第58話 扉
扉の先から漏れ出る湿気にカルガは顔をしかめた。空気の淀みが激しい。扉から入る新鮮な空気が淀みを撹拌し、淀んだ空気が流れ出るのが分かった。クランスブルグの【召喚の間】も鬱陶しかったが、ここはそれ以上かも知れん。扉から入る光を頼りに燭台に火を灯す。燈色の炎の揺らめきに浮び上がる【魔法陣】。
ビンゴ。
しかも思った通り、【結界】を張っていない。森に多数あった【魔法陣】に覚えた違和感。どれをとっても【結界】を張ってはいなかった。そこで立てたカルガの推論は、ラムザに【結界】を扱う技術は無いという事だ。ここには、【魔法陣】を扱える者しかいない。
「おい! 早くしろ」
アンが静かに叫ぶ。
そう、急かすな。
カルガはジロリと声の方を一瞥する。
ま、ぐだぐだと考える前に手を動かすか。
カルガは【魔法陣】を睨み、
クランスブルグの物より作りが随分と雑だ。森の施設に周りに張り巡らされていた【魔法陣】もそうだった。おかげで大きく手間取る事も無く、書き換えられたくらいだしな。
まるで粗悪なコピーを見せられている感覚⋯⋯。
「終わった」
「行くぞ」
「ちょっと待て⋯⋯」
カルガはそう言うと、倒れている衛兵のポケットをまさぐっていく。皮の財布を見つけると中味を自分のポケットに捻じ込み、財布を床へと落とした。その姿にアンはあからさま嫌悪を見せる。
「おい、何してんだ」
「襲われた理由が必要だろうが。物盗りと思わせておけば、しばらくは撹乱出来るかも知らん。気休めだがな」
アンは渋々と納得し、鍵を衛兵へと戻す。ふたりは足早に現場を離れ、隠し階段を探した。すれ違う衛兵を敬礼でやり過ごし、淡々と静かに歩き逸る気持ちを抑えて行く。
「広いな」
アンはぼそりと呟く。
碁盤の目のように延々と奥へと伸びる廊下。【召喚の間】の為に作ったわけでは無いよな。
「王様の逃げ道だ。それを利用しているんだろう」
アンの迷いを汲み取り、カルガは警戒を怠る事無く答える。
後方からざわめきが届く。その喧騒は瞬く間に大きくなっていった。
ぶっ倒れたヤツが起きたのか? 角を曲がると身を潜めて様子を伺っていく。バタバタ駆け回る衛兵達、自分達の事を探しているのはすぐに分かる。
唐突にガシャンと何かが開く音が聞こえた。ふたりはすぐに音の方へと視線を投げる。
投げた視線の先に映るのは、少しばかり離れた所にあるただの壁。その壁が突然開き、中から衛兵がなだれ込んで来た。カルガとアンは頷き合い、飛び込むタイミングを計る。
20名ほどか? 衛兵の流れが止まった。辺りを警戒しつつ近づいて行く。カルガは薄く開いた壁の中を覗き、アンは廊下を忙しなく警戒する。
カルガが壁の中に飛び込むとアンも続いた。今、前から衛兵が現れたらかなりマズイが、ここは賭けに出るしかあるまい。
タッタッタっと軽快な足音を鳴らし、ふたりは螺旋の階段を駆け上がる。先の見えない作りがふたりの焦りを膨らませていった。
アンの耳がピクっと反応を示す。アンは一瞬、足を止める。
「ヤバイ、来るぞ」
「ッツ! 止まるな!」
「止まるなって⋯⋯」
カルガはスピードを落とす事無く、駆け上がり続ける。カルガの耳にも足音は届く。
「上だ! ここから上に向かった! 戻れ!!」
まだ、姿の見えぬ衛兵にカルガは叫んだ。前からの足音に困惑が見え隠れする。
行けるか?
