第93話 絶望と賭け

 強者の強烈な圧。屈するのに時間は掛からない。金色のオーラを纏うユウの姿が絶対的な強者として立ちはだかった。冷笑は文字通りカルガ達に冷たい汗をかかせ、体も心も恐怖が支配していく。


 アンのユウを見つめる瞳に力は無く、目の前にある恐怖に怯えていた。抉れた傷口を押さえ、体が震えないようにするのが精いっぱい。何とか立って前を見てはいるが、抗う気力は消え去っていた。


「む、無理だ⋯⋯こんなの⋯⋯」


 ダルの上ずった呟きがみんなの心を代弁していた。だらりと下がった剣を持つ手に、気力を失っている事が分かる。

 絶望とも思える感情が、心を支配していく。


「いやぁあああああああ」


 恐怖に混乱するリーファが叫び膝を落す。頭を抱えガタガタと体を震わし、抗う事など微塵も考えられない。ただただ恐怖に支配され、子猫のように震えるだけだった。

 

 マズイと思った瞬間、すぐに恐怖が塗りつぶす。絶望に塗りつぶされた心に何かを思考する事さえままならない。打開策など見つかるはずも無く、目の前にいる畏怖の対象を見つめる事さえ出来ない。

 ダメだ、終わりだ。

 カルガの両手もダラリと力無く下がる。

 冷笑を浮かべるユウは、恐怖にひれ伏す四人の様に満足気な笑みを湛えた。


「随分と手こずらせてくれたね。絶対王にはひれ伏すのが礼儀だよ。覚えておくといい。あ! 消えていく人間に覚えておくは無かったね。失礼」


 不遜な態度、不躾な言葉。

 それに抗う態度や言葉など、持てる者はいない。硬直した思考と体でその態度と言葉を受け止めるだけだった。

 ゆっくりと近づく強者の足音に三人は、恐怖に耐えながら後退して行く。それは反射的に下がっているだけで、意図も何も無い。ただただ強者の圧に屈し、後退を余儀なくされた。

 終わりが近い。カルガは足を止め、覚悟を決めた。

 今、行く。

 目を閉じ、頭にぼんやりと浮かぶのは、妻ミハルと息子カイルが手を繋ぎ歩く姿。


『大丈夫。まだ⋯⋯』


 遠ざかる二人の声。

 まだ? 何だ? 何が言いたい? おい!


 絶望を、恐怖を、悲しみが青く塗り替える。歪んでいた世界が悲しみと後悔に染まっていく。

 忘れてはいけない物を思い出した。

 呼び起こされる、守る事の出来なかった自分への強い自戒の念。

 回り出す頭、動き出す体。

 恐怖を映していた瞳が、悲しみと後悔を讃える。カルガはゆっくりと未だ怯える三人の前へと進み出ると、ユウの前に立ちはだかった。


「これはいったいどういう事だ? 何故、君はいつも私の邪魔をする? 大人しく恐怖に打ちひしがれていればいいのに。何故、君はいつも思った通りに動かないのだ?」

「ぐちゃぐちゃ、うるせえ。消えろ」


 カルガは吐き捨てると、剣を強く握り直した。

 渾身の振り下ろし。使い込まれた刃をユウに向ける。

 キン!

 甲高い金属音。ユウは簡単にその刃を薙ぎ払った。

 構え直すカルガの血濡れの腹部へ、ユウの鋭い前蹴りが襲う。


「⋯⋯うぐっ」


 抉るような痛みと共に、後方へ吹き飛ばされた。

 カルガの体はそのまま、怯えているリーファに背中から突っ込む。


「いやぁあああ⋯⋯もう⋯⋯いやだ」


 突然の衝撃にリーファはさらに怯え、床で丸まった。


「クソ⋯⋯」


 痛みと出血で意識が朦朧とする。起き上がろうと床に手をつくと指先に何かが触れた。


「終わりだ」


 ユウが迫る、煌びやかな刃をちらつかせ歩み寄る。

 余裕の笑みを浮かべ、絶望を纏うその姿に抗う術を模索し、一縷の望みを手繰り寄せろ。

 指先に触れた感触にカルガは賭ける。

 リーファの腰からそれを抜き取り、ユウの足元へと滑らせた。


『『『ドォォォォォォォオオオ』』』


 ユウの足元から立ち上がる炎の柱。

 ハーフエルフ特製の【魔法陣】が、強者を焼いていく。

 虚を突かれた勇者の体は炎に巻かれていった。


 焼き尽くせ。

 カルガはその様子を冷静に睨んだ。


「あっががぁあっ! はっ! あっ! あっ! ⋯⋯ああああああああ!」


 ユウの体が燃える。予期していなかったまさかの反撃に、ユウの体は無防備に炎に巻かれていった。

 床をのたうち回り、必死に体にまとわりついた炎を消して行く。


「痛い⋯⋯熱い⋯⋯痛いよ⋯⋯何だよこれ⋯⋯」


 焼けただれた皮膚が伸び、表情はもはや分からない。呻きに混じり聞こえる弱々しい呟きが酷く矮小に映った。

 

 とどめを⋯⋯。

 立ち上がろうとするカルガの姿に、焼けただれた勇者は目を剥き、踵を返す。

 その臆病とも見える姿をカルガは睨む。


「待ちやがれ!」


 叫ぶカルガの声を背中に感じ、ユウは思うように動かない足を必死に動かして行った。

 必死に足に力を込めるが、腹部の傷がそれを許さない。膝から崩れ落ちるカルガは、扉の奥へと消えて行くユウの後ろ姿に奥歯をギリっと噛み締めた。



 壁にもたれながらユウは必死に通路を進んで行った。奥へ奥へと闇雲に歩を進める。

 痛いよ。何だよ、あれ。

 こんな話じゃなかったはず。

 

 アサトは?

