二重表現Ⅰ:違和感を感じる
やっちゃいますよね、一度は。小説を勢いで書いて、見返して「○○は違和感を感じ、振り返った」なんて書かれてるんですよね。私はちょっと前までは「違和感を覚える」とか「刺さるような違和感がある(すこし小説風)」みたいにしてごまかしていました。
このように、同じ表現を二重表現と言います。おなじみの例としては「頭痛が痛い」「馬から落馬」などがあり、現代社会では少し鋭い人にビシと指をさされ、すぐに誤用とされてしまいます。この問題について考えてみましょう。
〈二重表現は悪いことなの?〉
そもそも、二重表現は頭ごなしに拒否していいものなのでしょうか。私は、なかなか面白いものだと思っています。なぜなら、同じような表現を重ね合わせることによって、その意味を強調できる場合もあるからです。例えば畳語なんていうのは、重ね重ねとか、泣く泣くとか、同じ単語をただ二つ重ねているだけです。でもこれが誤用とは言われません。万葉集のとある句にも「……国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ あきづ嶋 大和の国は(舒明天皇)」と、畳語が多用されています。
このように畳語はただ単語を繰り返しただけですが、対する二重表現は異なる言葉で意味を重ねているために、畳語の上位互換のような位置にあると私は思います。小説や詩などは特に言葉を分解して文章を書く手法もありますから、やはり一概に誤用とは言えない気がします。
もちろん強調の意もなく、無意識に多用されると受け手も疲れてしまいますし、なんだか幼稚な印象があります。「満天の星空の下、素晴らしく壮観な眺めに驚きに驚いた」なんて、ごちゃごちゃとしていて素晴らしい景色も台無しです。でも例えば一つだけ二重表現となると
星空型:満天の星空の下、素晴らしい壮観に驚いた。
眺め型:満天の星の下、素晴らしく壮観な眺めに驚いた。
驚愕型:満天の星の下、素晴らしい壮観に驚きに驚いた
強調されるべきところが二重表現でちゃんと主役になってくれました(たぶん)!
〈そもそも違和感を感じるは二重表現?〉
最後です。違和感を感じるという文言はよく取り上げられますが、でも待ってください。「歌を歌う」は間違いではないのに、どうして違和感は「感じられない」のでしょうか? この疑問こそ、私が二重表現に肯定的な一番の理由です。私もそれが間違いだとは言い切れませんし、会話では意図せず出てしまいますから。
これは私の価値観ですが、皆さんはどうでしょう? 二重表現には反対ですか? 賛成ですか? 踊りを踊って、違和感を感じる人ですか?
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