第94話 憂鬱と懺悔
階段を下る足音はゆっくりと響き渡る。怒りのみがその足を動かしているのが伝わった。僕は前を見据えその時を待つ。びっくりするほど冷静な自分がいる事に気が付いた。
「ああ⋯⋯そこは行き止まりだ。どうする? 鍵屋。ククク。君の事をふたつに割るくらいわけないよ。ひれ伏すかい? ⋯⋯まぁ、許さないけどね」
姿より先に静かな声色が届く。
袋のネズミ。
きっとそう思っているのだろう。その上から見下ろす不遜な態度は相変わらずだ。
僕は黙って聞き流す。大きくなる足音に耳を側立て、じっと立ち尽くしていた。
「恐怖で声も出ないのかい? いいね。君が絶望に屈する姿を見られるわけだ。想像しただけで、胸のすく思いだよ」
「随分とおしゃべりだ。ハリボテの王様は、しゃべっていないと崩れてしまうのかなぁ。全くもって、哀れなヤツだね」
僕の言葉に足音が止まった。螺旋階段から姿を現す、ただれた勇者。光輝いていた鎧は煤け、美しく輝いていた金髪は見るも無残に焼けていた。ただれた顔から血走った白目が浮き上がり、不気味な相貌を見せる。必死に胸を張り、大きく見せようとしていた。自我を保つ為に人を下に見る、本当に哀れなヤツ。
ハリボテの王様はずるずると剣を引きずり近づいて来る。僕はそれを冷ややかに見つめるだけだった。
「私が真の王だ! 見くびるな!!」
地下に怒号が響き渡った。僕はその姿に冷笑を浮かべ、肩をすくめて見せる。
「あんな事言っているよ! どうする?!」
僕は前を向いたまま、背中越しに声を掛けた。
背中から感じる強烈な圧。
その圧に僕は頑強な鉄格子を開いていく。
『オレが王だぁああぁああぁあぁああ!!!!』
手格子から飛び出したのはアサトに閉じ込められていた前王グスタ・ランダ。
この暗い地下牢で溜まった鬱積が爆発する。大きな体が弾かれたようにユウへと向いた。
迫り来る巨体。ユウの頭は突然の出来事を受け入れる事が出来ない。
想像をしていなかった事象に目を剥き、ユウの体は硬直する。怒りを映していた瞳が驚愕を映し出した。
どうしていつも、コイツが絡むと思うようにならないのだ⋯⋯。
悔しさを滲ませながら、ユウはグスタに剣を振り下ろした。
『あああああああああ!!』
正気を失っているグスタが剣に怯む事など無い。
頭の上に腕を上げ、そのままユウへと突っ込んで行く。
怪物と怪物のぶつかり合い。僕の目に映る勇者だった者の哀れな末路。
ユウの刃はグスタの太い腕を斬り落とす事は出来なかった。深々と腕に刺さる刃を臆する事無く、グスタの拳がユウのただれた顔面を捉える。
「がはっ⋯⋯」
ユウの顔面が有り得ない方向に向いた。ズルっと膝から崩れ落ち、床へと倒れ込んで行く。
『オレが王だぁあああああああ!!!』
グスタの咆哮に冷ややかな視線を向ける。ここにもまた、まがい物の狂気の王がいた。
血走った目で辺りを見渡す。
哀れだね。
僕の心は凪いだ。
ユウが倒れた時点で、僕のすべき事は終わっている。
オークのように鼻息荒く、辺りを見渡す様が酷く不快だ。欲に飲み込まれた結末、寂しい末路。
『オレは王だ⋯⋯』
「君は王じゃない」
グスタの背中越しに声を掛けると、グスタの動きが止まった。ゆっくりとこちらに振り返る。
これはきっと標的になるね。
もう、どうでもいい。
僕はこの男の欲にまみれた末路に苛立っているのか。
問題に向かい合う事もせず、地位に胡坐をかいた結果がこれ。
真正面から対峙して、抗って死した者達を思い浮かべ腹が立って仕方がなかった。志半ばで朽ちた者の無念、この男にそれが分かる事もあるまい。
『オレは王だ⋯⋯』
「だから、違うって。君はただ欲に溺れた、小さな男だよ」
怪物のように濁り、血走った瞳から目を逸らさずに言い切った。
僕の言葉を理解するのに、それほどの時間は必要無い。巨体が僕を見下ろし、太い腕を振りかぶった。
僕は真っ直ぐ立ったまま目を閉じ、終わりを受け入れる。
もう、いいや⋯⋯。
ドサッ。
床に倒れる音。僕は倒れたのか。
いや違う。
ゆっくりと目を開けると、正面に腕を下げ、老騎士に支えられるぐったりとしたコウタの姿。
足元に目を向けると、後頭部に深々と剣の突き刺さるグスタが転がっていた。
ああ、そうか。コウタが助けてくれたのか。僕の膝から力が抜け、床へとへたり込む。全身の力が抜け、立つ事が出来なかった。
「アーウィン! 大丈夫!?」
コウタ達が足を引きずりながら、こちらへ歩み寄って来た。僕はすぐに片手を上げ、大丈夫な事を伝える。良く見れば、コウタも老騎士も全身傷だらけで激戦のあとだと分かった。
