3「じゃあ、あきらめて戻ります?」

 さて、九月九日にどうにか王都に戻ってきてその翌日九月十日。日焼けしてヒリヒリする顔に魔法薬のクリームをすりこみ、時計台の前にやってきた。


 さすがに長距離の飛行はしんどい。レースではせいぜい一キルテを飛ぶ程度だ。身体がバキバキする。それにしてもあの魚のトマト煮、おいしかったなあ。病院のまっずい給食を食べているアリーサに自慢したいな。そう思っていると中年男性が近寄ってきた。


「あんた、エスメラルダ・マッローネかい?」

「ええそうです。タイムトラベルをご所望で?」

「ああ。十年後に飛んで、スポーツ年鑑を買いたいんだ」


 ……バクチを必ず勝てる投資ビジネスにする気だな、このおっさんは。

 どうやって断ろうかモゴモゴ考えていると、


「飛ぶのか飛ばないのか、はっきりしてくれ」と言われてしまった。しょうがないので、

「飛びますけど、十年後がそのままの形でやってくるとは限りませんよ?」

 と、そう言ってやった。つまり、あたしとこのおっさんが十年後に飛んだことによって、十年後に起きる出来事はいささか変わるわけで、十年後の世界で買ったスポーツ年鑑がアテになるかはわからない、という意味である。


 おっさんはさっぱり理解していない顔で、

「はやくしたまえ」とせかしてくる。だめだこりゃ。


 ため息をため息と分からないよう吐き出して、箒の後ろにおっさんを載せる。重い。レジーナ・デロリスA1955が悲鳴を上げているのがわかる。


「じゃあ、ここから時速百四十キルテを出します。ゴーグルをして、口を閉じて」

 空を目指して全速力でかっ飛ばす。しかしおっさんが重くてまともに速度が出ない。それでもどうにか、全力を出し切って十年後に飛んだ。


 十年後の王都ブリジデルは、いまの王都とさして変わるところはなかった。時計台は相変わらずだし、街の様子もそう変わらない。でもなんとなく、今より貧乏くさく見えた。


 着陸して、おっさんはいそいそとスポーツ年鑑を買うべく本屋に入っていった。

 数分後、おっさんは悲しい顔で戻ってきた。スポーツ年鑑は持っていない。


「どうされました?」

「通貨が古いんだと。もう旧レプタ硬貨は店舗では使えなくて、王都の買い物はぜんぶタブラエを使った魔力決済なんだそうだ」


 思わず噴きそうになった。

 そんなすんごい時代がくるのかぁ。感心してしまう。


「じゃあ、あきらめて戻ります?」

「いや。十年後の世界を観光してからにするよ」


 ほとほとタイムトラベルを軽く考えすぎだな、このおっさんは。

 ハルトの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。


「歩くのはしんどいからまた乗せてくれたまえ」


 ホントに図々しいなこのおっさんは。といってもお客なので仕方なしに乗せる。

 劇場には見たことのない俳優の看板がかかり、飛箒場には全然知らない新人魔女の念画が貼りだされている。人々の持っているタブラエはずいぶん小さくスリムになり、技術が進歩していることを感じる。


 しかしなんだろう、この街に漂う「貧乏くささ」は。

 新聞でも買って世情を確かめたいと思ったが、しかし物質のお金では会計できないんだよなあ。とりあえず街を一周して、


「こんなもんでいいです?」

 と訊ねると、おっさんは当たり前みたいな顔で、

「わしの実家のあるサラセラに行きたい」とかほざきやがる。しかし確かにあたしも故郷がどうなっているか気になる。気になるのだが、サラセラとなると、王国の真ん中にでんと構えているフラクトル山脈を越えることになる。サラセラはフラクトル山脈の北側にあり、フラクトル山脈の三千メルテの高さを飛んだら酸欠で死んじゃうんじゃないか。


 それを説明すると残念そうながら理解してくれた。

 さあ現代に帰ろう、と箒にまたがったところで、向こうから兵士たちが歩いてきた。まだ兵士なりたての新兵ばかり。初々しい坊主頭にカーキ色の軍服、バッヂや勲章はなにもつけていない。


