第89話 混乱と焦燥 

「「「うわぁああああああああああああ」」」


 何人もの絶叫が木霊した。

 前線の兵士が立ちのぼる炎の柱に焼かれて行く。

 クランスブルグ領を目の前にしたラムザの街道。前線を行く兵士の足元から赤い紋様が浮び上がり、炎が巻き上がった。


「止まれーっ!!」


 前方からの叫びに、兵士達はざわめきと共に足を止める。否、止めざるを得なかった。炎の柱に四肢が吹き飛ぶ者。目を剥いたまま焼かれる者。涙を浮かべ絶命する者。助けを乞い、手を伸ばす者⋯⋯。目の前で繰り広がった惨劇に前線の兵士の心は恐怖に染まる。ガタガタと震え、次の一歩が出ない。その一歩が、目の前の躯の仲間入りをするかも知れないという恐怖に心は完全に折れ、部隊は沈黙する。

 

 兵士達の混乱が後方にも伝わり、部隊長は苛立ちを隠さない。


「進め! 進めと言っておるのだ! サッサと歩け!」

「⋯⋯無理です⋯⋯無理だ、こんなの!」

「ふざけた事をぬかすな! ふぬけが!」


 恐怖のあまり逃げ出す兵士を、部隊長は切り捨てていく。静まり返る部隊を睨み、鞍上から味方の血で染まった切っ先を前に向けた。


「クランスブルグは目の前! 怯むな! 進め!」


 前線の兵士が恐る恐る一歩を踏み出す。歩みは恐ろしくペースが落ち、部隊の侵攻はあからさまな遅延を見せた。



 急げ、急げ。

 遠目に感じる燃え上がる炎の音。アスクタは森を駆ける速度をさらに上げて行く。

 時間的に【魔法陣】を貼るのは一か所が限界だった。それでも相当な効果はあるはずだ、命知らずのバカがいない事を祈る。

 手綱を握る手に力を込め、クランスブルグの森へと駆け抜けて行く。





 ユランが少しだけ開いた扉の中を覗く。直近に気配を感じず、ゆっくりと中へと侵入して行った。

 僕もユランの後ろについて、中へと滑り込む。後ろ手に扉を閉めると、大きめの窓から射し込む月の光だけが室内を照らした。ぼんやりと浮かび上がる、統一性の無い調度品の数々に目を凝らす。

 夜目の効くユランはキョロキョロと室内を見渡し、すぐに部屋の奥を指した。

 僕達は、ゆっくりと近づく。子供が寝るには大きすぎるベッドに見える小さな小山。

 そこに小さな者がいる。

 あと少し⋯⋯。

 突然、バサっと布団が蹴られ、ベッドの上に少年が立ち上がった。

 招かざる来訪者に目を細め、明らかな嫌悪を見せた。


「扉が開いて誰かと思えば⋯⋯はぁ~鍵屋。また、お前か!!」


 言うと同時にアサトの拳が襲って来る。少年の華奢な腕が唸りを上げて振り抜いた。ユランのナイフが激しい金属音を鳴らし、少年の拳を逸らす。床から破砕音が響き、小さく深い痕跡を床に作った。


「チッ! うっぜえ。勇者はどこに隠れてやがる。出て来やがれ!」

「僕達だけだ」

「ああ? はったりかましやがって。んなわけがねえ」


 僕はわざとらしく溜め息をついて見せる。


「お前なんか、僕らふたりで充分なんだよ」


 僕は冷えた笑みを向ける。自分が思っている以上に冷静なのが、自分自身意外だった。頭は冷えている。冷え過ぎているのかも知れない。

 アサトは苛立ちを隠さず、血走った目でこっちを睨んでいた。僕とユランは口端を上げ、それと対峙する。その様にアサトの熱はさらに上がって行った。


「舐めるなぁぁああああああ!!」


 ユランが僕を背にナイフを構え、振り抜く細い腕をいなす。

 右左と激しい拳の嵐と切り結ぶ。

 僕は急いでユランの背中から抜け出て、背中に背負っていた筒を取り出していく。

 その姿にアサトは、懐疑的な目を向けると、させないとばかりに目標を僕に移した。

 全くもって、そういう勘は冴えているね。

 僕は表情が出ないようにと、出来るだけ平静を装う。

 刹那、眼前に迫る拳。咄嗟に筒で受け止め、自ら後ろへと飛んだ。


「ごはっ!」


 筒を通しても伝わる重い衝撃。後ろへ飛んだとはいえ、その勢いは凄まじく、あばらから乾いた亀裂音が小さく聞こえた。

 骨逝ったかな。

 僕は大きく息を吸う。鈍痛が走るが大丈夫。これくらいなら問題ない。

 痛みに少しばかり顔を歪め、僕は立ち上がる。

 あえて、微笑みを讃えてアサトを睨む。


「ムカつく。ああー、その目がムカつく。本当に勇者が隠れてねえのか? お前らふたりで何とかなるとでも思っているのか? そんな無理ゲーをお前らふたりでクリアーする気か? 舐めくさりやがって。俄然、ムカつく⋯⋯」


