第22話 男の悔恨 後編

『小出食堂』に勤務していた杉田茂男すぎた しげおがくも膜下出血により死去した。定時になっても出勤して来ず、電話をかけてもつながらないのを不審に思い、食堂のパート従業員が自宅アパートを訪ねたところ部屋の中で倒れているのを発見、救急車を呼んだがその場で死亡が確認された。63歳だった。


 離婚歴があり、現在は独身だった杉田の葬儀は、杉田の兄が喪主を務めてしめやかに営まれた。夏の暑さを小休止するように朝から小雨が降り続く中、小出食堂を経営する小出夫妻、パート従業員たちも参列し故人を悼んだ。


「『足元の悪い中すいません』って謝ってるのが遺影から聞こえたよ」

 開店準備中の店内で小出が言った。葬儀のため二日間休業した小出食堂は今日から営業を再開する。足を悪くして厨房に立つことが少なくなっていた小出も、当分の間忙しくなるのを覚悟していた。いまも厨房で仕込み作業中だ。


「杉さんらしいですね」

 ホール係のパート従業員・岡田美代おかだみよが中身を補充した醤油差しの蓋を締めて言った。店内を掃き掃除している小出の妻・幸子さちこが目を伏せたのは葬儀からの帰路ですでに同じ話を聞かされていたからだった。


「お休みだったのにごめんね」

 言った幸子に岡田が首を振った。出勤日だった宮本真純みやもとますみは自宅で倒れていた杉田の発見者で、ショックで体調を崩し、葬儀には参列したもののこの日は休暇を願い出、代わりに本来は休日の岡田が出勤していた。岡田は疲れを見せずいつもどおり小柄をてきぱき動かし開店準備に勤しんでいる。


「求人出さなきゃいけないけど、簡単には見つからないよなぁ」と言ったのは小出。悲しんでばかりではいられない。調理の仕事は経験者が適任でもその分プライドが高く定食屋を舐めてかかる人もいて、人手に困っていても即採用というわけにはいかない。

 杉田も年齢から採用を迷ったが、面接時に言った「こき使ってください」に心を動かされて採用を決め、結果吉と出た。社員食堂で働いていた経験からジャンルを問わず手際良く調理し、バリエーションも豊富で味もたしかだった。口数は少ないが不平不満を漏らすこともなく、店が暇な時に振る舞う手の込んだまかないは好評で、中でも特製チャーハンは店主の小出を唸らせた。


「杉さんみたいな人はそうそう見つからないんじゃないですか。ああいうマメな人は珍しいですよ」

 岡田が視線を向けた先で、杉田がデザインした『おいで食堂夏祭り』の告知ポスターが壁を飾っている。中央に背中に祭の赤文字の入った青い法被、その周りをかき氷や焼きそば、ヨーヨーが囲み、隙間を縫って泳ぐ金魚がアクセントになっている。『夏祭り』とは裏腹にどこか涼し気で、それでいて絵本の挿絵のような暖かさを感じさせた。『こども食堂』に協力してくれた店舗名も記載され、同じものが商店街の各店舗に貼られている。

 小出食堂の名物となった『こども食堂』や『こどもセット』は杉田の発案で、開催にあたり、杉田自ら商店街を回って食材の提供や告知ポスターの掲示をお願いしていた。


 こども食堂開催初日、普段は白のコックコートにコック帽の杉田が、黄色のバンダナと緑のエプロンを身に着けていた。「似合ってますよ」と岡田に褒められ、照れくさそうに頭をかいた。お祭りムードの演出かと思ったその身なりは『こどもセット』がメニューに加わると杉田の制服となった。


 他より小ぶりのこども用のカラフルなテーブルや椅子は杉田が自腹で購入したもの。勤め人客が多い定食屋はこどもが来店するには敷居が高い。『こどもセット』を食べていた小学生のきょうだいが口喧嘩を始め、中年男性が「うるさい」と怒鳴りつけたことがあった。こどもだけであれば大人は叱りやすく、こどもは委縮する。

「気にしないで、また来てね」

 食事を終え退店したきょうだいに杉田が声をかけ、チョコレートをあげた。翌日も来店した二人を見て杉田はほっと胸をなでおろした。


 こどもが疎ましく、店の雰囲気が壊れたと足の遠のく客がいた。その一方で、こども客に加えて女性客が増加した。こどもの来店で店が明るくなったうえ、それまで以上に店内美化に努めたことで風通しが良くなり、女性一人でも入りやすくなったことが理由のようだ。こども食堂の応援のためと来店する人もいて、うれしい副産物だった。『こども食堂』や『こどもセット』はいまや小出食堂のライフワークで、杉田が亡くなっても継続に異存はなく、協力店も変わらぬサポートを申し出てくれた。


