第56話 少年
生い茂る枝葉が行く手を阻む。だが、カルガとアン、ふたりのスピードが落ちる事はなかった。早朝より西の深い森を進む。目指すは堅牢な壁。その壁が隠すものは何か? 予想通りのものではない事を願ってはみるが、それは淡い期待でしかない事と理解していた。
マインも着いて行くと、もちろん手を挙げるが、ふたり同時に消えれば間違いなく勘ぐられる。城の動向も気になると説得し、今回は渋々留守番となった。
「川から先は、地面に置いた石ころが目印。そこから外れたら、体が砕け散っておしまいだ」
「おっかない事で」
生い茂る枝葉を抜け、メルン川のほとりへと辿り着く。川のせせらぎが耳朶を掠める。アンの獣人の耳がピクリと動き、カルガの動きを制した。
「何をやっている?」
カルガが怪訝な顔を向けると、アンは黙って人差し指を口に当て、耳を澄ます仕草を見せる。昨日までは一切の気配がなかった。何か動いているのか? カルガは黙り、アンの動きを待った。
昨日と変わらぬ薄暗い森。鳥の音や木々の擦れる音、それは自然の音。カルガには昨日と何ら変わらぬ光景でしかない。
「上流から、流水音とは違う音が混じって聞こえる」
何かが水面を叩く音。アンの敏感な耳が微細な音の変化を捕まえる。
カルガはすぐに単眼鏡を取り出し、前方を睨んだ。曲がりくねる川の道、木々の幹がカルガの視界を塞ぐ。
「見えねえな⋯⋯何だと思うよ?」
「あの音の感じは、何か水面に浮ぶ物⋯⋯普通に考えれば舟だな」
「怪しいな」
「間違いなく」
この辺境の地に舟とは⋯⋯、調べろと言われているのと同義だ。
「もう少し川の流れが直線的な所で待つぞ。こううねっていると前が覗けん」
アンは黙って頷くとカルガの後ろにつき、ふたりは川べりを下って行く。
「ここら辺でいいんじゃねえか」
ふたりは木の影へと身を落した。単眼鏡を覗き、音の主を静かに待つ。
細くうねる川に舟を浮かべて何をする?
「来た。方向的には街だな⋯⋯。護衛らしき者が前後に一人ずつ。中央に⋯⋯なんだありゃ? でかい箱がひとつ。何か荷を運んでいる」
「貸せ」
アンが奪った単眼鏡を覗くと、すぐに顔をしかめた。
「っつ! アイツら、城の衛兵だぞ」
「ああ? あんな格好のヤツ見た事ねえぞ」
「そりゃあそうだ。王直属の衛兵、普段は表には出ない。そんなヤツらが、わざわざ護衛につく程大事なものって事だ」
「そいつは、興味津々だな」
「ま、そうだよな」
ふたりは鋭い視線を交わし、ゆっくりと進む舟へと近づいて行く。木の影に隠れ、草むらを隠れ蓑とし、少しずつ距離を詰めて行った。
カルガとアンはおもむろに口を布で覆い、顔を隠す。
舟の姿は目視が可能なほど近い、小ぶりな舟の中央に大きな獣でも運べそうな大きな木の箱。
衛兵達の油断は手に取るように伝わる。まさかここで自分達を見つめる目があるとは思うまい。
アンがカルガを一瞥すると、カルガは軽く頷いて見せた。
「【
アンがスキルを発動させると体中に一瞬白いオーラを纏う。アンは一気に舟へと疾走した。カルガも距離を置き、アンのあとを追う。
突然、向かってくる影に衛兵が、驚きのあまり目を剥いた。油断しきっていた体は一瞬硬直し、思考も停止する。
それは瞬間の出来事。
アンは船首へと勢いのまま飛び移ると前方の衛兵を川へ投げ落とす。派手な飛沫に我に返った、後方の衛兵。アンはそのまま後方へ飛ぶと、剣を構えようとする衛兵に膝を当て、川へと突き飛ばした。
舟の後方で、必死に岸へと泳ぐふたりの衛兵。重い鎧に苦心しながらやっとの思いで岸に辿り着く。
「ご苦労様」
優しさなど微塵も感じないカルガの声色を最後に、衛兵達の意識は途絶えた。
「いててて」
握っていた拳を解放すると、カルガは二度三度軽く振って見せた。
目の前でのびている衛兵を尻目に、アンの投げたロープを木に括り付け舟を係留する。カルガは親指を立てて見せると、アンは舟から岸へと飛び降り、衛兵を見下ろした。カルガは装備を剥ぎ取り、草むらでふたりを拘束すると、改めて船上に置かれた大きな箱を見やる。
「さてと、何が出るのか⋯⋯」
「何となく予想はついているのだろう?」
「おまえもだろう」
