夏の思い出

いちはじめ

夏の思い出

 少女は教室の窓にもたれて、この夏の不思議な出来事を思いだす。

 誰も信じないだろう、夕立と共に現れ、そして夕立が突然止むようにいなくなった彼のことを。

 少女は思う、来年お供えをしたら、また彼に会えるかしらかと。


「あちゃ~、また降られた」

 最近この辺りを通りかかると決まって夕立に振られる。

「川神様へのお供え物のキュウリとトマトを、黙って食べちゃったから祟られているのかな」

 少女はバス停の待合室に急いで自転車を滑り込ませると、タオルで体を拭きながらため息を漏らした。

 そして自転車に跨ったまま、濡れた髪を拭こうとして体を傾けたのだが、そのまま固まってしまった。それは誰もいなかったはずの待合室に、学生服姿のずぶ濡れの男の子がいたからだ。

 しかしその男の子は少女と目が合うや否や、しまったという顔をして慌ててそこから飛び出していった。

 とっさの出来事にしばらくそのままの姿勢で動けなかった少女であったが、我に返ると、人の顔を見て飛び出すなんて失礼ねと憤慨した。


 少女が再び彼に会ったのは、それから数日後、またもや夕立に振られ、待合室で服を乾かしている時であった。この時も少女は、彼がいつ入ってきたのか全く気付かなかった。気が付くと後ろに立っていたのだ。

「入る時は声をかけてよね、びっくりするじゃないの」少女はこの前のこともあり、鼻息を荒くして抗議した。

「ごめんなさい、驚かすつもりはなかったんだ。急に夕立に振られ、雨宿りしようと思って……」と彼は小さくなって言い訳をした。その様子に、まあそれは仕方ないんだけど、と少女は口を尖らせた。

 男の子はまたもやずぶ濡れで、前と同じ古臭いデザインの学生帽と学生服を身に着けていた。

「中学生? この近くに住んでるの?」

「そうです、越してきたばかりで……」と言ったきり下を向いて押し黙ってしまい、少女が何を聞いても返事をせず、会話を続けることができなくなった。

 少女はもう少し話をしたかったのだが、これではらちが明かない。雨が止んだのを幸いに、じゃあまたとその場を後にした。

 それからというもの、夕立に振られる度に、不思議と彼も待合室に現れ、そして二人は夕立が止むまで話し込んだ。話はもっぱら彼が聞き役で、少女が一方的に話すことが多かったが、川神様の伝承について話す彼は、同一人物とは思えないほど雄弁になった。

 彼によると、ここの川神様はもう何百年も前によその川から移動してきた河童で、姿を消して悪戯もするが、日照りの時には雨を降らせ、洪水の時には被害を小さくする、人間に有益な神様だという。ただお供物は欠かしてはいけないし、魅入られた女性が神隠しに会ったりすることも昔はあったという。

「そのお供物をちょっと頂いたくらいで私に夕立を降らせ意地悪するんだから、器が小さいのよね」少女の軽口に、彼は「でも、こうして会える機会を作ってくれるんだから悪い神様じゃないと思うけどな」と苦笑した。そりゃそうだと少女も思ったが、口には出さなかった。

 

 その後しばらくは夕立にも振られず、彼も現れなかったが、少女はその状況を少し寂しく思うようになっていた。夕立に会えば彼に会えるのなら、毎日降られてもいいとさえ思い始めていた。

 そんなある日、少女がいつものように自転車で帰宅していると、夕日に染まった待合室に彼が立っているのが見えた。少女はうれしさのあまり全速力で待合室に飛び込んだのだが、彼はこれまでと違って非常に厳しい表情だった。少女は彼の表情に何か得体の知れない不安を感じた。

「これから言うことをよく聞いてほしい。この週末に大雨が降り洪水が起こる。だから君は決して外に出てはいけない。僕が君に会いたいが為に、多くの雨を降らせ過ぎたせいで、上流の溜池の水が溢れそうになっている、次に雨が降ればもう持たない」

「何か悪いことが起きるというの、何が何だか分からない」と少女は不安をぶつけたが、彼はそれには答えず、もう一度念を押すと思い詰めた顔で待合室を後にした。

 果たしてその週末、台風崩れの低気圧による大雨が夜半から降り続き、防災無線の警報により、少女は彼の言っていたことが本当であったことを知った。そして彼の思い詰めた顔を思い出し、言いようのない不安に駆られて、外に飛び出していった。

 土砂降りの雨は止む気配がなく、既に川の水位は、警戒レベルまであと僅かのところまで上がっていた。

 何の当てもなく待合室まで来たものの、どうしていいか分からず少女が途方に暮れていると、突然後ろから呼びかけられた。

「外に出るなといっただろう」

「だってあなたの言ったことが本当になったから、あなたことが心配で……」

 涙が溢れ出るのを少女は止めることができなかった。

「器は小さいけれど、嘘はつかないからね、僕は」と笑って彼は少女の涙をぬぐうと「何とかなるから心配しないで、危ないから急いで家に帰って」そう言うと増水している川の上流へ走り去った。


 その日の夕刻、上流の堤防に大きな落雷があり、そこから堤防は決壊した。しかしそのおかげで、その後起こった溜池決壊の影響は下流の民家や田畑まで及ばず、さしたる被害は出なかった。

 ただ決壊現場には黒焦げの学生帽と学生服、そして奇妙な白い小さな皿が残っていたという。

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夏の思い出 いちはじめ @sub707inblue

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