第19話 アイドルの憂鬱 前編

 夜の墓地には不似合いな黄色いTシャツといくつもの生地を縫い合わせたカラフルなスカートは、膝を抱えて座り込んでいてもひと際目を引いた。提灯の明かりがそばまで来ると顔を上げた。二つお団子にした髪の毛。特徴的な奥二重の大きな目は赤く滲んでいた。


 立ち上がるとすらっと背が高く、まとう雰囲気が垢抜けている。眩しいものでも見るように目を細めて「それ何の衣装?」と口をきいた。抱えたショックを隠す強がりが透けて見えた。


「衣装じゃありませんよ」盆之が首を振った。


「私服?」


「そうです」と答えると風変わりな盆之の服装を一瞥してふーんと鼻を鳴らした。


「そういうあなたは衣装ですか?」


「当たり前でしょ。こんな格好で街歩けないでしょ」とあざ笑った。「ってここ街じゃないけど」


「何の衣装ですか?」


「何の?・・・何のっていうか、アイドルだけど」そう言って前髪をいじったのは照れ隠しだろう。


「アイドルですか?」


「じゃなきゃこんな格好しないでしょ。私のメンバーカラーが黄色だったの」


 よく見ると頭の上に黒いリボンを結び、首には黒いチョーカー。プロの仕事を感じさせる格好だった。


「アイドルっぽくない?どっちかっていうとモデルっぽいでしょ、自分でいうのもなんだけど。ハーフに間違われるし。身長ちょっと足りないけど雑誌モデルなら全然いけるでしょ」


 シャープな顔立ちは、たしかにアイドルよりモデルに近い。


「子供の頃から近所で評判の美少女だったから。ホントマジで、割と誰からも可愛いっていわれた。子供の頃の写真は自分で見てもかわいいと思う。自慢入るけど事実だから。

 こういう系の顔って子供ウケ悪いけど大人には褒められた。『将来絶対美人になるね』って。『歳とると可愛くなくなる子もいるけど、あなたは目が大きいし外人ぽいからきっと大人になっても美人よ』ってご丁寧に説明してくれるおばさんとかいて、そういうもんだと思ってた。

 小学生の頃はモテなかったけど中学生になると周りの見える目が変わって、上級生からも告白されるようになった。『将来は芸能人だね』とか言われてたし、自分でもそうなるんだと思ってた。でスカウトされて、中2でアイドルグループ入った」


「昔からアニメが好きだったし、オタクっぽいとこがあってアイドルも好きだった。アイドルになりたいって強く思ってたわけじゃないけどスカウトされて、なんか運命感じて、ヒロイン気分で。『これから私のドラマが始まる』みたいなね。アイドルになるのは当然で、自分は選ばれた人間だって思ってた。天狗になってたし、学校でもスター気取りだった」


 細くて長い溜息を吐いたあと、鼻から目一杯息を吸い込んだ。首が白くて長かった。


「だけど思ったほど売れなかった。全然売れなかったわけじゃないよ。ファンも沢山いるし、ワンマンライブやれば千人近く集まるし、CDも週間3位とかになったし。アイドル界隈ではそこそこ有名っていうかアイドル好きはみんな知ってるレベル。『星のエスペランサ』、知らないでしょ?」


「アイドルに明るくないので。すみません」盆之はそう言いつつも、耳心地の良いグループ名を口に出してみたくなった。


「そーゆーこと。その界隈で有名なだけで、一般知名度はほぼゼロ。芸能人になったって浮かれてたけど、世間一般ではそんなもんなの。だんだん現実が見えてきた。見たくなくても見えてきちゃった。で高校生になると『アイドルカースト』があるってわかっちゃって、だんだんやる気っていうか意欲っていうか、そういうのが薄れてった」


「『アイドルカースト』ですか?」初めて聞く言葉に盆之は首を傾げた。


「アイドルグループってデビューした時点でランクが決まってんの。歌番組に出たり、CMに出たり、東京ドームでライブやったりするグループってスタートから違うもんなの。デカイ事務所に所属して、大物プロデューサーがついて、大企業とタイアップして華々しくデビューする。で1年目から紅白出たり、レコ大の新人賞獲ったり。グループ名は小学生からおじさんまで知ってて、曲だって街歩いてると自然と耳に入ってくるレベル」


