第13話 夢と過去

 ロゼは、霧の中を歩いた。

 行けども行けども白の世界に包まれている。

 水の粒子が身体にじっとりとまとわりつき、気分が悪かった。

 湿った前髪が額に張り付いてくるのがわかった。


 遠くこだまする、幾重にもなる清らかな女性の歌声が呼ぶ方へ。

 徐々に押し寄せる不安を振り払うように、自然と歩を速めた。


 ―私には、聖獣使いになる資格はある?

 歩きながら、ロゼは自身に問い続けた。

 聖獣使いであるナイトも獣使いの里の族長クジャールも、この森を抜けて「聖獣の庭」へ自らの足でたどり着いたのだ。

 自分は遅れて、今ようやく試されているのだと感じた。聖獣アルフレッドの主人たるにふさわしい人間かどうか。

 ロゼは、アルフレッドとの契約の不安定さに納得がいった。どういうわけか、この試練の過程が抜けていたのだ。

 それでもやってこれたのは、ロゼが偉大な聖獣使いだと信じて疑わないナイトの不思議な力のおかげだったのだろう。


 ―その欠落を埋めるために、私はここに呼ばれた。

 ロゼは、こぶしを握り締めた。行けども行けども視界は空白のまま。

 思わず涙がこぼれてきた。とめどなくあふれる涙を袖でぬぐっても、あたりにただよう湿っぽさで大した意味をなさなかった。

 このままではこの霧に溺れてしまうと思い、気付けば無我夢中で走っていた。



 ようやく視界が徐々に開けて、空が広がったと思えば、今度は目を疑った。

 どこまでも澄み渡る青空が視界いっぱいに現れた。霧に入る前まで、ひどい曇天ではなかったか。

 風の音がごうごうと鳴りわたり、油絵で描いたような雲が頭上を流れていった。その影は恐るべき速さで大地を覆っては暗くした。

 足元は見渡す限りの草原。爽やかな緑の匂いが、全身を吹き抜けた。

 ロゼは自分の心臓がどんどんと打つのを感じた。

 嵐を予感させるような、自然への恐怖を感じた。あたりに人影は皆無だ。

 ぐるりと見回すと、城壁都市が遠くにぽつんと見えた。

 ここから望むだけで、それが廃都市だというのがわかった。


 ロゼは、この光景に見覚えがあった。先日見たばかりの奇妙な夢だ。確かに、あの廃都市の夢を見た。城壁のなかは瓦礫ばかりだった。

 ―あそこに行けば、何かわかるかも。

 ロゼは膝まである柔らかい草を踏みしめながら、都市に向かって歩き出した。

 しかしその意識に反して、一歩ずつ、視界は薄れて暗んでいくのだった。


 完全に自我の意識が消滅すると同時に、今度はまた別の場所で目覚めた。

 完全な暗闇の世界だった。

 呼吸はできる。かび臭さと、木の匂いが鼻をついたが、すぐに慣れた。

 目は、この闇に慣れてこない。頼りになる光は一切なかった。

 ロゼは、自分が妙に落ち着いていることを不思議に思った。

 きっと自分は昔、このような場所に長くうずくまっていたのだと思った。まとわりつくような重い闇の中では、感情まで鈍化するようだ。

 なぜか、自分の表情が今、どんな風だか少し気になった。筋肉を動かす感覚は、すぐに闇に溶けた。


 すべてを失ったような顔をしているのだろうか。

 また、すべてを悟ったように冷めきっているのかもしれない。

 あるいは、すべてをあざ笑うかのように微笑んでいるか。


 ロゼはどれも違うと思った。

 自分は今、必死な顔をしている。確かめるすべはない。しかし、確信に近い思いでそう感じた。

 恐る恐る手足を伸ばすと、すぐに壁や天井に触れた。狭い空間のようだった。すぐに這って、あたりを手当たり次第に押したり引いたりした。

 木のささくれが指に触り、痛みを感じた。

「もう勘弁してよ」

 ロゼは呟いた。指からは血が出ているかもしれないと思った。乾いた砂や石の感触が膝に痛みを与えた。

「何なのよ、私は。どうしてこんな目に遭ったの」

 この暗闇も幾度となく夢で見たことがある。痛覚や嗅覚まで伴ったのは、実に初めてのことであるが。

「出してよ!いい加減に教えて!私は何をしたの!」

 ロゼは天井の板張りらしい部分を、何度も強く叩いた。両の手はもはや傷だらけであろう。

 自分は今、信じられないほど生を渇望していると感じた。ここを出たい。知りたいことがある。会いたい人たちがいる。

「もうたくさんだっての!」

 記憶が欠けていることが本当はずっと恐ろしかった。自分が何者かわからないことに対して、気味が悪いと感じていた。

 だから無理やり、そういった感情に蓋をしていたことを思った。

 何度も叫んだため、喉の渇きを感じた。

 ロゼは、悔しくて地面を殴った。自分の非力が情けなかった。洞穴のような暗闇の中で、今が夢か過去か現実かもわからなかった。

 すると、ふとあるビジョンがわいた。それはいつも見る夢の続きだった。

 ―そうだ。確か一筋の光が差し込んで、それで。

 いつも、そこで目が覚めるのだ。降りそそぐまばゆい光を受けて、長らく眠っていた意識は、その一点へ向かう。

 そのイメージは、まもなく目の前で実際に起こった。自分はいつも息をひそめて、この瞬間を待っていたのだ。問題は、その先だった。今回は、まだ夢から覚めなかった。

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