「ふたりこそ大丈夫? ボロボロに見えるけど⋯⋯。騎士さんのお腹も酷いね、大丈夫なの?」
「それはお互い様という事で。あなた様がユウ・モトイを倒したのですね」
老騎士の言葉に僕は首を横に振った。
「僕は鍵を開けただけ、出会った時にはもうボロボロだったよ。コウタと老騎士さんがやったんじゃないの?」
コウタと老騎士は顔を見合わせ、揃って首を横に振った。
「え? 違うの? というか、まさかコウタがいると思わなかったよ」
「そっくりそのまま返すよ。アサトを抱えたユランと出会った時は、本当にびっくりしたんだから」
「では、これはどなたの仕業でしょうか?」
老騎士は転がっている首のねじ曲がったユウを指差した。
僕は微笑みと共に告げる。
「それは決まっている。カルガ達だね」
「凄いね。何の連携も取っていないのに」
「って事は、コウタ達は、あの黒い女エルフ?」
「うん」
コウタは少し寂しげな笑みで頷いて見せた。
コウタもそうなんだ。その笑みが語る釈然としない思い。
感じた事はきっと同じなんだ、あえて口に出さずとも。
僕達は重い足取りで螺旋階段を昇って行った。
広い廊下に出ると、カイルを抱えたユランの不安気な顔が映る。
僕は小さく笑い、頷いて見せるとユランは安堵の溜め息を漏らした。
「ユラン、ありがとう。行こうか」
ユランの背中にそっと手を当て、僕達は廊下を進んで行く。
静かな廊下に響いていた雨音がいつの間にか消えている。
不穏は消えたのに、僕の心は何故か憂鬱なままだった。
茫然と佇んでいた。ユウを逃がした自責の念にかられる。追い掛けたくとも動かない体に苛立ち、悶々とした心持ちで床に胡坐をかいていた。
カルガはユウの消えた扉を睨み、術の解けない三人は傷を押さえ、震えたまま。
あともう少しだった。
カルガは顔をしかめ、大きく嘆息する。
静まり返る大広間。聞こえるのは階下の小さな呻きだけ。
術の解けない三人に目を向けると、わずかな変化の兆しを感じた。
アンの瞳に力が戻る。ダルは何度か頭を振ると辺りを見渡し、リーファの震えが止んだ。
「お目覚めか」
カルガの言葉にアンは顔をしかめると、ダルもリーファも苦い表情を見せた。
「あらぁ何だ? 何も出来なかった」
「そうそう。凄く怖かったよ」
「アイツのスキルは精神系だ。恐怖を植え付け、ビビった所を叩く。質の悪いスキルだ」
「カルガはなんで平気だったの?」
リーファの言葉に視線を逸らす。
「さあな」
「しかし、何でスキルが解けた? 離れたからか?」
アンの言葉に一同は首を傾げた。
「死んだか?」
「まさか⋯⋯」
ダルの言葉は希望的観測に過ぎない。何か無い限り、あれは死なない。ただ、何かあれば、誰かが止めを刺す事でもあれば話は別だが、淡い希望に過ぎない。
傷つき死力を尽くした者達が、床へとへたり込んで行った。動かない体に動かない口。スッキリしない思いだけが積み重なって行く。
静まり返る一同。時間だけが過ぎて行った。
どれくらいの時間が経ったのか、長い時間? 短い時間?
口を開く者はおらず、空気だけが重く停滞していった。
その停滞を打ち破るかのように、突然開け放たれた扉。床にへたり込んだまま、反射的に剣を向ける。
現れた男の姿に一同は驚愕の表情を見せた。
「アーウィン⋯⋯? なんだって、てめえがこんな所にいる??」
「ほらね。カルガ達だったでしょう」
アーウィンは後ろの人間に声を掛けると、カルガ達の方に向き直す。
「大丈夫? また派手にやられたね」
「てめえだって、ボロボロじゃねえか」
アーウィンの後ろからコウタとデニスも姿を現した。
想像をしていなかった人間が続々と現れ、カルガ達は困惑する。
「ユラン」
アーウィンが呼びかけると、少年を抱くユランが最後に姿を現した。
その少年が誰であるかカルガはすぐに理解する。ユランは前に進み出ると、カルガの前にやさしく少年を寝かしていった。カルガは震える手を少年に向けて行く。
「カルガ。息子さんを連れて来たよ」
「⋯⋯あ⋯⋯ああ⋯⋯⋯⋯ぁぁ」
アーウィンの言葉にカルガはカイルへと覆い被さった。カイルの胸に顔を押し当て、人目もはばからず嗚咽を漏らす。
「ごめん⋯⋯本当に⋯⋯すまなかった⋯⋯」
口から漏れるのは後悔と懺悔。
蓄積された思いが、蓋をしていた感情が一気に流れ出した。
僕達はその姿を黙って見つめる事しか出来ない。掛ける言葉などみつかるはずも無く、静かな空間にカルガの嗚咽だけが響いた。
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