鍵屋の憂鬱

第85話 凶行と悲嘆

 激しい落胆と嗚咽が、その部屋から漏れ続けた。ベッドの上で目を閉じているキリエ・ルジンスカ。永遠に覚める事のない眠り。しっかりと布団を掛け、乱れはない。ただ、胸元からの赤い染みがその柔らかな布団に広がっていた。その染みが何を表しているかは一目瞭然。突然の別れに誰しもが涙し、悔しさを噛み殺せずにいた。


「誰が⋯⋯どうして⋯⋯」


 コウタの言葉は嗚咽と共に尻切れる。溢れる涙を拭う事なく、悔しさを露わにしていた。ジョンも宙を仰ぐ。涙を零さないようにと必死に抗うが、涙は頬を伝わって行った。

 誰に見つかる事も無く、急所を一突き。無駄のない鮮やかな手口。手慣れた者の凶行なのは間違いない。ジョンは、必死にこの状況を打破しようと思考を巡らすが、生気を失ったキリエを視界に捉えると思い出ばかりが頭を過り思考は停止してしまう。

 

 姉のように慕っていたコウタには、きつ過ぎる。自分がしっかりしないと⋯⋯。

 ベッドサイドで膝を落とし、顔をくしゃくしゃにしているコウタの姿には同情しか無かった。

 ミヒャに続きキリエまでも失う事になるなんて⋯⋯。

 ジョンはそっとキリエの眠る部屋をあとにする。

 クランスブルグにいれば、襲われる事はないと高を括っていたのは事実。そこまでの警備をしていなかった。

 認識が甘かったのか?

 だが、勇者の居住区に関しては、そこまでの警備を必要としない。元々、力のある者達を警備する必要はないというのが共通認識。しかも、繋がっている王城の関しては厳重な警備を施している。そこをあっさりと掻い潜り、キリエの部屋に辿り着けるものなのか⋯⋯?

 なぜ? どうして? どうやって? 誰が?

 自問自答を繰り返し、答えは袋小路へとはまる。的確な答えは全く見えてこない。

 自分が思っている以上に、衝撃を受けているのだな。

 ジョンは大きく息を吐きだし、しばらくの間思うままに身を委ねる事にした。途端に溢れ出す涙。廊下の壁にもたれ、人目をはばからず嗚咽を漏らした。





「モモがられちゃったよ」


 ラムザ帝国を出て少しばかり奥まった森に身を潜めていたアンの所、リーファは突然現れ開口一番、懸念していた事が起きてしまった事を告げる。


「はぁ⋯⋯」


 油断は無かったと思う。リーファの話から証拠も無かったはず。怪しい動きにならぬよう城に戻したのが失敗だったのか。悲しみが思考を鈍らす。言葉が出て来ない、何をどう言えばいいのか。

 黙り込んでいるアンの姿にリーファは続けた。


「あたしはカルガから、手紙みたいなの預かっているんで、ちょっとクランスブルグに行って来る。マインにも教えないといけないからね」

「⋯⋯オレも行く」


 一瞬の逡巡を見せたアンが、馬車の荷台へと滑り込んだ。

 

 モモ、申し訳ない。

 

 巻き込んでしまった負い目が悲しみを倍増させる。声を掛けない方が良かったのかと自問自答を繰り返す。答えの出ない思いがぐるぐるといつまでも頭の中を巡り続け、揺れる馬車の上で悲嘆と後悔に揺れていた。





 ログハウス内に大きな衝撃が走る。ジョンから語られたキリエ殺害の報。茶を淹れようと立ち上がったマインが固まる。パーティーのメンバー達の動きも止まり、驚愕と悲しみに包まれた。誰もが言葉を失い、静まり返る。ひとりまたひとり嗚咽が漏れ出すと、誰もが静かに涙をこぼしていった。


「何て事⋯⋯」


 付き合いが短かったとはいえ、ずっとここで身を潜めていたマインを誰よりも気遣ってくれた。その優しさを思い出し、胸を抉る。涙は勝手にぽろぽろとこぼれ、マインは絶句していた。ジョンも眉間に手を当て悲しみに耽る。


「邪魔するよ」


 突然の声に一同が顔を上げると、飛び込んで来たのは、良く知る狼人ウエアウルフと見知らぬ女。ただならぬ部屋の空気に一瞬、気圧されたが、アンはマインに向き口を開く。


「モモがられた⋯⋯」

「⋯⋯嘘」

「すまん。見誤った⋯⋯」


 マインは目を剥き絶句する。立て続けの衝撃に、激しい慟哭を見せた。いつも冷静で熱い想いで突き動くマインの見た事のない姿に、一同の悲しみはさらに深くなって行く。


「こっちはキリエが殺された」

「えっ! 何て⋯⋯」


 ジョンが目に涙を浮かべながら放った言葉に、アンも少なくない衝撃を受けた。


「モモって、前に言っていた召喚士か?」

「そうだ。ラムザで監禁されていた子供達をカルガと共に解放した直後だった」


 ジョンとアンのやり取りを見ながら、リーファは首を傾げる。


「ねえねえ。キリエっていうのも魔術師マジシャン系の勇者?」

「ああ、そうか。リーファはこっちの人達と初めてだったな。ウチのパーティーのリーファ・コクランだ。それで⋯⋯あ、キリエはそうだ魔術師マジシャンだ」

「ふぅ~ん。あ、みんな宜しくね」


 リーファは顎に手を置き、逡巡の素振りを見せた。一歩引いた目線でこの状況を精査してみるが、すぐに諦めてしまう。頭をガシガシと掻いて眉間に皺を寄せ、難しい顔をして見せた。


