第55話 抑止と始動

 カルガの握る魔筆樹マジカワンドが、六つ目の【魔法陣】を書き換えた。肉体的な疲労より、すり減らす精神に体力を削られる。陽は傾き始め、一帯に暗闇が覆い始めた。

 ここまでか。

 いくら人の気配がないとはいえ、闇夜に緑光が浮び上がれば、いくら鈍感なヤツでも、異変に気付くだろう。それに周りに注意を払いながら【魔法陣】に集中する力がもう残ってはいない。とはいえ、壁の全容が見えるくらいには近づけた。

 見上げる程に高くそびえ、全てを隠す壁。

 人の気配は感じられない。厳重な罠に胡坐をかいていやがるのか? 何か気配だけでも感じられれば⋯⋯。焦りたいが、ここまで来て全てをぶち壊す愚行はしたくはない。


「仕方ねえか⋯⋯」


 カルガはひとり言葉を零し、静かにその場をあとにした。


◇◇◇◇


 絢爛たる光を放つ装飾品の数々に、目を細め陶酔の表情を見せていた。腕の立つ職人が何日も掛けて作ったであろう細工が随所に散りばめられ、誰もが溜め息を漏らす豪奢な作りの部屋。


「ユウ」


 その少年の呼び声に、柔和な表情へとすぐに戻す。


「アサト⋯⋯、アラタと呼んだ方がいいのかな」

「アラタだ。いい加減慣れろ。どうだ、気に入ったか」

「ああ、悪くない」

「悪くない? ハッ! 鼻の下が伸びていたぜ」


 アラタはニヤリと笑って見せる。主のいない煌びやかな装飾を施した椅子が部屋の奥に鎮座していた。アラタが顎で即すとユウは堂々とした歩みでその椅子の前に出る。濃い赤を見せる背もたれと座。柔らかなクッションを一度愛でるかのごとく優しく撫でた。


「サッサと座れ」


 アラタに肩をすくめて見せると、ゆっくりと腰を下ろした。肘掛けに腕を置き、背もたれの体を預けるとゆっくりと目を閉じて行く。


「神官長!」


 アラタは業を煮やし、扉の外で待っていた神官長を呼びつけた。神官長は粗相なきようにと丁寧な動きでユウの前で跪いた。


「新しい王になられ、ご挨拶が遅れてしまった事をここに深くお詫び申し上げます。そして、この度の即位。誠に誇らしく思い、今後の我が国の繁栄は約束されたも同義と慶び申し上げます」

「神官長、そういうのはもういい。ただこの国を良くしていこうというのは非常に共感出来る。力を貸して欲しい、共に頑張って行こうじゃないか」

「もったい無きお言葉! 誠にありがとうございます」


 神官長がまた首を垂れると、ユウは席を立ち神官長の手をそっと包み込んだ。


「あなたの力が必要だ。期待していますよ。そうそう、名前を聞いていなかった。教えて頂けるかな?」

「は、はい。グルア・ロウダと申します」

「では、これからはグルアと呼ぼう」


 グルアは床に擦れんばかりに頭を垂らすと、その大仰な姿にユウは眦を掻き、アラタはあからさまな不快感を示した。


「グルア、頭を上げて。あちらで今後について話そうではありませんか」


 硬質な石を削り出して作ったテーブル。細かな細工が施され、滑らかな曲線を見せる。三人が座るとアラタが従者を呼びつけ茶を運ばせた。ユウは現在の国の状況をグルアから聞き出す。安定した政治が安寧な国民の生活を作り出していると、暗に自分の手柄だと口角泡を飛ばす。ユウは黙って、時に微笑み、グルアの話に聞き入った。


「⋯⋯と、これが今の我が国の現状であります」

「素晴らしい。素晴らしいね。⋯⋯では、もっと国民の生活が豊かになる方法を考えて欲しい。これだけの事をやってのけたのだ、容易いのではないか?」

「これ以上? ですか」

「そうだ、これ以上だ。国は国民の為にあるものだからね。⋯⋯まぁ、無理強いはしないよ。出来ないなら出来ないで構わない」

「それでは——」

「その時は、出来る者に頼むだけの話さ」

 

 ユウは笑顔のまま言い放つ。そこにつけいる隙はないとグルアは肌で感じる。今度の王も、ただのハリボテと思っていた自分の認識の甘さを後悔した。思い通りに事が進まない様に心が焦りを生む。


「で、では、まずですね⋯⋯。そうですね⋯⋯国を豊かにしましょう。国が豊かになれば、国民の生活は必然的に向上すると思われます、いかがなものでしょう?」


 ユウは笑顔で大袈裟に頷いて見せた。


「素晴らしい! さすがグルア。では、国を豊かにして下さい。そしてそれを国民の皆様に還元して下さい。」

「はい。この身に替えても必ずや成し遂げてみせま——」

「それで、グルア。具体的にはどうするのかな? うん?」


 グルアの通り一辺倒な返事を遮り、ユウは静かにグルアを見つめた。“それは⋯⋯”と言い淀むグルア。ユウは真っ直ぐにグルアを見つめ、滑らかなテーブルの上、人差し指でゆっくりと同じリズムを刻んで行く。まさに蛇に睨まれた蛙。グルアは瞬きの少ないユウの視線に耐え切れず、視線を落とす。はす向かいに座る少年は興味を失い、頬杖をつきあさっての方向を見ている。

