第11話 希望の足音
アルフレッドは木々の向こうに人間の気配を感じた。鼓動が早まる。まるで、いつぞやのようだった。凍てついた悠久の時間が溶け出すような。
慎重に近づいていくと、その人物は慣れ親しんだ匂いをしていることに気づいた。
その人物は、こちらに気づくと大声をあげる。
「おーい!アルフレッド!!」
漆黒の髪と瞳。アルフレッドが勝手に彼の目印としている、赤いスカーフが胸元で揺れていた。ぶんぶんと手を振りながら走り寄ってくる。
「なんだ、ハーク殿か」
聖獣アルフレッドの人間じみた落胆の声に、ハークは憤慨した。
「なんだとは、なんだ!ここまで来るの大変だったんだぞ!」
アルフレッドは、それもそうかと思った。この地に立ち入れる人間というのも珍しいと。
「よく聖獣使いでもない凡人のあなたが、ここまで来れましたね」
「お前はいつも一言多いんだよ!もっと素直に褒めろ!」
ハークはそこまで言って、一気に気が抜けた。先ほどまで長らく幻覚を見ていたせいで、すっかり参っていたのだ。
「迎えに来たんだよ。ロゼも心配してた。一緒にここを出よう!」
「肝心のロゼはどこにいるんですか」
視線を合わせようとしないハークに、アルフレッドはやれやれと首を振った。
「…途中ではぐれた。さっきまで一緒にいたんだけど」
「ロゼが居ないのでは意味がありません。僕たちは主に呼ばれてはじめてこの地を出られるんです」
「そんなことってあるかよ」
「残念ながらあるんですよ」
アルフレッドはひとまず近くにある湖へ案内した。
何もかもが神秘的な場所だった。オーラヘヴンの裏手より続いていた森の景色よりも、ずっと現実離れしていた。空はずっと夜のような藍色。月も星も出ていない。ときおり巨大な七色のベールがその空にゆらめいていた。
―確かに師匠が言ってたとかいう言葉通り、『聖獣の庭』は『七色の光が差しこむ、湖のほとり』だったんだな。
ハークは湖の水をすくって飲んだ。透明度が高すぎるその水は、何も味がしなかった。
アルフレッドはハークの横に座り込んだ。艶やかな蒼白い毛をまとった獣の姿だと、ハークの背よりもずっと大きい。いつもアルフレッドからは獣の匂いは感じられなかった。
「あのときロゼは無事だったのですね?」
アルフレッドの問いに、ハークはこれまでのことを手短に説明した。アルフレッドは黙って聞いていた。聖獣の姿で黙られると、表情からあまり感情が読み取れずハークは何度か不安になった。
「うまくいえないんだけど、ここに来るまでになんだか霧の中で酔ったみたいになって。歩いたまま、昔の夢を見てたみたいなんだ」
「ここに来る人間はたいていそう言います。あの騎士殿は平気そうに出入りなさってましたが」
「師匠もここに来てたのか。さっき久しぶりに夢で逢ったよ」
ハークは、元は師匠の持ち物だった剣に手をやった。
「もしかして、師匠の剣が導いてくれたのかな」
「聖獣の加護とやらがあるみたいですからね」
アルフレッドは今までたびたび皮肉交じりに言っていたのだが、どうもいよいよ真実味を帯びてきたように思われた。
―どうしてこんな聖獣使いでもない少年が、ここに迷わず来れたのだろう。
先ほどハークの姿を認めたとき、何故か以前ここから連れ出してくれた騎士の姿に錯覚したのだ。姿かたちは全然違う。だが、どこか希望の象徴のように思われたのだ。すぐに気のせいだと思った。
ハークは休憩終わりと言い、立ち上がった。
「今度はロゼを迎えに行かなきゃ」
「それは無理です。ロゼが自分自身で来る必要があります。この地は来るものを試すのです」
アルフレッドの即答ぶりに、ハークは意外そうな顔をした。
「ここで大人しく待ってろって?お前、心配じゃないのかよ」
「居ても立っても居られない気持ちは同じです。しかし、それがこの地の理です」
ハークは、しばらく考えてから思い直したように腰を下ろした。
「俺だって来れたんだから、聖獣使いのロゼ様なら大丈夫か」
「はい、その通りです」
「アルフレッドは、ロゼが今見てるかもしれない過去のことを知ってるのか?」
「知りません」
「昔のことを聞いたりしなかったのか?」
「しません。あなたの師が僕らを引き合わせてくれたのです。それ以前のことは何も」
「俺ら、知らないことばっかじゃん」
「知る必要のないこともあります。今大事な問題は、これからのことです」
アルフレッドの声は、どこか寂しげに響いた。ハークは、アルフレッドも孤独を感じていたのかもしれないと思った。
「何でも知っていないと気が済まないお子様のハーク殿には、わからないかもしれませんがね」
アルフレッドの言葉に、またハークは「いつもお前は一言多い」と叫びそうになった。
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