第86話 雨音に紛れる
雨音のせいかも知れないけど、何か鬱屈した空気を街中から感じる。
隻眼の男はフードを深く被り、人目を気にしていた。汚い店に一旦腰を落ち着け、辺りの会話に耳をそばだてていく。ほろ苦いお茶をひと口含み、渋い顔をして見せると、目の前に座る
(おい、聞いたか? 裏のイバンのとこ、息子に招集が掛かったってよ)
(この間はラゴの所にも掛かっていたよな? 何だって急に⋯⋯)
(いや、本当によ。そんなに兵隊が必要なのかねぇ? 行方不明の子供が大量に見つかった件もあったし、何だかよう、気持ち悪いんだよなぁ)
(おお、それな。ここだけの話だけどよ、あの子供らは国が隠していたって、もっぱらの噂だぜ)
(聞いた、聞いた。本当かね? しかし、何だか急にきな臭くて、落ち着かねえなぁ)
(全くな)
どこも似た話をネタに、コソコソと盛り上がっていた。大っぴらに盛り上がっていい話ではないのは明らかで、あちらこちらで耳打ちし合う姿が散見出来た。
漏れ聞こえてきた会話の中に気になる言葉。
“招集が掛かった”
僕は眉をひそめ、ユランに耳打ちする。
「招集って言っていたよね?」
「ああ」
「前の時は募集の告知だった。どういう風の吹き回しなのかな? 本気でクランスブルグを落とす気になっているとか?」
「そうだろうな。本気というか焦っているように見える。先日の件でこちらの戦力は、ガタ落ちだ。攻め時と考えてもおかしくはない。にしても、攻め急いでいる感じは拭えんな」
「ふぅーん」
あまり深い興味を示さないアーウィンに、ユランは怪訝な顔を向ける。
「興味なしか?」
「うん? あ、うん。正直、あまり。カルガや勇者達が何とかしてくれるでしょう。鍵屋の僕に出る幕などないよ」
その言葉にユランは呆れて見せる。
これからなそうという事柄を差し置いて、良くも関係ないと言えたものだ。
「⋯⋯まぁ、いい。私はアーウィンを手伝うだけだ。ミヒャとキリエとの約束だからな」
「無理しなくていいのに」
「私がそうしたいというのもある」
ユランの言葉に眉をひとつ動かしただけで、アーウィンは興味無さそうに扉を指した。
「行こうか」
ふたりは店をあとにする。しとしとと降る続ける雨を睨み、フードを深く被り直した。
雨がふたりの足跡を流し、ふたりは静かに紛れて行く。街を静かに歩くふたりを気に留める者などいなかった。
その扉は静かに閉められた。
「コウタ様、どちらへ?」
突然の声掛けにコウタはゆっくりと視線だけを向ける。その瞳は少しばかり淀んだ光を映し出していた。
廊下の壁に腕を組みながら体を預けている老騎士は、表情ひとつ変える事も無く視線をその淀んだ瞳と交える。
「止めないでよ」
厳しい表情で言い放つコウタへ、デニスは腕を組んだまま首を傾げて見せた。
「はて? 止めるとは?」
「とぼけないでよ。ジョンに言われているのでしょう、僕をラムザに行かすなってね」
「いいや、ジョン様からそのような話は承っておりませぬ」
思ってもいなかった言葉にコウタの表情に困惑が生まれる。デニスはその様を受けて言葉を続けた。
「私めが仰せつかったのは、コウタ様を見るようにと。決して止めろ、などと言う事はおしゃっておりませんでした」
デニスは口端を少しばかり上げて見せると、コウタは溜め息をつきながら頷いて見せた。
「分かりましたよ。全く⋯⋯お見通しって事ですか」
「さぁ? どうでしょう。準備はしてあります。こちらへどうぞ」
「どこに行くか分かっているの?」
「ラムザ帝国ではないのですか?」
「そうだけど⋯⋯何だか、手の平で踊らされているみたいだね」
デニスは黙って、廊下の先を手の平で指した。
「さぁ、行きましょう。私も、短い時間ながらあなた方と接して、思う所もありますゆえ」