 アサトが目を剥くと、その瞳は怒りに満ちていた。氷のように冷酷で、妙な落ち着きを見せる。

 アサトが飛び込む。瞬きもせず拳を真っ直ぐに僕に向ける。僕は反射的に横へ飛ぶと、それを読んでいたアサトの重い蹴りが、痛む脇腹へ飛んで来た。


 バキっと乾いた音が響く。


「かはっ!」


 マズイ。これは完璧に逝った。

 うずくまる僕の前にユランが飛び込み、次撃を叩き落す。


「てめぇ⋯⋯邪魔だ⋯⋯」


 アサトの冷酷なまでに落ち着いた声色。振り抜いた右腕がユランのこめかみを狙う。ユランは顔を引き急所を外す。小さな拳が鼻の頭を掠めると、鼻からは止めどなく血が流れ落ちた。ユランは曲がった鼻を直すかのように鼻筋を整え、再びナイフを構える。アサトの目が見開き、激しいラッシュを見せていく。受けきれなかった拳がユランの肩を、胸を、顔を捉え、激しい打撃音を鳴らした。顔は激しく腫れ上がり、剣を握る腕に力が入らない。

 

 早く、早く、早く。

 僕は急いで筒から、それを取り出していく。焦りから手が震え、簡単な事に手間取っていた。その間にも拳を避けきれないユランが視界に映り、僕の心に更なる焦りを生んでいく。





 広い空間が広がる。カルガの開け放った扉の先、高い天井と広い階段が目の前に待ち構えた。白を基調にした壁と柱。柱には細かい細工が施され、贅の限りを尽くす調度品が並び、カルガ達を出迎えた。

 

「さて。鬼が出るか蛇が出るか⋯⋯」


 カルガは階段の先を睨む。ユウを筆頭に三人の勇者が一斉に現れたら終わる。贅沢は言わない、ひとりで現れろ。柄にもなくカルガは祈る。階段の先が開いた瞬間、終わりってのは勘弁だ。

 吹き抜けの回廊に騒ぎを聞きつけた兵士が、新たに集まり出した。兵士がひとり、またひとりと左右の回廊を埋めていく。

 見下ろされるのは気分がいいものじゃないな。カルガは兵士達に冷たい視線を向ける。

 アンは増えていく兵士を気に留める事も無く、階段の奥の扉だけを睨む。ダルはキョロキョロと辺りを見渡してはいるが、焦りは微塵も感じていなかった。


 睨む扉が開き始めると、状況は一変する。カルガを筆頭にアンもダルも、一気に顔が険しくなった。三人の緊張は一気に頂点まで駆け上がる。


 現れたのは、赤く光る鎧を纏うユウ・モトイ。

 そのあとに続く勇者に三人は警戒を強めた。

 ⋯⋯いない。

 ひとりか? 三人は前を睨んだまま、最悪のカードを引かなかった事にひとまず安堵を見せる。


「ありゃあ、鬼か? 蛇か?」


 緊張した顔で軽口を叩くダルに、カルガは口端を上げる。


「ありゃあ、クズだ」


 扉の前で見下すように見つめるユウ。軽く左右に視線を振り、嘆息する。


「ミランダとアラタは何をやっているのかな? 全く、相変わらずの怠慢だね。しかし、君達はたった三人で来たのかい? 来るならジョンが来ると思っていたのに意外だ。ジョンが向こうに残っているのか⋯⋯ミスったかな。いや、でもどこかに隠れているという事もあるのか⋯⋯これだけの人数に囲まれても焦る様子も無い。何か隠し玉があるって事かな⋯⋯。ジョンが隠れていたとしてもやる事は同じか。アン・クワイ、スカウト系の勇者。速いが軽い。ふむ」


 聞こえるように呟く様が気持ち悪い。

 その余裕がカルガの怒りを倍増させる。


「ぶつぶつ何言ってやがる。お前もひとりじゃねえか。もしかして、嫌われてんのか?」


 カルガが半笑いで叫ぶ。

 その言葉にユウの顔が一気に冷えていく。


「そんな口をきけるのも、今だけだよ」


 ユウは三人に切っ先を向け、兵士達に指示を出した。

 それを合図に回廊に待機していた兵士が、一気に流れ込んで来る。

 三人は落ち着き払い、その様子を眺めていた。カルガはおもむろに、腰に備え付けてある何本もの丸めた小さな布からひとつを取り出した。向かって来る兵士の足元にその布を滑らす。紋様の描かれたそのタペストリーを勢いのまま、ひとりの兵士が踏みつけた。

 

 ブォオオオン。


『ああああああああああ!』


 風の刃が巻き起こる。布の周辺にいた兵士達は叫び、体は斬り刻まれていく。一瞬で出来上がった血の海に兵士達の足は硬直する。

 カルガはすかさず次のタペストリーを床へ滑らせた。


「踏むなー!!」


 床に置かれたタペストリーの周りに人垣が出来ると、カルガはポケットからクルミを取り出し、タペストリーに向けて放り投げた。兵士達の体は硬直し、放物線を描くクルミの行方を目で追う事しか出来なかった。

 クルミがカチっと布越しに床を叩く。


 ドゴォオオオオオオオ。


 立ち上がる火柱、その余りの勢いにカルガとダルも吹き飛ぶ。


「ハッハァー、ハーフエルフ特製だ。お前ら良く味わえ」


 カルガは体を起こし、床に転がる兵士の残骸にわざとらしく眉間に皺を寄せて見せた。

 体を焼かれのたうち回る兵士の足元に、またもタペストリーを滑らす。


「おい! 動くな! 止まれ! 動くな!」


 カルガが冷えた笑みを見せると、苦しみもがく兵士がタペストリーを踏みつけた。その瞬間、またしても風の刃が巻き上がる。斬り刻まれていく同胞の姿に、恐怖が心を支配していく。

 その様を睨み、カルガはタペストリーを手にニヤリと兵士へ笑みを向けた。


 瞬く間に削られて行く兵士の数に、ユウの頬がピクリと動く。

 冷静沈着な姿が崩れた一瞬を見逃さない。

 混乱と騒乱の渦の中、アンはユウへと飛び込んで行った。

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