「あ!!」


 リーファはいきなり、ポンと手を打った。


「何だ、いきなり」

「犯人分かった!」

「は?」

「ミランダとアイツの所の猫よ」

「証拠は?」

「うーん⋯⋯勘?」


 アンが盛大にうな垂れた。期待した自分が悪いのか。

 犯人という単語にジョンは顔を上げた。リーファのすました顔を見つめ口を開く。


「ミランダって誰だ?」

「ラムザの勇者だよ」


 答えになっていないリーファの言葉にアンが続けた。


「あれだ、森のエルフシルヴァンエルフの居住区でやり合った黒ずくめのエルフだ」

「あいつか⋯⋯。リーファ、勘とはいえ何でそう思ったんだ?」

「何? そうね⋯⋯。モモの部屋に出入りしてもミランダなら、衛兵には怪しまれない。アイツの所の猫なら、忍び込んで非力な魔術師マジシャンに剣を突き立てるなんてわけないわ。ただ⋯⋯クランスブルグの城に、どうやって忍び込んだのかは分からないんだよねぇ」


 勘というには説得力があるな。ジョンは悲しみに暮れていたはずの頭が、クリアーになっているのが分かる。第三者の冷静な目が入って、落ち着きが生まれた。


「ちょっと、宜しいかな? 老婆心ながら、私の意もお話して良いでしょうか」

「デニス、是非とも聞かせて欲しい」


 老騎士が控えめに手を挙げると、悲しみに暮れている一同を見渡し、ひとつ頷いた。


「向こうには、こちらの内情に詳しい者がふたりもいる。しかも、ひとりはユウ・モトイ。こちら以上に内情に精通していてもおかしくないのでは?」

「!!」


 静かな口調で語られた言葉に一同がハッと顔上げる。何故こんな簡単な事を見落としていたのか、自分達の不甲斐なさに顔をしかめ、自らに呆れていく。


「うん? うん? どういう事?」


 リーファはキョロキョロと首を動かし、キョトンとしていた。アンも自身の不甲斐なさに顔をしかめつつリーファに答える。


「ユウがミランダの猫を手引き出来たって事だ。お前の言った通り、キリエを殺したのは猫の可能性が多いに有り得る、いや、多分そうだろう。お前の勘が当たりだって事だ」

「ふふん~。ほらね、でしょ、でしょ」


 胸を張って見せるリーファに嘆息しつつ、アンは続ける。


「だとして、何故このタイミングで? しかも魔術師マジシャンをふたり同時に、手を掛けた?」

「焦っているのか⋯⋯も。クランスブルグを攻め落とそうと考えているなら、一騎当千のふたりは、魔術師マジシャンがいなくなった向こうにとって、間違いなく大きな障壁となる。遅かれ早かれ排除に動く事は容易に想像がつく」

「早々にクランスブルグ攻略を考えている?」

「それはさせない」

「だよな」


 ふたりの側にフラっとマインが立っていた。悲しみに暮れていた瞳は怒りの業火を灯す。


「アン、戻るぞ」

「ダメだ」

「何故だ! モモとキリエのかたきを取る!」

「尚の事ダメだ。これは敵を取る為の物ではない。ラムザとクランスブルグをぶつけない為に動くんだ」

「やる事は一緒だ!」

「そうだ。やる事は同じ、大将のクビを取る事。ただ、闇に紛れてコソコソとやるんだ。お前にそれは出来ん。諦めろ」

「紛れる!」

「力強く言っている時点で無理だ」


 肩をすくめるアンに鼻息荒くマインはまくし立てる。


「今回は留守番だ、マイン。コウタを頼む。精神的にダメージがデカすぎる」


 ジョンの言葉にマインはふたりを睨みつけながら、渋々と納得の様子を見せた。


「ジョン、お前も残れ。こっちに何かあった時の尻ぬぐいを頼む」

「おいおい、戦力的に⋯⋯」

「頼む」

 

 アンの力強い一言に、ジョンは大きく納得の溜め息をついて見せた。





「キリエが殺された」


 店の扉が静かに開き、現れたのは客ではなくエルフのリックルだった。


「何で⋯⋯」


 僕は言葉を失う。どうして? 何で? 死ななくていい人ばかりが死んでしまう。付き合いの長かったであろうリックルや、他の人達の悲しみは、きっと僕の非ではない。


「教えてくれてありがとう。悲しいね⋯⋯」

「全く、辛いね⋯⋯。そうだ、アン達がラムザで、とうとう動く。これで終わるといいよね」

「うん。そうだね」


 リックルは“たまには顔を出しなよ”と言い残し、店をあとにした。

 


 夜のとばりが街を黒く染める。

 心を、思いを、夜の闇と共にゆっくりと黒く塗り潰す。憂鬱さえも黒く塗りつぶし、顔を上げた。

 僕はフードを深く被り直し、裏口をそっと閉めた。夜の闇に僕は溶けて行く。


「アーウィン⋯⋯」


 その呼び声に顔を上げる。剣呑な表情を浮かべる大柄な猫人キャットピープルの姿に僕は肩をすくめて見せた。


「ユラン。どうしたのさ、こんな時間に」

「アーウィンこそどうした? こんな時間に散歩か」

「まぁね。そんな所」

「そうか。付き合うぞ」

「いや、いいよ。ちょっとそこまでだから⋯⋯」

「ああ。分かっている。こっちだ、乗れ」


 ユランが顎で指す方に小さな幌付きの馬車が停まっていた。

 何から何までお見通しな感じに僕は顔をしかめて見せると、ユランは眉をひとつ動かし、馬車へと促した。

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