第92話 恐怖と逡巡

 階下で鳴り止まない破裂音。ダルとリーファがハーフエルフ特製、【魔法陣】のタペストリーを巧みに操り、囲む兵士達を戦闘不能に陥れていた。

 階段の上段では、そう広くもない空間でカルガとアンがユウと睨み合う。アンの脇腹は見る見るうちに赤く染まっていき、傷の深さが伺えた。

 

 下はあいつらに任せておけば大丈夫。問題はこっちだ。あれだけ派手に攻撃してほぼ無傷とは化物だな。冷えた怒りを見せるユウを目の前にしてカルガは逡巡する。アンの負傷は痛い。渡り合うにはやつの力は不可欠。さて、どう出る?


「っつ!!」

 

 逡巡する暇など与えてはくれない、振り下ろされるユウの煌びやかな刃。

 ガツッと鈍い音をカルガの刃が鳴らす。重く鋭い斬撃。両手で受け止めたものの、勢いは殺せず、カルガは片膝をついてしまう。

 この馬鹿力が! 

 震える両手で必死に抗う。じわじわと脳天に迫る刃にイヤな汗が頬を伝う。


「シッ!」


 痛みを抱えたまま、アンが飛び込む。眼前に迫る刃をユウは弾き返した。

 カルガが下から空いた懐を狙うも、斬り上げるカルガの刃を、ユウはいとも簡単に振り落とす。尋常ではない反応を見せるユウにカルガの表情は険しくなった。


「【昇華ブースト】」


 ユウが静かに詠う。初めて聞くスキルに、カルガもアンも最大の警戒を見せた。

 金色のオーラを纏い、絶対王者としての圧を掛ける。その圧にふたりの拍動は上がり、恐怖とも言える感情が飲み込んで行く。ユウと対峙するふたりの瞳に映る畏怖の念。

 ヤバイ、無理だ。

 心が折れる。手先は震え、体が強張る。

 息苦しい。

 浅い呼吸を何度も繰り返し、空気を求めた。

 構えろ。カルガは震える手で切っ先をユウに向けて行く。揺れる切っ先を一瞥し、ユウはゆっくりと歩み寄る。強者の余裕とも言えるその仕草にふたりはさらに飲み込まれた。

 無理だ⋯⋯。

 カルガの心は完全に折れ、対峙するユウの圧力に屈する。体中から冷えた汗が吹き出し、恐怖が心と体を支配していく。隣に並ぶアンも、重い圧に激しく肩を上下させていた。


「どうしたのかな? 先ほどまでの威勢はどこに行った?」


 余裕を見せるユウの冷笑。カルガとアンは構える事さえままならない。恐怖に塗りつぶされた体は強張り、自身の最後の姿が何度も頭を過り、思考は停止していた。

 それは圧倒的強者を前にした絶望。

 

 はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯。

 

 まるで耳に膜が張ったみたいだ。自分の呼吸音しか聞こえない。世界が歪む⋯⋯。

 

(あなた⋯⋯)

(お父さん⋯⋯)


 懐かしい呼び声。

 ぼんやりと脳裏に映る笑顔のふたり。恐怖に染まった闇を照らす小さな小さな光。

 守り切れなかった後悔が心を青くしていく。恐怖の染まっていた心が青く塗り替えられた。目を閉じ思う、そっちに行くからと⋯⋯。


「カルガーーーー!!!」


 叫びに我に返る。頭が、体が、一気に覚醒する。

 眼前に迫る煌びやかな刃。咄嗟に体を引き、アンを後ろへと突き飛ばす。

 ユウの刃がカルガの肩を捉え一気に振り下ろした。


「がはっ!」


 肩から腹部にかけてユウの刃が肉を抉る。真っ二つになるはずの体が繋がっている事に、ユウは顔を盛大に歪めた。思い通りにいかない様に子供のように地団駄を踏む。


「大丈夫か? ふたり揃ってボーっとしやがって何やってんだよ、まったく」


 階段を駆け上がって来たボロボロのダルとリーファが、カルガとアンに肩を貸した。ふたりとも体中傷だらけで、乾いた血が体中に張り付いていた。階下を一瞥すると戦闘不能となった兵士達が転がり、静かな呻きが時折聞こえる。

 アンも二、三度頭を振ると、瞳に力が戻った。カルガもアンも傷を押さえながら立ち上がる。


「ねえねえ、あれどうしたの? キモイんだけど」


 リーファがユウを指差す。ぶつぶつと何かを呟きながら、まるで幼児のような仕草で、怒りを見せていた。常日頃から威風堂々と立ち振る舞う姿からは想像を絶する滑稽な姿に、薄気味悪ささえ覚える。


「⋯⋯まったくどういう事⋯⋯王だよ、僕は⋯⋯この世界の⋯⋯邪魔⋯⋯邪魔⋯⋯いつもそう⋯⋯あいつらが現れてから⋯⋯」


 こちらを見ようともせず、ぶつぶつと爪を噛む。

 ガキかよ。


「【加速ラピッド】」


 アンの体が白く輝く。傷をもろともせず、ユウへと突っ込んで行った。瞬速を見せるアンの姿に、ユウは冷酷な瞳を向ける。斬り上げるアンの刃と振り下ろすユウの刃が激しいぶつかり合いを見せた。一歩も引かない互いの刃が激しい音を鳴らし弾け合う。