「だけど星のエスペランサはそういうグループじゃなかった。いわゆる『地下アイドル』。別に『私たちは地下アイドルです』って名乗ったわけじゃないけど、地上じゃないんだから地下アイドルでしかない。否定しようもない。地上に近い方だし、半地下ぐらいだけど、でも地下アイドルに変わりない。

 スタートが地下だったらそっから抜け出せないの。アイドルってバックの力がものをいう世界でさぁ、アイドル本人がどんなに頑張ったところでカーストを飛び越えることはできないの。カエルの子はカエルじゃないけど、どんなにがんばってもクジラにはなれない。高校生の時にそれに気づいちゃって」


「絶望っていうと大げさかもしれないけど、自分の無力さに気づいた。私ってこの程度だったんだ、メジャーなアイドルにはなれない運命だったんだって。子供の頃からチヤホヤされて自分を過大評価して、いつか東京ドームとか紅白とかのステージに立てると本気で思ってたけどそうじゃなかった。夢は夢。叶わないこともあるの。

 でっかいアイドルに、いつかなれると思ってたけど、なれないの。どうあがいても無理。アイドルって努力しただけ報われほど優しい世界じゃないの」


 盆之を見据えた目は吸い込まれそうなほど大きい。その割に顔はきゅっと小さく、すっと通った鼻筋につややかな唇、あごのラインは彫刻のように美しかった。


「で、高校時代に一回グループ辞めた。アイドル卒業。学業専念ってことにして。ホントは夢がなくなったから。アイドルが嫌になったんじゃない。ホントのホントにアイドルは好き。もっと大きいアイドルになりたかったけどなれないからアイドルをあきらめた。

 で大学受験の勉強した。こう見えて結構勉強できる方だから、予備校通って、いい大学目指して、真面目に勉強に打ち込んだ。迷いはなかった。はずだったんだけどね、そしたらさ、逆に自分の中でどんどんアイドルが膨らんでったの。勉強が嫌で逃げたかったわけじゃないよ、そこは誤解しないでほしい。ちゃんと大学合格したし。でもすっごいアイドルが恋しくなったの。『大切なものって失くしてから気づく』っていうじゃん。そんな感じで、自分でも勝手だなと思うけど、でもそういうもんでしょ。

 昔のライブの映像とか見て、このまま一生アイドルやらないのかな、一生メンバーと会わないのかな、このまま死ぬのかなって思ったら胸がぎゅーって締め付けられて。やっぱりアイドルに戻りたい。忘れられない。

 大学生になってもアイドルに戻りたい気持ちが抑えられなかった。もう一度アイドルやらなきゃ死ぬまで後悔する。アイドルの抜け殻として生きていきたくない。年齢的にギリギリかもって焦ってたら、ちょうど『星のエスペランサ』が新メンバー募集してて。今度こそ運命だって、すぐにスタッフさんに連絡した。ふざけんなってドヤされるかもって不安だったけど『戻ってきな』って言ってくれた。まぁ、やっぱわたし可愛いから。『他のメンバーはずっと先に進んでるから追いつくの大変だよ』ってちゃんと釘も刺されたけどね」

 小さい顔に、はにかんだアイドルスマイルが広がった。プロの笑顔。しかし作り笑顔ではなかった。


「あとはメンバー。メンバーとは連絡取らないようにしてたし、辞めて何年も経ってるし、『何を今さら』って拒絶されるの覚悟してた。まぁそれが普通でしょ。私も逆の立場ならたぶん素直に歓迎できない。だけど『意外と』って言ったら語弊があるけど、みんな温かく迎えてくれた。そういうフリだと思うじゃん?お得意の作り笑顔ですかって。

 けどメンバーにしたら、どんな新人が入るんだろう、変な子が来たらヤだなって警戒してたところに私だったから安心感があったみたい。それですんなり戻れたってわけ。納得でしょ?メンバーみんないい子でいいグループってのももちろんあるけどね」と悪戯っぽく笑った。顔もスタイルもその枠に収まらないが、心の底からアイドルが好きなようだ。


「で復帰して、昔の衣装着たの。これじゃなくて、デビュー曲の。っていってもインディーズだったからお金かかってなくて生地も薄いし、今見ると結構安っぽい。だけど思い出がいっぱい詰まってる。その衣装がぴったりだったの。身長止まってるし、太ってもないから当たり前なんだけど、私のこと待っててくれたんだって。シンデレラのガラスの靴みたいに。