『おいで食堂夏祭り』は予定通り開催されることとなった。当日は、焼きそば、フランクフルト、かき氷を振る舞い、ヨーヨー釣りを楽しんでもらう。商店街にあるラーメン店『門龍』の店主・門田道彦かどたみちひこが当日の手伝いを買って出てくれた。門田は小出とは古くからの付き合いで、『門龍』にも『おいで食堂夏祭り』のポスターが貼られている。人相がいいとは言えないが、商店街の行事ごとに積極的に参加し、毎年正月に活躍する『餅つきのおじさん』として顔が知られていた。


『おいで食堂夏祭り』当日。子供たちを迎えるのは小出夫妻に岡田と体調が回復した宮本、もう一人のパート従業員・竹下美紀たけしたみき、それに門龍の門田の6人。小出と門田が調理を、幸子がかき氷を担当し、宮本と竹下がこどもたちに対応する。岡田はヨーヨー釣り係。

 かき氷機は和菓子屋が、ヨーヨー釣りに使用するビニールプールはおもちゃ屋が無償で貸してくれた。かき氷機は倉庫に眠っていた旧型だったが、問題なく稼働してくれた。もちろんこの日はこどもたちには全て無料で振る舞う。ただし大人は有料で焼きそば300円、フランクフルト150円、かき氷200円。


 開店に向け、幸子が揃いの法被を配った。夏祭りの開催に合わせ、杉田の描いたポスターの絵柄と同じ背中に赤い祭の文字の入った法被を用意してあった。


「お祭り気分が出ますね」

 法被を羽織った竹下が背中を鏡に映した。折り目が真新しい。岡田は若干大きめの法被に面映ゆそうにしていたが、すぐにヨーヨー釣りの準備のために裏口から出て行った。


「これ、もしかして杉さんの?」

 門田が法被を両手で広げた。


「ごめんなさい。人数分しか用意してなかったので」

 幸子がすまなそうに言った。


「別に俺はいいんだけど、なんだか杉さんに悪い気がして。せっかく頑張ってたのに、横取りしちゃうみたいでさ」

 門田は顔の前に掲げて祭の文字をまじまじと眺めた。


「それなら大丈夫ですよ。杉さんはそういう人じゃないから」

「杉さんは嫌がらないっていうか、着ないと盛り上がらないってむしろ着てほしいと願うはずですよ」

 竹下の意見に宮本も賛同した。


「そうかな?」


「そうです」「間違いないです」

 言われて袖を通した。細身で色の浅黒い門田は法被姿が妙に様になった。

「なんか似合いますねぇ」

 竹下の言葉には実感がこもっていた。

「たしかに。子供の頃からお祭り一筋って感じ。さらし巻いて足袋履いたらもっと雰囲気出ますよ」

 宮本が言うと、門田はおどけて歌舞伎の見得を切り、二人が噴き出した。そこへ昨日の内に膨らませておいたビニールプールを取りに行っていた岡田が息せき切って戻ってきた。

「ちょっと来てもらっていいですか?」

 岡田の背中の祭の文字の後をついて裏の倉庫へ行くと、中に板状の物が立てかけてあった。

「昨日は気づかなかったんですけど」

 それは横およそ1メートル、縦はその半分ほどの大きなキャンバスだった。


「杉さん、約束守ってくれたんだなぁ」

 しみじみと言った小出は、杉田と交わした約束を思い出していた。



 前回のこども食堂の終了後、こどもたちが帰った店内でささやかな打ち上げをした。いくつか料理をテーブルに並べてビールで乾杯。こども食堂の運営も勝手がわかってきて、程よい疲労感と充実感でアルコールが心地良かった。


 女性陣が料理に箸を伸ばしながら会話に花を咲かせる横で、杉田はビールグラスを片手に壁を眺めていた。そこに貼られているのはこども食堂の告知ポスター。花びらが舞う桜の木と赤橙黄緑青藍紫、アーチ状に並んだ7色のランドセルは新入生を意識して杉田がデザインしたものだった。


「上手いもんだね」

 隣に立って小出が言った。酒好きの割に強くなく、さほど飲んでいないのに頬が赤く染まっている。


「下手の横好きです」


「見事なもんだよ。ランドセルで虹を作るってアイデアも面白いし。どっかの賞に送ったら?」


「いやいや」と照れ笑いをして首を振った。


「これっきりにしちゃうのはもったいないと思うけどねぇ」


「このレベルではどこにも相手にされませんよ」


「絵はいつから描いてるの?」


「教室に通い始めたのは2年ぐらい前からです。絵を書くのは元々好きで、高校時代は美術部でした」


「画家志望だったとか?」


「いえいえ、滅相もない。趣味で描いていただけです」


「それにしては大したもんだよ。これ見て来た人も結構いたんじゃないの?剥がすのがもったいないよ」

 今日の日付の入ったポスターは、今日でお役御免となる。壁の前にはこども用のテーブルが置かれており、『こどもセット』が小出食堂のメニューに加わった今ではこどもの来店が日常の一コマになっていた。

