4「ここここ困りますよ!」

 さて、九月十一日。きょうも時計台の広場で客を探す。ヨボヨボの婆さん魔女のタクシーは繁盛しているのにあたしのタクシーが繁盛していないのが解せない。やっぱり落箒事故のイメージが強いんだろうか。きょうも自尊心が木っ端みじんだ!


 結局お客さんがこないまま昼になったので、しょうがなく手製の弁当をぱくつく。玉子焼きがしょっぱい。料理はだいたい適当に目分量で作るからこうなる。アリーサはきちんとレシピ通り分量を量って作るもんなあ。


 弁当を食べてそれを撤収し、お客さんを待っていると、なにやら派手めな、水商売のお姉さんと思わしきお姉さんが近寄ってきた。

「あなた……エスメラルダ・マッローネさん? 時間旅行って、できる?」

「ええできますよ。どこに? いやいつに?」

「二十年前のサディクに行きたいのだけれど」


 サディク。ナト運河の上流に位置する、材木商人の街だ。王都ブリジデルはサディクから運ばれた木材でできていると言っても過言ではない。OK了解、派手なお姉さんを箒に乗せてかっとばす。


 正味の話、時間旅行であればどんな遠くの街にでも一瞬で飛べる。おそらく半島北端のルトサティアトにだっていけるはずだ。きのうのスポーツ年鑑おじさん……じゃなくて国防長官を乗せてサラセラに飛ばなかったのは、ぶっちゃけ面倒だったのと、あのおじさんを乗せてタイムトラベルできる速度を出すのが難しいからだ。それに十年後のサラセラにいくなら、十年後の世界からさらにタイムトラベルというわけにいかないし。


 そんなことより、時空をかっとばしてたどり着いたのは、材木商のにぎやかな掛け声のひびく、ナト運河沿いの小さな街、サディクだ。


「で、どこにご用なんです?」

「このまま、しばらくゆっくり街の上を飛んでもらえないかしら」

「了解しました」お姉さんの目的が読めないが、本人の話さない目的を訊くのはタクシーのルールを破ることだ。なにやら、りっぱな木造の初等学校が目に入った。


「あそこ。初等学校のグラウンドに、もうちょっと寄ってもらえない?」

「はーい」速度を少し落として、ゆっくりと初等学校のグラウンドに近づく。グラウンドの隅に、低学年の子供たちが集まって、なにかをしている。


「やーい! お前のかーちゃん落箒魔女!」

「落箒魔女! 落箒魔女!」

 どきりとした。ひときわ小柄な子供がいじめられている。いじめられている子供の顔に、あたしが初等学校高学年のころに落箒事故で大怪我をして引退した、サリア・ノティアに似たものを感じた。思わずその子供らを蹴散らそうか考えると、水商売のお姉さんが怒鳴った。


「こらーっ! 人をいじめちゃいけないって、習わなかったッ?!」

 いじめっ子たちは、ばらばらと散らばって逃げていった。

 真ん中で泣いている子供の横に、そっと箒を止める。


「あなた――レイ・ノティア?」お姉さんがそう言って近づく。

「うん。お姉さんたちは?」

「それはね、ちょっと言えないんだけど。あのね、レイ・ノティア。あなたは十五年後に、恋をします」

「恋」レイはポカンとした顔で、お姉さんを見上げている。


「そう恋。まだピンと来ないかしらね、十五年後なんて。でも、その恋はすごく美しくて素晴らしくて、あなたも、その恋の相手も、ずっとずっと一緒にいたい、って、そう願うような恋」

「僕みたいな……だめなやつが、恋なんか、できるの?」

「できるわ。なによりも素晴らしい恋が。でもね、あなたはそれから五年後に、自分なんかが幸せになっちゃいけない、っていって、結婚を断るの」

「僕が? ふつう男の子が結婚してください、っていうものでしょ? 僕が断るの?」

「そうよ。女の子のほうがグイグイいくタイプなのね。でもレイ、あなたは幸せになる資格がある。お母さまが怪我で引退されて、それでいじめられて、それで幸せになれないって思いこんでいるだけで、本当は世の中のすべての人が、幸せになる資格を持ってる」


