5「飛ばなきゃダメだ」
九月十二日。さすがにそろそろ休みたくなってきた気がしないでもないが、アリーサの医療費を稼ぎ、自分のお小遣いを稼がねばならない。選手時代の貯金を切り崩して暮らすにしたって、いずれそれは底をつくのだ。
時計台前であたしがタクシーの客待ちをしているのはもう噂になっているらしく、野次馬らしい連中がちょいちょい様子を伺いにくる。うるさいなあ、あたしはもう引退したんじゃ。なにをしたって自由じゃろがい。
そんなことを考えていると、魔女のなりをした女の子がつかつかと近寄ってきた。
「エスメラルダ・マッローネさんですか?」率直に訊ねられた。
「うんそうだよ。なに? タイムスリップをご所望?」
「あの、練習に付き合ってもらえませんか。タクシー代はちゃんと払いますので」
予想外のお願いだった。その女の子は、シャウ・バダと名乗った。変わった名前だ。そしてわずかに言葉に癖がある。(ルルベル藩王国あたりから来たのかな)と想像する。
「えっと、杖手希望なの?」
「はい。杖手希望なのですが、箒手で飛んでくれていた友達が、風邪をひいてしまって」
「最近寒いもんねえ。よーし、練習付き合ったげよう。街の外いこうか」
シャウを乗せ、街の外の野原に出る。野原に混じって田畑があり、米はそろそろ収穫の季節だ。空は青い。風がちょっと冷たい。
「えーと、飛箒術の勉強はどこまで進んでる? 自分の学生時代のことって覚えてなくて」
「一年生で、タンデムはもう実地練習が始まってます。シングルは術魔法の練習してます」
タンデムはシングルより覚えることが少ない。杖手は術魔法を撃てばいいし、箒手は飛べればいいからだ。だから授業の進み方も、タンデムのほうが早い。
「じゃあ、風船を割りながら飛んでみる?」
「はい」シャウはとてもとても真面目な子だった。あたしやアリーサとはえらい違いだ。あたしもアリーサも、「スピードが出りゃそれでいい」「撃ち落とせればそれでいい」という考えで飛んでいて、先生にこっぴどく叱られていた。懐かしく思い出す。
あたしの下手くそな術魔法で、風船を作って空中に浮かべる。その間を縫うように飛んで、それにシャウが魔法を当てる、という練習をすることにした。
「いい? あたしは箒手が出せる全速力を出すからね、落とされないようにしっかり捕まって、それでいて魔法を撃つ。あたしは杖手なんて気にしてないから、本気の本気で落とされないように」
「はい!」シャウの真面目な返事。いいぞいいぞ。あたしは空中にふわりとレジーナ・デロリスA1955を浮かべると、風船の間を全速力で突っ切った。
シャウはうまいことに、風船を十個浮かべた内の七つばかりを破壊した。
「上手いじゃん」と褒めると、
「でも三個割り損ねました」と真面目に答える。やっぱりあたしやアリーサとは全然違う。
「すごいんだよ、あのスピードで十個中七個割るって。自己肯定感は大事だよ」
「でも、これじゃ……試験を通らない。わたしが試験を通らなかったら、リリィまで落第する」
「……リリィって、箒手さん?」そっと訊ねると、シャウは頷いた。目のあたりを袖口で拭って、
「リリィは、異国から来たわたしにとてもとてもよくしてくれて、みんなわたしを無視するのに、一緒に飛ぼう、って言ってくれたんです。この通りわたしは言葉も変だし、」
「ぜんぜん変じゃないよ。異国人だっていわれなきゃ気付かない」
「いえ。わたしはクラスで悪目立ちしていて、だれも構ってくれなくて、でも……リリィは、一緒に飛ぼうって言ってくれたんです。でも、リリィは怪我をして」
そこで、シャウははた、と顔色を変えた。さっきの話だと箒手さんは風邪をひいたことになっていたはずだ。グイグイいくのもあれなので、そっと、
「なにかあったんだ?」と訊ねた。シャウは涙目で頷いて、
「リリィは、練習中にほかの子に術魔法を思いきり当てられて、やけど、大やけどまではいかないけれど、ひどいやけどと、それから右腕を骨折したんです」
「――防御は、しなかったの?」
「わたしは、防御ってそんなに大事だと思ってなくて、そのせいでリリィはやけどしたんです」
真面目だがものの考え方はあたしらにそっくりだな、この子は。
