第3話 年表 3 2010 いよいよ、取壊しへ。そして・・・
10.01頃~ 美枝、米河ら住人に退去をそれとなくほのめかす言動開始。
10.03.20頃 盛元邸前での立ち話で、美枝は米河に「がんばって『丸いもの(美枝の用いる「現金」の意)』をとられえ」と最後に述べる。
10.03.28 (同日は日曜日)朝9時30分頃、美枝、米河に対し遠東弁護士の住所等の照会を求め、米河、平成5年の年賀状をプリンターでコピーして美枝に手渡す(何らかの連絡を取った可能性大)。
10.03.31 美枝らの土地明渡までの期限の利益喪失日及び米河自著にて定めた同人の「再出発」期限到来。8号室住人岡埜、自主的に移転。
10.04.02 米河、出張先の広島より帰着し、美枝らが4月6日に退去する意思を清子執筆と思しき文書にて確認。同文書にて、「地主の佐々本氏が朝9時頃挨拶に来る」予定であることも同時に確認。
10.04.06 美枝ら母子退去。
8:00頃~ 赤帽(引越し業者)、美枝らの退去作業に来る。
8:20頃 佐々本浩紀(佐々本)、米河及び中平親子3名の計4名(5号室及び7号室住人)に挨拶と称し4月末を目処の立退きを迫る。
このとき、調停事件の存在を米河が認知、佐々本持参の調停調書コピーを自己所有のプリンターで複写。
16:00頃 中平息子(息子)が佐々本に対し電話で不満を述べたところ、「金がないなら生活保護の申請をしろ」と述べられたと聞く。
04.07 朝9時過ぎ、米河、岡山簡裁にて調停事件記録閲覧申請。
04.08 米河、同日朝事件記録閲覧、15時過ぎ謄写記録受領。
04.09 米河、警告書作成の上同書面2枚と参照法令の計4枚を貼紙。
04.12
12:23 佐々本、米河に架電。様子伺いの留守番録音あり。
その後、佐々本の建物訪問形跡あり。中平親子らに対し何らかのアクションを起こした模様。
04.13 朝子(横浜市港南区)及び滋(千葉県習志野市)の印鑑証明発行
04.15 佐々本を代理人と定める委任状作成される。
04.15 米河、朝子及び滋に内容証明郵便発送。
04.16 佐々本、米河に連絡を求める鉛筆書き文書を添え、委任状及び印鑑証明の写しとともに封筒に入れ、昼前、米河用ポストに投函。
04.17 午前中に内容証明郵便、滋に到着。
04.18 午前中に内容証明郵便、朝子に到着。
04.19 米河、佐々本に対し普通郵便にて「御通知(4枚)」作成、発送。
04.20
9:49及び9:50、佐々本、米河に再架電(留守番録音なし)。
「御通知」佐々本に到達。
20:00頃、清子米河住居に来訪、退去につき挨拶等。中平父母も清子に応対。
清子の言 4月6日付で建物の所有権が地主に移った。だが、佐々本は家賃の請求には来ないであろう。どうせ取り壊すのだから。
中平母の言 佐々本より、5月も居住継続なら家賃を請求するとの言を受けた。
~ これまで20年近く、建物敷地内外を問わず、会ってもお互い挨拶もせず、無愛想を極めていた清子(それは居住数年の中平親子もほぼ同じとの事)をして、建物敷地内において初めてまともな会話を米河は交わした(一度か二度、何かで言葉を交わした可能性はあり)。このときの清子はこれまでになく愛想がよかった。
04.25 佐々本、朝9時前に7号室に来訪。佐々本が相手に「気持ちじゃ」と述べているのを6号室より米河確認。中平親子らにいくらかの金銭を渡したと思われる。その後打合せの上、10時頃佐々本退去の模様。
04.26 米河、佐々本に内容証明郵便による「警告状」を送付。
04.27 「警告状」佐々本宅に到着も、不在。そのまま放置される。
04.29 米河、普通郵便にて遠東弁護士に「質問状」送付
04.30 8:00過ぎより、中平親子の引越し開始。佐々本来訪の上、立会い。9時前に外出する米河とニアミスするも、相互無視。
05.01 16時頃米河、中平息子に会い、同人より佐々本の4月30日の言動等に付以下の情報取得。
① 佐々本は書面を読んでいないし受取っていないので、写真を撮ると言って6号室ドアの貼り紙のうちとりわけ内容証明による「警告状」を読み、撮影していた。
② 遠東弁護士より「金の話は(居住者に)するな。したら負けだ」と言われた。
と、中平息子らに語っていた。
05.04 夕方17時頃、徳島ナンバーのBMWによる親子連れ(幼女2名)が敷地に来訪を米河現認(以下単に「現認」)。
05.07 11:07不在伝票が米河ポストに。夕方18時過ぎ、佐々本宛内容証明郵便「警告状」が不在のまま返却される。
05.11 米河、神戸より帰着したのち西川原駅より13時頃自宅に。清子所有の自動二輪車を現認。その後6号室内より、同車の立ち去る音を確認。
05.12 15:25頃、弓之町ビル前にて米河、遠東弁護士に会い挨拶。4月29日付質問状への回答を本日発送したとの由を受けた他、自著の件についても話題に上る。以下、オフレコ前提の対談骨子。
① 今回の事件依頼を現段階で受けているわけではない。
② 佐々本に対しては自己の名前を使わないよう説諭した。
~ 「金も払っていないのに名前を使うな!」とのこと。
③ 横浜の方(朝子)はいい人だ。何かあれば頼んでくるだろう。
05.13 昼前 米河、遠東弁護士からの回答書を受領。
05.15 16:20頃、米河、中平母に隣マンション前で会う。同年5月4日の親子連れを中平息子も現認との情報。遠東弁護士からの返答その他、情報を中平母に伝える。布団及び洗濯物?を干している光景を中平息子らも現認、特に中平息子は「嫌がらせ」と見抜いたとのこと。
05末~06初旬 朝子及び滋、墓参りを名目に来岡。佐々本とともに遠東弁護士に挨拶に赴き、委任終了の報告を受ける。朝子及び滋は特段なんともなかったが、佐々本は不機嫌であったとの由。
06.07 14:20頃、米河、横浜市港北区の朝子宅を春木氏とともに訪問。留守の模様。
06.14 佐々本、弁護士に示談交渉を委任。
06.22 前日付内容証明郵便を米河受領。これにて、朝子らが倉敷市の清武義郎弁護士の****法律事務所(以下「清武事務所」)に本件を依頼した事実が判明。
06.23 米河、清武事務所に内容証明郵便を作成・送付。
06.25 担当の島根隆助弁護士(以下「島根弁護士」)との電話協議にて、7月6日13:30に裁判所にて面会の上、しかるべき場所で示談交渉をする旨の合意成立。
06.29 米河、清武事務所に「御通知」FAX2枚を送付。
06.30 米河、島根弁護士に「相手方準備書面(1)」その他証拠文書一式を送付。
07.06 13:30~岡山地裁2階弁護士・代理人待合室にて米河と島根弁護士の第1回示談交渉。立退き料総額50万円の提示。
07.08 米河、清武事務所に「相手方準備書面(2)」をFAXにて通知。
07.14 島根弁護士、米河に対し前回提示を維持する趣旨の通知を郵送にて送付。
07.16 13:30~岡山地裁2階弁護士・代理人待合室にて米河某と島根弁護士の第2回示談交渉。前回の合意にておおむね合意の意思表示。
07.19 合意書送付
09.01 6:30過ぎ、米河某退去。兵庫県明石市の移転先に向かう。
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