「……」レイは黙った。そりゃそうだ、母親が落箒事故を起こしたばかりの子供に、そんなこと言ったって理解してもらえないだろう。


「もし、覚えていたらでいいのだけど――二十年後、つまり人郷暦2020年の九月十一日に、王都ブリジデルの時計台前に、好きな人を、迎えに行ってもらえない? あなたが、幸せになっちゃいけない、って言って、袖にした恋人が、そこで待ってるから」


「僕、ブリジデルにいるの? ブリジデルってすっごい都会なんでしょ? お母さんが言ってた。ブリジデルの飛行競技場は、十万人お客さんが入れる、って」

「ブリジデルにいるのよ、二十年後のあなたは――あなたは、なにも悪いことをしていないし、楽しいことだってこの先いっぱい待ってる。いじめっ子にお母さまのことをからかわれても、お母さまはあなたにたくさん愛情を注いだはず。それに、お母さまが箒から落ちたのは、あなたの責任じゃないでしょう?」


「……うん」

「だから、あなたも幸せに生きて。二十年後の九月十一日、時計台の前よ。……エスメラルダさん、帰りましょ」

「分かりました。それでは」


 全速力で箒をかっ飛ばす。たどり着いたのは、元通り九月十一日の時計台前だ。

「ありがとう。これお代金」


 お姉さんは小さいバッグからお金を取り出しあたしに握らせた。

 物事の成り行きは、お姉さんが少年に話したことでだいたい察されたが、お姉さんが話したい顔をしているので、ちょっと聞いてみることにした。


「あの子は、いまの時代の、お姉さんの恋人だったんです?」

「恋人……でいいのかはちょっと分からないわ。わたしはキャバレーの女給に過ぎないし、彼は一流のスポーツジャーナリストだから……ただ、彼と同じ方向を向いていた五年間は、本当に素敵だったの。この人とならどこにでもいけるって、そう思うくらいね」


 スポーツジャーナリスト。取材される側としては、そういうのは有象無象たくさんいてちゃんと覚えていない。ポケットを漁ると名刺入れが出てきたので見てみる。ちゃんと、「レイ・ノティア」の名刺が出てきた。

 へえー。しみじみと納得して、お姉さんのしんみり顔を眺める。


「……さすがに、忘れちゃったかしら」

 しばらくそうしているうちに日が暮れてきた。そろそろ帰るか、そう思っていると、向こうの辻から一人の青年が駆け寄ってきた。


「パウラ!」そう声を上げて走ってくるのは、どこかで見覚えのある――スポーツジャーナリスト、レイ・ノティア。レイ・ノティアは嬉しそうな顔でお姉さん――パウラさんに駆け寄る。

「パウラ、ごめん。僕、やっと思い出したよ――あのとき僕を助けてくれたひとのことを。そうまでして、僕を愛してくれたひとのことを」


「レイさん……わたし、わたし……よけいなこと、したかしら?」

 青年はその問いに答えず、パウラさんの手をぎゅっと握った。


「結婚しよう、パウラ。僕は君のおかげで、幸せになれる人生を見つけた――媒酌人は、エスメラルダ・マッローネでいいのかな?」

「はぇ?!」突然の流れ弾に当たる。そうか、レイ・ノティアはあたしを当然知ってるんだ。


「ここここ困りますよ! ふつうそういう、媒酌人って既婚者じゃなきゃいけないじゃないですか! とんでもない!」


「冗談ですよ。……びっくりしたんです、今年の春の聖典賞を見て、あのとき僕に声をかけたのはパウラで、パウラと箒を飛ばしてたのはエスメラルダ・マッローネだって気付いて。……あの、アリーサ・マクスウェル選手の件、大変でしたね」


 ああ、この青年は落箒事故の重さをよく知っているんだ。あたしは半ば強がるように、


「まあ本人はベッドの上でなんでもできる怠惰生活をそれなりに気に入っているみたいですけど」

 と、そう答えた。青年は、

「僕の母もそうでしたよ。夢中で編み物や刺繡をしていました。ふふ……」

 と、穏やかな笑顔になった。


 いいことをしたのかはちょっと分からないが、なんだか幸せな気分になりながら家に帰った。郵便受けを開けると、病院のアリーサからいささか大きめの封筒が届いていて、開けると刺繍のランチョンマットが入っていた。ニコニコして、それをテーブルにひいた。

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