「リリィは許してくれたんです、シャウは悪くないよって。だけど、わたしが防御しなかったから」シャウは悔しい顔をした。悔しい顔、というか、悲しい顔、というか、あたしが事故を起こして毎日ひたすら泣き暮らしていたころ、鏡でよく見た、できれば見たくない顔。
「……よし」あたしはひとつ思い出すことがあった。それは、この間レイス国防長官を乗せて十年後の世界に行ったとき、飛箒場の外壁に貼りだされていた念画を思い出していたのだ。
「ちょっと面白いものを見せてあげよう。乗りな」
ゴーグルを渡す。シャウはすごく軽いので、すさまじいスピードが出る。ぐんぐん速度を上げて急加速し、十年後の世界にたどり着いた。
飛箒場の前に来る。そこにある大きな念画の看板は、リリィ・ハーツ&シャウ・バダ組がデビュー戦で大勝利したことを示していた。魔女は飛箒の学校に入って、八年学んで二年下積みをして、ようやくデビューできる。デビューするころは脂の乗り切った25歳だ。
「ね、大丈夫でしょ?」
「……」
シャウは黙ってしまった。
余計なお世話だったかもしれない。この未来を、知りたくなかったのかもしれない。
ドキドキしながらホバリングしていると、唐突にシャウは泣き始めた。
「う、うぇええええん……リリィ……リリィ……よかったぁぁ……」
シャウはわんわん泣いている。見ると、看板の念画が、もにょりと動き出した。
「シャウ! 泣いてちゃだめ! 看板見てみ!」
「うぇ?」シャウは看板を改めて見る。念画は次第に、別の魔女に変わりつつあった。
「シャウ、ここが勝負どころってことだよ。泣いてちゃだめなんだ。シャウが、安心したり慢心したりしないで、熱心に飛ばないと、リリィさんも助からないし、シャウも杖手として魔女にはなれないってことだ」
「……あう」シャウは黙った。それから震え声で、
「帰りましょう。お金は追加で払いますから、練習を続けてください」と答えた。
「お代なんていらないよ。飛ばなきゃダメだ。あんたは飛ばなきゃダメなんだ」
また念画がぼんやりと動き出し、飛んでいく遠くからちらりと見てシャウの顔になったのを見た。そこでまた、もとの時代に戻ってきた。
その日は陽が暮れるまで、あたしはシャウと練習に重ねた。ただひたすらに、飛ぶことが楽しかった。アリーサと飛んでいたころを、ありありと思い出した。
こんなふうに、ただただ飛ぶことが楽しかったのだ、あのころは。
明日はお休みにしよう、というほどへとへとになるまで飛んだ。さすがに体がゴキゴキになったので、解散して家に帰ることにした。いつも通りお惣菜を買い、家で魔鏡を眺めつつぱくつく。
次の日、あたしはアリーサに会いに病院に向かった。長いこと会っていない気がしたが、数えてみたらたった五日ばかりしか経っていなかった。アリーサの病室に入ると、向かいのベッドに知らない人が入っていた。手足が包帯やギプスで巻かれている。
「おっす。元気してた?」あたしはアリーサにそう声をかけた。
アリーサはアハハハと笑うと、
「向かいのベッドの子、飛箒術勉強してて箒手なんだって! あんたに憧れてかっ飛ばしてたら、うっかりライバルの火炎魔法に突っ込んじまったんだってさ!」
もしや。恐る恐るベッドの名札を確認する。リリィ・ハーツ。
「アリーサさん恥ずかしいからやめてくださいよぅ……って、エスメラルダ・マッローネ?」
怪我人とは思えない速さで、その女の子は体を起こした。リリィ・ハーツ――シャウの相棒は、あたしをじっと見ている。目がキラキラして、見るからに嬉しそう。
「早く元気になって、相棒んとこに戻ってやんな。あたしに憧れてるなら、きっと聖典賞だってもぎ取れるさ」
「は、はい! さ、サインください! ギプスの腕のとこ!」
「ばかだねーギプスにサインしたら外すときなくなっちゃうじゃん。ちゃんと紙にかかないと」
あたしはそのリリィ・ハーツの持っていた飛箒術の教科書の表紙に、「エスメラルダ・マッローネ」とサインをしてやった。未来のスター魔女は、うれしそうだった。
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