第20話 雨の船出
翌朝、小雨が降り霧が立ち込めるなかハークたちは都行の船に乗るべく、長蛇の列に並んだ。
オーラヘヴンの街から朝一番の大型帆船が出港するのだ。埠頭は人と荷物であふれていた。この街まで来るのに乗船した小型の商船とは違い、この船の利用客は見るからに上流階級の身なりをした人々だった。
人数分の乗船の切符、そしてケイトとフィルが身分証明のために王都が発行した通行証を差し出すと、乗船員ははっとして即座に敬礼する。
船が陸から遠ざかっていくと、街全体は一様に青く見えた。建物の外観が青煉瓦で統一された不思議な景観を持つ街だったことを、再認識させられる。
天高くそびえたつオルゴール塔が時を告げる音を鳴らし始めたが、そのメロディは朝もやの中に溶けていった。
ロゼは甲板に立ち、いつまでも小さくなる街を振り返っていた。アルフレッドはその背後から静かに声をかける。
「ロゼ、船室に行きましょう。雨も降っていますから、風邪をひきますよ」
「ええ。あなたも、髪とその服を乾かさないとね」
ロゼは、アルフレッドの雨風に湿った前髪を見た。青年の姿をしていても、ロゼにとってはやはり従順な召喚獣である。およそ人には感じ得ないような愛しさと保護欲を感じるのだった。
そして、ロゼはふと思い出したように呟いた。
「そういえば、どうしてナイト様はあなたがいた森を『聖獣の庭』だと呼んでいたのかしら。あの地をそう呼んでいたのは、彼だけのようだし」
続いて真面目な顔で思案するロゼに、アルフレッドは何でもないことのように口を開いた。
「僕たち聖獣はずっとあの場所に繋がれていますからね」
少し、雨音が強くなってきた。いよいよアルフレッドは主人を船室の扉へうながす。
しかし、ロゼが表情を曇らせていることに気づくと、少し考えてからロゼの目線に合わせて背をかがめた。
「なにも気に病むことはありません。あなたが迎えに来てくれたから、今こうして一緒に居ることができています。あなたといられない時間、僕は確かに『寂しかった』んです」
その言葉と同時に、菫色の瞳は涙をたたえた。ずいぶんと泣き虫になったものだと、ロゼはそんな自分に失笑したい気分だった。それでも、すぐにアルフレッドの気遣いを感じとり、微笑んだ。
「私も、あなたと離れていてわかったわ。私にはあなたが必要だった。契約の相手はあなたでなくてはいけない。あなたがいなくては、聖獣使いの私でいられない」
「僕にとって何よりの言葉です。今度こそ、なんでもあなたの力になりますよ」
このとき両者は互いの瞳を覗き込んだまま、笑いあった。互いのそのような表情をよく見るのは出会って以来、実に初めてのことのように思われた。
船室へ移動すると、そのロビーはさながらパーティ会場の様相だった。
軽やかに流れる楽隊の円舞曲、さっそく船室で各々着飾って集まった紳士淑女たち。
「ちょっと場違いじゃないかしら。」
「さぁ、むしろ僕にはこのような娯楽に興じる人間の感覚がわかりません」
ロゼは興味のなさそうなアルフレッドをつれて、そそくさとその場をあとにした。
廊下を進むと、派手な装飾で彩られたカジノのフロアもあった。
まず目に入るは、一段と肌の露出が多いドレスを身にまとった多数の女性が、富豪らしき男にまとわりつく様子。
ロゼは反射的に回れ右をしようとしたが、自分を呼ぶ声に足を止めた。
テーブルのひとつについているフィルがこちらに気づき、手を振っているのが見えた。隣には興味津々で見物しているハークの姿がある。
「よお、嬢ちゃん。あとで一緒にどうだ」
フィルは満面の笑みである。近づいてみると、フィルの前にはディーラーの見事な手さばきによってカードが配られていた。ロゼはこれまでに見たことのない目まぐるしい光景に目をちかちかさせるばかり。
「フィルったら、ハークに余計なこと教えないでよね」
「遊べるうちに遊んでおかなくちゃあな」
フィルは、水を得た魚のようにゲームを楽しんでいる。
「フィルは何でも知ってるんだな!やっぱりすごいな!」
目を輝かせるハークに、褒められて得意げなフィル。ハークの無邪気な未知への好奇心は、少々ロゼを不安にさせた。あとで悪いことには手を出すなと言い含めておかなければ、と。
アルフレッドはというと、珍しく気分が悪そうにこめかみを抑えた。
「ロゼ。僕にとって、ここは騒がしすぎます」
「そうね、行きましょう」
ロゼは予約しておいた自分たちの客室にたどり着くと、ソファに無言で座るケイトとラピスラズリを認めた。昨晩のこともあり、各々物思いにふけっているらしかった。
ロゼはかまわず部屋に立ち入り、荷物のなかから手ぬぐいを取り出すとアルフレッドを座らせ、その髪を拭き始めた。柔らかい布が水気を吸っていくあいだ、アルフレッドはされるがままに大人しくしていた。
「官僚さんは、フィルたちと賭け事しないの?」
「もうその呼び方はやめろ、周りの目もあるんだから」
ロゼはそれもそうかと思ったが、この男も自分を「おまえ」だの「あんた」だのと名前で呼ばないではないかと不満に思った。
「って、あいつらさっそく賭場にいるのか?」
ケイトは汚らわしいものを見るように眉をひそめた。アルフレッドは、そんな彼にふいと視線をやる。
「ケイト殿は、実のところ非常に真面目な方なのですね」
間の抜けたようなしばしの沈黙の後、ラピスラズリとロゼの堪えきれなかった笑い声がその部屋中に響くこととなる。
王都へ向けて、船は大海を進む。霧雨があたりを包み、遠雷の音がした。
しかし、船室では人々の賑やかな声が日夜止むことはないのである。
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