魔女の優雅な時間旅行
金澤流都
1「もう箒に乗るの、やめようと思う」
「……アリーサ、あたし……もう箒に乗るの、やめようと思う」
それは心の奥からにじみ出る、あたしの本心だった。アリーサが、こうしてほぼ永遠に、病院のベッドから立って降りることができないのは、あたしのせいだから。
アリーサは、しばらく面倒そうな顔をした。こっちが泣きべそをかきながらそう言っているのに、なんで怪我の当事者のアリーサが面倒そうな顔をしているのか。解せない。
「久しぶりに面倒なメル見た」
アリーサはそう言うと、一発あくびをして、
「メルから箒を取り上げたらなにができるの? 術魔法はノーコンだし錬金術は目分量でやって失敗するし、ほかの魔法もグダグダだし、メルはやっぱり飛ぶしかないんだよ」
と、怪我人のくせに辛辣なことを言ってきた。ぐぎぎぃとなりつつ、
「だってアリーサみたいに怪我する人間を出しちゃいけないもん――」
「あたしはあんたと一蓮托生だと思ってたんだから、あんたが生きてるのは奇跡で、ホントはあんたも死んでたの! たまたまあんたが生きてる、あたしも生きてる、ならあんたは飛ぶしかないの! わかる? エスメラルダ・マッローネ!」
うぐ。あたしは相棒のアリーサ・マクスウェルの顔を三秒くらい見て目線を外した。
だいぶ、いやかなり無茶な、アリーサらしからぬグダグダ理論だった。だがそれは奇妙な説得力をもってあたしに返ってきた言葉だった。
「怪我人を出すのはあたしで最後! あんたはこれからも飛ぶの!」
アリーサは強い口調でそう語り、ふんと鼻を鳴らした。
「でもチェアマンに箒競技は引退するって言っちゃったよ。それにアリーサ以外の誰と飛べばいいわけ?」
「タンデム飛行ができるんだから、タクシーでもやればいいじゃない」
タクシー。確かに箒競技、特にタンデム飛行競技の、箒手選手が引退後にやる仕事というのはタクシーと決まっている。けっこうな婆さんが、ふっるいボロボロの箒で、客を乗せて飛んでいるのも見る。
「いいじゃん、時をかけるタクシー」
「気楽に言うけどさあ……あれはあんたが後ろに乗ってたからできたんだからね?」
そう。
あたしは文字通り、このアリーサと二人乗りした箒で、時空をぶっちぎったのだった。
それは今年の春にさかのぼる。
春といえば箒競技の開幕シーズン、箒競技の開幕シーズンといえば「聖典賞」。タンデム飛行競技では一番大きな大会だ。
あたし――エスメラルダ、通称メル――と、このアリーサは、同じ箒に乗っていた。
あたしは箒を操る箒手。アリーサは後ろで魔法を使い、箒を守る杖手。
箒競技は一人で魔法を使いながら飛ぶ競技と、あたしとアリーサのやっていたタンデム競技に分けられるわけだが、あたしとアリーサは通称を「光速の魔女」と言われていた。
タンデム競技はたいていのコンビが防御重視でのろのろになるなか、あたしとアリーサはノーガード戦法でぶっちぎるというやり方で飛んでいた。アリーサの魔法の腕が確かだったのと、相手の魔法を飛びながらかわせるあたしの箒術がなせる業だ。そして、その「聖典賞」のレースのさなか、あたしの見間違いでなければ――時速140キルテの速度でかっとび、気が付いたらあたしらの故郷、それも開発が始まる前の、あたしとアリーサが初等学校で出会ったそのときに、吹っ飛んでいたのである。
しかし「超高速でぶっ飛べば、魔女の箒は時空を破る」、というのはだれでも知っている民謡であるが、まさかそれが本当になるとは思わなかった。そして、140キルテをもう一度出して、聖典賞レースの現場に戻ってくると、もうすでに自分たち以外は全員ゴールしていて、あたしらの箒券を買ったおっちゃんたちの怒号がとどろいていたのであった。
そして、次のレースでは勝とうね、とアリーサと約束して、次のレース――重賞でもなんでもない、ふつうのレースで、アリーサは箒から落ちて背骨を折る大怪我をし、あたしは秋まで半年泣き暮らし、今に至るというわけなのである。
