第14話 オレガノの聖女
差し込む光はすぐに大きくなり、目の前の地面を四角く照らした。
隠し扉が、天井から取り外されたらしかった。ここは、狭い地下室だというのがわかった。
―誰?
ロゼは身を固くした。いつも、夢はこの前に終わるのだ。先は知らない。
扉を開いた人物は、光の中からひょいと顔をのぞかせた。
金の髪、愁いを帯びた瞳。微笑をたたえた薄い唇。すらりとした長身の男だが、聖母の如き面差しが印象的なのだった。
彼は、ダークグレーのマントをまとい、騎士の装いをしていた。
「ナイト様」
ロゼは感動のあまり、泣きたくなった。どれほど待ち焦がれた再会だったことか。
「驚いた。まさか、こんなところに隠していたなんて」
懐かしい騎士の声が聞こえた。誰が自分を隠したのか、その言葉の意味はわかりかねた。それよりも喜びで思考が追い付かない。
騎士は、おいでと手を差し伸べた。
ロゼは自分の泥にまみれた姿を見られることを躊躇したが、すぐに手を伸ばした。強い力で地下から引き上げられた。さらに地上へと上がる薄暗い通路が続いていた。先ほどの地下空間は、よほど厳重に隠されていたらしかった。
「ナイト様。私、ずっと貴方を探していたの。どうして突然いなくなったの」
ロゼはナイトの背中に問いかけた。ナイトはロゼの手をひきながら、振り返る。
「足元に気をつけて。君、言葉はわかるかい」
ナイトは、まるで怖がらせまいとするかのように、視線を合わせてこちらの返答を待っているようだった。
「何言って…」
「安心して。私は君の仲間だよ」
ナイトの心からの笑みは、ロゼの胸を締め付けた。また目が熱くなり、声がかすれた。
「ああ、ナイト様」
ロゼは手を強く握りかえした。温もりはあのときと何も変わらないように思われた。
しかし、もう気づいている。自分の言葉は、今彼には届いていない。
―だとすれば、これはやはり夢の続き?
すぐにロゼは、そうではないと思った。
―夢じゃなくて、ナイト様が私を見つけ出してくださったときの記憶。
ナイトのまっすぐな瞳は、ロゼのことを見ていなかった。いずれ彼によってロゼと名付けられることとなる空っぽの少女に語り掛けているのだと感じた。
「ナイト様。お願いだから教えて。私はどうして記憶をなくしてこんな場所にいたの?これからどうすればいいの?あなたには、いつか会える日が来るの?」
「それにしても、君のオレガノの赤い瞳は目立ってしまうね」
ロゼは、もうナイトに手をひかれているのが、昔の自分かどうかもわからなくなっていた。
―私の瞳は、赤じゃない。「オレガノ」は里で聞いた神獣伝承の言葉じゃないの。
神獣の居所は「黒い焔を背負いし、オレガノの民のみぞ知る」と印象的な一節を聞いたことを、確かに覚えている。
「大丈夫。普通の生活をすれば、すぐに瞳の赤は消えるさ」
ナイトは、話し続けていた。いつも詩を読むように、聞いてもいない話を自由に語り続ける人物だということはロゼも身に染みていた。今回ばかりは事情が違うのだが、そんなことが懐かしく思い出された。
ロゼは意味のないことと分かりつつも、藁をもつかむ思いでナイトの手にすがりつき、跪いた。
「私が『オレガノ』なの?」
「安心するといい。君の他に無事なのもいるよ」
二人の会話は、このときだけ歪ながらも偶然に嚙み合わさった。
実際は、互いに空を切るような語りでしかないのだが。
きっと、ナイトが語りかける「少女」は、このとき彼の言葉を理解していなかっただろうから。
ロゼの言葉もまた、ナイトに届かない。
ここは何かの拍子に引き出された、自分の記憶の世界でしかないのだと思った。
そして、もうこの箱庭のような世界は、周縁からほどけ始めている。ロゼは薄れゆく意識の中、幻として光のなかに溶けてゆくナイトの手を離した。
これが現実であるならば、もうすぐナイトとともに地上へ出ることができるというのに。その地上への扉は、この記憶の出口でもあるらしかった。
「ナイト様待っていて。私、きっとあなたに追いついてみせるから」
光と階段の景色が混ざり合って溶けてゆく。それは螺旋のように渦を巻いていった。最後に聞こえたのは、いつもと変わらず慈愛に満ちたナイトの声。
「君はいずれ、神獣を従える聖女になるんだよ」
ロゼは、身体ごと階段から落ちてゆくように、浅い眠りの中に誘われた。もうあの無限に続く草原も、乾いた廃都市も、暗闇も地上への通路もない。すべて淡い光が飲み込んでしまった。
―ナイト様は、私が『オレガノの民』の生き残りと信じていて。
―彼が私を獣使いとして育てた目的は、そこにあって。
―私は神獣使いになるために生かされてる?
―では、アルフレッドはどうなるの。私はあのこを連れ戻すためにここへ…
そこまでくると、ロゼの意識は、幾重にもなる清らかな女性の歌声のなかへ溶けていった。ロゼの疑念渦巻く胸中に反して、その音色はやはり精霊たちの福音のように響き渡るのだった。
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