2「相棒に言われたんです」

 九月八日。王都ブリジデルはとても気持ちのいい天気だ。箒をもって時計台の下に陣取る。


 きのうのクマちゃんの一件を、いつアリーサに話しに行こうか考えていると、ずいぶん慌てた様子の若者――十五~六歳くらいの、少年と若者の中間みたいなのが駆け寄ってきた。


「あの、エスメラルダ・マッローネさんですよね? 大至急でお願いがあるんです」

「お? タイムトラベル?」

「いえ、パルアトにきょうのうちに着くことってできますか?」


 パルアト。フラクトテミル王国南端の、すごい色の魚が揚がる港町だ。王都ブリジデルからは――待てよ、あたしなんかに頼るより高速鉄道で行けるんじゃないのか? それを訊ねると、


「パルアトへの高速鉄道は、まだ工事中です!」と、若者はイライラするように言った。

「まあ、きょうじゅうに行けないこともないけど――途中で休むよ? 確実に夕方以降の到着になるし、あたしだって腹が空くし御不浄にだって行きたくなる。なによりそんだけの長距離をノンストップでお兄さんが飛んだら確実に股の皮がべろんべろんになると思う」


「それでも……股の皮じゃなくて休憩のほう。かまいません。お願いします!」

 交渉成立。タイムトラベルじゃない遠乗りに少しワクワクしながら、その若者を後ろに乗せ、地面を蹴った。レジーナ・デロリスA1955はふわりと離陸すると、南に向けて飛び始めた。


 王都ブリジデル上空から古代ノールト人が作っていまも現役のナト運河を眺めつつ、南にむけてかっ飛ばす。客の事情は話してこないかぎり詮索しないのがタクシーのルールだし、なによりタイムトラベルしない程度に全速力なので話す余裕もない。うかつに喋ると舌を噛む。


 途中野原の適当なところに降りて昼飯を食べることにした。自分用に弁当を用意してきたのだ。いささか雑な玉子焼きとミニトマト、それからレタスのサンドウィッチ。


 若者にお昼ご飯はあるか訊くとないようなので、サンドウィッチをひとつ渡す。

「パルアトだとサバをサンドウィッチに挟むんですよ」若者は懐かしそうにそう言う。


「お兄さんパルアト出身なの? 今流行りの金の玉子ってやつ?」


 いま、フラクトテミル王国では、地方、特にフラクトル山脈から南側の村々の、中等学校を出たばかりの子供みたいな労働者がどんどん王都ブリジデルに集まっている。王都こそ景気がいいが、田舎はどんどん働き手を王都にとられ、王都からの仕送りでなんとかなっている状態。あたしやアリーサの故郷である湖南地方の街サラセラは、湖南地方最大の都市ロクスラスのベッドタウンとなり、いまではあたしやアリーサが遊んでいたころの田舎町の面影はない。


 若者は、あたしの「金の玉子ってやつ?」という質問に、

「概ねそんな感じです。僕、漁師の家の三男坊で。家にいても船を持たせてはもらえないだろうし、それなら都会に出て働こうと思って」

 と答えた。その表情をみるに、不幸ごとで急いでいる感じはない。


「そう――じゃあ、工場勤めでもしてるの?」


「そうです。ラインに並んで、魔法機械を組み立てる仕事してます」

「へえー。すごいなあ。あたし魔法機械苦手なんだよなー。じゃあタブラエ直せたりするの?」

「いえいえ、ラインに並んでパーツをはめてくだけです。タブラエなんて高級品、持ってません。使い方もよく分かりません」


 なんとなく社会の闇を感じたところで、

「それじゃあそろそろ出発しようか? 股の皮大丈夫?」と訊ねる。

「ちょっとひりひりするけど大丈夫ですよ」と、若者は笑顔になった。


 そこからさらに南に飛んだ。夕陽を浴びるパルアトの港が遠目に見えてきた。若者が箒をぎゅっと握るのを感じた。


 ゆっくりとパルアトの港街の、中央広場に降りる。若者は降りるなり一目散に駆けだそうとして、箒にずっと乗っていて平衡感覚がおかしくなっていたのだろう、よろめいてすっこけた。