 もう二度とこの衣装を脱がないって決めた。人生を『星のエスペランサ』に捧げる。もうね、前にいた時より今の方が断然このグループが好き。本当に。それでメンバーも、スタッフさんにも、ファンにも、絶対恩返ししようって決めた」


「本当は握手会嫌なんでしょ?とか、オタクって気持ち悪いでしょ?ってたぶん1度は訊かれるアイドルあるあるだと思う。

 厄介なファンがいるのは事実だし、うっとおしいって思っちゃうことも正直ある。夏なんて、息を吐くように汗をかく人いるからね。汗びしょびしょで、握手しながら首にかけたタオルで拭いたり。なんで握手の前に鏡見てこないのって。ケア用品とかたくさん売ってるでしょ。着てるものだって青いTシャツとか、汗目立つでしょ。女の子相手なんだから気を使いなさいよって」

 コミカルなセリフ回しに盆之は口元を緩めた。芝居の素質も持っていたのかもしれない。


「でも私たちもライブの後は汗びしょだから偉そうなこと言えないし、そんなのばっかじゃないし。単純に応援されるのってうれしいんだよ。いまなんて数えきれないほどアイドルがいて、その中から私のこと選んでくれて、黄色いTシャツ着て、黄色いペンライト振って、私の名前を呼んでくれる。ステージから見る黄色い光がなによりも幸せ。この感覚アイドルじゃないとわかんないかも。でもアイドルならわかる。

『生誕祭』って毎年自分の誕生日のイベントを開くの。セットリストも自分で決めて、一人で歌って踊って。会場は黄色のペンライト一色で、コールも私の名前だけ。1年に1度だけファンを独り占めして『私はアイドルなんだ』って心の底から実感できる私だけのステージ。もう1回やりたかったなぁ」


 そういって空を見上げた。どこまでも広がる夜に、しばらく視線をさまよわせていた。


「前に一度夢を見たの。ステージで歌いながら客席みたら、誰も黄色いTシャツ着てなくて、誰も私のこと見てない。ずっと応援してくれてる私のファンも、違う色のTシャツ着て、違う子を見てる。『私を見て!』って叫んでも、誰も振り向いてくれない。

 握手会になっても私の前は無人。隣のレーンに私のファンを見つけて、『こっち向いて!』って言ったらようやく目が合って、『推し変したんだよ』って笑った。そこで目が覚めた。

 夢だってわかってるけど万が一正夢だったらどうしようって。そんなわけないって思ってても、もしかしたらって不安が消えなかった。

 その日ライブで、ステージに立って黄色い光を見つけた瞬間涙が溢れてきて、隠すのに必死だった。『私のファンがいる』『私のことを応援してくれてる』『私のことを好きでいてくれる』って。『絶対ファンを大切にしよう』って心の中で誓った」

 アイドル離れした容姿を持つ彼女の話だけに説得力を帯びていた。偽らざる本音に違いない。


「ネットで好き勝手書く人も沢山いるのよ。見ちゃいけないってわかってても自分のこと書かれてるかもって思ったら気になっちゃうでしょ。見なくても恐怖心みたいなのは残る。

 SNSだって『もっと更新して』って言われるけどコメント見るの意外と勇気いるんだよ、ヤなこと書かれてたらどうしようって。悪気なく傷つくこと書く人もいて、ないとホっとする。メンタル削りながら生きるのがアイドルだから。誰でも一度は病むし。でも憂鬱な時に声援聴くと救われる。アイドルやっててよかったって思う瞬間かな」


「アイドルって単独ライブより、たくさんアイドルが出るイベントとかフェスとか、そういう仕事が多くて。でファンの少ないグループもあって、こういっちゃなんだけどそういうグループ見ると寂しくなる。逆に自分たちのファンを見つけると安心する。声援が大きいとテンション上がるし、その方が絶対楽しい。やる方もみる方も。

 歌とか振付とか難しいのもあって、覚えるのに苦労して、不安なままライブ出て、でも上手くできた時に、そこを褒められたり。ちゃんと見ててくれてるんだって報われた気分。褒められるのってうれしいんだよ」


「グループをでっかくするのを諦めたわけじゃなくて、私が入った頃よりSNSとかが普及してチャンスをつかみやすくなって。工夫すればまだまだ、もっともっと大きいグループになれるかもしれない。難しいけど、でもどうにかできるかもって思ってた」