「フラクトテミル王国ばんざーい!」

「フラクトテミル王国ばんざーい!」


 人々はそう言い兵士を送り出す。兵士たちは続々、人間の国から輸入されたトラックに乗り込んでいく。――これは、戦争をしている、ということか。国の名前を叫んで万歳するなんて、破滅ルートまっしぐらではないか。


 ふとおっさんを見る。表情が険しい。おっさんはしばし考えてから、ひょいと箒を降りると、近くにいたひとを捕まえて、


「私はエスメラルダ・マッローネの箒で十年前の世界からここに来た。いまは戦争をしているのか? どこと?」

「どこって……隣のルルベル藩王国とだよ。貧しくて暮らしの成り立たないルルベル藩王国人が続々とフラクトテミル王国に流れ込んできて、それを難民として保護したら、ルルベル藩王国が戦争を吹っかけてきたんだ」


 あんまりだ。ルルベル藩王国がそういう、自分たちの中から出ていく人間を排除する国であることは有名だが、難民として保護しただけで戦争になるなんて。


「ありがとう。礼を言う」

 おっさんは真面目な口調でその人にそう言うとあたしのほうに戻ってきた。

「十年前、つまり出発したときに戻ってくれたまえ。やることができた」


 というわけで、九月十日に戻ってきた。おっさんはそのまま、王都ブリジデル最大のビジネス街、フロル通りに向かうというので、そこまで乗せていった。


「これは代金だ」と、おっさんは大きなビルの前でいささか多めにあたしに金を握らせた。


 ……なんか変な客だな。まあいいや、これできょうも生きていける。

 夕飯にポテトサラダとコロッケを買って、自分の家に戻ってきた。選手時代の稼ぎで結構上等な一軒家を、まあアリーサとの折半であるのだが、とにかく買うことができたのだ。懐かしい思い出である。


 本当なら、あたしとアリーサの二人で暮らすはずだったこの家で、あたしは一人で暮らしている。ちょっと寂しいと思う。


 コロッケを魔動レンジにぶちこみ、ちーん! と鳴ったところで取り出し、ソースをかけてムシャムシャ食べる。そうだたまにはニュースを見よう。魔鏡のリモコンのスイッチを押す。


「――次のニュースです。国防委員会は、世界平和条約機構に呼びかけ、外国から逃れてくる貧しい人々の救済を、国家単位でなく世界中で連動して行おうという提案をしました」


 ほう。これはいいニュースだ。アナウンサーから解説員のおじさんに話が変わる。

「昨今、わが国から東方にあたるルルベル藩王国から、貧しく暮らしが成り立たなくなりコミュニティを追われて難民となりわが国に流れ込んでくるルルベル藩王国人が増えてきていることを見越しての判断です。いささか早計ではないかという話もあるのですが、手は打てるうちに打っておくべきだとレイス国防長官が提案し、そのまま決定したようですね。レイス国防長官はずっと『政界のお荷物』とか『税金泥棒』とか言われていましたが、この行動で株を上げたことは確かです。いやはやこんな決断力があるとは」


 解説員のおじさんがそう言うと、アナウンサーに話が映った。


「この呼びかけに大して、ルルベル藩王国は貧しい人々の救済についての長老会議を行うことを藩王の意志として決定したそうです」


 そして画面に、そのレイス国防長官が映し出された。

 思わずポテトサラダを噴きそうになった。いやだいたい予想はしていた、だがまさかこんなに迅速に行動に移すとは。


 レイス国防長官は、きょう、十年後の世界のスポーツ年鑑を買いたい、と言ってきた、あのワガママなおっさんだったのである。魔鏡のニュースなんてほぼ見ないから知らなかった。タブラエのテキストニュースじゃ顔なんて出ないしね。


 ポテトサラダを飲み込む。びっくりしてひゃっくりが出る。慌ててお茶を飲もうとしてこぼす。

 あのおっさん、そんな偉い人だったのかあ~!

 もっとまじめにニュースを見よう。あたしは猿回しの猿のように反省した。

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