第57話 願い

 薄い暗い陽光が照らし出す犬人シアンスロープの少年が見せる思いもしなかった困惑の表情に、カルガとアンの思考は停止する。ふたりの勝手な妄想では、この犬人シアンスロープの少年は必死に助けを乞うものだと、どこかで決めつけていた。

 ふたりに向ける怪訝な表情は、困惑から疑心へと移り変わっていく。


「おじさん達は何? 誰? 僕をどうするの?」


 少しばかり怒気をはらんだ言葉に、うまい言葉が見つからない。

 助けに来た。

 こちらはそう思っても少年はそうは思うまい。こちらに向ける彼の瞳は、こちらを拒絶しようと目を細める。


「⋯⋯ああ。そうだった。オレ達は交代で入った船守だ。意外と距離あるからな。まぁ、そう言う事だ」

「ふぅーん」


 言い訳としてはかなり厳しい。見透かされているのか怪訝な眼差しが解かれる事はなかった。アンもその眼差しを解くべく口を開いていく。


「なぁ、これから坊主はどうなるんだ? こんな箱に入れられて。こっちは詳しい話をされていなかったものでな。人が入っていたもんだから、ちょっと面喰らっちまったんだよ」


 少年は、大きな溜め息を見せると、こちらを見下すような目つきを向けた。


「僕はね、選ばれたんだよ。これから僕は人智を越え、特別な存在になるのさ」

「特別ね⋯⋯」


 キラキラと語る少年の瞳にカルガは気味の悪さを覚える。

 洗脳ブレインウォッシュか。やりやがったな。


 少年に笑顔を見せ静かに小窓を閉めた。ふたりは舟から一度降り、川べりで逡巡する。連れて行く訳には行かないが、だからと言って、説得出来る状態とはちょっと思えない。少年の中に膨らむ期待とそれに対する高揚感。こちらがいくら絶望を唱えても、聞く耳は持たない事は容易に想像がついた。


「それじゃあ、ぼちぼち出るぞ。そういや坊主、向こうについてからの予定はどうなっているんだ?」


 アンが再び小窓を覗き、声を掛けた。


「さあね。美味しい物がたくさん食べられるって話しか聞いてないよ」

「へぇー、美味い物が出るのか! そいつはいいな。オレも食ってみたいものだ」


 肩をすくめる少年に、アンは大仰に驚いて見せると小窓を静かに閉めた。

 アンはカルガに剣呑な瞳を向ける。強行突破するしかあるまい。剥ぎ取った装備を身に纏い、舟は川の流れのまま静かに流れて行く。


◇◇◇◇


 ドングリ眼はさらにまん丸と見開いた。駆け引きなど出来ぬマインは、ストレートに伝えた。


 召喚を止める。


 その一言に目をパチクリと何度も目をしばたたかせる。突飛とも言える意味不明なマインの言葉に、モモの思考は追いつかないでいた。マインはおかまいなしに続ける。


「どうやって、止めればいいのか⋯⋯まったく思いつかないので、心底困っているのだ」

「あら、やだ。そんな話なんて聞いてないわよ」

「今、言ったではないか」


 マインはなおも続けた。国が行うこの術で子供達が犠牲になっている事を、自分達勇者の命が誰かの犠牲の上で成り立っている事を⋯⋯。


「それじゃあ、この体を返さなきゃダメなの? 返さなきゃいけないのは、わかるけどさ⋯⋯ようやく女の子になれたのに⋯⋯それも⋯⋯それで⋯⋯あんまりじゃない⋯⋯」


 口ごもり、語尾は消えて行く。少しばかり不貞腐れ口を軽く尖らせるモモに、マインは首を横に振り、そっとモモの肩に手を置く。


「そうか。あなたの願いは叶ったのか。良かったと友人として心から言える、本当だ。でも、それと術式を止める話は別。過去の話ではない。この先にある未来、今いる子供達の未来の話だ。彼ら彼女達の未来を簡単に断ち切ってはいけない。そうは思わないか? モモ、あなた自身がこの先を選んで欲しい。今を大事にして欲しい。だから、無謀な私達に手を貸してなんて言えない。でも、邪魔だけはしないで欲しい、頼む。あなたとは敵対したくはないのだ。これが言い出せなくて、ずっと悩んでいた」


 マインはモモの肩に手を置いたまま、柔らかな声色を響かせた。モモは視線を逸らしたままで、どこかバツの悪さを感じているのかも知れない。そんなモモを見つめながらマインは続けた。


「この体は返しようが無い。過去には戻れないのだ。だから、モモ、今を大切に。私はただ、これ以上子供達の『今』が壊れされるのを見てはいられない。それだけの話だ」


 邪魔したな。と一言付け加えマインは部屋を出て行った。パタンと扉が閉まるとモモはベッドに体を投げ打つ。ジッと天井を見つめ、マインの言葉を反芻していた。


◇◇◇◇


 森の水路を抜け、街中へと流れ着く。城へ繋がる水路に合流して行った。緊張を隠すかのように、ふたりは衛兵の兜を深々と被り、顔を隠す。

 流れのままに城の中へ進むと、地下と思われる場所へと飲み込まれた。地下を抉って作ったのが分かる剝き出しの岩肌。暗い水路を照らす、点在する松明たいまつ

 目の前に迫る扉が開かれ、流れのままに進むと岩の壁にぶつかってしまった。

 行き止まり? ここが目的地? 

