第88話 痕跡と扉
雨音に混じり、街の喧騒が届く。不安はざわめきとなり、街の片隅で身を隠すアスクタの耳にも届いた。
始まった。
少しだけ顔を上げ、街の様子を伺うと逃げるように街の入口を目指す。
20名程のハーフエルフ達。老若男女、全員がフードを深く被り直した。
街中さえ抜けてしまえば⋯⋯。
アスクタは辺りを見渡しては、手招きで合図を出す。その合図を頼りにハーフエルフ達は必死に街路を駆け抜けて行く。
焦りと慎重のバランスが上手く取れない。その様に自身が激しく緊張しているのが分かった。同胞の悲願達成は目の前。隠れる事も、虐げられる事も無い生活。夢にまで見た“普通”の生活が今まさに目の前に転がっているのだ、心臓が高鳴りを見せるのは当然の事。
「大丈夫か?」
ぬかるみに足を取られる子供や老人の手を引く。
住人達の目が王城に向いているうちに、ここを抜けるんだ。リーファの用意してくれた馬車が、出口で待っている。ざわめく街の中心部を横目に、狭い裏道を抜けて行く。
もう少しだ。
「アスクタ!」
手綱を掴む同胞のエリウフが馬車から手を振っていた。
「遅かったな。ヒヤヒヤさせやがって」
「これでも急いだんだ」
エリウフは飛び降りるとアスクタと共に、同胞の乗車を手助けする。
ここまでくれば大丈夫。アスクタは入口の先を見つめ、安堵に胸を撫で下ろした。
「行こう」
アスクタの跨る馬を先頭に、二台の馬車がゆっくりと進んで行く。ぬかるんだ道が馬車の歩みを遅らせる。それにアスクタは違和感を覚えた。
ぬかるんでいるとはいえ、あまりにも道が荒れている。まるで、道を耕したみたいだ。
「エリウフ! ちょっと止まれ」
馬車に声を掛け、馬車の備え付けランプを手に道にしゃがみ込む。アスクタは道の様子に目を凝らすと、じっくりと観察していった。
幾重にも重なる尋常な数ではない轍。悪路に苦戦しながら進んだ様が、抉れた道から散見出来た。
この方向はクランスブルグ⋯⋯。
アスクタは、カルガ達が話していた言葉を思い出し、ひとつの可能性を危惧した。
このタイミングで出兵⋯⋯か?
「エリウフ。お前、集落の場所は分かるよな?」
「まぁ、大体の場所は聞いたからな。なんでだ?」
「この轍が気になる。こいつが書状。着いたらアベールってやつを探して、これを渡せ。あとで合流する。頼んだぞ!」
「おい! ちょっと⋯⋯」
アスクタは早口でまくし立てると、馬に鞭を入れた。泥を跳ね上げながら轍を辿る。
うまいこと街を抜けたのだから、見なかった事にしちまえばいいのにと卑しい自分が顔を出す。
「それはない⋯⋯」
鞍上から独り言を漏らし、手綱を握り直す。
雨音に混じり、気配を感じる。手綱を一度引き、ゆっくりと近づいて行った。
ギシギシと鳴る車輪の音とぬかるみを踏む幾つもの足音。その足音の数にアスクタはブルっと身震いをする。
イヤな勘が当たってしまった。
間違いない、ラムザがクランスブルグに侵攻を掛けている。遠目に見える兵士の列を睨み、森の中へと姿を隠す。
今一度、カルガ達の話を思い出す。クランスブルグの森に建つ、大きなログハウス。そこにマイン・リカラーズがいるはず。場所は⋯⋯。記憶の引き出しから、隠れ家での会話を引っ張り出す。
顔を上げ、月を見つめる。月に向かって走ればクランスブルグ領。
まずは先回りして、足止め。出来るのか?