「あーあー箒で長距離飛ぶと歩くのしんどいから。ゆっくりね」

「でもそれじゃ、間に合わないんです!」

 若者は顔をくしゃくしゃにしてそう叫んだ、きっと目的地について気が急いたのだろう。

 肩を支えて、案内する道を進む。一軒の比較的立派なお家の前で、若者は立ち止まった。


「アンナ! 王都一番の魔法使いが作った薬、持ってきたよ!」

 若者がそう叫ぶと、目を泣き腫らしたおばあさん――潮風と太陽に焼かれたせいで老けて見えるだけかもしれない――が出てきて、

「ハルト。ありがとう。でももう遅いんだよ」と、悲しげに、なにか失ったように言った。


「お、おばさん、それじゃあ、アンナは――」

「つい、さっき」


 おばあさん、もといおばさんの言葉を聞いて、若者――ハルトはがっくりと膝をついた。肩掛けカバンから落ちた、見るからに高価な魔法薬の缶がむなしくからんからんと音を立てる。


 おばさんはハルトの頭を撫で、感謝の言葉を口にして家に戻っていった。

 ハルトは、涙をぼろぼろとこぼしながら、肩を震わせていた。あたしがそっと近づくと、


「なんで――なんで――約束したじゃないか。僕が給料を貯めて、アンナに最高の魔法使いの薬を買っていくって。それまで、死なないって」


 と、まるで取り返しのつかないことが起きたような調子でそうつぶやいていた。

 あたしはその言葉でアリーサを思い出さずにいられなかった。呆然と立ち尽くしていると、


「……帰ります。いや、僕の実家で一泊されますか?」

 と言ってきた。あたしは、


「あたしを誰だと思ってる? エスメラルダ・マッローネだよ?」


 と、ハルトにそう声をかけた。

 というわけで、きのうに戻ることにした。


 きのうの、つまり九月七日のパルアトの港は、ひどい時化だった。冷たい風が吹き、広場にかかげられた旗は黄色。海に出てはならないという意味らしい。なるほどこの天気じゃ体調も悪くなるだろう。


 ハルトはその、アンナという幼馴染の家に向かった。まだ死んでないはず。あたしは、鎧戸を閉められてなにも見えないその家をじっと見る。しばらくして、ハルトが戻ってきた。


「どうだった?」声をかけると、ハルトは穏やかに微笑み、

「いますぐ病気そのものに効くわけじゃないけど、一錠飲んだら咳がとまって熱が下がりました。まだひと缶あるので、きっと治ると思います。いつか僕が、迎えに行くころには」


 ほっと安堵した。よしじゃあ九月八日に帰ろう。風にもまれながら鳥のように天を目指して全速力を出す。無事に、九月八日の夕方に帰ってきた。明日も晴れそうな、うつくしい夕暮れ。


「さすがにいまから王都に帰るんじゃあ魔獣が出ます。泊まっていってください」

 ハルトの家は、アンナの家と比べて一回り小さい、ふつうの漁師の家だった。父親と母親と、結婚していないハルトの二番目の兄が出迎えてくれた。あたしを見るなり、二番目の兄が、


「もしかして、あんた聖典賞レースの途中でぶっ飛んじまった、エスメラルダ・マッローネ?」


 とそう言ってきた。魔鏡で中継を観ていたらしい。そうだよ、と答えると、

「そんなすんげえ人がこのパルアトに来てるのかあー! オヤジ、念画機! 念画機!」


 と騒ぎだした。王都のこれくらいの若者なら、念画機よりタブラエの念画機能を使うだろう。ちょっとほほえましく、そして経済格差を思っていると、いつのまにやら人だかりができていた。


 全員と記念の念画を撮り、それから夕飯をご馳走になった。海の幸をふんだんに使った豪華料理。見ていてお腹がぐうーっと鳴る。ハルトの母親――やっぱり潮風に焼かれておばあさんにしか見えない――は、その豪華な魚のトマト煮をどん! とテーブルに置いた。


「いただきまーす!」

 みんなで魚のトマト煮をつつく。ついでにどぶろくが出てきたが、あたしはお酒が苦手なので遠慮した。みんな酔っぱらって無遠慮になった頃合いで、


「なあエスメラルダ・マッローネ。なんで相棒が箒から転がり落ちたときに戻って助けにいかないんだ?」と、ハルトの父親に訊ねられた。


 いくらなんでも無遠慮すぎやしないかと思ったが、しかし真面目に答える。


「相棒に言われたんです。あのときに戻るなって。助けに行くな、って」


「……はーん」酔っ払いのハルトの父親は、日焼けした顔を真っ赤にして、またどぶろくをひと口飲んだ。


 次の日、サバの干物のサンドウィッチを持たせてもらった。ハルトは仕事を黙って抜けてきたらしく、工場長のお𠮟りを受ける覚悟だという。きのうに戻ろうか、というと、


「時間を移動するって、やっぱりやむを得ない場合にしか使わないほうがいいと思います」

 と言われた。それは大いに納得できることだった。

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