第3話 消化
午前中に部屋を差す陽光が部屋を瑞々しく照らし、いつもよりも空気が新鮮な気がする。昨日までは2人分消費されていた空気が今朝からは私だけのために存在している。部屋に存在した、私が決して見ない雑誌類や、私が決して着ない、いつも放り投げられていた男物の下着も私が居ない間にどこか、とても遠くのどこかに運ばれて行き、もう2度と目にする事も無い。
何故彼と一緒に住んでいたのか、今となっては理由も不鮮明で、彼との別離は一緒にいたことよりも余程正しい事に思える。
私はロックを聞かないし、私は古着は買わないし、私は悲しい話は知りたくないし、私は1人が好きだし、私は炭酸飲料を飲めないし、私は毎日お風呂に入るし、私は手作りのお菓子と淹れたての紅茶が好きだし、私は煙草を吸った後のキスが嫌だし、私はあなたの友達の事が好きではないし、私はあなたの生い立ちなんて興味ないし、私はあなたの今後の人生なんて興味ないし、私はあなたがここに居ることの意味がわからないの。
言葉に出してしまうと、その音の塊は私からすっかり独立して彼の胸を通り過ぎて、金属製のドアに当たって跳ね返って私自身を射止めた。
友人の家から帰ってきた今朝には既に、私の吐き出した音塊と共に彼は彼に所属する様々な物事とどこかへ私の知らない彼方へ消えた。これは私が予てから望んでいた決着で、私はこの陽光の中で失っていた元の自分を取り戻すの。
喉が渇いたから、冷蔵庫を開いて麦茶を取り出そうとした時、ラップされたそこの深い皿が目に付いた。昨日の晩までには無かった、メロンのフルーチェ。
私は工場で化学調味料で味付けられたようなインスタントデザートには興味がないし、子供のような堪えようのない笑みを浮かべてこれを食べる彼が疎ましかった。
捨てようと思い、ラップを外しかけた私の鼻先に、完熟したメロン芳香が鼻について、「いらない」と言う私の口元にスプーンを押し付ける彼と、ぬるくて絶え難い甘ったるい味が脳裏に、とても鮮やかに蘇った。
彼の好物だったものを食べきる事で、一緒に過ごした無為とも思える時間、思い出したくない記憶の全てを消化してやる。
立ったままスプーンで皿のフルーチェを掻き込んだ。
とても甘ったるくて、全部食べれそうにもなかった。
彼のはにかんだ笑顔が頭に浮かんだ。
私はスピードをあげてスプーンを動かす。
まだ冷え切っていなく、作って間もなくのようにぬるく、そのせいで甘い。
喉のあたりがじわっと熱くなって、込み上げて来る何かを抑え込むようにフルーチェを口の中に押し込む。
頬を伝って落ちる涙がフルーチェに水溜りを作るけど、私は気にしない。
少し甘さが控え目になって丁度いい味になった。
私にはこれくらいの甘さで充分なんだ。
間もなくして皿は空き、私と私の部屋のように、何かを持て余した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます