第83話 心の壁

 薄気味悪い。何なんだ? こいつは。

 カルガの胸に去来する、吐き気をもよおすほどの不快感。

 まったく、胸くそ悪くて反吐が出そうだ。

 カイルもこんな目をしてここに⋯⋯。

 ここにいた息子の姿と子供達の姿がダブる。脳味噌が揺れる不快な感覚。

 目の前の光景に対する激しい拒絶反応。

 カルガは動かぬ足で扉の外へと飛び出した。


「カルガ!」


 カルガは扉の外で、胃の中の物を全てぶちまける。扉の外から聞こえる嗚咽に、ダルは渋い顔をして見せた。


「おい、大丈夫か?」


 ダルの声掛けにカルガは軽く手を挙げて見せると、口元を拭いながら再び扉の中へと進み入った。

 一体何人いる? 広く天井の高いこの空間に100は下らない同じ姿の子供達の姿。

 これをどうしろってんだ? 弱気な心が顔を出す。それと同時になぜもっと早く動かなかったという後悔。救えなかった自身の息子を思い出し、カルガの思考は足踏みをしていた。

 何を言えばいい? 少年は目を伏せるカルガに怪訝な眼差しを向ける。


「おい、しっかりしろ」

「ああ⋯⋯」


 ダルに背中を小突かれるも、返すカルガの返事に覇気は全く無かった。


「おじさん達は誰? 怪しいよね、そんな傷だらけで。ここの大人じゃないよね?」


 年長とおぼしき少年の怪訝な眼差しは懐疑の眼差しへと変わる。カルガは焦りと混乱から言い淀む事しか出来なかった。ダルは盛大な溜め息と供に少年に答えていく。


「はぁー、すまんねぇ。自己紹介がまだだったな。オレはダル・ハッカ。こっちのむさいのはカルガ・ティフォージだ。お兄さん達は君達を救いに来たんだよ。君達は悪い大人に騙されていたんだ。扉は開かれた。さぁ、行こう」

「ティフォージ⋯⋯?」


 少年は視線を落とすとティフォージと言う名を口から零し、すぐに顔を上げた。ダルは笑顔と共に大仰に両手を広げて見せる。視線を扉へと何度も向け少年を扉へといざなった。

 少年はダルに首を傾げる。意味不明な言葉を話す傷だらけの男達に、警戒を露わにしていった。ダルと少年のやり取りを子供達が見守る。何かが起きているという事は、くぐもった爆砕音と傷だらけの男達の登場が顕著に表していた。


「救う? 出て行く? ここを? 何で? 意味が分からない。おじさん達は怪し過ぎる、大人を呼ぶよ」

「大人は出て行ってもうここにはいない。ここは終わりだ。さぁ、行こう」


 ダルから笑顔が消えて行く。怪訝な瞳を向けられ、思うように行かない様に困惑と少しのイラ立ちを感じていた。

 ここでイラ立ったら、ダメだ。冷静を保てとダルは自身に言い聞かせる。


「出て行く者はいないよ。ここにいれば僕達は人として覚醒するんだ。次の次元に行ける。みすみすその好機を手放す者はいないよ。さぁ、おじさん達こそ帰って怪我を治すといい。大人は呼ばないであげるから」


 少年は努めて冷静に言葉を紡いだ。血塗れの男達を前にして、異常な冷静さにダルも気持ち悪さを募らせる。荒げたくなる声を寸での所で抑え込んだ。


「⋯⋯嘘だ」


 消え入りそうなカルガの呟き。心をどこかに置いてきてしまったかのように視線は虚ろだった。その呟きに場の空気が一瞬で冷えて行く。熱を帯び始めていた者達を一気に冷やして行った。


「⋯⋯全部嘘だよ。大人達のな」


 今度は少年を真っ直ぐ見据え、言い放った。強さのない淡々としたその口調から放たれた強い言葉。その強さに水を打ったような静けさがこの場を包む。静寂が少しばかりの心の融解を示し、次の瞬間には堰を切ったようにざわつき始める。少年達の心に生まれた『まさか』と、信じたくない、信じられない真実が心の壁を削り始めた。


「そ、そんなの嘘だわ! 信じない! この人達は私達を騙そうとしているのよ!」

「そうだ! こいつの方こそ嘘を言っているんだ!」


 奥にいた少女が声を荒げると、同調する声が次々に上がって行く。ダルはその様子に顔をしかめるが、カルガは表情ひとつ変えず、淡々と受け止めていた。むしろ慈愛の籠った優しささえ見せるその瞳で子供達を見つめている。


「ごめんな。迎えが遅くなって。申し訳ない⋯⋯」


 カルガは頭を軽く下げて見せる。まるで自身に言いきかせているかのような懺悔と後悔。その姿に子供達のざわつきは困惑へと変わって行く。

 顔を上げるカルガの目に浮かぶ涙。その涙の理由が分からず、子供達は困惑を深めて行った。頭を過るカイルの笑顔、ここにいる子供達に息子の姿が重なっていく。

 カルガは誤魔化すように軽く涙を拭い、再び子供達を見つめた。声を荒げた少女も、同調した子供達も静かにカルガの様子を見つめる。


「おじさん、嘘って何が嘘なの?」

「全てだ。ここの全てが嘘だ。ここは大人の汚い嘘で塗り固めて作った場所。厚い壁でお前さん達の目と耳を覆って、何も見えなく、何も聞こえなくした場所」


 受け入れ難いカルガの言葉に少年は首を傾げる。その姿をカルガは見つめた。

 素直に言葉を吐きだすだけだ。他にやりようは見つからない。

 届いてくれと願う。気が付いてくれと願う。


「それじゃあ、僕達に何でこんな事をするの?」

「それは⋯⋯」


 カルガは言い淀む。非情なまでの現実を伝えるべきか否か、カルガの口は一気に重くなってしまった。その様子にカルガを押しのけ、ダルが口を開く。


「お前達は勇者の材料として、飼われていただけだ」

「材料?」

「おい!」

「今、言わないでどうする? 真実だろうが」


 制止しようとするカルガをひと睨みしてダルは続けた。少年の怪訝と困惑は深くなって行き、再び部屋全体がざわつき始める。カルガは諦めたかのように嘆息し、重い口を開いた。