カルガの言葉にアンは肩をすくめて答えて見せた。
ふたりは舟に飛び乗り、箱の天井に付いている小窓を開く。薄暗いながらも、陽光が射し込むと箱の中はすぐに全容が露わになる。
「ま、そうだよな」
カルガもアンも渋い表情で、箱を覗いていた。
純白の七分丈の法衣に似た薄い上下だけ纏った、成人前の少年。茶色のくせ毛に
想像と違う反応を見せる少年に、戸惑うのはカルガとアンの方だった。
「おじさん達、誰ですか? もう着いたのですか?」
少年の問い掛けに、ふたりは困惑の色合いを濃くするだけだった。
◇◇◇◇
アラタは扉を開き、モモの部屋を初めて覗いた。部屋の壁に並ぶあみぐるみの無機質な視線に、眉間に皺を寄せていく。
「あら、やだ。新入りさんじゃない。どうしたのよ?」
「アラタだ。新入り呼ばわりするな」
「あら、やだ。おっかない。レディーには優しくするものよ」
モモはわざとらしく驚いた顔を見せた。丸顔にくりくりとした丸い瞳がさらに丸みを帯びるとアラタの頬は引きつりを見せる。アラタは心を落ち着かせようとひとつ大きく息を吐きだし、わざとらしい笑みを浮かべた。
「いやぁ、確かに。女性は優しく、優しく扱わないとな」
「そう。わかったのならいいわ」
モモはいつものようにベッドに腰を掛け、クマのあみぐるみを鼻歌まじりに愛で始めた。アラタは眉間を揉みながら、どう切り出せばいいのか、一計を案じる。掴みどころのないこのドワーフの勇者。
「どうしたの黙って。用がないなら、レディーの部屋に長居するものじゃなくてよ。少年の姿とはいえ、中身はおじさんでしょう?」
「おじ⋯⋯!?」
アラタは、顔を盛大に引きつらせた。
この野郎!
アラタは頭を振り、どうでもいいと自身に言い聞かせる。
「モモ、少し手伝って欲しいんだが、お願い出来ないか?」
アラタは出来る限り落ち着いた声色を意識して、優しく問い掛けた。モモはそんなアラタの姿に驚いた顔を見せると、アラタは“よし”っと心の中で拳を握る。
「イヤ。なんかイヤ。あなた、何だか全てが嘘っぽいわ。何でかしらね?」
アラタは怒りを抑えようと、必死に顔を取り繕う。その姿にモモは頬に手を当て、笑みを零して見せた。
「あら、やだ。あなた、心の声がダダ漏れよ」
「くっ⋯⋯」
アラタは、悔しさを隠そうともせず鋭い視線をモモに向けた。
「あら、あなた。怖いわねえ、レディーにそんな顔を見せちゃダメよ。口説くならもっと上手にやらないとね」
モモがニコリと笑って見せると、アラタはそのまま部屋をあとにした。思い通りにいかなかった苛立ちを隠そうともせず。
「クソ!」
廊下を進みながら、アラタは廊下を蹴ると衛兵達が怪訝な表情でその姿を見つめた。
「モモ、ありがとう」
ベッドの下からのそりと出て来たマインが、開口一番礼を言うとモモは笑みを返した。
「彼は好みのタイプじゃないわ。なんか陰気臭くてダメね」
それは、たまたまだった。
アンにモモの説得も頼まれていたものの、どうすればいいのか分からないマインは、とりあえずモモの部屋を訪れた。のらりくらりとモモのペースに翻弄され、核心をつけずにいた所に、アラタのノックが鳴った。ヤツの話を聞くように進言してベッドの下へと潜り込む。
それはマインの賭けでもあった。もし万が一、モモがヤツの口車に乗ってしまえば、状況は一気に厳しいものになる。ただ、そうはならないという確信めいたものがあったのは事実だ。
賭けには勝った。ただ、このタイミングでのモモの勧誘とは⋯⋯ヤツらの焦りが見え隠れする。
何か仕掛けようとしているのか?
「どうしたのマイン、難しい顔して。悩み事かしら? もしかして! 恋の悩み! なになに、ちょっと相談してよ」
マインは顎に手をやり、いつの間にか考え込んでいた。その姿を見たモモは、心配そうに顔を覗き込む。
「悩み⋯⋯。そうだな、悩んでいる。モモ、聞いてくれるのか?」
「あら、やだ。みずくさい、聞くに決まっているじゃない。それで、なになに」
瞳を爛々と輝かせるモモの隣に、マインはチョコンと座り微笑みを向けた。
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