デニスの表情が冷えた怒りを見せると、コウタの瞳も滾っていく。窓に打ち付ける雨音を気にする事なく、ふたりは廊下を力強く進み、馬車へと向かって行った。
「全く、鬱陶しいな」
アンは扉を開くなり、ぼやいて見せた。外套についた雨粒を軽く払って脱ぎ捨てる。その様子を一瞥する事も無く、カルガは汚れたソファーに体を投げ打っていた。何かを考えているのか、何も考えていないのか、周りの人間にはさっぱり分からなかった。
「そういやぁ、
ダルがアンに熱いお茶を渡す。アンが熱がりながらも少しばかりお茶を啜った。
「あちっ! また、湖の湖畔で再興の準備をしている。強い人達だよな」
「アベール経由?」
「ああ」
「なぁ、そこにオレ達の入り込む余地はないのか?」
アスクタが、ふたりの会話に割って入る。地下に潜っている同胞達の限界が近い事をずっと心に重くのし掛かっていた。
「大丈夫じゃないか? 一緒に再興すれば、何も言わんと思うぞ。心配だったらアベールに一筆書いてやるよ。彼女なら力になってくれる」
「本当か!? 頼むよ!」
アンが頷いて見せると、カルガがむくりと体を起こした。
「アスクタ、移動の準備をておけ。陽動も兼ねて、早々にカチコミをかける。狙いは、クソ勇者共だ」
「作戦は?」
「オレとアンとダルで突っ込んで、ヤツらの首を刎ねる」
「だから、どうやってよ」
「知らん」
「はぁ~」
ダルが呆れて見せると、カルガはまたソファーに体を預けた。アンはひとつ唸り、口を開く。
「まぁまぁ、とりあえずはひとりずつだよな。まとめて相手するのは愚策だ。リーファが戻ったら、やつにも手伝って貰おう。まずはどうやって忍び込むかだ」
「アンはユウに勝てるのかい?」
「ぶっちゃけ、自信はない。体格から見てもパワー系だろう、部は良くないな。でも、一対一ならって話だ。何とか全員でかかれば⋯⋯何とかならないかな?」
「パワー系⋯⋯。グスタと同じ系統か。確かに面倒だ」
「グスタ⋯⋯。久々にその名を聞いたな」
アンは一瞬、昔仲間だった男へ思いを馳せた。
ダルは頭の中で、シミュレーションを繰り返し、表情を曇らす。遠目から削ってからの肉弾戦が定石だが、いかんせんこちらには、飛び道具がない。
「ミランダとアラタをどうするかも⋯⋯。仮にユウを倒せたとしても、このふたりは確実に絡んで来る。秘密裏に行くしかない」
「だよなぁ。寝込みでも襲うか?」
冗談まじりのダルの言葉に、カルガはむくりとまた体を起こす。
「それしかねえよな」
「え?! 本気? 冗談で言っただけなんだけど」
「悪役らしくていいじゃねえか」
「オレは悪役になったつもりはないぞ」
ダルが不満気に口を尖らす様をカルガは薄ら笑った。
「寝込みを襲うと言っても、そう簡単には行くまい。どう出る?」
アンは逡巡する。カルガは嘆息し、ダルのお茶を掻っ攫った。
「まぁ、出た所勝負で。ただ、時間は掛けられねえ。サクっと終わらせようぜ」
「簡単に言うね」
アンは諦めの溜め息をつく。どちらにせよ、やるしかない。
時間は無限にある訳でもなく、時間を掛ければ掛ける程、向こうの態勢が整ってしまう。立て続けに攻め入る方が効果は高い。
「アスクタ。お前らは準備して、どさくさに紛れてここを出るんだ。いいな、行け!」
アスクタは軽く頷き、部屋を飛び出した。カルガは一瞥する事もなく立ち上がる。
「さて、オレ達も行くか」
各々が準備に余念がない。ここが勝負所と言わずとも心得ていた。雨音が激しさを増して行き、呼応するかのように男達の思いは滾っていく。
止まない雨が、男達の気配を流す。外套を叩く冷たい雨に、心が冷える事は無かった。
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