 カルガは兜の下で、前方を睨みながら忙しなく視線を動かす。後方に位置するアンも同じく警戒を上げ、鋭い視線で辺りを見回していた。

 

 ガゴン、ゴゴゴゴ⋯⋯。

 

 何かが外れた大きな音と、重い物が擦れる音。岩の壁はゆっくりと動き出し、隠れていた入口が現れた。

 城の下を流れる水路? 見た事も聞いた事も無い場所に、アンは目を細める。岩肌はレンガを積んだ壁に変わり、城の中を進んでいると分かる。

 しばらく進むと突き当りに停泊所が映り、ふたりと同じ姿の衛兵がふたり、舟の停泊を待ち構えていた。


「ご苦労様です」


 衛兵の敬礼を受け、舟ごと少年を引き渡した。カルガもアンも、不自然な動きにならないよう細心の注意を払っていく。


「さあ、こちらへどうぞ」


 もうひとりの衛兵が犬人シアンスロープの少年に手を差し伸べ、奥へ通じる通路へと消えて行く。


「追わなくていいのか?」


 アンはカルガの隣に並び立ち、前方を睨んだまま耳元へ囁いた。


「これから飯を食って、豪華な部屋で寛いでって感じだろう? その隙に【召喚の間】を探すぞ。【魔法陣】さえ書き換えちまえば、とりあえずあの子は大丈夫だ」

「探すって言っても、どう探す」

「おまえらは、召喚されてすぐ階段を上り、【謁見の間】へと向かった。つまり【召喚の間】は地下にある。外から見えない地下、知られていない地下、隠している地下。ここは?」

「隠している地下⋯⋯」

「普通に考えれば、目標は近いと思わねえか?」

「確かに。それじゃあ、まずはこっちからか」


 アンは少年達が消えた通路とは逆方向に伸びる通路を指すと、カルガは軽く頷いて見せた。ふたりは少年達とは逆方向に進路を取る。

 広くは無い通路。レンガの積まれた壁は堅牢を誇り、水辺から上がる湿気に壁の下部は苔がびっしりと生えていた。すれ違う者はおらず、ふたりは淡々と進む。首は動かさず、兜の下に隠れた瞳をキョロキョロと動かしていた。

 コツコツとふたりの足音が響き渡る。不気味なほど静かだ。生活音すら届かない場所。

 ふたりは焦る気持ちを抑え、ゆるりと進んで行った。薄暗い通路がT字路に当たるとアンが足を止め、左右を確認していく。

 右は少年達が向かった方向だ、となると左か。

 アンは顎で左を指し、曲がって行く。

 アンの足がすぐに止まる。後ろを行くカルガに止まれのサインを小さく出した。

 左に折れるとすぐにまた左へと折れている。揺らめく光が折れた先から零れていた。アンは姿勢を低くし、光の漏れている方を覗く。廊下の灯りより倍はある大きなランプが二つ、扉の前で揺らめいていた。その光の元に衛兵がふたり、扉を守るように立っている。

 アンは顔を戻すと、カルガに覗くように顎で即した。言われるがままにカルガも覗く。すぐに顔を引っ込めるとアンに向いた。


「間違いねえな」

「行くか」

「しか、ねえだろう」


 ふたりは何食わぬ顔で、扉の前へと進み。扉の前に立つ衛兵に敬礼して見せた。


「お疲れ様です。交代の時間となりました」


 カルガはハキハキとした口調で言うと、衛兵はあからさまに怪訝な表情を見せる。


「貴様! 何⋯⋯」


 言い切る間もなく、次の瞬間にはカルガの拳は顎を捉え、アンの蹴りは後頭部を直撃していた。躊躇の無いその拳と脚にふたりの衛兵はガクリと膝を折った。

 カシャっと倒れる衛兵から金属音が鳴ると、アンはすぐに音の方をまさぐって行く。倒れた衛兵の腰にぶら下がっていたいくつかの古いタイプの鍵。それを手にするとすぐに扉へとさしていった。

 何本目かに挿した鍵がカチャリと音を立てて回ると、アンはカルガの方へ向く。カルガは厳しい視線を扉へと向けた。


「当たりだ。ちょっと行ってくる」


 カルガは扉を少しだけ開き、中の様子を確認した。

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