「少年、名前は?」

「レイ・フォルラン」

「レイ。お前さんはここ長いのか? 一年くらいはいるのか?」

「一年はまだ⋯⋯」

「そうか。レイ、その一年弱の間に何人ここを出て行った?」

「6、70人くらい?」

「多いな。その中で連絡とか、所在とか何かしら生存の確認出来た者はいるか?」


 レイは首を横に振りながら答える。


「ううん。でも、ここは覚醒のする為に社会との接触は断ち切らないといけないから、分からなくとも⋯⋯」

「分からなくともおかしくはない? か。そうやってみんなの目と耳を塞いでいたのさ。覚醒したらどうなるって?」

「凄い力を持った、選ばれし勇者になるって」

「そうか。ここに入る前、勇者は何人いた?」

「7、8人?」

「まぁ、そんな物だ。なぁ、数が合わなくないか? レイ、お前さんは頭の良い子だ。オレの言っている意味分かるよな」


 レイは逡巡の素振りを見せた。カルガの言葉の意味は分かる。出て行った人間と勇者の数が合わない。ただ、それは否定したい事実でもあった。


「おじさん達が嘘をついているんじゃないの? 勇者はもっとたくさん今はいるとか⋯⋯」

「何の為にそんな嘘をつくんだ? レイ、自分の目で確かめて見ろ。塞がれていた目と耳を解放してやったんだ、今なら出来る。オレが嘘を言っているのか、閉じ込めた大人達が嘘を言っているのかすぐに分かる」


 反論の材料を失い、レイはうな垂れた。その姿にカルガは声を優しく声を掛ける。


「レイ、顔を上げろ。家族はきっとレイの帰りを待っている。本当だ。⋯⋯オレがそうだった」


 カルガはそう言い切り、宙を睨んだ。

 やるせない現実。

 現実を受け入れていないのは自分だ。自分の言葉が自分に跳ね返り心を抉る。息子がいなくなった現実を受け入れられない自分。ここにいる子供達とたいして変わらない、見たくない現実から目を逸らして生きていただけだ。


「ティフォージ⋯⋯。もしかしてカイルのお父さん? 自分もそうだったって事はそうなんでしょう? カイルはどうなったの?」


 レイは必死に食い下がって見せた。カイルという名が出ると、カルガの頭が、心が激しく揺さぶられ、荒い呼吸を見せていく。


「カイルは⋯⋯カイルは⋯⋯カイル⋯⋯」


 過呼吸に陥ったカルガの肩をポンとダルが叩き、カルガの前へと出た。ダルは苦笑いを浮かべ、肩をすくめて見せるとレイに向かって語り始める。


「カイルの魂はもうこの世界にはいない」

「この世界にいない? ってどういう事?」

「言ったろう。お前達は勇者の材料だって。カイルの体はぴんぴんしている、憎たらしいくらいにな。でも、魂はカイルではない。カイルの魂を追い出して、クソったれの魂がカイルの体に入った。なぁ、レイ、これってカイルが生きている事になるか? 姿形はカイルだが、中身は全くの別人。どう思う? それって別人だと思わねえか? オレは別人だと思うね。覚醒して、人として進化? ほとんどのヤツが、魂が抜けただけで廃棄処分だ。別人の魂も入る事なく、動かない肉の塊になるだけだ。嘘だと思うか? カルガを見ても、まだこれが嘘だと思うか? いいぞ、自分の目で確かめて見ろ。カイルの姿をしたクソったれが城でふんぞり返っている。それが嘘だったら、またここに戻ればいい。⋯⋯オレ達は扉を開き、壁を壊した。出来るのはここまでだ。あとは自分で決めるんだ」


 ダルは一気にまくし立てた。レイは知りたくは無かった現実と、どう向き合えばいいか混乱し、折り合いのつかぬ心はダルの言葉が嘘である事を渇望する。


「⋯⋯カイルは元気でやっていたか? 笑っていたか?」


 唐突なカルガの言葉に、レイは一瞬息を飲む。カルガに向き直し、大きく頷いた。


「良く笑うヤツだった。年少のみんなの面倒を良く見てくれて、良く笑わせていた。みんなに元気を分けていたよ」

「そうか⋯⋯そうか⋯⋯ありがとう」


 カルガは言葉を振り絞った。涙が零れるのを隠すかのように俯き、顔上げようとはしない。レイは黙って肩を震わすカルガを見つめている。

 カルガの心を覆っていた厚い壁が、涙と共に崩れ落ちて行った。

 

 救われたのは、オレか。

 

 カルガは涙で充血した瞳で扉へといざなう。レイは立ち上がると少しだけ躊躇を見せたが、扉へと一歩踏み出して行った。

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