 ミランダは?

 

 アイツらはどうしていつも邪魔ばかりするの? 弱いクセに。

 

 焼けただれたユウの姿に強者の面影は無かった。

 ガラス戸に映り込む自身の姿。目を背けたくなるほどの痛ましいその姿に愕然とする。

 焼けただれた両手をまじまじと見つめる。焼けた皮膚が張り付き、思うように動かせない。

 膝から崩れ落ちそうなほどの衝撃と同時に湧き起こる怒り。

 酷い。

 私をこんな目に合わすなんて。アイツらが来てから碌な事が無いじゃないか。

 全てが狂った。何もかも上手くいっていたのに。

 アイツらさえ現れなければ⋯⋯。

 怒りに任せ、目を剥く。前を見据え、思うように動かない足を必死に動かした。

 許さない!

 怒りの塊と化す焼けただれた勇者が、前方を睨んだ。





 僕達はトボトボと痛む体を引きずる。雨音だけが響く広い廊下をゆっくりと歩いていた。

 ユランはカイルを抱き、後ろを歩く。腫らした顔が痛々しく、見るからにボロボロだ。

 そう言っている僕も、体中がギシギシと痛む。折れたであろう骨と、熱を帯びる傷に足を動かすのがやっとだった。

 

 終わった。

 もっと安堵感に包まれるかと思ったけど、ただ終わった、それだけ。達成感も無い。見えなくしていた心の穴が、またぽっかりと口を開く。虚無感が寂しさを呼び起こす。しばらく無言のまま歩いた。どこに向かえばいいのかも分からず、ただただ前に進んだ。


「ユラン、大丈夫? 代わるよ」

「大丈夫だ。少なくともお前より私の方が頑丈だ、気にするな」

「そう言っても、ボロボロだよ」

「見た目だけだ。いいから歩け」


 僕はひとつ嘆息して、ゆっくりと進む。

 静かだ。

 兵士はもちろん、誰もいない。不気味なほど人の気配を感じないのが酷く不穏に感じる。

 しかし今、勇者とかち合ったら間違いなく終わりだね。

 このまま何も無く外に出られる? そんなわけないか。

 往々にして、悪い予感というのは当たるものだ。

 

 T字路に当たる。

 何気なく左に視線を向けた。何かを特段感じたわけではない。

 そこにあったのは、視界に映るおぞましい姿の人型。その凄惨な姿に僕の思考は一瞬固まる。

 誰?

 僕の姿を見るなり、大きく目を剥いた。悪意ある殺意がこちらに向いたのが分かる。

 煤けた中、わずかに見える赤かったであろう鎧。赤い鎧にひとつの記憶が呼び起こされた。

 僕は一度後退して、ユランに向く。


「ユラン、ここに隠れて。僕が行って、しばらくしたらそこを左に!」


 有無を言わさずユランを柱の影へと押し込む。

 僕はその焼けただれた勇者の前に躍り出た。


「鍵屋!!」


 僕は殺意から逃れるため、T字路を右に折れると必死に足を動かした。

 焼けただれた勇者のスピードが上がる。目の前に現れた獲物に、殺意が足を動かす。

 互いに動かない足に、気持ちばかりが先走り焦燥感に駆られていった。


「鍵屋! 鍵屋! 鍵屋!!!」


 あれはもう僕の記憶にあるユウ・モトイではない。

 怒りと悪意と殺意しか無い怪物だ。

 苛立ちに任せて闇雲に振るユウの刃が、破砕音と共に壁や柱を盛大に抉っていく。

 あれに巻き込まれたら終わりだ。でも、何でこんなに必死に逃げているんだろう?

 もう、いいんじゃないのか? やるべき事は成し遂げた。違うのか?

 何が僕を突き動かしているのか分からないまま前を向く。拍動に合わせて痛みが体中を駆け巡った。

 

 階段?

 下るしかない。

 螺旋状の階段を下へ下へと下って行く。コツ、コツ、と軽快とは言えない足音を鳴らして行った。

 足音に混じり上から聞こえる破砕音、それに合わせて心音は高鳴りを見せる。

 

 行き止まり!


 頭が白くなる。終わりがヒタっと近づいた。

 薄暗い螺旋階段を下った先にあったのは酷く頑丈な鉄格子。絶望とも言える状況に鉄格子を強く握り締めた。


 終わり⋯⋯。

 いや⋯⋯あれは?


 諦めかけた僕は前を見た。その光景に記憶をまた呼び起こす。

 近づく足音を感じながら、腰のピッキングツールを床にバラ撒いた。


 まだだ!

 大きく息を吐きだし、震える手を無理矢理に抑え込む。

 大丈夫。この鍵なら大丈夫。

 自身に何度も言い聞かせ、鍵穴にピックを差し込んだ。

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