 隙を作らせるな。

 振り下ろした姿のユウに、カルガは目を剥きユウの顔面へ切っ先を向ける。ユウは顔を逸らし、迫る切っ先を簡単に躱す。視線はカルガを睨み離さない。

 ダルが飛び込む。低い姿勢を保ち、足元を狙う横一閃。ユウはダルを蹴り上げ、ダルは後ろへ吹き飛んだ。蹴られる瞬間、自ら後ろへと転がり致命傷は逃れたが、蹴られた頬は盛大に腫れあがる。


「おまえ、キモっ!」


 リーファのナイフがユウの着地を狙った。眉間を狙うナイフが伸びる。頭を振るユウに合わせ、ナイフの軌道を強引に変えた。リーファの切っ先がユウの耳を捉える。

 もっと奥へ。

 押し込むリーファの腕を下からユウの拳が突き上げると、ゴキっと鈍い音がリーファの腕から鳴った。


「いったぁあああ⋯⋯」


 リーファは後ろへと跳ね、腕を押さえる。その腕は曲がってはいけない方向へ歪んでいた。

 それでも、ユウの耳元は破れ、流れ落ちる血が顎を伝い、地面へと落ちて行く。ここに来て初めて傷らしい傷をつける事が出来た。

 ユウは顎を撫で、血を拭う。手にこびりついた自身の血を一瞥すると、鬼の形相へと表情を変えた。


「【昇華ブース⋯⋯】」


 あれはダメだ。

 カルガが叫ぶ。


「詠わすなっ!!」


 アンが神速の反応を見せ、ユウへと飛び込む。その切っ先が口元を狙い瞬速の突きを見せた。ユウは顔をしかめ、振り払う。

 思い通りにいかないその様は、ユウにとって耐え難い事だった。イレギュラーばかりの連続に、もどかしさは怒りを見せる。


 カルガは口端を上げて見せた。

 打開策は相変わらず見えないが、無表情なはずのユウの顔が怒りに満ちている。強がりとも言えるカルガの笑みが、ユウの心をかき乱すのには充分だった。その笑みにユウの顔から余裕が消えたように感じ、体から血を垂れ流しながらカルガはユウに向かい再び剣を構えていく。


「リーファ! てめえは後ろで黙っていろ。邪魔だ」

「ひっどーい」


 カルガがまくしたて、リーファはふくれっ面を見せる。


「【昇華ブース⋯⋯】」

「何だか知らんけど、詠わせないよ」


 ダルは反射的に腰の投げナイフに手を掛けると、無駄のない滑らかな動きで刃をユウに向けた。軌跡は真っ直ぐにユウの口元を狙う。ユウはダルを睨み、顔を振る。

 振った先には、カルガの剣が襲う。振り抜くカルガの剣をかち上げ、飛び込むカルガの腹部を蹴り飛ばした。


「⋯⋯ぶっはっ」


 血反吐を吐きながら後ろへ吹き飛ぶカルガを追いユウは飛び出す。目を剥くユウの様にいつもの冷静な姿は消えていた。どこか必死で、何かに追い立てられているようにも見える。

 余裕を失った勇者の姿。こちらが追い込んでいる感覚は全くないのだが⋯⋯。

 飛び込むユウにアンが剣を振って行く。ユウは顔をしかめ邪魔だとばかりに、その刃を振り払う。怒りなのか焦りなのか、雑に剣を振るそのらしくない姿に、アンの頭には疑問符が浮んだ。何を焦ってやがる?

 

 カルガの頭にも疑問符が浮んでいた。勝手に自滅してくれりゃあいいんだけど、そう簡単にはいかねえよな。

 考えろ。流れはこっちに来ている。ダメージは明らかにこちらの方がデカイのに、焦っているのは何でだ? 考えろ⋯⋯。

 

 考えろ? うん? 考える⋯⋯。

 

 逡巡するカルガの眼前に煌びやかな刃が再び迫る。

 クソ、今何か閃きそうだってのに。

 両手で剣を握り締め、渾身の力で受け止めた。重い斬撃が、腹部の傷まで響き痛みに顔が歪めた。

 切り結ぶカルガとユウに、ダルが割って入る。ユウの腕を蹴り飛ばし、顔面目掛け剣を振って行く。ユウはカルガを剣ごと突き飛ばすとダルの剣を簡単に薙ぎ払う。ダルは後ろに跳ね、深追いせずに距離を置いた。

 ユウを睨みながら、カルガの一瞬の逡巡。

 今考えている⋯⋯。

 ??

 考える事が出来ている。

 ヤツの圧にさっきは考える事すら出来なかった。どうして⋯⋯。

 あ!!

 そういう事か!


「ヤツのスキルが分かった! ヤツのスキルはパワー系じゃねえ! 見た目に騙されるな! ヤツのスキルは精神系⋯⋯」

「【昇華ブースト】」


 しまった。カルガの言葉は詰まる。ドクンとイヤな鳴りを心臓が見せた。

 一瞬の隙。余裕を失っていたユウの顔が冷笑を浮かべ、落ち着きを取り戻して行く。

 後悔の念より先に、冷笑を浮かべるユウの顔に恐怖を覚えた。

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