 どこかでカラスの啼き声がした。3度啼き、羽音を残して飛んで行くと、墓地に静寂が戻った。


「私、こう見えてあんまり人気ある方じゃなかったの。正直に言うと下の方。こんなに可愛いのに、不思議でしょ?辞めてた時期もあるし、アイドル顔じゃない自覚はある。身長だってアイドルにはしては大きいし。アイドルの人気って可愛さだけじゃないしね。

 なのに、新曲のセンターに選ばれたの。センターってわかる?真ん中で歌うの。そのままだけど。初のセンター。

 うれしくなくはないけど、あくまでも私はグループの一人で、ポジションはどこでもよかった。別にメインじゃなくていいの。メンバーと競争したくないし、代わってほしい人がいれば全然OK。カッコつけてるわけじゃなくて本心。

 だけど、私のファンが喜んでくれた。泣いてくれてる人までいて、それ見てわたしもウルっときて。私が辞めてた時期も待っててくれた人がいて、いつか戻ってくると信じてたってよろこんでくれた。

 私を生きがいにしてくれる。そういう人は大事にしなきゃダメだよね。私で良ければ幸せのお手伝いをしようって。だから大切な曲にしてもらえるように想いを込めてレコーディングした」


「今度のライブでその曲を初披露する予定だったの。『星のエスペランサ』結成10周年記念ライブ。私がいたのはそのうちの5年ぐらいだけど。

 ねぇ、アイドルソングって歌って終わりじゃないの。わかる?」


 質問の意図がつかめず盆之は返答に詰まった。


「アイドルソングはね、ファンが命を吹き込むの。一人の女の子がメイクして、衣装着て、ステージに立つとアイドルになる。それと同じで、私たちの歌にファンがコールを着せて初めてアイドルソングになるんだよ。アイドルのライブって叫ぶものなの。推しメンの名前を力いっぱい、好きって気持ちを込めて、何度も何度も。そこにしかない場所なの。アイドルとファンの共同作業。なんか結婚式みたいだけど、でもステージと客席が一緒になって作るのがライブだから」


 下心などなく、純粋に、心の底からアイドルが好きなこの子がステージで歌う姿を見るのは、ファンにとって幸せな瞬間だっただろう。


「なのにその前に死んじゃった。誰かが代わってセンターで歌うって現実的に厳しい。私の最初で最後のセンター曲だから、私のファンが納得しないでしょ。メンバーだって嫌がるはずだし。新曲は発売するかもしれないけどたぶんライブではやらない。できないでしょ。未完成のまま永遠にお蔵入りってこと。恩返しするはずが、恩を抱えたまま死んじゃったってわけ」

 さっきまでの明るさが消え失せ、最後は声が震えていた。


「人生を星エスに捧げようとおもってたのに。もっとアイドルしたかった。もっとライブがしたかった。みんなに恩返ししたかった。なんでこんなに早く死ななきゃいけないの?私のプロフィールとかも最初からいなかったみたいに全部削除されちゃうのかな」

 消え入りそうな声で言うと、堪え切れなくなって両手で顔を覆い嗚咽した。


 若くして人生が幕を閉じたのだから他にも悔いがあるはずも、それだけアイドルとグループに対する思い入れが強かったのだろう。この場所で若者と出会うことは盆之にとっても心苦しく、掛ける言葉を上手く見つけられなかった。


「あなたが天国に行けずここにとどまっているのは大きな後悔を抱えているせいです。僕はその後悔を晴らすお手伝いをしに来ました」


「どういうこと?」

 真っ赤な大きな目を盆之に向けた。


「あなたに代わって、誰かに何か贈り物をします」


「贈り物?」


 盆之は穏やかに頷いた。


「一度でいいから新曲をメンバーと一緒にファンの前で歌いたい」


「残念ですが、それはできません」


「もう2度と歌えないんだね」そういって目を瞑った。目を閉じても、見とれてしまうほどきれいな顔立ちをしていた。頬が緩んだのは楽しい思い出がよみがえったせいか。

 ようやく大きな目を開いた。「でもアイドルになってよかった。短い間でも星のエスペランサになれてよかった。メンバーとファンと一緒に過ごせてよかった。アイドルって本当に最高だから」

 吹っ切れたようにそう言った。

「贈り物、一つ見つけた」

 盆之に告げ、提灯を吹き消した。

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