「お願いします」は誤用だった!?
間違いな日本語・誤用例を挙げてみてくださいと言われて、「お願いします」をあげる人は、特に日本語学・あるいは敬語表現を学んでいる人でない限り、まずいないでしょう。初めに言っておきますと、もうすでに現在では完全な誤用と言えません。それでも一応、この使われ過ぎて手垢がついた言い回しも、実際には誤用と言えるような点がある(あった)のです。
〈謙譲語表現〉
その理由として、この表現が謙譲語表現的であることがあります。「的」というのは、実は本来の形からすでに逸脱しているためです。あの宮沢賢治などは、「お願いします」と言いません。ではなんと表現していたか。彼の時代では「願います」です。もしくはこれに敬意をつけ足して、「お願い申し上げます」でしょう。「願います」が基本で、「お願い申し上げます」が謙譲語型ですから、例えば「詫びます」が「お詫び申し上げます」になるのと同じです。それがいつしか謙譲語的要素「お」と「します」だけ残って、長ったらしい「申し上げ」がそっくりそのまま消えてしまったのです。「詫びます」で言えば「お詫びします」です。
〈謙譲語的尊敬語表現〉
お詫びします、お返しします、お持ちします……。正直言って、もう私にはこの本来であれば「間違いな」語群にも、違和感はありません。実をいうとそれでいいのです。文科省の「敬語の指針」では、きちんと「お~する」は動作の対象がいる場合における謙譲語Ⅰの用法として記載されています。
ただし、私が本当に問題視しているのは「お~する」型があまりに簡素過ぎて、謙譲語として機能するのか、という点です。尊敬語「お~なさる」型と混同しているのもよく見かけますし、そもそも「お~する」型が謙譲語表現だという意識をもって使う人は少ないのではないでしょうか。「〇〇先生は今書類をおまとめしています」で使われている敬語を問われたら、私は瞬発的に尊敬語、と答えてしまいそうです。私はこれを、謙譲語的尊敬語表現と言っています。長ったらしいですが、まあ単純でいいではありませんか。
謙譲語的尊敬語表現の何がまずいかと言えば、やはり謙譲語と尊敬語の垣根をこえているわけですから、その区別があいまいになってしまい、将来には謙譲語がなくなってしまう可能性があるのです。マニュアル敬語が氾濫し、もはやきちんとした敬語を使ったり聞いたりする場も少なくなってきている現在です。謙譲語とかいうわかりにくい体系は、失われていくのだと私は思います。あるいは謙譲語のあらゆる表現が、尊敬語に統合されるでしょう。そして雑多になった表現が淘汰され、敬語の形はいくつかだけに絞られます。その中で最も使いやすいのは、間違いなく「お~する」型でしょうね。
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