やるしかない。腰の
行け。
鞍上のアスクタが森の暗闇を疾走して行った。
バタバタと廊下を駆ける足音にコウタとデニスは柱の影に身を潜めた。
「行ったようですな」
「何だか騒がしいね。見つかったってわけでは無いよね?」
「分かりません。少しばかり気を付けて進みましょう」
コウタは頷くと柱の影から先を覗いた。
王城に西の外れを目指す。背中越しに慌てふためく様子が伝わるが、ふたりは気にする事無く、真っ直ぐにその扉を目指した。
両開きの豪奢な扉の前にふたりは立つと、ゆっくりと剣を抜いた。ふたりは労せず目的の扉へとたどり着く。
「さて、どうしよ⋯⋯」
コウタがポツリと呟きかけた刹那、ゆっくりと扉が開いた。
城内の喧騒に、妖艶な
驚愕の顔を見せながらも
ベッドの上で微睡んでいた黒髪のエルフが一瞬で覚醒し、一瞬の困惑を見せる。
コウタは後ろ手に扉を閉め、黒髪のエルフへと飛び込んで行った。
エルフは跳ねるようにベッドからすり抜けると
ミランダとルクが、コウタとデニスに剣呑な表情を見せると、コウタは冷ややかな瞳でそれを見つめ、一度態勢を整えていった。
「女子の部屋にノック無しなんて、無粋ね。モテないわよ⋯⋯っつ!」
ミランダの言葉を待たず、コウタは再び斬り掛かった。ミランダを援護しようと構えるルクにデニスが斬り掛かる。
「あなたの相手は、どう見ても私でしょう。無視されるとは傷つきますな」
デニスの鋭い振りが、ルクの剣をかち上げる。デニスがガラ空きとなった、ルクのみぞおちへ前蹴りを見せると、ルクの体は激しく壁へと飛ばされた。
「くっ」
小さな呻きを上げ、ルクは痛みに顔を歪めた。表情ひとつ変えずデニスは追い討ちを掛ける。
「ルク!」
コウタの剣を跳ね上げ、ミランダがルクへと跳ねる。ミランダの切っ先がデニスに向かう。ミランダの鋭い斬撃を両手で受け止めると、デニスもまた壁へと飛ばされてしまった。
「【
コウタがスキルを詠う。神速の速さでミランダに飛び込んで行く。
ミランダはその詠唱に、口端を醜く上げた。
「【
ミランダが詠うと、いるべき所から姿が消えた。
一瞬の困惑。
コウタの視界から忽然と消えたミランダが、気が付くと真横で剣を振り抜いていた。
咄嗟に剣を振り上げ、切っ先の軌道を変えたが、左腕に深々と突き刺さる。
コウタは勢い無くミランダを蹴り飛ばし、距離を置く。
剣先の抜けた腕から止めどなく血が流れ落ちて行った。
「悪い子にはしっかりとお仕置きしないとね。そう思わないルク?」
「おっしゃる通りです」
ミランダは口端を上げ、目を細めて見せた。その不遜な態度にコウタの瞳は熱を帯びていく。
「コウタ様。こんな言葉はご存知ですかな? ⋯⋯バカは死ななきゃ治らない」
デニスは前を見つめながら微笑んで見せると、熱くなり過ぎていた事をコウタは自覚する。軽く息を吐き出し、ゆったりと構え直した。
「ハハ。良く知っているよ。折角だから、その足りない頭を僕達が治してあげよう」
コウタが冷えた笑みを見せると、ミランダの頬が引きつる。
互いに次の一手に思考を巡らせていった。
バタバタと兵士達の駆けずり回る足音が先ほどから鳴り止まない。
ユランが僕を柱の影へと押し込む、兵士達が隠れている僕達の横を走り抜けて行った。
心臓の高鳴りよ、治まってくれ。
僕は胸に手を当て大きく息を吐き出した。ユランがその様子をチラっと伺うと口を開く。
「そう、緊張するな。狙いは私達ではない⋯⋯はず。領内か城内で何か起きているのであろう。そういえばアーウィン、大事そうにずっと背負っているその筒は何だ?」
僕が背中に背負う筒状の入れ物を指して、ユランは首を傾げて見せた。
その言葉に僕の心は一気に冷えて行く。頭が、心が、黒く塗り潰されて行く。僕は無意識に冷笑を向けていた。ユランが少しばかり返答に困ったのか、微妙な顔を返す。
「これは僕の唯一の武器だよ。一度しか使えない対抗出来る唯一の武器⋯⋯」
ユランはその冷めた言葉に一瞥だけして、前へと向き直した。
「行くぞ」
ユランの小さな声で、僕達はまた廊下を進む。先程までに喧騒は消え去り、一転静かな様を見せていた。
王城の東の外れ、特段変哲のない扉のノブを僕は音を立てぬように静かに回す。鍵が掛かっている事を確認し、腰の道具入れを広げた。鍵穴を確認して、先が刀の切っ先のようになっているピックを取り出し、静かに鍵穴へと挿入する。音を立てぬように静かに穴の中を確認し、先が少し傾いているフック型のピックに持ち替えた。
「ユラン、大丈夫?」
「ちゃんと見ている。集中しろ」
焦る気持ちを、無理矢理に抑え込み静かに鍵穴をまさぐる。鍵穴の中にあるピンテンションが動く度にカチカチと音を鳴らし、ふたりの耳には必要以上に大きな音に感じた。
カチャ。
サムターンの回った音。
僕は急いで道具をしまい、ユランに目で合図をする。
ユランはひとつ頷いて見せ、扉の横へと身を置いた。
僕はそのドアノブをゆっくりと回す。破裂しそうな程、心臓は高鳴りを見せて行く。
その高鳴りが緊張なのか、なすべき事へ一歩近づいた高揚なのか、僕自身分からないでいた。
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