第9話 王女に捧ぐ詩
―サルビヤ国、王宮にて。
星屑を散らしたような夜空が、頭上を覆っていた。この広間は星々が見えるよう、巨大な天窓が設けられている。星や月を愛でながらの宴を好む王女の提案で造らせたものだ。
そこは、屋上にほど近い高所にあるため、四方が開放的であり、城下街と遠く広がる海、そして砂漠の地平を一望できる。
昼間の熱気のなかでは考えられないほどの、乾いた夜風が吹き込み、鉢植えから伸びる背の高い木々を揺らした。
老齢の国王も宴に臨席する。足腰が衰えてからというもの、日夜籠りがちだった自室を出るように勧めたのは王女であった。
王は臣下に支えられながら、席についた。いつもは王女が君臨する天幕付きの壮麗な玉座である。
太陽を現す装飾が黄金に輝き、王はかつての威厳を取り戻したかのように見えた。王女はその隣に座す。しかし、衣装と髪型ばかりはあいかわらず豪奢なものであった。艶やかな黒髪には中央に大きな宝石をほどこしたサークレットを合わせ、金の腕輪を両の腕に幾重にもはめている。王女が動くたび、それらは重なり合っては不思議な音を響かせた。
王族、元老院、貴族、後宮に住まう女子供、そして一握りの有力な商人たちが所狭しと広間を埋める。王族の以外の者は、長く長く敷かれた絨毯に直で、皆姿勢よく座していた。
ここ数年来、政を治めるはもっぱら王女と元老院たちであった。実質的な王女の治世において、国の体制への民からの評判は悪くない。
学問を好み、内向的であった王とは真逆に、華やかで強気な王女の振る舞いは王権を揺るがぬものにするには都合が良かった。実際に派手好きであるだけでなく、演出家としての策略に長けていたといえる。
王も長年の責務から解放され、趣味の考古学研究に没頭し、のんびりと気楽な隠居生活を送っているのだった。
「セインベルク王国より宮廷詩人レイチェル殿、およびその護衛に遣わされたローヴェラス騎士団の方々が到着されました」
臣下の一人がセインベルクより預かった書簡を読み上げる。そののち、重々しく開かれた中央の扉から入室するはライセント、ユノ、そしてそれに続く数名の騎士団員。
おや、と王女は面々をじっくりと見渡し、鋭く声をあげる。
「詩人はどうした。私は、詩歌を聞くためにお前たちを呼び寄せたはず」
「は。まずはご挨拶にあがるため、外させました。むろん、のちの宴には列席いたします。卑しい吟遊詩人をこのような高貴な場に呼ぶのは」
騎士団の代表として毅然と言葉を発したライセントは、王女の恐るべき剣幕で怒鳴りつけられることとなる。
「たわけ!!思い上がるな、騎士とは名ばかりのいかさま集団風情が。我々にとって用があるのは、かの詩人だけだと重々承知していたであろう!」
空気がぴりぴりと張り詰め、室内の者はいっせいに息を止めた。王までおろおろと目を泳がす始末。真の事情を知る女官長は、扉の影で頭を抱える。
他方、先ほどふらりと帰ってきたユノは、その隣でどこ吹く風というような面持ちであった。
ライセントはこの男の態度を横目に、貴様も同罪だろうが非常に恨めしく思った。ダリアは帰ってこない。しくじったかと歯ぎしりした。
しかし、ほどなくして、どこからともなく詩ははじまった。それは、この国の古語による四行詩であった。皆、周囲を見回すが、どこから聞こえてくるのかまるでつかめない。
そして、人々はおお、と声をあげた。王女はあっと天井のない頭上を見上げる。空を飛ぶ獣の背にまたがり、件の吟遊詩人が朗々と詩を紡いでいるのを誰もが見た。
丁寧に切りそろえた赤い髪につばの広い羽根つき帽は、サルビヤの王侯貴族らの目をくぎ付けにした。
上空には、半月刀の輝きが浮かぶ。零れ落ちんばかりの星々は、詩人をとり巻き、周回していると錯覚する者もいる。
詩人を背にのせた翼をもつ生き物は、まるで本物の巨大な竜。その漆黒の身体は闇夜に溶け込んでいるものの、力強いはばたきがごうごうと夜風を切る。
それは、この上なく恐ろしいものとして映ったが、彼らにとって親しみ深い瑠璃鉱石のような瞳を見ていると、そんな畏怖も消え去った。
この場、この時において、すべてはまるで一つの巨大な舞台装置のように組み合わさっている。
詩人は流れるような声で、詩を紡ぐ。砂漠に生を受けし、すべてのもののために。
唐突なる非現実の光景に、誰もが抗えずして心を奪われた。
王女は陶酔したまま、吐息をひとつ。
「我ら砂漠の民と、宝石、そして宇宙に浮かぶもの。その関係をこのように解き明かしてくれるとは」
そのあいだ、ライセントの目が捉え続けていたのは見覚えのある魔獣の姿だった。艶やかなグレージュの短毛に覆われた獣。暗闇に光る青い瞳。しなやかな四肢。背には悪魔のような羽根が―。
すぐに、現在組織を離れている裏切り者の召喚魔獣だと確信した。
「すごいね。あんな立派な魔獣を見たことがない」
ユノは何度も瞬きした。
「貴殿も本国で過去に会っているかもしれないぞ。いつも女の姿に化けていた」
「へぇ、人の姿になれるとは。まるで聖獣のような能力だね。興味深い」
このとき、ユノはふと、この街の大通りを行進していたときのことを思い返した。
―あぁ、もしかしてあのときの違和感って。
「どうした、何か気にかかることでも」
「いや、今はいい。さて、こんな場では手を出せないことくらい、君もわかっているだろう?」
ユノがライセントに目をやると、ほとんど反射で剣に手をかけていたので、やれやれとそれを収めさせた。
詩を終えたレイチェルは、悠々と広間に降り立ち、サルビヤのしきたりにのっとった作法で優雅に一礼した。
「ご機嫌うるわしゅう。偉大なる国王陛下。そして、『砂漠の薔薇』の姫君」
王女はさきほどとは表情を一変させ、上機嫌でこれをもてなすのだった。
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