 沈黙に耐えきれなかったのはグルア、いきなりテーブルに頭を擦りつけた。


「急にどうしたのですか? 頭を上げて下さい」

「も、申し訳ありません。王ユウ様、勇者アラタ様、この愚かな私めに知恵をお貸しくださればと⋯⋯」

「そうですね。ひとりよりふたり、ふたりより三人ですね。で、アラタ。何かいいアイデアはないですか?」

「ああ? 何だって⋯⋯。ああ、そうだ、ひとつあるぞ」


 ユウとグルアが言葉を溜めるアラタに視線を向けた。勝ち誇ったかのように胸を張りアラタは続ける。


「クランスブルグを頂こう。弱体化している今、チャンスじゃないのか?」


 あまりに突飛な言葉にグルアは、驚愕の表情で言葉を失ってしまう。漂う沈黙をユウが壊す。


「ほう。それはまたなぜ?」

「国がでかくなりゃあ、単純に国力が上がる。違うか?」

「なるほど。グルアはどう思いますか?」


 グルアは助け船が来たとばかり大きくかぶりを振った。アラタの口端が醜くせり上がる。淡々とした表情のままユウは問いた。


「準備に取り掛かるとして、何が足らないと思いますか? 私は戦力の増強は必須だと思うのですが、どうでしょう?」

「仰る通りに思います」

「どう増強しますか?」


 グルアは出て来ぬ言葉に自身に苛立つ素振りを見せたが、ひとつ大きく頷いて見せた。


「やはりここは、兵士の増強を行わなければならないと思います。募集をかけ、育て、最強の軍隊を作り上げる。これに尽きるかと思います」

「グルア、素晴らしいじゃないか」

「では、直ぐに取り掛か——」

「まぁ、それも確かに重要。やるべき事だ。うん。ただ、少しまどろっこしいな。それと一緒に勇者を増やそう。ひとりで千の兵に匹敵する。千人育てるより一人の勇者を召喚した方が容易いのではないか?」


 グルアの言葉を遮りユウは、薄い笑みで続けて行く。勇者を召喚するという言葉にグルアは少し顔を曇らせた。


「仰る通りなのですが、【召喚の術】を行うのは、ひと月にひとり行えるかどうか⋯⋯」


 その言葉にアラタは表情を曇らせた。


「ああん? 何だそりゃ? ガンガンやって増やせばいいじゃねえか。やれよ」

「そ、それはそうなのですが⋯⋯。そうは行かない事情もありまして、物理的に厳しいかと⋯⋯」


 アラタとユウは顔を見合わせた。グルアの口ぶりからやりたいと思った所で、出来ないという、もどかしさみたいなものが伝わってくる。ユウはここに来て初めて厳しい顔をして見せた。


「グルア、その口ぶりですと何か理由があるのですね。その理由を教えて頂けるかな」

「それは、その⋯⋯」

「おい! 早く言えや!」


 アラタが業を煮やし吼える。体をびくつかせ委縮するグルアに、アラタの怒りは増々熱を帯びて行く。


「まぁまぁ。アラタ、落ち着いて。グルア、どうしました? もう一度言います。教えて下さい」


 ユウの冷えた語尾に、グルアは震え上がった。極度の緊張がグルアの呼吸を荒くして行く。


「は、はい。【憑代よりしろ】の確保と、神官の魔術量の問題で月に一度が限界かと⋯⋯」


 【憑代】? ユウはその言葉に引っ掛かりを覚える。何だ、それは?


「おい、月に一回出来んのになんで勇者の数はこんなに少ねえんだ?」

「そ、それは⋯⋯非常に非効率な術式でして、100回行って、ひとりかふたり成功するかしないかという次第で⋯⋯」

「【憑代】とは何ですか?」

「あ、はい。勇者様の器として適合性を持った子供達の事でございます」


 どういう事だ? ユウとアラタは押し黙る。その姿にびくびくと所在ない動きを見せるグルア。


「つまり、【憑代】としての適合性を持った子供達に勇者の魂を定着させる⋯⋯上手くいかなかった場合はどうなってしまうのですか?」

「魂が抜けた状態になります」

「つまり死亡してしまうと」

「はい」


 しばらくの間はあったが、ユウはすぐにいつもの柔和な顔に戻した。


「百の犠牲で千の力が入るなら、悪くないのではないですか? 国を挙げての国力増強です。全国で適性のある子を探して【憑代】の数を増やしましょう。魔力に関しては勇者の魔力を使えば、神官の魔力が貯まるのを待たなくても良いのではないですか? 何はともあれ、勇者も一般人も関係なく、ひとつとなって国を盛り上げようじゃありませんか。グルア、あなたの力が必要です。宜しくお願いしますよ」

「ははっ! もったいなきお言葉ありがとうございます」


 グルアは頭を下げ、部屋をあとにした。

 パタンと閉まる扉。アラタの肩が激しく上下に揺れる。


「ククククククク。ようやく面白くなってきやがった」

「こんなものですかね」

「流石だな。あまりにもちょろくて、途中笑いを抑えるのに必死だったぜ」

「ただ、勇者の話は意外だったね。あんなカラクリがあったとは」

「まぁ、数打ちゃあ当たる」

「そうだね」


 ユウは嘆息しながら答える。

 しかし、自分達の計画が漸く動き始めたという高揚感をふたりは押さえられず、静かに笑みを零していった。

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