「これからも、こどもたちが気軽に来れる店でありたいもんだよ」小出はグラスに残っていたビールを飲みほして続けた。

「一つ相談なんだけど、ここに飾る絵を描く気ない?この壁ちょっと殺風景だから、こどもが喜ぶ絵飾ったらばっちしじゃん。嫌じゃなかったらの話だけど」

 小出は空のグラスを持った手で壁を指さした。開店以来の汚れが染みついていた壁を店内美化のために洗剤で磨きあげ、かつての白さを幾分取り戻していたが、その分空白を持て余していた。


「ちょうど新しい題材を探していたところです」

 杉田は隣を向いた。


「本当に?でも申し訳ないけど、ギャラとかはないんだけど」


「そんなのいりませんよ。ぜひやらせてください。時間がかかるかもしれませんが、絶対完成させますから」

 いくらか客が増えたとはいえ、こども食堂の経費もかさみ、店の経営に余裕がないのは杉田も承知している。


「本当に?面倒じゃない?」


「ありがたいお話です」


「急ぎとかじゃないから。空いた時間で大丈夫だから、無理しないで。俺の心の中だけにしまっておくから、全然止めてもいいからさ」

「お気遣いありがとうございます」

 まだいくらか残っていた杉田のグラスに小出が注ぎ足し、小出の空のグラスに杉田がビールを注ぎ、二人は乾杯した。



 慎重に倉庫から運び出し、さっそく壁に掛けた。

 描かれていたのは、キャンバスからはみ出すほどの横長のテーブルに並んだこどもたちが食事する姿。笑顔を向け合ったり、美味しそうにほおばったり。耳をすませば笑い声が聞こえてきそうな楽しげな空間がキャンバスいっぱいに広がっていた。


「見事なもんだなぁ」小出の言葉にはため息が交じった。「元々手先が器用なんでしょうね。お料理も上手だし」隣で幸子も感心している。


「こういう絵が飾ってあると、きっともっとこどもたちがお店に入りやすくなりますね。友だちがいるような感覚で」

 岡田はふと小学生の頃、家族で行ったファミリーレストランで弟の手を引いてドリンクバーへ行き、温かいスープを注いだカップをこぼさないよう両手で抱えて二人でゆっくり席まで歩いた出来事を思い出した。


「なんかこういう感じの有名な絵、ありましたよね?こんな感じでテーブルに並んで食事してるの」

 思いついたように言って竹下が誰ともなく見回した。


「『最後の晩餐』でしょ」

 宮本の口はそっけなかった。先に気づいていたようだ。


「そう、それ。たぶんこの絵『最後の晩餐』のオマージュですよね」

 合点がいったように竹下が言ったのをきっかけに場が静まったのは、絵の出来に感心しつつ、ひっかかりを覚えたからだった。『最後の晩餐』はこども食堂には相応しくないタイトルで、そこが焦点ではなくても、のどに刺さった小骨のような呑み込みの悪さを感じていた。


「ちがうな」

 沈黙を破ったのは門田だった。

「『最後の晩餐』はキリストが処刑前夜に12人の弟子と食事をする姿を描いている。だけど、この絵の中にこどもは12人。キリストがいた真ん中には誰もいない。な?」


 門田の言うとおり、右と左に6人ずつこどもが描かれ、中央は空白だった。


「どういうことかわかるか?」

 視線を向けられ竹下が首を振った。

「杉さんが描いたのは『これは最後の晩餐ではない』ってこと。この絵はな、これからもずっとこの食堂でこどもたちが楽しく、美味しく食事をしてほしい。それを願って描いたんだよ」


「なるほど」と示し合わせたように呟きが漏れた。「杉さんらしいな」

 たしかにそれが杉田がこの絵に込めた想いであるように思えた。


「ここに飾るのにはぴったりの絵だ」

 勝ち誇ったように門田が絵を見据えた。腕組みするといっそう法被姿が様になった。


「詳しいですね。絵が好きなんですか?」


「こう見えて美大出てるからな」


「えー」と驚く声に「嘘だよ」と悪い顔で一笑した。


「なんだぁ」と肩を叩いた宮本に「美大出に見える?」と決め顔を作った。「見えません」「やっぱり」と口を開けて笑った門田にみんなもつられた。


「それではこどもたちが待ってるので準備を再開しましょう!」

 幸子の号令で持ち場に戻った。


 窓の外には水色の夏空がどこまでも広がっていた。

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