アリーサ以外と飛ぶ気はしなかった。だからチェアマンには引退を伝えた。とても惜しまれた。ほかの杖手を探そうとも言われた。でも断って、いまこうしてアリーサを前にべそをかいているわけなのである。
「とにかく、あんたは箒以外なんもできないんだから。タクシーやりなよ。あたしらがタイムトラベルしちまったことは箒競技に興味があればだれでも知ってるんだからさ、時をかけるタクシーだ。その稼ぎから、あたしの医療費出してくれればいいからさ」
アリーサはすっごい笑顔でそう言った。そう言われたら、飛ばないわけにいかないではないか。とぼとぼ歩いて家に戻り、玄関に無造作に立てかけた愛箒にふれる。
あたしとアリーサの愛箒は「レジーナ・デロリスA1955」という、おっそろしく古い型番のものだ。いまじゃこんなのレースに持ち込むやつはいない。でも、この箒はあたしとアリーサが初めて買った箒で、魔改造ともいえるカスタムを施し、逃げ切り型に調整したものだ。
こいつでタクシーかあ……。
「また、飛んでいいのかな」小さくつぶやくと、あたしは理解した。
飛ぶことこそ、あたしの本当の力なのだ、と。
さて、そんなことを言ってから箒を持ち、街を歩く。時計台の機械仕掛けのカレンダーは九月七日を指している。きょうの日付を忘れちゃいけない。
だが誰からも声がかからない。
さすがに相棒を落箒させて引退した女にタクシーをお願いするひとはいないのかなあ。
手につかんでいる箒の柄はぴっかぴかに磨いて、滑らかな手触りだ。シーズン中となんにも変わらない手に馴染むその質感は心を落ち着かせる。
街を歩くもろもろの人種は、あたしを見て(あのタクシー、エスメラルダ・マッローネだよな)(ああ、落箒事故の)とかなんとか言っている。
やっぱり、ダメなんだ。一気に自信を失ってしまった。
ため息をついて立ち去ろうとしたそのとき、小さな女の子が声をかけてきた。
「あなた、エスメラルダ・マッローネ?」小さな女の子――年頃にして9歳か10歳――が、そう訊ねてきた。そうだよと答えると、
「あのね、わたし三日前に歯医者さんにクマちゃん忘れて、そのクマちゃん捨てられちゃったの。三日前に戻って取りに行きたいの。お願いしていい?」と、その女の子は切実な問題を伝えてきた。もちろんいいよと答えそうになって、
「お金、持ってる?」と訊ねると、小さな女の子はポケットから百レプタ硬貨を数枚取り出した。初めての仕事にしては上等だ。百レプタ硬貨を一枚受け取り、
「箒に乗ったことはある?」と訊ねる。その女の子は、
「ときどきおばあちゃんに乗せてもらう。学校でもちょっとずつ練習してる」と答えた。
「よぉし。三日前に戻るにはすっごいスピード出さなきゃないから、しっかり捕まって、それからゴーグルもつけて」と、ゴーグルを渡す。
たのむぞ、レジーナ。
その女の子を乗せて、軽く地面を蹴った。石畳につま先の当たる感覚ののち、ふわりと浮き上がる。雲雀のように空めがけてまっすぐ飛んでいく。女の子はしっかり捕まっている。
曇り空を突き抜けて、あたしは三日前の晴れた空の下に出た。街一番の歯医者さんの前に下りる。女の子はぴょこりと頭を下げ、歯医者さんに入って数分してクマのぬいぐるみを抱えて戻ってきた。
「よおし。じゃあ、きょうに帰ろう」
クマのぬいぐるみはあたしが預かり懐に入れた。女の子を後ろに乗せ、遮蔽物がなく最高の速度が出る上空へ矢のように飛んでいく。
元の時間に戻ってきた。街の時計台の、機械仕掛けのカレンダーは、九月七日を指している。
「はいただいま! ほらクマちゃん! もう忘れちゃだめだよ!」
「ありがとう、エスメラルダ・マッローネ!」
女の子はそう答えて駆け出していった。
よかった。安堵する。
こうして、あたしは相棒の医療費を稼ぐべく、そして自信を取り戻すべく箒タクシーの仕事を始めた。
これはその仕事の記録である。
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