にとっては、非常に厄介な問題であった。



 昼休みに廊下に呼び出されて、結花千は購買に行く前に、朝に会話した三人組と向き合った。

 朝の話の進展でもあったのだろうか。

 少し期待していたが、どうやら違うようだ。


 当人は一番後ろで見て分かるほどに落ち込んでおり、それを守るように、長身の女生徒がイライラを隠さずにつま先をとんとんと床に当てて鳴らす。


 スマホ片手ちゃんはいつも通りのスタイルを貫いていた。

 基本的に、彼女は動かない事が多い。


「どういう事なのかな?」

「えっ、どういう事って?」


 つま先のとんとんだけではなく、ちっ、と舌打ちまでされた。

 ここまであからさまに敵意を向けられる事は少ない。

 なにかしたなら分かるが、なにもしていないのに……。


「なにかしているからこっちはこうして呼び出しているんだけど……っ」


「??」

「あっ、こいつ本当に分かってないよ」


 スマホから顔を上げて、彼女がそう指摘する。

 スマホを見ながらでもきちんと周囲には気を配っているらしい。


「帆中、あんたこの子の意中の男子と、なんで良い感じになってるのかって事」


 結花千は、……、と思考し、ハッと気づく。


「野球部の好きな男子って、あの……」


「あんた、知らずに告白を勧めてたんだね。でさ、聞いた通りだよ。なんで良い感じになってるのか、だね」


「良い感じって……そう?」


 結花千はそうは思わなかった。

 会話なんて業務的なものが多い。


 次の教科はなんだとか今は教科書の何ページなのかとか。

 見たり調べたりすればすぐに分かるものを結花千に聞いてくる。

 そのため会話は多かったが、良い感じと言えるような内容ではないはずだ。


「あんたと喋る口実だよ。理由がないと喋れない、不器用な男子の気持ちを察してよ」

「あっ……。だからあんなに……っ」


 結花千も理解した。

 業務的な内容でもいいから喋りたかった、つまり彼は結花千の事を好意的に見ているという事になる。

 だからこの三人は問題視していた。


 とは言え、そう言われても……。


「帆中は、彼の事をどう思っているの?」


 一番後ろの、片想い中の彼女がじっと結花千を見る。

 答えを待ちわびていた。


 どう答えよう……、と悩む。


 どうでもいい、というのが本音だが、さすがに心象が悪いだろう。

 好きじゃないから、ガンガンアタックしなよ、と彼女に譲ってもいいのだが、好きじゃないから、にしてしまうとタイミング次第では好きになってしまう余地を残してしまう。

 

 そこまで細かく考えはしないだろうが、念のためだ。


 未来永劫、絶対に付き合う可能性はないと示しておこうと考えた。


 となると、こう答えるべきだ。

 それは、演技でも言葉の綾でもなく、割と本気の意見でもある。

 なので気持ちが言葉に乗っかった。


「いやー、あたしには釣り合わないかな」

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