第12話 オルゴール塔のしらべ

 オーラヘヴンにあるオルゴール塔は、街のシンボル的存在だった。

 決まった時刻に、巨大な自動ねじ巻き装置が優しい音色を奏でるのだ。

 その甘い異国の音楽は、この街を訪れるものを夢見心地にさせた。

 一方、住民にとっては生活の一部に組み込まれたものであり、敢えて誰も気に留めることはない。

 ケイトとラピスラズリは、塔のちょうど向かい側にある建物の屋上より、その音色に耳を傾けていた。ラピスラズリは、これまでと同様に女性の姿に変化している。獣に敏感な人間でない限り一瞥しただけでは、二人は一組の男女にしか思われないのだった。

 時計台の長針と短針はそろって正午を指していた。

 フィルは現在、その建物の一部を利用した図書館で調べものをしている。


「ケイト、ごめんね。私たちの使命のこと、ロゼに言っちゃったわ」

 ラピスラズリは主人にあっさりと白状した。先日、宿の一室にて魔力が切れて倒れたときのことだ。主人ケイトは、王族の呪いを解くために魔獣使いになったということ。そして、彼の寝たきりの兄が呪いをめぐる騒動の渦中にいるということを。

「抽象的な話だから、詳細はよくわかってなかったみたいだけれど」

 ラピスラズリは話しながら、主人の横顔から反応をうかがったていたが、そうかと一言返ってきただけだった。風は彼のひとつに束ねた銀髪をなびかせていた。

 オルゴール塔の音色は、まだ零れ落ちるように続いている。

「あいつらが知ったところでどうということはない。国の情勢なんて何も知らない世間知らず連中だ」

「私たちのことを知りたがっていたわ。他人同士でわかるわけないから教えてって言われたの」

 ラピスラズリは、両手で柵をつかんだままつま先立ちで空を見上げた。曇天がどこまでも広がっていた。


「いつまで都合よく使われているつもり」かというロゼの言葉が、ラピスラズリにとってずっと引っかかっていた。これまで、彼女は主人が職務を全うすることが王都における彼の保身のためであり、自分の願いだと信じていた。そうではなかったとすれば、これから一体どう立ち回ればいいのか。


「あのこ、私たちが王都に脅されていると思ってるのよ。どう思う?」

「どうした、急に」

「ケイトは、自分が被害者だと思う?」

 ラピスラズリは、瑠璃色の瞳をめいっぱい開いて、主人の顔を覗き込んだ。ケイトは、以前なら自身の召喚獣による無邪気さゆえの発言だと受け流していたところだが、この度はそうでないことに気づいた。

 おそらく、ラピスラズリも変わった。ロゼやハーク、アルフレッドとの関わりから何らかの影響を受けていると思わざるを得なかった。

「兄を助けるためだ。王家の呪いを解くには、魔獣の力が必要だ」

「それは本当に自分の意志?それとも、一族の意志?」 

 ケイトは思わず動きを止め、唾をのんだ。今まで誰からも受けたことのない問いだった。否、本能的に避けていた。

 少し間を置き、慎重に言葉を選ぶように、話し始める。

「俺は聖獣使いにはなれなかった。魔力持ちでもない。だから、力を手に入れるために魔毒を飲んでお前と契約した」

 ケイトはそこまで言うと、ラピスラズリの表情が憂いに曇っていくのを見た。


 ケイトは、ラピスラズリもまた自身の存在意義について悩んでいることに気がついた。彼にとって、魔獣がそのような感情を持ちあわせることなど、これまでに思いもよらないことだった。

 それは向き合いたくない現実だ。魔獣はもともと自然界に存在しない。獣が人の手によって歪められた存在。

 ラピスラズリも同じく、獣を魔毒中毒にして強化したなれの果てだ。その結果が、互いの生命力を侵食しあう主従関係の姿だった。


 ―あいつらも、余計なことを。

 里でのロゼとクジャールの会話がよぎる。

「獣使いでなければ、何者にもなれない」

 自分もまた、その思いにとらわれているのだと思った。ほとんど強迫的とでもいうまでに。

 これまでは自分が余計な不安に陥らぬよう、ラピスラズリのほうが守ってくれていたことに今更気付いてしまった。

 この契約魔獣は自分が見たくないものから視界を覆ってくれていた。話したくないことは話さなくていい。嫌なことは思い出さなくていいと。

だとすれば、やはりラピスラズリは変わってしまった。ケイトはそれを悪い変化だとは思わなかった。

 自身もまたハークらとの出会いをきっかけに、考えることを始めたのだから。自分の未来についてである。

 これまでは、王都の手足として淡々と任務をこなすだけだった。その先に、兄を助ける手掛かりが掴めると頑なに信じていた。今はその方法を疑問に思う。

「魔獣使いになったのは、俺が俺であるための選択だった。昔も後悔はしてない」

 ケイトはラピスラズリをまっすぐに見ながらも、もはや自身に言い聞かせるように言葉を紡いだ。


 風がいっそう強くなる。天候の悪さから、屋上テラスには他に誰もいなかった。

 オルゴールの音色は、最後の一音をかすかに残しながら、やがて天高く吸い込まれていった。


「ああ、もう」

 ケイトはどう声をかけたものかと困り果てた末、言葉を失ったラピスラズリの身体を抱き寄せた。自身の片割れも同然の契約魔獣を。

 いつも決まって飲み干している、甘く苦い魔毒の匂いがした。

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