階段を駆け上がるふたりは、警戒を一気に上げる。
困惑する5人の衛兵が立ち止まり、カルガとアンの道を塞いでいた。ふたりは兜を深々と被り直し顔を隠す。
「どういう事だ?」
衛兵のリーダーらしき男が、カルガに厳しい口調を突きつける。
「流れの隙をついて、ここを上がって行くのを確認しました。すれ違う者はいませんでしたか?」
カルガの言葉に逡巡を見せるリーダー。カルガはなおも続ける。
「迷っている場合では無いのでは? 追いましょう」
「⋯⋯いや、ダメだ。まずお前達、所属と名を名乗れ!」
「チッ! そう簡単には行かねえか⋯⋯」
その言葉を待たず、アンはカルガを飛び越え、対峙していたリーダーのこめかみを蹴り抜いた。一瞬の事に茫然とする衛兵達をカルガは見逃さない。
崩れ落ちるリーダー、その後に立っていた衛兵を次々と投げ飛ばす。虚を突かれた兵達は、螺旋の階段を叫びながらゴロゴロと転げ落ちて行くだけ。
カルガとアンが見せる上と下での阿吽の呼吸。
抜刀した衛兵を物ともせず、アンの飛び膝が顎を砕く。すかさずカルガは姿勢を低くし、アンの下を潜り抜け衛兵の足元へタックルを見せると、バランスを失った衛兵の体は階段を転げ落ちて行った。
「すまんな。死にはしないから許してくれ」
カルガは階段の下へと呟くと、ふたりは先を急いだ。カツカツっと靴音はさらにスピードを上げる。
アンは眼前に現れた鉄の扉をそっと開き、様子を覗く。
「出るぞ」
アンの一声にふたりは扉の外へと出た。廊下に敷き詰められた長毛の絨毯が王城の廊下だと知らせる。扉が閉まると、扉は完璧なまでに壁の一部と化した。
これはマインと探した所で気が付かんわな。アンは扉を撫でながら、位置を頭の中へと刷り込んだ。
「おい、早いとこずらかるぞ。どこか装備をぶん投げられる所ねえか? 脱いじまえば
「こっちに倉庫がある。急ごう」
地下に出払っているのか、いつもより静かだ。ふたりは足早に倉庫へ飛び込む。
乱雑に積まれた装備の山。その奥へ脱いだ装備を押し込んだ。
「あとは知らんぷりをしてればいい」
廊下を堂々と歩きながらカルガは耳打つ。アンは口端を少し上げ満足気な顔を見せた。
「上手くいったな」
「まだだ。【召喚の間】は完璧に潰す」
「潰す? って破壊するって事か?」
「まさか、半永久的に封印する」
「うん?? どうやって?」
「
「クランスブルグのか? 二、三日掛かるよな」
カルガはアンにニヤリと笑って見せる。
「もう着いているんじゃねえか」
◇◇◇◇
フードを深めに被り、キョロキョロと街を見回している男と大柄な
「アーウィン。あまりキョロキョロするな。お前の顔はただでさえ目立つんだ。気をつけろ」
「ご、ごめん。そうだね」
隻眼の男は申し訳なさそうな顔を
ミヒャの元にマインからの【
「ユランいいな。分かっているな」
「大丈夫だ」
「指一本触れさすな」
「大丈夫だ。触れさせない」
「本当だぞ」
「ああ、本当だ」
こんなやり取りをミヒャとユランは出発までずっと続けていた。
「アーウィン気を付けて」
「うん。分かっているよ」
ミヒャと言葉を交わして出発をした。
ラムザでもやるべき事は同じ。出来る事も同じ。
うん? まただ?
『来たれ! 気高き志を持つ者よ。集え! 高潔なるラムザの志士よ』
街中に貼られている、いくつもの大きな
僕はその
「アーウィン、どうした?」
「いや、これさ、やたら貼ってあるよね。そもそもこれは、何だろうと思って」
「ぱっと見、兵士の募集だな。軍国主義って話は聞いていないが⋯⋯慢性的な兵士不足だとか?」
「そう言う事なのかな。でも、何だか物騒だね」
◇◇
カルガの指定した場所を目指してはいるけど、街の様子がおかしい。先ほどまでの活気はいつの間にか消え、街は閑散な姿へと変わっていた。誰もが街行く僕らに剣呑な視線をぶつけてくる。簡潔に言えば、とてもガラの悪い所だ。カルガももっと普通の所を指定してくれればいいのに。隣を歩くユランは全く動じず、先程と変わらぬ歩みを見せる。
「ねえ、ユラン。大丈夫かな? 随分と雰囲気変わったけど⋯⋯」
「うん? ああ、そうだな。大丈夫だ。サッサと向かおう」
「あ、うん⋯⋯」
「それに風貌だけ見れば、アーウィンこそ、ここの住人のようだぞ」
確かにフードを深く被る隻眼の男。訳あり以外の何者でも無い。
ユランが一軒の店の前で止まると、店先を顎で指した。
こ、ここ?
ボロボロの建物。扉の半分はもげて、入口は筒抜け。店先に掲げる看板の文字は擦れて読むのに苦心する。
『ようこそ! 白鳥の泉へ』
看板に描かれている
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